今年は祖母喜子の三回忌と父隆弘の十七回忌の年です。お坊さんをしていると他の方よりも圧倒的に法事経験は多いのですが、やはり身内の法事になると、一味違う心持ちにさせられます。
病中も力強く生き抜き、最後までプライドを護り続けた祖母。病中も楽しくと痛みに苦しみながらも活き活きと生き抜いた父。共にぼくの心に深く刻まれる生き様と死に様でした。
「法事とは、仏前にて阿弥陀如来の教えに触れながら、故人を偲びつつ、感謝のこころをカタチとして表現したものです。」
「ありがとう」のこころをカタチにあらわした姿。今、ぼくは祖母と父になにが出来るのだろうということに想いを馳せます。
何人もの患者の死を看取ってきたある医者がこんなことを言われたそうです。
「今までは他人が死ぬぞと思いしに、俺が死ぬとはこいつはたまらん」
死は必然、生が偶然とは頭で知りながらも、やはり実感はなかなか持てるものではありません。ぼくが祖母と父に出来ること。それは今までもらったものに対しての感謝と懺悔。これからももらい続けるものに対しての感謝と懺悔。そしてその「ありがとう」と「ごめんなさい」の心こそが祖母や父からの頂きものでした。祖母と父を通して、仏さまの光に想いを馳せつつ、悔いのない人生を歩めるよう、心新たにさせてもらいます。
永代経はご門徒みなさまの法事がお寺で勤まる法要です。どうぞどうぞお参りください。
雪山俊隆(寺報120号)