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お経には何が書いてあるでしょうか。その意味をわかりやすく伝えたいと思い、要約した現代語訳(超訳)を用意しました。善巧寺でも特に読む機会の多い「正信偈(しょうしんげ)」をはじめ、葬儀のラストに拝読する白骨の御文章などがあります。上のメニューバーへ「超訳聖典」を追加しましたので、どうぞご参照ください。

重ねて、ホームページの体裁をちょこちょこ直しています。「空華の里」と「仏教アート」のカテゴリを整理しました。また、これまでトップカテゴリにあった「メディア」(新聞などに掲載された記事)と「広報」(チラシ)は、「ニュース」の中に移動しました。「寺報」も「ニュース」の中にあります。少しずつ更新していきますので、ご覧いただけると幸いです。

ほっこり法座(2~3月)

2022年、最初のほっこり法座の予定です。
今季は、2月16日に2回目となる村井敬成さん、3月1日は日下賢裕さんの仏教講座、3月16日は3年ぶりの念珠づくりのワークショップです。すでにお持ちのお念珠をヒモだけ取り替えたい場合にも対応できます。人との距離は取りつつも、仏さまとはお近づき。冬のお寺でほっこりと、どうぞお待ちしております。

参加費:1,500円(昼食代込み)
持ちもの:じゅず/服装:自由

ブッダの生涯
2月1日(火)11:00~12:00
講師:雪山俊隆(善巧寺)
仏教を説いたお釈迦さま(ブッダ)はどんな人生を歩まれたのでしょうか。映画「リトル・ブッダ」の映像を参考資料にその足跡をたどります。

求めるこころ
2月16日(水)11:00~12:00
講師:村井敬成(上市町・円光寺)
私たちの考え方や行動は何かを求めるところから起こっています。お寺に参りに行く事も、こころの底に何かを求めている姿かもしれませんね。そんなこころをお話させていただきます。

ゼロから味わう仏教
3月1日(火)11:00~12:00
講師:日下賢裕(石川・恩栄寺)
「諸行無常」や「八聖道」…知ってるようで知らない仏教の「キホン」をゼロから味わう連続講座です。スライドを使ってわかりやすく、毎回復習も行いつつ進めていきますので、はじめての方でも安心してご参加いただけます。

-特別編-
念珠ワークショップ
3月1日(水)10:00~12:30
講師:木本結(木本仏具店)
会費:2,000円
お寺の必需品「念珠(数珠)」を作るワークショップです。材料はすべて用意してありますので手ぶらでご参加下さい。本堂でおつとめ後、会館へ移動して行います。

つながり

昨年は怒涛の一年でした。令和三年豪雪と名付けられるほどの大雪から新しい年が始まったことが遠い昔のように感じます。二年目のコロナ禍、お講の食事当番は休止したままとなりましたが、お参りだけは止めてはならぬと月二回の全回執り行うことができました。永代祠堂会や報恩講の年中行事も縮小しながら行い、花まつりマルシェや民藝の展覧会もなんとか開催することができました。いずれも、一回一回の緊張感がとても高く、慣例で行っていた時の何十倍もの労力を感じています。その分、行事の意義を改めて問い直す機縁になりました。

交流の場が激減したことは、主催側からすると、人との距離感が広がってしまう恐れを感じますが、一方で時間的な余裕が生まれました。コロナ以前は、考えることなく慣例で行っていたことを、「これってホントに必要なのか?」という問いがあらゆる場面で生じたのではないでしょうか。人と人の繋がりというのは不思議なもので、会話の中身とは別に、一緒に時を過ごした時間が少しずつ関係性を深めていく場合があります。言葉によるコミュニケーションはひとつの要素にしか過ぎず、じつはそれ以外の要素が大きなウェイトをしめていることを改めて実感しています。

仏教では、「言葉は月をさす指」と言います。指を見て欲しいわけではなく、指がさす方向を見て欲しいということです。言葉の先には何があるのか。本質が問われています。

雪山俊隆(寺報180号より)
> 寺報はこちら

讃歌 そうようさま

江戸時代、善巧寺には僧鎔(そうよう)という名の僧侶がいました。富山県水橋の農家に生まれ、11才で親元を離れて上市明光寺へ養子として入ります。その後、21才の時にご縁があった善巧寺の世継ぎとなりました。 京都本願寺で活躍し、善巧寺では「空華盧(くうげろ)」という仏教学校を開くなど、地域においても名士として誇りとされ、昭和初期には地元の小学校で僧鎔の讃歌が歌われていました。88才のおばあちゃんは今でも学校の帰りに歌った記憶があるそうです。その歌を現代の技術を活用して伴奏をつけました。どうぞご覧ください。

キャンサーパンサー 善巧寺編

キャンサーパンサー とは、がんを経験した作者が自ら描くマンガとアニメを使って「#がん検診に行こう」と、訴えてます。作者の宮坂和秀さんは、「富山弁アニメブラザー」、Eテレ「はりきり体育ノ介」、「おかあさんといっしょ シルエットはかせ」、NHK「2020応援ソング パプリカ はりきり体育ノ介ver」などを制作されています。今回のアニメは善巧寺へ遊びに来てくれた時のことを取り上げていただきました。
>> 公式サイト https://theberich.com

襖絵が完成しました!

本堂の一角にある納骨壇スペースの襖絵を新調しました。
制作者は、浄土真宗本願寺派の僧侶で消しゴムはんこ作家としても活動している麻田弘潤さん。これまでに2回、善巧寺でワークショップを開いたご縁があります。

故人のお骨を納める場所で、お参りくださる遺族の方々を包み込むような温もりを求めて依頼したわけですが、こちらの要望に見事応えてくださいました。4枚の襖には、チューリップ、蓮、イチョウ、雪と四季をあらわし、それぞれに花や葉、雪が散っています。また、極楽浄土をあらわす経典「阿弥陀経」にある「青い花は青いままに光輝く(青色青光)」にならい、青、赤、白、黄の4色で描いてくれました。そこに、極楽浄土に舞う六羽の鳥(六鳥)が飛んでいます。

まる2日間かけての制作は、映像クリエイターの中林琢磨さんに撮影してもらい、まとめてもらいました。どうぞご覧下さい。

襖絵制作:麻田弘潤(新潟・極楽寺) https://gokurakuji.info
映像:BAYASHI https://www.bayashi-film.com

ほっこり法座(11~12月)

年内ラスト3回の「ほっこり法座」です。今回は、特に12/1の瓜生崇先生が注目です。4月にお越しいただいた際、もう一度聴かせて欲しいの声が多数あがり、その場で今回の約束をさせていただきました。滋賀県から何度もお越しいただくことは容易くないため、時間も50分×2座のロングバージョンでお送りします。濃厚な時間をぜひ体験してみてください。

青木哲隆先生は、別の行事を含めると3回目のご登場となり、今回もエネルギッシュな法話が楽しみです!レギュラー講師の西塔公崇先生は、仏教入門編はそろそろ終えて本題に入りましょうかとのこと。リピーターになってくださっている方も、初めてお越しの方も、どなたも入りやすい場を心掛けていますので、あなたのお越しを心よりお待ちしております。

また、11月4日13:30~16:30は、浄土真宗を深く学ぶ講座「正信偈に学ぶ/天岸浄圓先生」、11月5日10:30は、善巧寺11代僧鎔(そうよう)の法要「空華忌(くうげき)」がつとまります。少々行事が渋滞しておりますが、興味を持って下さる方はどうぞお参り下さい。

参加費:1,500円(昼食代込み)
持ちもの:じゅず/服装:自由

お経は誰のためのもの?
11月16日(火)11:00~12:00
講師:青木哲隆(射水市・覚円寺)
お経ってなんのためにとなえるの?誰に向けてとなえるもの?どのようにして成立したのか?え?正信偈はお経ではない?そんな様々な疑問について、一緒に考えましょう。

特別編-
私はどこに向かって歩んでいるのか
12月1日(水)10:00~12:00
講師:瓜生崇(滋賀・玄照寺)
善導大師が「信心を守護」するために説かれたという「二河白道(にがびゃくどう)」の教え。え、信心を守るって??でも私達は思い通りにならない自分の心に、常に迷って苦しめられていませんか?この話にこめられた求道者の苦悩を聴いてみましょう。

どうすれば信じられるの?
12月16日(木)11:00~12:00
講師:西塔公崇(富山市・金乗坊)
浄土真宗の教えを聞いて、多くの人がいだく疑問の1つに「どうすれば信じられるのか」という疑問があります。この大切な問いについて考えてみたいと思います。

「私たちのちかい」に寄せて

浄土真宗本願寺派では、2018年11月23日、本願寺の秋の法要でのご門主ご親教において「私たちのちかい」というタイトルの言葉が示され、以来、本願寺関連施設や宗門学校などで唱和されています。全国の各教区や各組、各寺院でも唱和が推奨されました。その言葉や唱和推奨というアクションに関して、一部の若手僧侶の間では疑問の声があがり、私もその想いを2年前にFacebookにて記しました。改めてここに再掲します。

一、 仏の子は、すなおにみ教えをききます。
一、 仏の子は、かならず約束をまもります。
一、 仏の子は、いつも本当のことをいいます。
一、 仏の子は、にこにこ仕事をいたします。
一、 仏の子は、やさしい心を忘れません。

この言葉は、お寺の子供会「日曜学校」で推奨されている「ちかいのことば」で、善巧寺では年に数回の子供会で唱和していた。高学年になるとこれを読むのがとても嫌だった記憶がある。いつからか、「ひとつ、仏の子は、いつも本当のことを言いません!」と言い換えて友だちと顔を合わせて笑っていた。みんなで真面目に唱和することへの反抗心か、そう出来ない自分を突き付けられることへの反発だったのか。

先日、本願寺より新しい言葉「私たちのちかい」が発表された。冒頭に添えられた言葉には、「大智大悲からなる阿弥陀如来のお心をいただいた私たちが…」とあるので、阿弥陀如来のお心をいただいている人限定のお言葉と受け取れるが、文末には、「中学生や高校生、大学生をはじめとして、これまで仏教や浄土真宗のみ教えにあまり親しみのなかった方々にも、さまざまな機会で唱和していただきたい」とあるので、ピンポイントに絞って作成した言葉を、多くの人に触れてもらいたいという願いがあるようだ。これをもって、浄土真宗とはこういう指針を持った教えですよということを伝えたいのかもしれない。ここにその言葉を紹介する。

「私たちのちかい」
一、自分の殻に閉じこもることなく、穏やかな顔と優しい言葉を大切ににます、微笑み語りかける仏さまのように
一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず、しなやかな心と振る舞いを心がけます、心安らかな仏さまのように
一、自分だけを大事にすることなく、人と喜びや悲しみを分かち合います、慈悲に満ち満ちた仏さまのように
一、生かされていることに気づき、日々に精一杯つとめます、人びとの救いに尽くす仏さまのように

中学生から大学生までに触れて欲しいというだけに、子供バージョンよりもかなり難易度があがっている印象だ。冒頭の「自分の殻に閉じこもることなく」という言葉で、自分の殻に閉じこもる私を突き付けられ、続けて、すぐに眉間にしわが入り、人をののしる私の姿があらわになる。一つ目の誓いからかなりハードルが高く、子供バージョンよりも、より具体的にそう出来ない自分を意図的に知らせている印象を受けた。子供の頃を思い出し、さっそく、言い換えの遊びをやってみた。

「本当のわたし」
一、 自分の殻に閉じこもり、眉間にしわを寄せて、人をののしり、そんなどうにもならない私を、仏さまはそのまま受け止めてくれます。
一、 むさぼり、いかり、おろかさに流され、しなやかな心と振る舞いを持てない私を、仏さまはそのまま受け止めてくれます。
一、 自分だけを大事にしてしまい、人と喜びや悲しみを分かち合えない私を、慈悲に満ちた仏さまはそのまま受け止めてくれます。
一、 生かされているとは思えず、日々に苦しむ私を、仏さまはそのまま受け止めてくれます。

不思議なことに、反対に読んでみると阿弥陀如来の大きな慈悲の心が浮き彫りになり、浄土真宗の特長のひとつを端的にあらわしているように感じた。なるほど、これはもしかすると、こう読むべきものとして作成されたのかもしれないと思うほど。ただ、原文は、子供バーションとは比較出来ないほどに自分を突き付けられて「ダメな自分」という見方を与えてしまう可能性がある。元気な人向けの言葉で、苦しむ私を置き去りにされた気分になる。しかも、「大智大悲からなる阿弥陀如来のお心をいただいた私たち」が主語になるので、様々な人が集まる場で唱和するには無理があると言わざる得ない。

奇しくも、本願寺では「若者の生きづらさ」に焦点をあてた研修会を開いたり、「寄り添う」という言葉を多用して、困っている人たちへ手を差し伸べていくことを推奨している。今まさに闇の真っただ中にいて、自分の殻に閉じこもらざる得ない人たちへは、この言葉はとても厳しい。やもすると、上司から部下への強すぎる指導のように受け取ってしまうかもしれない。あるいは、数多くある「ちかいのことば」と同様に、風景が流れていくのように言葉も流れていくのだろうか。

学校にも、会社にも、市町村にも、世の中には形骸化された理想や指針があふれている。おそらく、多数がひとつの方向を向いていた時代には有効なものだったのかもしれないが、声をあげられず置き去りになった人たちへ少しでも目を向けようとしているのが「いま」だと思う。本願寺も同様に、把握出来ないほどの「ちかいのことば」があるが、多様化という言葉が定着して、苦しんでいる人たちへの眼差しが重要視されつつある現代で、これらの言葉は「生きた言葉」になり得るのだろうか。時代に合わせる意図があるのならば、今だからこそ、「道徳」の先にある「どうにもならない私」に向けた救いの言葉を届けてほしいと切に願う。

雪山俊隆

<私たちのちかい関連サイト>
・浄土真宗本願寺派公式サイト
https://www.hongwanji.or.jp/message/m_000322.html
・お西さん(本願寺公式サイト)
https://www.hongwanji.kyoto/know/chikai.html

健康第二

私事ですが、40半ばを過ぎてから体の代謝が非常に悪くなり、気付けばお腹まわりにはたっぷりと脂肪をかかえ、ピーク時には76キロに達しました。靴下を履く時お腹につかえて倒れそうになるほどの状態です。もちろん正座にも影響します。これではいかんと、子供の夏休みに合わせて一念発起しダイエット生活が始まりました。食後のウォーキングで村の人とすれ違うのは今でも少し気恥しいのですが、2ヵ月を経ておよそ12キロ減量しました。今のところ病気ではありませんのでご心配なく。短期の減量はリバウンドの危険性も高く多くの方に忠告を受けましたが、長期計画できるほどの自信がないため、短期決戦に挑んだ次第です。

さて、一応の成果を出せたので、改めて健康は第二であることを申し上げます。というのも、これは闘病中の父がよく言っていたことで、「健康第一」という言葉には気を付けろと。たしかに病院でそれを言ったらどうなるでしょう。また、我々は老病死を避けられない身。健康であることはとてもありがたいことではありますが、不健康な者にも人生はあります。いずれ私も不健康になります。

みなさんは人生において何が第一でしょうか?私は仏法第一です。根源的な私の救いはそこにしかありません。阿弥陀さまは常に我を照らしたもうなり。老いる時も、病を患う時も、死にゆく時も、一時も離れず私を包み込んでくれます。健康の有無を問わず光を当ててくれる阿弥陀さまに帰依します。

雪山俊隆(寺報179号)

しんらんさまに一輪のお花を ~報恩講~

浄土真宗の開祖、親鸞聖人のご法事を「報恩講(ほうおんこう)」と言います。
善巧寺の境内にたたずむ親鸞聖人像の前には、お花をお供えするコーナーを設けますので、お花を一輪お供えしてみませんか?

法要は2日間、午前午後につとまります。門徒さまにおかれましては、密集を避けるため地域分散法要としておつとめします。ご自分の地域を目安にお参り下さい。ご都合のつかない方は指定日時以外でも差し支えありません。昼食はありませんのでご注意下さい。

10月19日(火)
講師:奥野寛暢先生(富山・妙行寺)
10:00~11:30
下立、下立愛本、愛本新、音沢、出、経田、魚津、滑川、富山
13:30~15:00
【入善地区】浦山新、上野、東狐、板屋、芦崎、入善、入善朝日、舟見

10月20日(水)
講師:雲林重正先生(新潟・浄秀寺)
10:00~11:30
【黒部地区】中陣、中新、栃沢、生地、石田、三日市、植木、荻生、田家、窪野、柳沢
13:30~15:00
内山、栗虫、浦山、熊野、栃屋、下村、大橋