生死いずべき道/服部法樹

弘法大師空海の書いた『秘蔵宝鑰』(ひぞうほうやく)という書物の序文に

生まれ、生まれ、生まれ、生まれて生の始めに暗く、死に、死に、死に、死んで死の終わりに冥(くら)し

という言葉があります。要するにこの私の命はどこからやって来たのか、またこの命は死んでどこに行くのかも解らないというのです。こういう状態を「迷い」と言います。

ところで、生死に迷っている者に道を尋ねても答えは返ってきません。もし答えてくれたとしてもそれは無責任な答でしょう。迷っている者は迷いを超えたお方に道を尋ねたとき、進むべき道を知ることができるのです。

以前家族で遊園地に行ったとき、巨大な迷路がありました。私たちも親子四人でその迷路の中に入って行きましたが、なかなか出口までたどり着くことはできませんでした。しばらくして三歳の娘が急にトイレに行きたいと言い出しました。迷路の外に出ればトイレがありますが、迷路の外に出るには、入口に引き返すか、前に進み出口に向うしかありません。まわりに居る人に道を尋ねようとしても、その人たちも迷っているので教えてはいただけません。ただ右往左往するだけで、あせればあせるほど迷いは深くなるばかりでした。たまたま非常出口と書き示した矢印があり、指示に順って進むと出口があって事なきを得ました。

このことから、迷っている私は迷いを超えた仏様に道を尋ねたとき、初めて迷いを超えてゆく道を知ることができるのだということを思い知らされました。その道しるべこそが

必ず浄土に生まれるといただいて念仏を申せ

という本願の言葉でしょう。私たちはその本願の仰せに順って念仏を申す人生を歩む時、はじめて生死いずべき道が開けてくるのです。

(寺報114号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)