いよいよと云うか、とうとうと云うか、今年は蓮如上人の500回忌のご遠忌がきてしまった。善巧寺にも新しい住職が誕生して、これから住職門信徒共に力を合わせて、善巧寺を本物の聞法の道場にする決意が必要である。
近頃はお寺参りの人が少なくなったと云ったら、友人の歯医者が、「寺に参らなくても、痛くも痒くもないからなぁ」と云った。歯医者には痛くなると夜中でも患者が飛び込んでくるというのである。現代人には、こころの痛みはないのだろうか。新興宗教の現世利益を求める人たちは、後世はどうするのだろう。
阿弥陀さまは、私のことを罪悪深重の凡夫と診断して下さり、放っておくと必ず地獄に堕ちると云われている。身内の不幸に遭った人が、弔問客にこう云っているのを聞いた人は多いだろう。「生前はお世話になりました」生前とは何時のことだろう。生まれる前は少しおかしくないだろうか。死ぬ前はお世話になりました、と云うのなら判るのだが。実は、この言葉は「往生する前」という意味なのである。だから、お浄土に往生された人にはこの言葉は使えるが、死んだ後の往く先が判らない人には、適当な言葉ではないのである。蓮如上人は「ご文章」80通の中に、今生のことより後生は解決しているのかと、42回も後生の一大事について、繰り返し、繰り返し説かれている。
さて、貴方の往生は間違いないと云いきれるか。今年を機に、新住職と共に、命がけで聴聞して頂きたい。
(寺報86号)
・空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
・ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
・御文章について/梯實圓(寺報71号)
・永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
・報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
・「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
・ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
・無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
・おそだて/高田慈昭(寺報77号)
・恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
・拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
・雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
・俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
・往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
・一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
・混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
・住持/高田慈昭(寺報85号)
・あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
・洗面器の底に・・・/森正隆(寺報87号)
・かがやき/山本攝(寺報88号)
・無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
・仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
・生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
・生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
・香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
・横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
・永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
・必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
・報恩講/若林眞人(寺報97号)
・非常の言/高田慈昭(寺報98号)
・不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
・お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
・篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
・抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
・善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
・洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
・夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
・育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
・こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
・報恩講について/梯實圓(寺報109号)
・お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
・前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
・いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
・生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
・あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
・季節の中で/山本攝叡(寺報117号)