生死出づべき道/高田慈昭

人間の欲や願いはかぎりありません。けれども、いのちにはかぎりがあり、知識がゆたかであっても、財力や権力がどんなにあっても、老病死や愛憎の苦悩を解決することはできません。欲望がみたされて一時的な快楽がえられたとしても長つづきするものではなく、むしろ欲望があるために苦悩をうみ争いを生じるものなのです。このような現実の人生を、すなおな眼ざしでみつめることが大切であって、それには、現実の人生を高くこえはなれた立場から、人生を見直してみるということが要求されます。

たとえば、宇宙飛行士がロケットで地球の外へでて、宇宙から地球をながめると、円い地球の表裏がみえ、ニューヨークとオーストラリアが同時にみることができると語っています。つまり、この地上では決して経験することができない次元がひろがってくるわけです。私どもは、円い地球に住みながら円い地球をみることができません。まして地球のうらおもてがみえるはずもありません。つまり、地球上の視点と宇宙からみる視点とは次元がちがうのです。私どもの常識をこえた次元が存在することをあらわしています。

仏陀の教えは、そのように人生をこえた立場から人生を見直していくところにあるというべきでしょう。後生の一大事、生死出づべき道とは、常識的な50年100年の生命だけでなく、過去現在未来の三世の生死の迷いから解きはなたれた永遠の浄土のさとりへいたる道を阿弥陀如来の本願力によって救われていくことなのであります。

(寺報91号)

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