おそだて/高田慈昭

越中といえばなつかしい。私の母も富山県城端町の在家の出身で、幼い日、生母に死別し篤信の祖母にそだてられた。二十才で大阪の寺へ嫁ぎ、きびしい姑から田舎者あつかいをされて大変苦労をかさねた。そのころ、利井興隆先生(隆弘師の祖父)のすぐれた法縁にあい有難い念仏者となった。興隆先生のご化導でいままで仏法といえば死んでからお浄土へ参ることと思いこんでいたが、今日ただ今、阿弥陀如来の大きなお慈悲にすくわれる平生業成の法義であることを知らされた。それ以来、母は如来とともに生きる力強い信心の生活をめぐまれ、幼児を背負いながら日曜学校を開設し、5人の子供をそだてながら夫(住職)をはげまし、学業と教化に熱意をそそぎ、生涯、ご法義中心の日々を送ったのであった。

母のおそだてによって、ともすれば寺から逃げ出そうとした横着な私が、仏法を学び、ご法義をおつたえする身になったことを思うと、今さらながら母の養育の御恩を痛感するのである。その母をそだてたのが城端の祖々母の念仏だった。祖々母は毎朝、善徳寺(別院)の晨朝法座に参詣し、朝ごはんのとき、いつも今朝聴聞したご法義を家族に話しかけていたそうである。そんなご縁で母が大阪の寺へむすばれたのだった。

あるお彼岸のころ、祖々母は80才をすぎて一人で大阪へやってきた。高齢でまわりが心配したが、「何の心配があろうかい。如来さまといっしょじゃ」といって、敦賀のトンネルの数をかぞえてやってきた。お彼岸は大阪人は多く天王寺さん(四天王寺)を参詣してごったがえす。祖々母は天王寺の西門に立って日がくれるまで西の空をおがんでいたという。
「西門で拝んでいるのはオラひとりやった」と。天王寺の西門は西方浄土の東門に向かうというお説教をきいていたのであろう。祖々母のお念仏が母の血にかよい、いま私の血にかよってきたおそだてをしみじみ想う。その力とは阿弥陀さまのおそだてにほかならない。

(寺報77号)

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