だいぶ過ごしやすくなりまして、雨がこんなに気持ちのいいものだったと改めて思いました。ぼくらはなにげなく、晴れの日をいい日と呼んで、曇りや雨の日を、天気が悪いなんて言いますが、天気にいいも悪いもないと、親によく言われました。確かにその通りで、農家をしている人なら、恵みの雨といって、雨がなければ植物は育ちません。この恵みという受け取り方はステキな感性ですね。自分の力で得たという感覚じゃなくて、いただいたものということでしょう。そこには、感謝の心が育ちます。こういう感覚ってドンドン減退しているんでしょうね。
例えば、こどもをつくる、なんて言いますが、これも昔は、こどもが恵まれた、と言っていたはずです。それを今では、あたかも自分の力ですべてつくりあげたような言い回しを普通に使ってしまいます。そこになにが問題があるかというと、感謝のこころが育たないということでしょうね。感謝のこころがないということは、生きていても、どこにも満足が得られないことになるかもしれません。感謝のこころは、懺悔のこころを生みます。おばあちゃんたちが使っている、申し訳ないとか、もったいない、という言葉がソレですね。
もったいないという言葉も、モノを粗末にしているからという前に、恵まれたモノという感覚があるから生まれた言葉ですね。ただ、モノを大切にするというだけでは、なにかが足りません。なぜモノを大切にしなければならないか。資源には限りがあるから、とか、作った人の苦労を考えなさいというだけでは、その考え方もいつか崩れる時がくるかもしれません。だいたい、売り手のことだけを考えれば、バンバン食べ物を捨てるがごとくに消費したほうが喜びます。儲かりますからね。そうではなくて、自分で得たものではなくて、恵まれたモノだったという受け取り方を出来た時に、はじめて感謝のこころが生まれて、そこに自ずと、モノを大切にする心が生まれるのだと思います。そういう心が生まれた時、そうは出来なかったとしても、今度はそこに、申し訳ない、という懺悔の心が生まれる。感謝と懺悔の繰り返し。そんなステキな感性を持ったおじいちゃん、おばあちゃんが、あなたの近くにもおられますよ。
ラジオ番組「ゆるりな時間」より