恨は何度もやってくる  

作家の五木寛之さんが話されていた、韓国に伝わるお話を紹介します。

お前が大人になると不思議な経験をする。あるとき何の理由も原因もないのにふと心が翳って無力感を覚え、心萎えた状態に落ち込んでしまう。その状態では血のつながった人でも赤の他人のように感じ、職場の仲間や幼馴染も自分の敵のように感じてしまう。自分の持っている将来への希望も取るに足らないもののように感じ、自分の存在までもどうでもいいと感じる。このような状態にはじめて遭遇すると誰もが不安を覚え精神がおかしくなったようになる。向こう気の強い人間はこんなものはがんばって乗り越えろといい、気楽な人は楽しいことに気を紛らわしてやり過ごそうなどという。しかしこのような感情に落ち込んだ時には何をやっても無駄なんだ。

これは恨(ハン)というすべての人のこころに存在し、一生人は恨を抱えて生きて行き、恨は時々目をさまして訪れてくる。人は一生のうちに何度も恨を体験するもので、恨がやってきたときには、身をすくめて納得する、肩を落とし、背中を丸め、しゃがみこんで何度も何度も大きなため息をつく、するとほんの少し肩の重さが軽くなる。そのときに立ち上がって歩けばよい。

世の中、気を紛らわすものは溢れていますが、それは問題を先送りするだけのことでしょう。仏教は、漢方のようなもので、特効薬のように即効性はありませんが、腰を据えて向かい合えば、きっと糸口が見えてくると信じています。

雪山俊隆(寺報134号)