もったいない

去年から「もったいない」という言葉が再評価されているようです。調べてみると、ケニア出身の環境保護活動家ワンガリ・マータイさんという方がキッカケのようです。この方は、去年日本を訪問したときに、「もったいない」という言葉を初めて聞いて、この精神こそ環境問題を考えるのにふさわしいと、痛く感動されたようです。その後、世界へこの言葉を広めるために出版までされました。ここでは、もったいない、という言葉は、そのままの発音で英語表記されています。どうやら、それに当てはまる言葉が外国にはないようですね。その後も、さだまさしさんが「もったいない」という曲を書いたり、今年の冬季オリンピックでは小池環境大臣が「もったいないふろしき」というものをデザインして、代表選手たちに渡したそうです。

この「もったいない」という言葉の意味は、「もったい」という言葉があって、「重々しさ」、「威厳さ」などの価値の高さをあらわす意味で、それが転じて、自分にとって物の方が価値が高い場合に、自分にとってはふさわしくないとか、かたじけないという意味に使われたそうです。では、今はどんな使われ方をしているかというと、ごはんを残したり、資源を無駄にしていることに対して、もったいないと使います。もちろんそれはその通りなんですが、本来の意味からいうと、損とか得という話よりも先に、ごはん一粒一粒にもいのちがあって、それを頂いているということが、ありがたく喜ばしいことで、もったいないことなんだ、ということです。

身近に接しているおばあちゃんたちも「もったいない」とか「ありがたい」という言葉を昔から使っていますが、そこには「申し訳ない」とか「めったにない」という意味があります。「ありがたい」という言葉もあることが難しい「有り得ない」という意味です。有り得ないことが私に与えられていることに対して、感謝と喜びをあらわす言葉でした。そう考えると、ぼくらは、お金を払った時点でなんでも我が物のように受け取ってしまいますが、そういう次元の話ではないんですね。米一粒にもいのちがある。そのいのちにも、いろんな力や働きが加わって、今、たまたま、私たちの目の前にある。そのいのちをもらって、やっと生きていられるのが私たち、ということでしょうか。いただきますは、いのちを頂きますということでした。

なんか道徳のような時間になってしまいましたが、そんことを言いながらも、実際のところは、そんな気持ちはなかなか持てないもんですよね。おなかいっぱいになればご飯を残すことだってあるし、とても、お米一粒にいのちがあるなんて、思えたためしがありません。でも、だからこそ、そういうものだということを知る必要があるのかもしれません。環境問題なんて言うと、とても立派に聞こえますが、まずは、身近にいるおじいちゃんやおばあちゃんに、耳を傾けるところからスタートじゃないかな、と思っています。

ラジオ番組「ゆるりな時間」より