善巧寺の本堂は明治14年に建立されました。当時はコレラが蔓延していて、明治12年には富山県だけで1万人以上の死者が出たという記録があります。その年の過去帖を見ると、8月だけで100人以上のお名前が記されていました。コレラは江戸末期から数10年にわたって続き、明治19年にも再び県内で1万人以上の方が亡くなっています。
そんな過酷な状況の中で、現在の本堂は建立されました。しかも、それまでの本堂では手狭ということで、ひと回り大きなサイズになりました。まわりで人がバタバタと亡くなっていく最中、200~300人の収容が想定されていたことに驚きを隠せません。現在とは社会状況が大きく違うので比較にはなりませんが、今回のコロナウィルス騒動でも、改めてお寺の存在意義が問われ、見つめ直す機会になりました。
7年前の大法要では「みんなのお寺 わたしのお寺」というスローガンを掲げました。ひと昔前の方たちは、嫁いですぐに「お寺へ参りなさい」と有無を言わさず足を運ぶことになり、そこでコミュニティに入り、仏さまの教えに触れ、50年以上通い続けた方たちがおられます。長い年月を経て、いつしか第二の家としてお寺が居場所となりました。昨今、「居場所」という言葉をよく耳にしますが、即席で叶うものではなく、じっくりと腰を据えて苦楽を共にした中で生まれるものでしょう。価値観の変化に適応しつつも、大事なところを踏み外さずに歩んでいきたいです。
雪山俊隆