當相敬愛(とうそうきょうあい)

梯實圓和上より結婚式のご法話で「當相敬愛(とうそうきょうあい)」というお言葉をいただきました。

お互いに敬い合い、愛し合う。
愛に敬いが伴わなければ、それは誠の生き方ではない。
それには相当の「覚悟」がいる。

この覚悟という言葉に強く心を打たれました。ただ好きというだけでは、自分の都合次第ですが、相手を敬い続けることの厳しさを感じます。改めて考えてみると、独身時代、ぼくは自分の都合ばかりで生きてきました。人と関わる時には、自分の都合はほとんど通りませんから、それだけに、自分のやり方で、自分のペースで物事をやるというのがとても気楽で、一面には、ひとりほど楽なものはありません。一時、友人の間でも「やっぱりひとりがいいよね~」が皆の口ぐせでした。

でもやはり、人はひとりでは生きてはいけない。この、ひとりでは生きてはいけないということも、現代の若者の間では実感しにくくなっているように思います。ひと昔前ならば、農作業の助け合いなどによって人は支えられていましたが、時代は変わり、仕事も趣味もみんなバラバラ。今は「お金さえあれば」という感覚がふつうです。必然的に、助け合いということも、ただ煩わしさのみに目をやるようになりました。ぼくの世代は、そんな感覚が当たり前の時代に育っています。

一方で、仏道はこの価値観の正反対にありました。苦難は私が引き受けるから、あなたはどうぞ幸せになってくださいと願っていく生き方。生涯をかけて共に耳を傾けていきたいです。理想なき時代に、変わらぬ理想があるという身のしあわせを。

(寺報124号)