不自由ということと不幸であることは意味が全く異なりますね。不自由を望む人はいないでしょうし不幸を願う人もないでしょう。だからといって、不自由と不幸は同じかというと、そうではないはずです。
私事ですが、私の父は晩年失明し、眼の不自由を抱えてその生涯を終えました。眼の不自由は隠しようのない事実ではありましたが、不幸であったかというと話は別です。こんなことがありました。
ご門徒の法事に出かけた折、お斎(おとき)の席で隣に座られた、元校長であったという親戚の方がこんな質問をされました。
「お見受けした所大分眼がお悪いようですね」
「はい、今ではほとんど見えません」
「そうですか。それはご不自由なことですね。でもあなたはお坊さんなのだから、信仰の力でそれは何とかなりませんか?」
校長まで勤め上げられた教養人であるはずのこの方の質問の意図が、どこにあるのか明らかです。信仰の力でその不自由な眼が自由に見えるようになってこそ信仰のご利益であり、それが宗教のすくいなのではないかということでしょう。しばらく考えて父はこう問い返したそうです。
「わたしは不幸な人間に見えますか」
「いや、目はご不自由なようですが、不幸を背負ったような暗さは感じられませんね」
「あなたにそういっていただけたのなら、もう何とかなっているんですよ」
不自由であっても、不幸ではありませんと言い切れる世界を頂いていればこそでしょう。お念仏は逃れがたい厳しい事実の中に、意味と喜びを見出す智慧のはたらきとなって、私の上に躍動していてくださいます。
(寺報99号)
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