つながり

上の写真は、宇奈月町音沢地区にある手押しの霊柩車です。ひと昔前は、各地区に火葬場があり、このような霊柩車を皆で引き故人を送っていました。大きな火葬場へ高級霊柩車で運ばれることが当たり前の中で育ったぼくにとっては、親戚やご近所が集まって、故人を送る姿は、とても心が温まり、まるで映画のワンシーンのように写ります。葬儀もホールが当たり前となりました。これは時代の移り変わりとしか言いようがなく、ここでその良し悪しを言うつもりはありません。正直なところ、僧侶にとっても夏は涼しく冬は暖かいホールはすこぶる快適です。ただ、利便性や効率を追い求めた結果、何を失ったかということは、ちゃんと胸に留めたいと思っています。

人と人の繋がりが希薄になりました。効率を追い求めた結果、繋がりが薄くなったのか、繋がりが薄くなったから効率のよいものが増えたのか、いずれにしても、これまで以上に拍車をかけて、人に迷惑を掛けるということが良くないこととされるように思います。日本では「人に迷惑かけちゃダメですよ」と教え、インドでは「お前は人に迷惑かけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」と教えるそうです。この違いは何でしょうか。すべてのいのちは繫がり合っているという縁起の法則がヒントになるとは思いますが、結論を急がず、時間をかけて考えていきたいです。本年もどうぞよろしくお願い致します。

雪山俊隆(寺報138号)