報恩講をむかえて/利井明弘

すこし前まで、私は二十貫を越す巨体だった。もっと前の二十歳前後は、十六貫位で水泳の選手をしていた。水泳をしていた頃には、駅の手前でホームに進入してくる電車を見つけると、長い階段を一気に三段づつ位上り、改札所を定期を見せながら走り抜け、また、階段を駆け降りてギリギリ電車に間にあった。しかし、たまには目の前で電車のドアが閉まってしまうこともあった。ドアの向こうの乗客と目があったりして、そんな時のバツの悪さは誰でも知っている通りである。大体、階段は真っ直ぐついておれば、一気に走れて良いものを、途中に踊り場なんかがあるから、あそこでタタラを踏まなければ充分間にあったのにと、悔しまぎれにそんなことを思ったりした。

ところが、体重が二十貫を越えて、年も取ってくると、遠くに電車が来るのが見えても、次の電車にしようと、急ぐどころかかえって歩みをゆるめるようになった。そして、階段を重い身体を支えながら、フウフウ云いながら上って、途中の踊り場のところで一息入れるのである。そして、始めて踊り場が足を休めるために造られていることに気がついた。若いころ邪魔だった階段の踊り場が、造った人の親切であったと気づきて見れば、コンクリートの粗末な階段に、ちゃんと手すりまでついているのである。元気な時や、有頂天になっている時には一つも感じない、人の親切やご恩は、自分が苦しかったり悲しい時に、身にしみて受け取れるようである。

孤独とは、孤は幼くして親と別れ、独は老いて子と別れるという意味であるが、親鸞聖人のご一生は、孤独そのものであったと思われる。九歳で親と別れて叡山に上り、八十四歳の年にご長男の善鸞さまを勘当されている。しかし、この孤独の中から大きなご恩をかみしめて、喜びの人生を味わっておられるのである。阿弥陀さまの救いが、どのように大きく、親鸞聖人が喜ばれたお念仏が、どれほど深いご恩であったかを、この報恩講に味わいたいものである。

(寺報73号)

空華忌に思う/利井明弘(寺報69号)
ご意見承りましょう/利井明弘(寺報70号)
御文章について/梯實圓(寺報71号)
永代祠堂経―前を訪へ―/高務哲量(寺報72号)
報恩講をむかえて/利井明弘(寺報73号)
「いのち」の風光/梯實圓(寺報74号)
ある救援活動/利井明弘(寺報75号)
無量光―共にかがやく―/天岸浄圓(寺報76号)
おそだて/高田慈昭(寺報77号)
恩に報いる/三嵜霊証(寺報78号)
拝啓 寺報善巧様/大江一亨(寺報79号)
雪山隆弘師と明教院僧鎔師/若林眞人(寺報80号)
俊之さんの思い出/龍嶋祐信(寺報81号)
往還回向由他力/那須野浄英(寺報82号)
一人か二人か/梯實圓(寺報83号)
混迷と苦悩の時代こそ/高務哲量(寺報84号)
住持/高田慈昭(寺報85号)
あなたの往生は間違いないか/利井明弘(寺報86号)
洗面器の底に・・・/森正隆(寺報87号)
かがやき/山本攝(寺報88号)
無量寿のいのち/藤沢信照(寺報89号)
仏法を主(あるじ)とする/梯實圓(寺報90号)
生死出づべき道/高田慈昭(寺報91号)
生死の帰依処/騰瑞夢(寺報92号)
香積寺のことなど/山本攝(寺報93号)
横超のおしえ/高田慈昭(寺報94号)
永遠のとき/高務哲量(寺報95号)
必ず煩悩の氷とけ/藤沢信照(寺報96号)
報恩講/若林眞人(寺報97号)
非常の言/高田慈昭(寺報98号)
不自由ということ 不幸ということ/高務哲量(寺報99号)
お念仏の世界観/高田慈昭(寺報101号)
篤く三宝を敬え/天岸浄圓(寺報102号)
抜けるような青空のもと/山本攝叡(寺報103号)
善巧方便/騰瑞夢(寺報104号)
洗面器の底のさくらの絵/森正隆(寺報105号)
夢のお話/高田慈昭(寺報106号)
育ちざかり/那須野浄英(寺報107号)
こわいはなし/宗崎秀一(寺報108号)
報恩講について/梯實圓(寺報109号)
お釈迦さまへのプレゼント/霊山勝海(寺報111号)
前坊守様を偲ぶ/霧野雅麿(112号)
いずれの行もおよびがたし/藤沢信照(113号)
生死いずべき道/服部法樹(寺報114号)
あたたかなひかり/利井唯明(寺報115号)
季節の中で/山本攝叡(寺報117号)