「安らかなれ」との期待を背負ってスタートした新世紀は、世界的な混迷のなかでその初年を閉じた。長びく争乱の序曲か・・・。今、一人ひとりが自らの生き方の再確認を迫られているのではなかろうか。
親鸞聖人が「倭国の教主」と仰がれた聖徳太子は「十七条憲法」の冒頭に「和をもって貴となす」と述べられた。「和国」の響きに太子の切なる願いが感ぜられる。その和を実現する道を「篤く三宝を敬え。三宝とは仏法僧なり・・・三宝に帰りまつらずは、何をもってまがれるを直さん」と示されている。
永遠の真理を覚られた仏陀(ブッダ)、その仏陀が人びとを導かれる教法(ダルマ)、その教法に依り自らの人生をもって、教えの真実なるを証しせんとする修行者の和やかな集いである僧伽(サンガ)、これらを三宝といい、これを宝と仰ぐ者を仏教徒という。
宝とは、元来それを持つ者に安らかな幸せをもたらすもののことである。もし、それをみぐって争いや憎しみが生ずるならば、それは宝と名づくべきものではない。私たちは何を宝としているだろうか。多くは宝といえないものを宝と誤って、かえって真の宝を見失っているのではないだろうか。
また、「帰依(きえ)」とは、脆弱な依存主義でなく、人間の最も尊厳な生き方をあらわす言葉というべきである。何故なら、我執に対して無批判に生きようとする人間が、自らを超えた真実を価値判断の基準として思考し、行動し、発言することである。そこには厳しさの中に生じる、崇高な喜びと深い慚愧がある。それが人をして輝かしめてゆくからである。
寺報102号(平成14年1月1日)
・空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
・ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
・御文章について/梯實圓(寺報71号)
・永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
・報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
・「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
・ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
・無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
・おそだて/高田慈昭(寺報77号)
・恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
・拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
・雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
・俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
・往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
・一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
・混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
・住持/高田慈昭(寺報85号)
・あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
・かがやき/山本攝(寺報88号)
・無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
・仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
・生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
・生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
・香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
・横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
・永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
・必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
・報恩講/若林眞人(寺報97号)
・非常の言/高田慈昭(寺報98号)
・不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
・お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
・篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
・抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
・善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
・洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
・夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
・育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
・こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
・報恩講について/梯實圓(寺報109号)
・お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
・前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
・いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
・生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
・あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
・季節の中で/山本攝叡(寺報117号)