慕う心がかたちになって

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人が死んだら、まわりの者は、どうします?
「そら、わかっとるこっちゃ。悲しんで、葬式出しますっちゃ。わたしら、なにほど出してきたもん。そーや、あのときは・・・」
茶の間のお経の会のおばちゃんの目が、チカッと輝いた。(ヤバイ。このばあちゃんが失った人たちの話をはじめたら、エンドレステープで二晩かかる)
いやそうでしたね。ではもう一つ。その人が、じつに偉大な、リッパな人だったら、どうします「ン?」
いや、なくなったじいさんの話じゃなくて、すべての人が慕うような、そんな人が・・・。
「あーそーか。それでもやっぱり、デッカイ葬式出して、弔電やら弔辞やら・・・」
でそのあとは、
「あとは、まあ、デッカイ墓建てて、デッカイ法事するぐらいじゃなかろうか」
そうだよね。で、銅像つくったり言行録出したりして・・・。そうそう、それなんです。じつは、スリランカへ行ってみて、よくわかったのは、おしゃか様がなくなられて、そのあとに残されたものが、どんな風にしておしゃか様をお慕いしたか-そのことを目の当たりに見ることができたんです。
「そういえば、むこうのお寺には仏さんの足あとやら、仏舎利塔やら、いろいろあったちゃねー」と、同行したおばちゃん。

はじめはね、おしゃか様の教えを、大切にそのまま、口伝えで覚え、守っていたの。だけど、おしゃか様がなくなられたとたん、お弟子さんの中で「ああ、よかった。これで勝手にふるまえる」といったヤツがいた。じつはこれが逆の縁になって、口伝の教えを字にすることはもったいないが、あんなヤツもいることだから「自分達が聞いた教えを、キチンとまとめておきましょう」とみんなが集まってお経をつくったの。

「如是我聞」(にょぜがもん)というこは、そのとき集まった人たちが「我はかくのごとく聞けり」とやったことなんです。で、さすがと思うのは、ただ自分1人で聞いたんじゃなくて、それは、いつ、どこで聞いたもので、まわりには弟子のだれそれとだれそれと・・・と、何十何百の人の名をあげて、だから間違いない、とあるんです。
「私らがお経を読んだり聞いたりできるのも、その、ああ、よかった、といった悪いお弟子のおかげなんだねー」
お経会の級長さん、なかなかいいことをいう。
あちらでは、そのお経を木の葉に刻んで残したそうですが、つい一ヵ月前には、黄金の板に刻んだお経が発掘されて、大さわぎ。博物館の特別室には、たくさんの仏教徒が列をつくって、手を合わせていました。

ところで、仏を慕う心は、お経だけでなく何かこう、礼拝の対象をこしらえよう、ということになってくる。それが、おばあちゃんのいうデッカイ墓-仏塔-おしゃか様の足あと-仏足石となり、だんだんと、立体化して、仏像へとすすんでくるんです。お寺とか、仏壇というのは、そういう二千数百年の仏様を慕う心の歴史の中でできてきたものなんですよね。

そう、慕う心といえば同行のおばちゃん。仏様もさることながら、死んだご主人の形見の手帳を肌身離さず、毎晩、「とうちゃん、今日はここへおまいりしました」と書き込んでいたみたい。
「こらぁ、若ハン、バラしたらだめー」


昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。

「お茶の間説法」(37話分)
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