雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人

昭和49年、高槻市東五百住の行信教校で雪山隆弘さんとお会いした頃、膨大なコピーを手にされていたことが、鮮やかな印象として残っています。それは、明教院僧鎔師の書物でした。僧鎔師は19歳で善巧寺に入寺され、浄土真宗のご法義の学問に励まれました。後に空華学派の祖として偉大な足跡を残されたお方です。

コピーが今ほど良くない頃で、値段も高かったのです。図書館を訪ね歩かれては、その著作を善巧寺にそろえようと苦心されていました。僧鎔師の著作の中に、心に残る御法語があります。「一滞録」に「教行信証」信巻別序の講義を終えられて、ふと、御恩と言うことを語られたのです。

「・・・僧侶はご門徒の法事に参って、布施を頂き経を読む。その意は、浄土真宗においては、ご門徒も一銭の布施、一食の供養も阿弥陀如来や親鸞聖人へお供えさせていただくと思うて布施をする。また、それを頂く僧侶の心得も如来聖人のお受けになられた物をこの凡僧に下し給わったと頂くばかり。飢寒をふせぎ、心やすく念仏せんがために給わったと思うて、その御礼報謝のために一巻のお経あるいは「正信偈」を勤めるのも、施主のために功徳をつくるのではない、亡き人の追善とたむけるのでもない。ただこれ如来聖人の御恩を報ずる他はない。
真宗のお寺は、日本諸国にいくらあらおうとも、ご開山はただ一人。ご本山であれ末寺であれ、わが寺というものはない。すべてご開山(親鸞聖人)のお寺を護持し相続して、ご法義をすすめるばかりである。そのご開山の御徳によって、寒からずひもじからぬように仏祖の御養育にあずかる。これによりていよいよ冥加を大切に思うて朝暮の勤行に御礼を申し、ご門徒のお方々にご法義をおすすめするのが良き僧侶である・・・(取意)

隆弘さんは、まさに僧鎔師のご述懐に生きられたのですね。御恩を、冥加を、お茶の間で、巧みな表現と、さわやかな笑顔をもって語りあかされました。私には、ほっかほっかのお念仏を残して下さいました。

(寺報80号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
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雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
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仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
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生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)