報恩講について/梯實圓

弘長2年(1262)11月28日、親鸞聖人が、90歳を一期としてご往生あそばされてから、741年の歳月が流れていきました。時は移り、人は替わり、社会の状況も、生活環境もはげしく変化していますが、聖人のみ跡を慕う念仏者たちは、毎年の報恩講を大切にお勤めしてまいりました。

報恩講とは、親鸞聖人の祥月命日に当たる11月28日を中心に、遺弟たちが聖人のご恩徳を偲んで報恩のまことを捧げるご法座のことです。しかし旧暦の弘長2年11月28日は、新暦になおすと、翌年の1月16日になりますので、本願寺派(西本願寺)では、1月16日をご命日と定め、その日まで七日七夜にわたって報恩講を勤めるようにしています。

この法要を正式に「報恩講」と呼ぶようになったのは、おそらく親鸞聖人の曾孫で、本願寺の第三代の宗主である、覚如上人のころからでしょう。親鸞聖人の御廟所(ごびょうしょ)を「本願寺」という寺院にし、親鸞聖人のみ教えを顕彰された方でした。親鸞聖人の33回忌にあたる永仁2年(1294)に、聖人のご高徳を讃える「報恩講私記(ほうおんこうしき)」(お式文)という「讃文」を著されましたが、これが報恩講という名称が用いられた最初です。覚如上人25歳の時でした。上人はその翌年、「本願寺聖人親鸞伝絵」という2巻15段の絵巻物を著されています。

報恩講のご法座では、「お式文」や「御伝鈔(ごでんしょう)」を心静かに拝聴し、「御絵伝(ごえでん)」を拝見して、聖人のご恩徳を偲ばせていただきましょう。

寺報109号(平成15年10月1日)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)