抜けるような青空のもと/山本摂叡

コンピューターを開くと伊勢にいる兄からメールが入っていた。「悲報」と題してある。「抜けるような青空のもと、猫が死んでしもうた」と書かれてあった。ペットを飼っていると、ある意味、家族以上の愛着がわいてくるものである。家にもいま、ともに九年を過ごした柴犬がいる。

九年という歳月は大きい。父はこの犬を知らない。当時中学一年だった男の子は、もう大学生である。この子にせがまれて、迎えた犬であった。二人で犬を抱いて帰った日のことは、鮮明に覚えている。感情にまかせて怒ってしまうことも、しばしば。何を怒られているのか解らず、悲しい目をしている。悪いことをしたといつも反省する。犬や猫は、死を恐れることがない。また、生に迷うこともない。「ある意味、人間より偉いのかもしれない」そんなことを書いて、返事しておいた。

横川法語の「身はいやしくとも畜生におとらんや」というのは、単純に犬猫より人間がすぐれているということを言ったものだろうか。仏法にあうということを離れて、この言葉を理解してはならない。我々がいう「優れている」「劣っている」という評価は、つきつめると自分中心の虚妄の判断でしかない。

猫は、一週間ほど獣医に見てもらい、最後は病院で息を引き取ったという。心臓も、腎臓も悪かった、糖尿病であったという。そんな人間の小賢しい判断とは別に、おそらく、猫は超然と死んでいったことであろう。

「荼毘所ではにわか坊さんの職員が、般若心経をあげてくれた。本来笑うべき光景かもしれないが、スギ花粉が眼にしみた」とメールは結ばれてあった。

(寺報103号)

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