いずれの行もおよびがたし/藤澤信照

先日、比叡山の無動寺谷を訪れ千日回峰行を終えられた上原行照阿闍梨に、お話をお伺いする好機を得ました。

千日回峰行は、比叡山の峰々谷々の諸堂霊跡二百六十余カ所を礼拝しながら、毎日三十キロを超す山道を歩き回り、七年間で千日の行を完了するもので、七百日直後には、九日間の断食・断水・断眠・不臥の行も待っており、しかも途中で投げ出すことの許されないという決死の苦行なのです。阿闍梨は、私たちに対しても同じ仏教者として敬意を表しつつお話しくださったのですが、最後におっしゃった大変謙虚なお言葉が、かえって私の心に印象深く残りました。

千日回峰行は、難行ではありますが、決して不可能な行ではありません。幸いに私は、自ら行を終えられた師匠に、直接指導を受けることができたおかげで満行の日を迎えることができたのです

それから数日経ったある日、私はふと『歎異抄』第二条の「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」という親鸞聖人のお言葉を思い出し、上原阿闍梨の言葉と重ねながら、聖人の回心について考えていました。聖人は比叡山の行に挫折して山を下りられたのか。いや、そうではない。どのような行をやっても、仏さまの心に少しも近づけない、ということに苦悶されたのだ…。

親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひとの仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり

聖人を導いてくださる師は山外におられる法然聖人でした。「いずれの行もおよびがたき身なれば」とは、確かな救いの喜びに裏付けられた言葉だったのです。

(寺報113号)

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