洗面器の底のさくらの絵/森正隆

私は善巧寺様の若院さんでした、故雪山隆弘氏の実父興弘氏の従兄弟に当る者でして、興弘氏の母親が姉、私の母が妹の関係。こう申せば、少しは輪郭が浮かんで来ましたかナ。故興弘氏は従兄弟頭(いとこがしら)で、私が一番末で十五歳違い。若院さんは昭和十五年生で私より十五若く、私を呼ぶのに、オッチャンと呼ぶか、兄ちゃんと呼ぶか、その時次第でした。

昭和十七年春、私は龍谷大予科へ入学、父の薦めで一年間、既に厳しい寮生活を送りました。一年を無事に終え、サテこれからどうするかと、思索していました処へ、ヨスミの常見寺の叔父から電話がかかり、その内容とは、ウチの息子三人とも召集で駆り出され、皆外地や。寺は無人なので、あんたとこの息子を、用心棒代りに、ウチから学校に通わせたらどないや……?と。

本人には何の相談もなく、両者は一瞬で了解したとか。その春、私は行李担いで先ずはご挨拶に参上です。“今日からお世話になります。どうぞよろしゅうに。”

常見寺には、可愛い目玉のヤンチャ小僧が二人で、兄貴の明弘は八歳で、弟の隆弘は四歳位でしたかナ。実は、ここで、世にも不思議なことに出会うたんですナ。叔父は新参の私のために、洗面器を新調してくれました。翌朝、まっ白な洗面器のぞいたらその底に、一本の桜の小枝が画かれ、余白には

散る桜 残る桜も 散る桜

の一句が添えてあったのです。私はこれで洗面すること一年半、海軍へ入隊、外地へ出たんです。

時は流れて四十余年、平成二年の秋頃でしたか、若院さんの遺稿集の扉で、この画と句を見た途端に、五十年昔の常見寺の井戸端が目に浮かび、思わず絶句!!

(寺報105号)

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必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
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非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
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洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
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お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
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