今回は、孤独ということをテーマにしてすすめてみます。孤独というのは、他の人々との接触・関係・連絡がない状態を一般に指します。ネットの辞典ウィキペディアにはこうも書いてありました。
大勢の人々の中にいても、自分がたった一人であり、誰からも受け容れられない・理解されていないと感じているならば、それは孤独である。
大勢の人に囲まれながら孤独を感じるというのは、ある意味、ひとりでいるよりも、余計に孤独を感じるかもしれません。まぁ、人は、一面には、みんな孤独なので、その寂しさをどこに転化させていくかということが重要です。何よりも、孤独感は強いエネルギーがありますからね。
孤独ということを仏教的視点から考えてみると、縁という世界観がありました。縁というのは、すべてのもの、すべてのいのちは繋がりあっているということで、何とも関係がなくただひとつで独立したものは何もないという考え方です。一方で、お経にはこんな言葉もあります。
人は激しい欲望の中で、
独り生まれ独り死し、
独り去り独り来る
生まれてくる時も、老いる時も、病気をする時も、死んでいく時も、誰も変わりはききません。どんなに寄り添ってくれる人がいたとしても、やはり一人。一見矛盾しているようなふたつのことを言っていますが、ここは、とてもデリケートなことろですね。簡単に、世界はひとつ、なんて言ってしまっても、きれい事で終わってしまいますし、人は孤独で、みんな違う人間である。という前提を持った上で、初めて縁という言葉が生きてくるように思います。
ラジオ番組「ゆるりな時間」より