死はゴール?

「死はゴール地点ではないのか?」
ほっこり法座でこんな問いをいただきました。それに対して、その日の講師であった日下賢裕先生はこんな返答を用意してくださいました。

死は人生のゴール、という受け取り方ですが、そのような受け取りを元に人生を歩むこともできるでしょう。しかし、それでは私達の人生やいのちというものは、一体何だったのか?ということにもなってしまいます。死がゴールならば、今すぐゴールしてもいいわけですし、苦悩の人生をわざわざ生きていく必要がなくなってしまうのではないでしょうか。仏教の目的は「私が仏と成ること」です。ですから、仏教におけるゴールとは、私が仏と成る、というところにあります。そのように私のいのちのゴールを置いてみると、この私の人生は、実は仏と成るためにあった、と意味が変えられていきます。これはどちらが正しい考え方かということではなく、どのような意味をもって、このいのちを歩んでいけるか、という違いがそこに表れてくるのだと思います。

法座では毎回アンケートを配布して、ふとした疑問や意見などを自由に書いてもらっています。無理に書く必要はありませんが、改めて「問いを持つこと」の大切さを教えられました。じつは答えよりも、問いを持つこと、そしてそれを外に出すこと自体に大きな意味を感じています。目を背けるための娯楽は数多くありますが、時には人生の問いに真正面から向かい合ってみませんか?

雪山俊隆