懺悔

「またやってしまった…」そう思った時、皆さんはどうやって反省されていますか?キリスト教では「懺悔」(仏教ではザンギ)、もしくは「告解」というものがあって、聖職者に自分の罪を告白し、神のゆるしを求めます。マザーテレサという方は、生涯を貧困に苦しむ人たちや死を目の前にした人、身寄りのない子供たちと共に過ごしました。その方がこんな言葉を残しています。

主よ、私は思い込んでいました。私の心が愛にみなぎっていると。でも、心に手を当ててみて、本音に気付かされました。私が愛していたのは他人ではなく、他人の中の自分を愛していた事実に。主よ、私が自分自身から解放されますように。
主よ、私は思い込んでいました。私は与えるべきことはなんでも与えていたと。でも、胸に手を当ててみて、真実がわかったのです。私のほうこそ、与えられていたのだということを・・・

と続きます。菩薩行のような生涯を過ごした方が、このような言葉を残されていることに胸を打たれます。親鸞聖人は、仏さまの教えを通して、「欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず…」と言われます。誰かを批判することはたやすいことですが、心から我が身を恥じるということは、そこに救いがなければ苦しいばかりで、気付いたことへの自己陶酔、もしくは開き直るしかないように思います。深い懺悔というのは、同時に底知れぬ仏さまの救いを物語っています。

雪山俊隆(寺報133号)