「いのち」の風光/梯實圓

お釈迦さまの弟子のなかでも、とくに多くの人々から尊敬されていたのが十大弟子といわれる方々でした。その人たちはいずれも、智恵第一の舎利弗(しゃりほつ)、神通第一の摩訶目犍連(まかもっけんれん)、頭陀第一の摩訶迦葉(まかかしょう)、多聞第一の阿難(あなん)というふうに、みな第一という尊称をつけてよばれています。

舎利弗は仏弟子の中でも、智慧がとくにすぐれていたから智慧第一といい、摩訶目犍連は神通力(超能力)でもっともすぐれていたから神通第一とよばれ、摩訶迦葉は頭陀(厳格な生活態度)にかけてはその右に出るものがいなかったから、頭陀第一というのです。また阿難は、いつもお釈迦さまのおそば近くにつかえ、お説きになった教えを細大もらさず記憶していたので多聞第一とたたえられたのです。

このようにお弟子の一人一人が1番であったということは、お釈迦さまの教育方針が、みんなを同じ規格にはめて、割一的な人間を育てようとされなかった証拠です。粘土細工のように人間を規格どおりに造りかえることなどできませんし、無理にしようとすれば、必ずおさまりのつかない混乱におちいってしまうにちがいありません。

人はみな一人一人ちがった個性をもっており、その人しか生きようのない人生を送り、その人しか死にようのない死を迎えていくのです。その意味で、他人と代わりようのない、文字通り「かけがえのないいのち」なのです。その人しか生きようのない人生を、他の人と比較して、善いとか悪いとか、上とか下とか評価することは許されないはずです。

そうした一人一人の「いのち」のかけがえのなさにめざめ、与えられた「いのち」の火を、自分しか生きられない生き方で燃やしつくしていった人たちだったから、仏弟子たちはみな第一と讃仰されたのです。「青い蓮華は青いままで輝き、白い蓮華は白いままで光る」と説かれた浄土のすがたこそ、まことの「いのち」の風光をあらわしているのです。

寺報74号(平成7年1月1日)

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