恩に報いる/三嵜霊証

今年もご正忌報恩講がやってまいりました。全国各地にさまざまな宗教のお寺がありますが、毎年報恩講を勤めるのは、浄土真宗だけだと思います。ご開山親鸞聖人のご命日をご縁として、そのお徳を讃え、阿弥陀如来のご恩を知り、共にお念仏の心を聴聞させていただくご法要です。

報恩とは、恩に報いるとか、恩にこたえるということです。恩を知る、恩を忘れないということは、人間として一番大事なことです。犬でもしばらく飼っていたら、飼い主の恩は忘れない、といいます。ましてや私たちは人間です。恩を忘れるようなことがあったら、犬畜生にも劣るといわねばなりません。考えて見ると、私たちは親の恩、先祖の恩、国の恩、自然の恩などさまざまなご恩の中で生かされています。日常「おかげさまで」と自然に口にする言葉が、それを表現します。ところが親鸞聖人は、なんでもご恩とはおっしゃってないのです。ご恩とは、仏さま阿弥陀如来さまの働きを、恩と頂いています。それ以外は言わないのが宗祖であります。

昨年、阪神大震災は大変な被害をもたらしました。私の家内は実家が兵庫県です。被害はありませんでしたが、友人、門徒さんが皆心配してくれました。その時私は「おかげさまで、うちは大丈夫です。」「おかげさんで。」を連発しました。そしたら父親に「なにがおかげさんや、被害に遭った人が聞いたらどう思うか。」と言われ、考えさせられました。私は自分が順境の時だけ恩を言い、逆境の時は、のろいの言葉をはくような生き方ではなかったかと。親鸞聖人はどのような人生であっても、ささえとなり、力となる如来さまのご恩を喜ばれたのです。迷いの人生から悟りの世界に至る道をお念仏となって働く如来のご恩を「身を粉にしても、骨をくだきても」と讃えられました。私が恩に報いることは、唯お念仏を相続させていただき、その心を聴聞させていただくことです。どうぞご正忌参拝されて、ご恩の世界をお聞き下さい。

(寺報78号)

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恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
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永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
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不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
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こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
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お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
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いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
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