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ありがとう、さようなら

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


つらいことは奥歯をかみしめてガマンすることができますが、うれしいことはガマンできない、と申します。本当にそうですね。うれしいことは、だれかに聞いてもらいたくて仕方がない。そんなわけで、とにかく聞いてもらいたい話があるのです。

一週間前ほど前のことなんですが、近くの魚津市にある小学校へ、講演に出かけたんです。そしたら講演の前に、校長先生のあいさつがありまして、こんなことをおっしゃったんです。
「みなさん、よろこんで下さい。待ちに待った新しい体育館が、あとしばらくで完成いたします。わたし毎日気になって、見に行っているんですけど、きょうはもう館内のお化粧もすっかり仕上がっていました。よかったですね。おかげで、なんとか卒業式は新しい体育館で、できそうです。」

パチパチとPTAのお母さんたちから拍手がわいた。じつは、そのあとなんです。わたしが感動したのは…。
「つきましては、落成式もさることながら、近くとりこわしになります古い体育館のお別れ会をやろうと思うんです。先生方と相談しまして、全児童と一緒に、古い体育館の床や窓をきれいに磨き上げまして、そこで、これまでわたしたちのために力いっぱい働いてくれた体育館に”ありがとう、さようなら”ということにしたんです」
お母さんたちから、ホーッと感嘆のタメ息がもれたことは、いうまでもありません。わたしも、何かこう…ものすごく大事な忘れ物を届けて下さったような気がして、うれしくなりませんでした。

おそらく、今日あたり、あの小学校の児童たちは、キュッキュッと古い体育館の床を磨いているに違いない。そして、感謝の心と、古いものを大事にする心を胸に刻んでいるにちがいない…。そんな光景を思いうかべながら、わたしは、わが身を顧みるのです。古い体育館を、古い家、古いクルマ、古い家具、古い道具に置きかえて、わたしの身の周りから消えていったものたちを思うとき、本当に心から、ありがとうといったかどうか…。いっていないんだなあ。”ご恩知らずはイヌ畜生、ご恩知って、やっと人間”などと、えらそうなことをいいながら、わたし自身、古いものには見向きもせず、感謝の心のかけらもなく、ポイ、とやっている。そんなわたしに、あの校長先生は、感謝の心のあらわし方を教えて下さったんだと思うのです。

そういえば、うちには廃車寸前のクルマがあるけれど、つぎのクルマを考える前に、あの車に”御恩報車”という名前をつけて、廃車になるときには、きれいにワックスかけて、ありがとうと、ひとこといって別れよう。いや、クルマだけではない、クツ下だって、シャツだって、エンピツだって…。いやいや、そればかりじゃないよ。古い人だってそうだ。こんなところに突然、おじいちゃん、おばあちゃんを出してくるのは、失礼なことかもしれないけれど、わたしたちは古いものを大事にしなくなったと同時に、お年寄りに対しても、心の中ではずいぶんひどいことを思っているはずなんです。これでは畜生道に落ち込んだって仕方がないと思うんです。

今日はじつは、お葬式のハウツーのお話をしようと思っていたのですが、うれしい話と、わたし自身の反省が長引いて、もう残り少なくなってしまいました。しかし、さっきの校長先生のお話を覚えておいて下されば、お葬式のハウツーは何もいらないと思う。わたしたちは、あらゆる人たちのおかげによって生かされているんです。もし、その中の一つ、その中の一人が、わたしの手の届かないところへ消え去ってゆくのなら、その時は、古い体育館さん、ありがとう、だ。迷わず成仏して下さいなんていえやしませんよ。救われていないよは、生きているこのわたしであり、あなたのあのだから。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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仏だんの意義

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


きみはなぜ、タバコを吸うのか―と、インディアンに聞いた。するとインディアンが答えた。
「オレのおやじタバコ吸ってた。オレのおやじのおやじ、タバコ吸ってた。オレのおやじのおやじのおやじ、タバコ吸ってた。だからオレ、タバコ吸う」
アチラのジョークにこんなのがあるそうですが、これと同じようなことが、先日、わたしの寺でありました。法座の席で、お参りにきたお年寄りに、こう聞いてみたのです。
「おばあちゃん、あなたの家には、お仏だんがあるよね」
「ハイ。ちゃーんとあります」
「それは、けっこう。ところで、おばあちゃん、そのお仏だんというものは、なぜお宅の座敷にあるのかしら?」
なぜあるのか、と聞かれて、おばあちゃんは困ってしまった。そして返ってきた答えはいまのインディアンのタバコです。
「そりゃあ、あなた、お仏だんというのは親の代から、そのまた親の代から、ちゃんとあったもんです。だから、いまもある…」
どうもわかったようで、わからない。そこで今日は、なぜ仏だんがあるのか、仏だんとはいったい何なのかとう、そんなことを、今日的に考えてみたいと思うのです。

結論から申しておきますと、仏だんというものは、じつは浄土のまねごとなのです。ではその浄土というのは一体何かと申しますと、仏―つまり悟れるものが、その悟りの内容である真実を、あらわさんがために説かれたもの。真実、まことの国のことであります。

お坊さんの読むお経には、そのまことの国のことが、長々と説かれてある。たとえば、この世には、地獄や餓鬼や畜生と変わらぬものがうごめいているが、まことの国には、そうしたものはいない。
この世は、肌の色や身分によって、いろいろな差別や区別の世界があるが、まことの国とは、そういった差別のない国である。
この世には、きたない水が流れ、魚も住めなくなっているが、まことの国を流れる水は8つの功徳―つまり清く、冷たく、甘美で、軟らかく、潤沢で、和らかで、飢餓を除き、あらゆるものを豊かにするはたらきがある。
そしてまことの国には、疑惑を破り、邪心を破り、煩悩を破り、懈怠を破り、邪念を破り、真実の智恵の目を開かせる、妙なる音楽が流れている…。

などなど、数えあげればきりがないほどの、いたれりつくせりの国であることが説かれています。そして、その浄土を浄土たらしめる条件は3つある、といわれる。その1つは、まず浄土には悟れるもの―仏がいなくてはならない。じつは仏だんのまん中に字や、絵や、木像で安置してあるのは、その仏さまをあらわしているわけです。あのような姿をしていらっしゃるかどうかはわからないけれど、経にあることばを具体的に形にあらわしたのが、あの仏さまです。次に第2は、浄土には仏様だけがコロンと宙に浮いているのではない。その環境が必要である。さきほどいいました、いたれりつくせりの国を、あの金ピカの仏だんがあらわしているわけです。

ところで、浄土の条件の第3は、仏1人では浄土といえない。その仏の悟りの真実を聞いてうなずき、実践してゆく諸仏、菩薩がいなくては意味がない。となると、お宅の仏だんのどこにそんな方がいらっしゃるのか…。まわりをキョロキョロしても見当たらない。そう、それはあなたなんですよ。真実なるものを仰いで、それを実践してゆくあなたがいなくては、生きた仏だんとはいえないわけです。金持ちのまねごと、政治家のまねごと、盗人のまねごと…世の中には、いろんなまねごとをする人がいますが、わたしたち仏教徒は真実なるもののまねごとをさせていただくわけで、仏だんの意義も、そのあたりにあると思うのです。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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焼香は何のために

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


きょうは香りというものについてお話をいたしましょう。といっても、わたしは香りに関する専門家ではありませんから、思いのままに話させていただくわけですが、だいたい、この香りとか、においというものに対して、日本人はずいぶんと鈍感だと思うのです。中でもとくに男性はひどくて、クルマや電車や、せまい部屋の中でもおかまいなしに、ヤニくさいタバコのにおいをふりまき、酒のにおいをムンムン発散させて、ちっとも他人に迷惑をかけているとも思わない。ちかごろようやく、嫌煙権などというめずらしいことばを持ち出して、くさいにおいはおことわり、プラットホームでは吸わないで、などという方たちが出てきたようでありますが、それでもやっぱり鈍感な人は鈍感です。

そして、女性といえば、男性に比べてすこしは進んでいるようにも見えますが、それはご自分の化粧品に関してだけのこと。いかに甘い香りをふりまくか、ということには神経つかっていらっしゃるようだけど、では、わが家の香りというものについてはどうかといえば、そこまで手が届いてはいないようです。

嗅覚というものは、本来、動物が食物の存在を知り、その適否を判断し、異性を求め、あるいは外的から避けるなどのためにある感覚だ、ということですが、近頃のわれわれは、食物はスーパーに、異性は目の前に、外敵はお巡りさんがめんどうみてくれる…ということで、嗅覚はまるで必要なくなったようです。ですから、石油ストーブのけむる部屋で、鼻をつくようなヘアスプレーや化粧品をふりかけた家族が、テーブルをかこんで微なる香りのワインを飲み、油いためと焼魚とたくあんを食して、ちっとも違和感を感じない。少々鈍感すぎるんじゃないかと思うんです。天人からみれば、そうした人間の悪臭は、なんと四十万里四方に漂っているのだといいます。ちょっと気味が悪いですね。

ところで、こんな話をするのは他でもありません。ハウツー説法、今回は「焼香とはなんぞや」ということを考えてみたかったからなのです。焼香といえば仏事のお作法で、抹香をつまんで香炉の中へチョイと入れる。あれはいったい何回つまむのか、また、つまんだ抹香は押しいただくのかどうか…これもよく聴かれることでありますが、その答えは後まわしにして、また、なぜ焼香というものをするのか、考えてみましょう。

先ほども申しましたように、人間というのは、においに鈍感になってしまいましたが、天人からみれば不浄なるもの、悪臭プンプンたるものということになるのです。そこで仏事を営む折には、せめて、この身の不浄なる悪臭を消すために、つまり、わが身を清めるために香をたくのだという説があるのです。そしてまた香をたくと、その香りによって、敬けんかつ、おごそかな気分になって、心を落ちつかせ、邪念をうちはらうという効果もある。

ですから、焼香というのは抹香そのものをお供えするのではなく、香をたくということに意義があるわけで、抹香をつまんで押しいただく必要はありません。しかし、いろんな宗派によってこだわりがあって、1回だとか、2回だ、3回だといいますが、回数にこだわることもないでしょう。ただ気をつけていただきたいのは、あくまでも焼香は、香りに値打ちがあるのですから、タヌキやキツネをいぶりだそうような、そんな抹香は使わないようにしましょうよ。香をたく場は、わが家で最も清らかで、いちばんよいにおいのするところにしたい。そうでないと、またまたこんな話、抹香くさいといやがられます。このことばは、おそらく、安物の抹香を使いすぐた家か寺から生まれたのでしょうからね。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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お布施は出演料じゃない

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


東京や大阪に住む友人に、よくこんなことを聞かれます。
「坊さんにこんなことを聞くのはおかしいが、だいたい、あの”お布施”というのは、どれぐらい包んだらいいものなのかね」
親の法事で実家に帰らなくてはならないとき、あるいは親戚から法事の案内が届いたとこなど、普段そうしたことに慣れていないものだから、とにかく心得として、知っておきたい、ということなのでしょう。

ところが、そんなときのわたしの返事があいまいで、「さあね」とか「知らないなあ」なんていうものだから、友人はますます聞きたがる。
「知らないって、そんな、実際にもらったお布施のことを教えてくれればいいだよ。ホラ、パッと持っただけで中身がわかるなんていうじゃないか。あるだろ、相場が」
ここまでたたみかけられると、いわざるをえない。「いくら」ではなくて「なぜ、お布施というものがあるのか」ということをです。

「キミね、布施というのはね。坊さんがお経を読んだことに対する出演料じゃないんだよ」
「へえ、じゃあ、なんだいあれは?」
「布施というのはね。仏道修行の根本精神の一つでね。喜捨ともいって、よろこんでこだわりを捨ててゆくことなんだよ。インドではダーナといい、キリスト教では無償の愛―チャリティーなんていっている。人間が人間らしく生きてゆくためには、コケのようにこびりついた、いろんなこだわりを捨ててゆくことが大切なんだよ。で、中でも一番こだわっている自分の財産というものを、せめて、まねごとでもいいから、法事なんかの機会に捨ててみる。これが布施というものなんだ。だから”いくら”ではなく、その人の心が大切なんだ」
「ふむふむ、それを拾うのが坊さんというわけか。やっぱり、坊主丸もうけだな」
「そうとられても仕方がないが、坊さんというものは、もうけ商売をやっているんじゃない。頭のテッペンから足のツマ先まで、そういう良い心の持ち主のおかげで生かされているものなんだ。だから、そうした財施に対して、真実の法を説く、つまり法施というものをさせていただくわけだ。それに、お布施をもらったといっても、自分にもらったのではなく、寺の仏様にいただいたものだから、ぼくたちは、そのお下がりで生活させていただいている乞食みたいなもんなんだよ」
「まいったなあ。ちょいと聞こうと思っていたのに説教されてしまった」

友人の心には、まだ「なぜ」より「いくら」という疑問が残っているようです。坊さんの説教なんて聞いているんじゃないという顔をしている。まさにその通りで、現代はなんでもハウツーの時代。ややこしいことはすべて、ハウツーの本でもみて、トントンと運ばないとコトがおさまらない。いそがしい友人は、そのハウツーの本を読むのも時間が惜しく、ちょいとわたしに聞いているのですから、わたしもとんだかせぎのジャマをしていることになったようです。しかし、法事の意義も、布施も意味もわからず、ただなんとなく法事だからと休みをとって、実家に帰ってセレモニーだけすませ、また、もとの生活にもどるだけというのなら、それこそ、こだわりやしきたりに振り回されているに過ぎないのではないでしょうか。救われないよ、それじゃあ。

そんなわけで、このハウツー説法は、できるだけ「いかに」ではなく「なぜ?」という根本的な疑問にまで掘り下げてお話をすすめたいと思っています。ですから、おいそぎの方には、まるで役に立たない話ばかりかもしれませんが、平にお許しを。そしてまた、どうしてもおいそぎの方は、市販のハウツーものにある「法事のお礼」の項でもたちよみしていただいて、「法事のお礼は、法事の全費用の十分の一ていど」とか「西欧のキリスト教などでは、教会への喜捨は全財産の十分の一か二ぐらい」などという、もっともらしいところをみつけて、ナットクされたらいいでしょう。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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ハウツー説法

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


わたしの住んでいる富山県宇奈月町では、さいきん、婦人会の方たちが中心になって、生活見なおし運動というのをさかんにやっています。節約時代の折から、なるべくムダなことはやめようではないか、ということで、中元、歳暮、香典返しの廃止とか、結婚式の披露は華美にならないようにとか、いろんな取り決めをしています。主旨は大いにけっこうで、これが実行されたらわたしたちの生活はずいぶんスッキリするんじゃないかとも思うのですが、その中に、仕事柄ちょっと気になることがありました。

この運動を進めるためのいろいろな取り決め事項がありまして、それが印刷されて各戸に配られたんです。で、読んでみますと、その中に「一つ、法事は砂糖一袋ていどとし…」とある。一瞬、わたしは首をかしげた。
(法事は砂糖一袋とは、いったいどういうことなんだろう?)
もちろん、すぐにわかりました。
(ナールホド。これは法事のあとで、みんなに配る引出物のことだな。そういえば、このあたりはずいぶん引出物が多くて、ナベカマからポット、酒器セット、茶器セット、毛布にシーツ…まるで百貨店の大売り出しみたい。それを簡略化して、砂糖一袋ぐらいにすれば、少しはラクになるということか)

ここまでわかったところで、こんどは次の疑問がわいてきました。
(ところで法事は砂糖とスッと結びつけてしまっているけど、いったい法事は何のためにするのかご存じなのだろうか?)

たまたま、その婦人会に呼ばれて、話をしろということになりまして、わたしはまず、このことを聞いてみたんです。
「ねえみなさん、生活見なおし、大いにけっこう。法事の引出物は砂糖一袋ていどというのもけっこう。しかし、どうなんでしょう。若い奥さん方は法事というのをいったい、なぜするのか、ご存じなんでしょうか」
「いや、それは、やぱり昔からしていることだし、先祖供養とかいろいろ意味があると思うんですけど…今日はそんなことじゃなくて、その法事でわたしたちが何をどのようにしたらいいのか、お作法みたいなことをちょっと教えてほしいと思いまして…」

さっきは法事からスッとお砂糖へ飛び、こんどは法事からスッとお作法へ飛ばれた。近頃の奥さん、ずいぶん飛ぶのがお好きなようです。そこで、こちらも負けずに、お砂糖とお作法はポンと飛ばして、いったい法事はなぜするのか、という原点にかえって話をすすめることにいたしました。

結論から申しますと、法事というのは、身近な亡き人―先祖のおかげで、いま、わたしが生かされているという、よろこびと感謝の表現であります。ですから、こういうことをしなくてはならないというしきたりや、きまりに全くこだわる必要はありません。

よくあることですが、法事というのは、亡くなった先祖の成仏を願う儀式であると思い込み、坊さんにお経を読んでもらって、そのお経の功徳によって、六道をさまよっている先祖の方々を、すこしでも良いところへやってもらおうと考える。そして、お経が終わると「亡き父も、本日のありがちお経を聞いて、さぞかし草葉のかげでよろこんでいるでしょう」などとおっしゃる。これは少々おかしいとわたしは思う。先祖は尊ぶべきものという意識を持ちながら、逆にその先祖を草葉のかげに追いやっている。これは先祖に対して失礼じゃないでしょうか。

問題は法事をつとめられる側でなく、つとめる側、このわたしなんですよ。このわたしが、先祖ばかりではない、あらゆる人たちのおかげによって、いま、いきいきと生きている。生かされている。そのよろこびと感謝のありったけが、法事という形で表現されてゆくわけです。しきたりやこだわりにしばられず、もっと自由にそのよろこびをあらわされてはいかがでしょう。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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ストーブで心は暖まらない

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


テレビに出てれば お偉い方で
テレビがいってりゃ 正しいことで
テレビに出なけりゃ 落目ときめて
テレビにだまされてりゃ罪はない
はは のんきだね

という今様のんき節をうたっているのが、あの永六輔さん。ご本人は”落目”じゃないらしく、先日はNHK教育の「文化講演会」に講師としてご出演。これをわたしも拝聴したのですが、じつにおもしろかった。「いささか漫談のようではなりますが…」とことわっておられたが、いささかどころか、大漫談で、30分余りの話だったのに、こちらは話が終わってからも、まだ笑いがとまらず、いまだに思い出し笑いをしているしまつであります。

話の内容は、文化と文明、知識と智恵というテーマで、メートル法は知識、尺貫法は智恵、フォークの背中にごはんをのせてたべるのは誤った知識で、ワリバシをパチンとやって、木の香をも楽しみながらごはんをたべるのが智恵…などなど、身近な生活の中での、知識と智恵のギャップを掘り起こしての話でありました。

その中で永さんは「智恵というものには、何か、こう、あたたかさがありますよね」とおっしゃったのだが、これにはわたしもヒザを打ちましたね。そうなんですよ。智恵にはあたたかさがある。智恵の目というものには知識の目では見えないものが見えるんです。

例えば、母親のなみだです。知識の目で見れば、それはNACL-塩水としか見えない。汗とかわりのない分泌物で、それがたまたま、いま、わたしを産んだ母と呼ばれる女の目から表面張力を越えて、こぼれ落ちたとしか見えないわけです。ところが、これを智恵の目でみると、母親がこのわたしにありったけの愛情を注ぎ、わたしの悲しみを自分の悲しみとして、わたしにかわって泣いてくれているのだということがわかってくるのです。

いま、わたしにはこどもが3人いますが、その中で、4才になる長男が、とても知識欲旺盛で、食事の時にみんあの顔をみて、こんなことをいうんです。
「この中で、だれが1番に生まれたの?」
「そりゃあおじいちゃんだろ」
「そうか、おじいちゃまが1番。そしたら2番はおばあちゃま。3番は…お父ちゃま。4番はお母ちゃま、5番はお姉ちゃま、6番はボク。7番は…(弟の)ノリくん!」
これを何度もくり返し、次に不思議そうな顔をして
「みーんな、生まれたね」というんです。知識の目でなら「当たり前じゃないか」となるのですが、母親はそうはいわなかった。ニッコリ笑って「みんな、あえて、よかったわね」といった。久しぶりに家族中があたたかいものを感じたことであります。

あたたかいといえば、つい先日、こんなこともありました。寺の本堂というものはとても寒い所でありまして、座っていても、歯の根が合わなくなってくる。そこで、お年寄りのために、この冬から、火ばちに加えて、大型ストーブを2台入れてみたんです。みんなとてもよろこんでくれました。ところが、そこへ、さらにこの1月、小さな花もようの座ぶとんが50枚はいりました。
「おばあちゃんたち寒かろう」と、門徒の青年が2人して寄付してくれたのでした。おまいりにきた人たちに、2人の青年のことを話すと、みんなポロポロ泣きだすんです。
「若いのに、なんと、心のやさしい人だろう。ようこそ、ようこそ」

知識の目でみれば、大型ストーブの方があたたかいに決まっている。しかし、ストーブでは、体はあたたまっても、心はあたたまらないのです。知識と智恵—どうやらチャンネルが違うようです。切り替えてみませんか。知識の目から智恵の目へ。おカネさまからおかげさまへ。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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名CMその後

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


テレビのコマーシャルというものは、わたしたちの“もうちょっと、もうちょっと…”という餓鬼道の心を、とても上手にくすぐるもののようであります。“新発売!”とわれると、どうしても、それを買わないと時代遅れになってしまうような気になるし、”読んでから見るか、見てから読むか”といわれると、ヤメトコという気になかなかなれない。おもしろいなあと思う半面、おそろしいものだなあとも思うわけですが、そのおもしろくて、おそろいいコマーシャルをこしらえている人は、いったいどんな人たちなのか、と興味をそそられた時代がありました。そこでハッパフミフミなんてことばを流行させたおじさんに会いにいったり、常に時代の先取りをと考えている大センセイにインタビューしたり、また、ご一緒にそんなコマーシャルを作ったりしていたことがあるんです。

そんな関係で、いまでも広告界で忘れられない人がたくさんいるわけですが、でもこの人のことは、、よく思い出します。藤岡和賀夫さんという、広告会社の方なんですが、名前をいってもおわかりにならないかもしれません。しかし、これならご存知でしょう。あの“モーレツからビューティフルへ”そして”ディスカバー・ジャパン”の名キャッチフレーズをつくった人なんです。

世をあげてモーレツ時代といっていたころ、ふと見かけたビューティフルなコマーシャル。新聞記者をしていたわたしは、これぞ時代の先取りと、このコマーシャルに飛びついた。ガツガツ働くばかりがノウじゃない。世の中、そして人生は、ビューティフルにゆかねばという藤岡さんのことばに、大いに共感したものでした。

そして、その藤岡さんから次に出たのが、ディスカバー・ジャパンだった。カタカナだけではもの足りないと、日本語のひとことがはいった。“美しい日本と私”—名付け親は川端康成さんでした。わたしは、この川端さんのひとこおTにひかれました。“美しい日本”だけならどうってことないのですが、それにもう一つ”私”ということばがはいっている。これにひかれたんです。

で、そのことを藤岡さんに聞いてみた。
「これ、国鉄のコマーシャルでしょ」
「そうですよ」
「なかなかいいですね。ディスカバー・ジャパンはわかる。美しい日本もわかる。どちらも国鉄でめんどう見きれますからね。でもね、そのあとに、”私”ということばがはいっている。これは、どうなんでしょう」
「どうっていうと?」
「いや、美しい日本までは国鉄さんでけっこうだけど、私となると、これはもう国鉄さんではすまくなりませんか」
「そうですね」
「このコマーシャルでよろこんでいるのは国鉄だけじゃなくて、ひょっとしたら、宗教界じゃないかなあ」

そんなことがあってしばらくすると、国鉄の駅にこんなポスターがお目見えしました。

ディスカバー・ジャパン
美しい日本とわたし 目をつむって何をみよう
心のふるさと お寺の宿

民宿から寺泊というわけです。そして、あれからもう何年かたって、ディスカバー・ジャパンは衣替えして、”もう一枚のキップから”となってしまいましたが、どうなんでしょう。美しい日本を見てまわる旅行ブームは過ぎ去ったかもしれないけど、”私”の問題はまだ過ぎ去ってはいないのではないでしょうか。目をつむって、あなたはいったい何を見たか。ほんとうのわたしはいったい何なのか――時代の流れと電波の波に押しまくられて、ついうかうかと、わたしたちは、このわたしの問題を忘れてしまったのではないでしょうか。CMふうにもう一度、

母さん あの時の わたしはどこにいってしまったんでしょうね
ホラ あの ”美しい日本と私”と口ずさんでいたときの あのわたしの問題ですよ


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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生きがいと死にがい

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


歌に想い出がより添う 想い出に歌が語りかける
二つの結び合いをみつめながら、絶え間なく歳月が流れてゆく

これはNHKのきらめくリズムの語り口。二つの結び合いがどうなるかは別として、とにかく絶え間なく時は過ぎ、歳月は流れてゆくもののようであります。とくにこのテレビをにぎわすヒットソングというものは、流行のサイクルが短くて、あっという間に忘れ去られてゆくもので、七年前の歌なんて、まるで覚えていない。そんなわたしたちに、二重の意味で時は過ぎ、歳月は流れてゆくものだということを語りかけてくれるのが、昨年暮れの、ちあきなおみさんでした。

NHKのビッグショーだったかと思うのですが、そこで彼女が歌った歌が「四つのお願い」。あとで調べたら、この歌は七年前のヒットソング。それをホコリをはたいて引っぱり出してきた彼女は、まず一節、

一つ やさしく愛して
二つ わがままいわせて
三つ さみしくさせないで
四つ 誰にも秘密にしてネ

と歌い、つづいてこの二人の結婚後、倦怠期を歌い、最後に2人のたそがれ時の四つのお願いを、身ぶり手ぶりよろしく歌った。

たとえばわたしが先に、先に逝ったら
おじいさんや わたしのお願い聞いてほしいの
一つ お墓に参って
二つ お経を読んで
三つ お花を飾ってね
四つ わたしたちの人生はしあわせだったといってネ

このパロディに、場内は一瞬、シーンと静まりかえり、そして間もなく、拍手のアラシ。そこで彼女は「考えてみますと…」と話そうとした。ところが拍手が鳴りやまない。テレた彼女は「なんだか今夜のなかで一番拍手が多かったみたい」とひとりごと。ここでようやく静かになった。その時、彼女はこういったんです。
「考えてみますと…いえ、考えてみるまでもなく、わたしにも、人生のたそがれ時がやってくるんですね。ですからわたしは、その日がくるまで、今日一日、今日一日を、心豊かにうたいつづけたいと思います」

時は過ぎ去り、人は死ぬ―愛だの恋だのという歌はゴマンとあるけど、冷たいホントをズバリ歌ったのは彼女がはじめてじゃないかと思う。これを聞いてヒヤリとしたり、ギクリとしたり、ゾッとした人がかなりいたんじゃないかと思うんです。

サンケイの1000人調査によれば、老後の生きがいは
①仕事をもって働いていること
②勉強したり若い人に物を教えること
③趣味をたしなむこと
④こどもや孫と一緒に過ごすこと
⑤老人同士語りあえること
⑥好きなものを飲食すること
⑦何もせずにすごせること
という順番になっています。

年をとっても仕事に生きるということはすばらしいことであります。人に物を教えてゆくことも大切なことです。趣味をたしなみ、孫にかこまれ、おいしいものを食べてすごすこともすてきなことであります。しかし、人間、生きがいばかりではなく、死にがいも考えてみなくてはならない。すると、さっきの歌にもどるわけですが、なるほど墓に参ってもらい、花をかざり、お経を読んでいただくのも結構だけど、さいごのお願いの、わたしたちの人生、しあわせだったよといって欲しいという、これに尽きるのではないかと思うんです。

生きがいと死にがい――これを仏教では二つのこととしてではなく、生死(しょうじ)の問題として一つに考えています。生きているということは、死に近づいているということであり、死の問題をかかえているということは、生きているということなのです。ところが、わたしたちは、それを片方だけクローズアップして、ややこしいことは後まわしにしてしまっているみたい。でも、ちあきなおみのパロディ四番目のお願い「しあわせだったといってね」ということは、とりもなおさず、いま、わたしが心豊かに生きているかどうかにかかっていることなのですから、どうかみなさん、今日一日を大切に。そしてそれぞれの持ち歌を、声高らかに歌おうではないですか。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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千々に乱れてグチばかり

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


電車の運転士をしている友人がいうんです。「いいのかなあ、これで…」「何が?」と聞くと、「いやね、オレは毎日、ハンドル握って、レールの上を走っているんだけど、あの運転席というのは孤独な場所でね。いろんなことを考えてしまうんだ」「例えば?」「うん、例えば、信号ヨーシで青を確認したとするだろ。するとその青から青いみかんが浮かんだり、踏み切りを通過するときに見た車の中に家族連れが乗ってたりすると、オヤ、どこへ行くんだろう、あの方向ならデパートへ買物かなとか、そのすぐあとで、ああオレもウチの連中つれてってやらなきゃとか、いや、オレ1人であしたは釣に出かけようとか、こんなに天気がつづくと、庭に水やりしなきゃいかんなとか、そんなこと考えてて、ふと手をみると、ああツメを切らなきゃとか、とにかく気が散るんだよ。もちろん、後には大勢の命をあずかっているんだから、緊張はしているんだけど…。何か気の散らない方法はないものかね」

友人のことばに、わたしは即座に答えました。「あるもんか」。友人はがっかりして「坊さんのお前だから、座禅でもしろといってくれるかと思ったのに」という。もちろん座禅も結構だが、だまって坐ったぐらいで、われわれの本性が変わるわけがない。友人も、わたしも、そしてあなたも、みんな同じようなもので、毎日毎日、心を静めて一つのものに集中するなんてことはまるでなく、朝から晩まで気の散りっぱなし。そばから見ると、一心不乱に仕事をしているように思えても、当人の心の中は千々に乱れているのであります。

で、友人に「彼岸に至る第五の修業は禅定といって、精神集中の修練なのだが、とてもわれわれにはできるもんじゃない。だからといって居直らず、いいのかなあ、いいのかなあ、いいわけないよなあ、と、せめて1日1回ぐらいはオノレを省みる。さっき思ったその心を忘れるな」と、いったものであります。

さて、至彼岸、六パラミツの最後は「智慧」であります。智慧とは、事物の実相を照らし、惑いを絶って、さとりを完成するはたらき。物事を正しくとらえ、真理を見極める認識力、これであります。で、この智慧には四つの分別がありまして、一に生得のチエ。生まれながらに持っているもので、母親の乳を飲むとか、泣き声でもって親をこきつかうとか。二に、聞慧。聞くことによってつくもの。三に思慧。思索から生まれるもの。そして四に修慧。それを実践して体得するものであります。

こう考えてまいりますと、わたしたちはどうやら一の生得、二の聞慧どまり。それも見上げたものじゃなく、聞きっかじりの浅智慧で、せいぜい働くのが悪智慧ぐらい。三、四の思索し、実践するなどは思いもおよばぬことであります。

では、智慧の反対はどうかといいますと、無知でありまして、これならお手のもの。無知の語源はインドのMOHA=愚かなこと。これが中国に渡って音訳され「慕何(ぼか)」あるいは「莫訶(まか)」となり、なぜかこのボカとかマカがなまって、日本語の「ばか」になったといわれます。そしてその、ばか=無知なるものからこぼれ出るもの、それが愚痴というものであります。

「よわったなあ」「まいったなあ」「しまったなあ」「ままならないよなあ」「いやんなっちゃうよなあ」・・・職場で、家庭で、街角でとめどなくあふれ出ているのが、このグチであり、それそのままが、ばか丸出しということになるわけで、じゃあよせばよいのにと思うのですが、なかなかこれがとまらないんですよね。しかし、これまた居直らないで、ポロリとこぼれたグチのなかから、自分の智慧のなさを知る。本当のわたしというものを思い知らされる、という受け取り方も大事なことかと思うのですあ、いかがでしょう。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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居直るか、痛みを感じるか

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


彼の岸―悟りの世界に到達するための修業の4番目は「精進」であります。精進とは精魂こめて、ひたすら進むということで、悪いことはやめて、善いことをするように努力することであります。これさえ心がけていれば、いつも健康で、職場ででも、出世街道をひたすら進むことうけあいなんですが、なかなかうまくゆかない。というのが現状のようです。

悪いことはやめて、善いことをする―たとえば、タバコというのはどうでしょう。”健康のため、吸いすぎに注意しましょう”と書いてある。体に悪いんですよね。だから精進努力して、キッパリとやめればいい。とても簡単なことであります。ところが、これがなかなかやめられない。「やめるべきか、やめざるべきか…ちょっと一服やりながら考えよう」とか、「禁煙なんて簡単なことだ。わたしなんか、もう百回も禁煙した」とかなんとかいいながら吸っている。

健康のために、ナワとびがいいとか、マラソンがいいなどというのもある。「よし!それだ」と一度はやってみる。ところがこれんもつづかない。おやかの出っ張りが気になると「よし!減食だ」と思い立つ。ところがこれも三日坊主。よいことというのは世の中にいっぱいあって、努力すれば自分もよくなることは十分承知しているのだけれども「わかっちゃいるけどやめられない」と、悪い方へ悪い方へとひたすら進んでゆくのがわたしたちなんですね。

新聞のコラムに「わたしの健康法」というのがあって、その原稿の依頼に、永六輔さんのところへうかがったことがあるんですが、彼はそのとき「生きていること自体が不健康なことなので、ボクには健康法なんてものありません」といった。よいことをつづけることが出来ない自分というものをよく知っていらっしゃる、と思ったものであります。

精進といえば、精進料理というのがあります。生ぐさいものを使わない料理のことで、その心は、ものの生命を大切にするというところにあります。わたしたちはあらゆるものの生命を奪って生活しています。ですからせめて、親の命日ぐらいは、なるべく生き物の生命を奪わないようにしようということで、精進日というものを各家庭で決めていたわけです。

先日、門徒のある家庭にうかがいましたら茶の間にこどもが描いた絵がありまして、そこにサカナとトンカツが描いてある。そして、それに赤いクレヨンで×印がうってある。で、その横にこんなことが書いてあるんです。
「こんな日はこんなものを食べないようにしよう」
こんな日とは、おばあちゃんのなくなった日、おじいちゃんのなくなった日、お姉さんのなくなった日…であります。いまや、こういう家庭はまれですね。お葬式の日でも刺し身やカマボコが出てくるのがあたり前のようになっている。

こんな話をしていると、ある青年が、
「いいじゃないですか。生き物といえば何もサカナや牛ばかりじゃない。米だって野菜だって、みんな生き物。結局われわれは殺生しなきゃ生きてゆけないんだから、生ぐさいものとかなんとか区別する必要ないんじゃないですか」
といいました。どうでしょう。わたしには居直りとしか思えない。いってることはたしかに正しいのですが、その受け取りようが違います。あらゆるものの生命を犠牲にして生きているわたしなのだから、せめてそういったものに感謝をする心がなくてはなりません。わかっちゃいるけどやめられない、と居直る前に、心の片すみにほんの少しの痛みも感じることがない自分はじつは何もわかっちゃいないんだ。ということをわかっていただきたいのです。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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