手を合わす

学校の給食で食前にする合掌が宗教的行為とみなされ、ドラやカネを鳴らしてハイどうぞという話を聞いたのは20年前。「いただきます」は、食べ物に対する感謝をあらわします。いのちを頂きますということでしょう。そういう感謝の気持ちはもういらないのでしょうか。お金さえ払えばすべて我が物でしょうか。

ひと昔前は宗教教育は家庭で育まれたものでしたが、今はその家庭のあり方が大きく変わりました。核家族が当たり前になり、加速するスピードから世代間の価値観もひろがり、すでに上の世代の言うことを聞く耳がなくなりつつあるように感じます。

すべて科学とお金だけの価値観になった時、人すらもお金で換算され、誰もがいつか捨てられていく人生になります。そこにいのちの触れ合いは一切ありません。目の前のことをがむしゃらにやれる時期はそれですむかもしれませんが、自分自身がいつか捨てられていくという想像力が決定的に欠けています。だいたいに、インターネットやテレビでひろえる情報や知識だけならば、早い子では中学生ぐらいで親を越します。

今私たちは、子や孫に何を伝えられるのでしょうか。流れゆく情報やお金よりも大切なことはなんでしょうか。それは、まず自分自身が何を拠り所にして生きるかという問題にもなるでしょう。

お寺の行事にご参加ください。毎月2回のお講、年中行事に是非参加してください。また、はじめての方でも参加しやすいような夜の法座を春からスタートします。来やすい環境づくりに努めます。平成23年の親鸞聖人750回大遠忌をひとつの山場と見据え、止まることなく邁進していく所存です。

(寺報118号)