ブッダからのメッセージ

春はお釈迦さまのご誕生をお祝いする花まつりです。
お釈迦さまは2500年以上前にインドにお生まれになったお方で、元の名をゴータマ・シッダルタといい、釈迦族の王子として生を受けました。一国の王子でしたから、財産や地位、名誉にも恵まれ、知能や体力も万能だったと伝えられます。そんな何不自由ない環境の中で、なぜ出家されたのでしょうか。

私たちが1番追い求めているもの、それらすべてをなぜ捨てたのでしょう。それは、老病死を目の当たりにしたことが原因とされます。歳をとりたくないと思っても一瞬たりとも止まることなく歳をとっていき、病気になりたくないと思っても病に冒されていく身が私たちの姿。そして、どんなに死にたくないと思っても、必ず死んでいくいのちを私たちは今生きています。死を前にする時、財産も名誉も地位も何もなりません。

「そんなことはわかっている」と、ふつうはそこで思考ストップ、なるべく考えないようにしますが、お釈迦さまはそこから目を背けず、徹底的に見つめ直し、ついに仏教を説かれたのでした。
「今こそいのちの尊さを伝えなければならない」と言われていますが、私たちは本当にいのちを尊いものとして生きているのでしょうか。人生順調な時は「いのちは尊い」と言っていても、いざ逆境に立たされれば、一転していのちを放り投げてしまうような心を私は持っています。自分の目でいのちを見つめる限り、それは自分の都合しだいでコロコロ変わります。

「いのちが尊い」ということは、仏さまの眼差しにあってはじめて知らされることでした。知らされながらも、変わらぬ私。仏教を聞くとは、感謝と慚愧の心を育て続け、「生涯育ちざかり」の道でした。

(寺報119号)