投稿者「zengyou」のアーカイブ

2,600年前のインド(観経の背景)

ブッダ(お釈迦さま)の誕生時のお名前は「ゴータマ・シッダールタ」といいます。

当時のインドは16大国に区分され、「マガダ国」と「コーサラ国」が特に大きな勢力を持っていました。シッダールタの育った「シャーキヤ族」は16大国には含まれず、小国として存在していました。そのため、近くの大国「コーサラ国」と同盟を組んでいました。

①シッダールタの母「マーヤー」はコーサラ国からシャーキヤ族へ嫁ぎ、後にシッダールタの妻となる「ヤショーダラ―」もコーサラ国の出身です。国同士の関係性を深める意図がうかがえます。

②マーヤーはシッダルタの出産後間もなく亡くなったため、妹のマハープラジャパティ―が次の妃となりシッダールタを育てました。

③シッダールタは、父シュッドーダナ王に従いヤショーダラ―と結婚し、息子ラーフラが生まれますが、間もなくして出家しました。最初に向かった地は、インドのあらゆる文化が集まるマガダ国でした。

④シッダールタは後に悟りを得てブッダとなります。その頃、マガダ国のビンビサーラとイダイケは、ブッダの教えに帰依し世界最古のお寺といわれる「竹林精舎」を寄進します。

シッダールタの従兄弟「ダイバダッタ」は出家してブッダの元で修行し、いつしかブッダ亡き後は自分が教団のリーダーとなっていくと自負しますが、それを断れたことを契機に、ブッダを恨むようになります。

⑤ダイバダッタのブッダに対する怨みは深く、2度殺害未遂を起こします。その後もあきらめず、次に、ブッダの絶大な支援者、マガダ国のビンビサーラ王へ怒りの矛先が向きます。王家では息子のアジャセにトラブルが絶えなかったため、そこに目をつけてアジャセに近づいていきました。

【アジャセ出生の秘密】
ビンビサーラとイダイケには子どもが授からず、悩んだイダイケは占い師を呼び相談します。3年後に仙人の生まれ変わりとして子供を授かると聞かされ、ビンビサーラに伝えたところ、3年は待てないと仙人の元へ行きます。仙人には事情を話し国のために自害することを命じますが、断れた結果、仙人を殺害しました。仙人は「生まれ変わってお前たちを怨み、殺す」と言い残しました。

間もなくしてイダイケは子供を授かりました。しかし、人ひとりを殺して宿った子に不安をもち、また占い師に相談します。その子はいつかビンビサーラ王を殺すだろうと聞き、イダイケの不安は膨らんでいきました。相談した結果、子供を高いところから産み落とし死なせることにしました。子供は小指にケガをしただけで命は助かりました。子供の泣き声を聞きイダイケは我に返り育てることにしました。

※この物語には諸説あり、もう一説には、ビンビサーラ王がシカ狩りに行った時、シカが全くいないのはそこにいた仙人のせいだと言いがかりをつけ仙人を殺害。仙人は死に際に「生まれ変わってあなたを怨んで殺す」と言い残したという話も残っています。

⑥アジャセはダイバダッタと親交を深め、ある時、【出生の秘密】を聞かされます。それを聞いて激怒したアジャセは、父のビンビサーラを牢獄に閉じ込め餓死させ、母イダイケも牢獄に幽閉しました。苦しみのどん底にいたイダイケはブッダに教えを請います。そこで説かれた教えが仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)です。悩み、怨み、怒りの中でしか生きられない者の救いが説かれています。

※相関図の中では、アーナンダが多聞第一、息子のラーフラが密行第一と言われ、釈迦10大弟子の中に含まれています。ダイバダッタにとって、弟のアーナンダがブッダの側近としてつねに一緒にいたことは、怨みを膨らませる一因になっていたのかもしれません。

※シッダールタの一族は、そのほとんどが出家しています。ブッダの影響力の大きさを伺えると同時に、シャーキヤ族の存続にも多大な影響があったのではないかと思われます。

※ブッダの晩年、シャーキヤ族はコーサラ国に滅ぼされます。そしてブッダ滅後、そのコーサラ国もマガダ国に併合されました。

※マガダ国のビンビサーラ(頻婆娑羅)、イダイケ(韋提希)、アジャセ(阿闍世)の3名は、この呼び名が普及しているため漢訳で記しています。

雅楽演奏会レポート

10月1日のほっこり法座特別編として「雅楽演奏会」が行われました。演奏者は富山妙響会のみなさんです。メンバーの中にはほっこり法座の講師として法話をしてくださった平野さんや村井さんもおられました。

開演はおつとめからスタートです。雅楽隊のみなさんにもご参加いただき、総勢14名での読経となりました。

演奏は、雅楽の定番「越殿楽(えてんらく)」からはじまり、現代曲の「赤とんぼ」や「遠き山に陽が落ちて」もありました。

曲の合間には、雅楽の概要や楽器の紹介を詳しくお話してくださいました。雅楽との距離が近づいたと思います。

善巧寺のランマに施されている迦陵頻伽(かりょうびんが)も紹介してくださいました。美しい声で鳴くことから雅楽の演奏をしている姿をしています。

最後は文字通りの曲「千秋楽(せんしゅうらく)」です。これで終わると思いきや、演奏後にアンコールの拍手がなり、もう一曲演奏していただきました。

終演後は、テイクアウトのカレー弁当を縁側や本堂で食べていかれる方もありました。妙響会のみなさま、ご参加のみなさま、ありがとうございました。

出演:富山妙響会
法要:善巧寺、照行寺、法輪寺、富山妙響会
協力:有馬啓、太田智紀、ごっちゃん、あやめ、せいわ
撮影:朝倉ゆかり
主催:善巧寺

バリア

ほんこさまが始まりました。ほんこさまは、正確には在家報恩講といい、親鸞聖人のご法事を各ご家庭でつとめる行事です。一年ぶりの方も、時折り顔を合わす方も、ホームへお迎えする側として、お寺で会う時とは少し雰囲気が違います。おつとめの後には少し談笑の時間があり、その時その年で話題は変わりますが、こちらが何かを伝える以上に、教えてもらう機会も多いです。

あるお宅では、長く営業のお仕事をされていた方に、お寺の行事のチラシを渡してこんな質問をしてみました。

「こういう行事をどうやって宣伝したらいいですか?」
その方の経験談を聞かせていただく話の流れで、
「なるべく嫌がられたくないんですよね~」と言ったところ、

そりゃ、あなたが勝手にバリアをはっとるがいにけ。自分がバリアをはったら相手も二枚も三枚も、もっとバリアはるちゃよ。それじゃあ熱意は伝わらんよ。

勢いに押されながら、ハッとしました。さすが百戦錬磨のベテランは説得力があります。何よりも熱意を伝えることが大事と改めて教えてもらいました。気弱な私はついつい、嫌われたくないなぁ、煙たがられたくないなぁと自分からバリアを貼って、相手との距離を余計に空けてきたのかもしれません。絶えない仏さまの灯火を私が消していました。定例行事はお寺の要です。これがなければお寺の存在意義は失うということを、熱意を持って伝えていきたいです。

雪山俊隆(寺報182号より)
> 住職コラム
> 寺報PDF

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雅楽演奏会

10月のほっこり法座は、特別編として雅楽演奏会からスタートです。
雅楽は日本の古典音楽のひとつで、仏教音楽としても古くから用いられてきました。生の演奏はなかなか聞く機会がないと思いますので、どうぞこの折にご参加ください。

-特別編- 雅楽演奏会
10月1日(土)11:00~12:00
出演:富山妙響会
参加費:2,000円(弁当無500円引)
弁当:カレー(インド料理インディラ)

雅楽演奏を中心に、歴史的な背景や仏教とのつながりも聞いていきます。生の演奏をご堪能ください。

ブッダの生涯
10月16日(日)11:00~12:00
講師:雪山俊隆(善巧寺)
参加費:1,500円(弁当無500円引)

仏教を説いたお釈迦さま(ブッダ)はどんな人生を歩まれたのでしょうか。映画「リトル・ブッダ」の映像を参考資料にその足跡をたどります。

死を忘れた幸せ
11月1日(火)11:00~12:00
講師:飛鳥寛静(高岡・善興寺)
参加費:1,500円(弁当無500円引)

仏教は、人生の最も確実なことは死ぬことであると説きます。しかし私たちは死を遠ざけ、直視したくありません。なぜなのでしょう?みなさんと一緒に考えるひと時を過ごしましょう。

本当の自分

家での自分、学校での自分、職場での自分、友人といる時の自分、趣味に没頭している時の自分など、どれが本当の自分なのか?という問いに対して、小説家の平野啓一郎さんは、そのいずれもが「分人(ぶんじん)」であり、分人の集合体が「自分」であると提唱しています。

以前、「自分探し」という言葉をよく耳にすることがありましたが、人は環境や状況によって常に変化しているのに、一側面だけに限定してしまうことはとても窮屈です。平野氏がおっしゃるように、いろんな側面の自分がいることを受け入れられるようになると、少し生きやすくなるのかもしれません。

現在のように名前が固定されたのは、明治四年に制定された「戸籍法」以降のことで、それ以前は自由でした。親鸞聖人は、幼い頃の名を「松若丸」といい、九才で得度すると「範宴(はんねん)」という名を授かり、二十九才で法然聖人の弟子になった時には「綽空(しゃっくう)」の名をいただき、その後、「善信」、「親鸞」と名のっています。名前ひとつとっても、今は随分不自由になったような気がします。

環境によっても相手によっても様々な自分がいて、年齢を重ねるごとに変化していく自分もいます。阿弥陀さまの救いは、空間的にも時間的にも制限されないと説かれてあるのは、どんな自分にも漏れなく救いが行き届いていることをあらわしているのでしょう。阿弥陀さまの手の中で、自分を限定せずにのびのび生きたいですね。

雪山俊隆(寺報182号より)
>寺報はこちら

ほっこり法座(6月~8月)

仏さまの教えを生活の中に。ほっこり法座の予定です。

参加費:1,500円(昼食代込み)
持ちもの:じゅず/服装:自由

ブッダの生涯
6月1日(水)11:00~12:00
講師:雪山俊隆(善巧寺)

仏教を説いたお釈迦さま(ブッダ)はどんな人生を歩まれたのでしょうか。映画「リトル・ブッダ」の映像を参考資料にその足跡をたどります。

すくわずにはいられない
6月16日(木)11:00~12:00
講師:奥野寛暢(富山市・妙行寺)

「縁なき衆生は度し難し」。仏縁のない人は救われないという意味でしょうか。一方で阿弥陀如来の慈悲を「無縁の慈悲」という言い方もします。縁のあるなしに関係なく向けられる慈悲の前では、もうすくわずにはいられない!

故人の命日をご縁に~永代祠堂会~
7月01日(金)13:30~15:00
7月16日(土)13:30~15:00
01日:西塔公崇(富山市・金乗坊)
16日:雲林重正(新潟・
参加費:2,000円

きびしさ と やさしさ
8月01日(月)11:00~12:00
講師:藤島秀恵(八尾町・勝福寺)

阿弥陀さまのおこころは、「きびしさ」と「やさしさ」で完成してるんだって…。私の生活をどう支えてくださるんだろう?

花まつりマルシェ2022アルバム

去年は暴風警報発令、一昨年はコロナの影響で中止と厳しい状況が続いていましたが、今年の花まつりは暖かい天気に恵まれ、チューリップの数にも余裕があり、初参式4名と七五三4名の計8名を迎えてお祝いしました。

今回の花まつりでは出店の方々に売り上げの一部をウクライナの緊急支援にご協力いただき、5万円をAAR Japan(難民を助ける会)へ送金しました。

花まつりマルシェ2022
日時:2022年4月24日(日)10:00~13:00
会場:白雪山善巧寺
出店:ひみつカレー、TAKOZAKI、チリングスタイル、大越仏壇、ケーキハウス ミユク、CAFE HAHAHA、源七、chienowa
チューリップ協力:山崎修二さん、入善町花卉球根組合
チューリップ飾付け:小学生と中学生と高校生、善巧寺仏教婦人会、総代会
協力:有馬啓さん、沓掛栄一郎さん
本堂荘厳:法輪寺、照行寺
チラシ:ROLE
写真:柳原写真事務所FLAT
駐車協力:うらやま交流センター、中博信さん
主催:白雪山善巧寺

シェア

インターネット用語の「シェア」という言葉がよく使われるようになりました。みんなで共有するという意味で使われ、言葉や思想や写真や映像など、ひとりで独占せずに与えたり与えられたりする考え方です。これは今さら英語であらわすまでもなく、みなさんが日常的に行っていることで、生活の中での智恵を教えあったり野菜のお裾分けなどもそれにあたるでしょう。

仏教では「布施(ふせ)」や「喜捨(きしゃ)」という言葉があり、見返りを求めずに相手に与えることです。喜んで捨てるとまではとても言えませんが、人に何かを与えて喜んでくれた時はとてもしあわせな気持ちになります。

最近、外から声をかけてもらう機会が増えました。ありがたいことに、これまでの経験を評価してくださる方がいて、いくつかの企画や運営に関わっています。本願寺富山別院では宗教者の釈徹宗先生と各分野のスペシャリストによる対談企画「ゆるふか対談」のお手伝いをしています。宇奈月温泉の文化施設「セレネ」でも音楽イベントを企画することになりました。ほっこり法座も評価してくれる方がいて、その詳細をインタビューしてもらいました。これまで自分がやってきたことを活かしてそのノウハウをシェアしていくことにとてもやりがいを感じています。

どこまでいっても自尊心の塊ではありますが、与えられた場を大切に過ごしていきたいです。善巧寺にもその循環が生まれるようにつとめます。

雪山俊隆(寺報181号より)
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