投稿者「zengyou」のアーカイブ

ベルの音いろいろ

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


一水四見―—ということばがあります。同じ水でも、魚が見れば住み家だし、餓鬼が見れば膿血に見え、人間なら水、天人なら宝石の池に見える――つまり、同じ対象であっても、見る者の心が異なると、おのおの異なった見解をいだくということであります。

さて、これを身近な問題に置きかえてみましょう。例えば、いま、玄関のチャイムが”ポンピーン”と鳴ったとします。るす番をしていると、一日に二度や三度はだれかがやってくるでしょうから、ポンピーンとくれば、
<あら、だれかしら。この時間だと、クリーニング屋さんかな。それとも、ガスの集金かしら。ひょっとしたら、また例のセールスマンかもしれないわ>
とまあ、そんなことを、応対に出るまでのわずかな間に考えられることでしょう。

ところが、もし、あなたが商店の方ならどうでしょう。ポンピーン――あら、お客様だ――と即、もうけにつなげて考える。また、あなたが、古いお友達と久しぶりに会う約束をしていたとしたら、ベルの音は、一瞬にしてなつかしさと、よろこびにかわることでしょう。同じ一つの玄関のベルでも、その聞こえ方、感じ方は、こちらの心の持ちようでさまざまなわけです。

ところで、そのベルの音一つで、地獄の苦しみを受けている人も、世の中にはある、というお話を――
これを聞いたのは、大阪の郊外のある老サラリーマンの家庭の奥さんからでした。
「いえね、このあたりは土地ブームで、みんなえらい金持ちになられたでしょ。うちのお隣さんも、その隣も、みんな億万長者なんですよ。それにひきかえ、うちは昔ながらのサラリーマンで、土地もなければ蓄えもない。まわりはみんなりっぱな家に建てかえられて、いままでなら、こんにちわといって、すぐに玄関に入れたのに、いまでは全部大きな門をつくって、ベルを押したら、インターホンで”どなた?”といわれます。わたしもあんな生活、いっぺんしてみたいなあと思っていたんです。そしたらねえ。こないだ、お隣の奥さんがこられましてね。”あんたとこはいいわねえ”とおっしゃる。わたしはまた、皮肉かしらと思ったんです。ところが、違うんですよ。お金持ちにはお金持ちの悩みがあるものなんですねえ」

この奥さんの話では、お隣さん、億万長者になったのはよかったが、とたんに、朝から晩まで、ポンピーン、ポンピーンの連続で、なんとか会とかの連中で、お金目当ての勧誘と寄付の話ばかり。とうとう奥さんノイローゼになって、ポンピーンと鳴ったとたんに、ドキリ。ああ、また寄付かと身の細る思いで、夜も眠れない毎日なんだそうです。
「そこへ行くと、奥さん、あなたのところはいいわねえ、とお隣さんにいわれましてね。わたし、よろこんでいいのやら、悲しんでいいのやら、おかしな気分になりました。人間の暮らしって、何がしあわせなのか、わからないものですねえ」

それにしても、ベルの音一つでドキリとする長者の悩み…一度でいいから味わってみたい、なんてあなたも思われたんじゃないですか。お恥ずかしや、わたしもそうなんだが、お経には、こんなことが書いてあるんです。
<田があれば田に悩み、家があれば家に悩み、また、田が無ければ田を欲しいと悩み、家が無ければ家を欲しいと悩む。一つが得られると他の一つが欠け、これがあれば、かれが無いというありさまで、いたずらに思い悩んで、身心ともに疲れはて、立ち居ふるまいは安らかでなく、いつも憂いに沈んでいる>

これが、あさましい人間の姿だというわけですが、こういい当てられると、ホッとため息をつかざるをえませんねえ。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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あなたのダンナは本当の旦那か?

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


ついさっき、会社へ出て行くご主人を、イッテラシャーイ、とにこやかに見送った奥さまに、ちょっと質問。あなたのダンナ様は本当のダンナ様でありましようか?

ということ??と首をかしげていらっしゃるあなたに、もうすこしくわしくおうかがいします。そりゃあ、もちろん、さっき見送った男性は、ウチの人であり、夫であり、亭主であり、宿六であり、ハズであり、カレではある。これは間違いない。ご主人に対する呼び方はいろいろあるわけですから、しっくりとくる名で呼べばいい。しかし、その中で、もし”ダンナ様”ということばを使うとしたら、これはチト問題がある。というのは、この”ダンナ”ということばは、仏教からきたことばなんです。で、仏教本来のダンナという意味は、いったい何か、ということを、これからお話しますから、それを聞いたうえで、もう一度<わたしのダンナは本当のダンナか>と、自分に問いただしてもらいたい。

ダンナということばは、インドのことばでありまして、あちらでは”ダーナ”という。そのダーナが、中国に渡って音訳されて”旦那”となった。それを日本では”旦那様”というふうに使っているわけです。さて、その元のことば、ダーナですが、これを意訳しますと”布施”ということばになります。”布施”―—ご存知でしょう。お布施などといって、坊さんが来たら包むもの、そう思っていらっしゃる方、多いんじゃないかしら、ところが、あれは、坊さんがお経を読んだときの出演料ではないんですよ。じつはこれ、仏道を歩むものにとっての大事な行の一つなんです。どんな行かというと、施すという行、こだわりを捨てて、すべてを与えてゆくという行なんです。そして、この行は、彼岸(さとりの世界)へ至るための第一歩とされているのです。

わたしたちには、あらゆる執着がある。こだわりがある。それをすべて捨て去ってゆくとき、真実なるものが見えてくる、とでもいいましょうか、とにかく、インドの修行僧はこの布施行をやったわけです。

こんな話があります。布施の行をしていたある仏弟子が、街頭で乞食と出会う。乞食は「そなたの目は本当に美しい。その目を一つわたしにくれぬか」という。仏弟子は、こだわりを捨て、自分の目を乞食に与える。受け取った乞食は舌打ちした。「なんだ、そなたの顔についているときは美しかったが、いまは血みどろの汚れもの」そういいって足でそれを踏みにじる。仏弟子はそのとき、心の中で<しまった。こんな男に、やらなければよかった>と思った。—もうこれで布施の行はダメなわけです。仏弟子の心には、美しい目を与えれば、相手がどれほどよろこんでくれるだろうか、という代償を求める心があったのですから。

ある高僧のことばに「よいことをしたときは、なるべく早く忘れなさい。それも布施の行ですよ」「問われたことには、正直に答えなさい。それも布施の行ですよ」というのがあります。わたしたちは、とてもじゃないが、そうはいかない。よいことをしたら一生忘れない。それを自慢のタネにする。問われたことには本心を出して答えることがない。こよみの上ではきょうは彼岸の入りだけれど、本当の彼岸は遠い遠いあちら側、という感じです。

さて、ダンナ様―—本来の意味からすると、代償を求めずに、こだわりを捨てて何でも施してくれる人、ということになります。そこで、はじめの質問にもどって、うちのダンナ様は、本当のダンナ様かしら?
「オレがこれだけ働いてきてやっているんだから、せめて、これぐらいのことしたっていいだろう」
「あら、なによ。うちでひとりで、るす番しているわたしの身にもなってちょうだいよ」
われわれは、こうして常に代償を求めて、こだわりの世界の中で生きている。本当のダンナ様なんて、いないみたいですね。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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るす番説法

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


ご主人は会社へ、お子さんは学校へー
いつものことだけれど、たいへんでしたね、けさも。でも、これからは、あなたの時間。だれにもじゃまをされない、ひとりっきりの留守番タイムのはじまりです。寝なおしますか?きのうのつづきのテレビを見ますか?さっそくラジオの伴奏で掃除洗たくですか?

オヤッ 素晴らしい。あなたは新聞を読んでいらっしゃる。そしていま、わたしとあなたはピッタリと視線が合ってしまった。これはたいへん。ムダ口たたいていないで、さっそく”るす番説法”をはじめることにいたしましょう。

時まさに敬老月間、ということで、けさはあなたにとっても身近な問題、お年寄りについて、わたしの感じていることを少しばかりー。
まず、この老人ということなんですが、「老」という字を調べてみると、背のまがった人がツエをついている姿、そこからこの字がうまれたんだそうですね。で、その意味はどうかと申しますと、年長者、おとろえた人、古い人、経験ある人、などとなる。

正直なところ、若い連中にとっては、これすべて気にさわることばかりですよね。おとろえた人ーということは、自分の20、30年後の鏡のようなものだから、使用前、使用後みたいな感じで、あーあ、わたしもこんなになってしまうのか、とタメ息の一つもつきたくなる。古い人ーということでいえば、若いものは新しがり屋ですからね、どうもしっくりこない。さらに、経験ある人ーということになれば、これはもうピターッと床に頭をつけて、聞かせていただくしかないのだけれど、素直にそうしているかといえば、なかなかそうはいかない。なにくそ負けるもんか、という心がムラムラとわいてきて、若さと新しさでもって、老いたるもの古いものを押さえつけてしまおうとする。

古い人、経験ある人というのは、自分一人で生きてきたのではなく、あらゆる人のおかげによって生かされてきたんだ、ということを知っている。
先日テレビで80歳を超える財界人、原安三郎さんがいっていました。「わたしがこうして長生きできるのも、親のおかげ、先祖のおかげ、みなさんのおかげだ」と。それに尺貫法で頑張った永六輔さんも「明治の人たちには、祈りと感謝の心がある。なのにボクたち、そのへんをチットモうけついでいないということに、トテモうしろめたさを感じる」といっていた。

1坪3.3平方メートルといい、1尺を30.3センチと換算しなければならない不自由さと同じように、ひょっとしたら、わたしたち、古くから語りつがれてきた”おかげさま”という心を”おカネさま”に換算してしまって、それでいま、心のサバクなどという不自由さにぶつかっているのではないでしょうか。これは尺貫法よりさらに根深くお年寄りの心を傷つけているようで、近頃のおばあちゃんやおじいちゃん、まるで元気がない。古くてよいこと、経験によって得たことの一かけらも口にすることができなくて、小さく小さくなっている。

がんばれ!おばあちゃん。老人の老は、背のまがった人がツエをついている姿だといったけれど、そのツエをムチに持ちかえて、若いものをしかっている姿―それが教育の「教」という字なんだ。もっと自信をもって、若いものを教えてほしい。ムチでビシビシしかってほしい。

そして、わたしたち若いものは、お年寄りのチエを、謙虚に聞く耳を持とうじゃないですか。そりゃあ気にさわることもたくさんあるかもしれないけれど、そこは思いやりと察し合い。もしいま聞いておかなかったら、大事なものを永久に失ってしまうことになるかもしれない。——年に一度の老人の日に、形ばかりの花を贈って、おじいさんおばあさんありがとうなんていっている自分を、深く反省しながら、こんなことを思うのです。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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おかげさま?おカネさま?

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


うちのおばあちゃんが、小さいころの、わたしによくいったものです。
「ごはんは残さず、こぼさず、きれいに食べなさいよ」
そういわれても、こどものわたしは、よくこぼした。ごはんつぶポロリ、おかずもポロリ…。
「コレッ!拾いなさい!」
しぶしぶわたしが拾うと、
「食べなさい!」
じつにこわかった。そして、そのあとのお説教を、わたしはいまでも覚えています。
「お百姓さんはね。あなたにごはんつぶをゴミにしてもらおうと思って、お米をつくっているのとちがうのよ。一つぶのお米でも、あんたのいのちになってくれ、人のいのちになってくれといって、つくって下さっているんです。それを思ったら、あんた、もったいないじゃないか。ちょっとぐらいよごれても、拾ってちゃんと食べなさい」

前回、ご紹介した、食前のあいさつのなかに「つつしんで、食の来由をたづねて…」というのがありました。食の来由―つまり、目の前にあるごちそうが、どのようにして、わたしの所に届いて来たのか、それを少しは考えてごらんなさい、ということでしょう。一つぶのお米は、いったいどのようにしてできるのか―ちょっと考えてみましょうか。

お米は、農家の人たちがつくるもの。これはだれでも知っています。しかし、よく考えてみると、農家の人が一人でつくるものじゃない。一つぶの種モミ、それを育てる土壌と肥料、肥料はどこで、だれがつくるのか。苗になったら、田植えの機械、草とりの機械、何千何万という人が汗水流してつくった農機具や農薬によって、田んぼの米はスクスクと大きくなってゆく。さらに忘れてはならないのは、大地自然の恵みでしょう。そしていま、収穫の秋—またまた機械の世話になり、農協さんの手間を取り、米屋さんもそれに加わり…と考えてゆくと、たった一つぶのお米にも、幾千万の人たちの汗と苦労がこもっている。それがごはんになるには、さらに、水がいる、電気がいる。ガスもいる。茶わんがいる。はしがいる。さあ、そうなると、もう数えきれないほどの人たちのおかげによって、いま、ようやく、わたしたちの前に、一杯のホカホカのごはんが届いたことになる。
「みほとけと、みなさまのおかげにより、このごちそうを恵まれました。深くご恩をよろこび、ありがたくいただきます」
こういって手を合わせるのが、やはり礼儀でありましょう。

ところが、。さいきんの若い人たちの考え方は、この逆なんです、”おかげさま”より”おカネさま”なんだ。すべてがおカネ中心。だから、
「何いってんですか。このごはんは、わたしがかせいだおカネで、わたしが買ってきて、わたしが買った台所用品で料理して、わたしが食べるんです。ちゃんと電気、ガス、水道料金も払ってあるんだから、残そうと、捨てようと、わたしの勝手でしょッ」
とくる。自分一人で米屋から電気、ガス、水道会社を養っているような気でいるんだから、始末におえない。くたばれ!だね、ホントに。

それでいて、値上げとなると、おそろしい顔をして「わたしたちを飢え死にさせる気かッ」とくる。そんなことをいう前に、自分の台所に残り物はないか、くさらして捨ててしまうものはないか、よーく考えてほしい。タバコを吸うものに大気汚染を論ずる資格がないように、ごはんつぶをこぼしたり、余り物を捨てたりするものに値上げを論ずる資格はないと思うね、わたしは…。

オヤオヤ、ずいぶん熱くなってしまった。ハラを立てたらスマートにならない、なんて自分でいっておきながら、これだから…。気分をしずめて、もう一度「おかげで、ごちそうさまでした。」


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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いただきます、してますか?

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


外国人の夫婦が、こども連れで、ホテルのレストランにすわっている。しばらくすると、食事が運ばれてきた。夫婦は、手を合わせて、食前のお祈りをはじめた。ところが、こどもはむずかって、お祈りをしない。こんな場面に出くわした、わたしの友人は、自分の食事も忘れて、成りゆきを見守っていたそうです。
「いやあ、おどろいたよ。その夫婦は、こどもがお祈りをしないとなると、サッと皿をボーイに引かせた。そして、自分たちだけで談笑しながら、うまそうに食事をはじめるんだ。こどもは、泣くさ。でも、平気な顔で”君は食前のお祈りをしないから、食事があたらないんだよ”と、いとも簡単にいってのける。とうとう、夫婦の食事が終わるまで、こどもに食べ物はあたらなかった」

そして、次の朝。また、友人はこの家族とレストランで出くわしました。
「今度もこどもは、お祈りをしないんだ。すると、夫婦はまた、こどもの皿を引き、自分たちはとても楽しそうに食事をはじめた。二度の食事を抜かれたこどもは、とうとうネを上げて、”パパ、お祈りするから食べさせてよ”といっている。すると、夫婦は、ニコーッと笑ってOK!すぐに料理を運ばせて、今度はさっきの三倍ぐらいなごやかに、家族そろって食べだした。感動したね。これがしつけだと思ったね。」

食前の祈り、食前のことば―日本ではいったいどうなっているんでしょう。食堂なんかでみていると、いただきますもいわない連中がほとんど。合掌なんて、とんでもないといった感じです。ちょっと気になって、こどもたちに聞いてみました。小学校三年の娘がいうには、学校では統一されたあいさつはなくて、各学級思い思いにやっているという。「姿勢!礼!」という、まったくなんのことだかわからないのもあれば「キオツケ!合掌!いただきます」というのもある。また、保育所のと同じあいさつで「お父さん、お母さん、お当番さん、ありがとう。先生、いただきます」とやっているクラスもあるという。びっくりしたのは、ごちそうさまの方で、こどもたちが「ごちそうさま」というと、「おそまつさま」とやる先生までいるということでした。

さて、あなたのお宅では、どうでしょう?食事の前後に、どのようなあいさつをなさっているでしょう。「姿勢!礼」ですか。それとも、ただ無言で、ガツガツですか。手を合わせて、「いただきます」ですか。

参考までに、ここに二つの食前食後のことばを紹介しておきましょう。
はじめは、比叡山西塔居士林のあいさつ。
「吾今幸いに仏祖の加護と衆生の恩恵によって、この清き食を受く。つつしんで食の来由をたづねて、味の濃淡を問わず、其の功徳を念じて品の多少をえらばじ。いただきます」
「吾今此の清き食を終わりて、心ゆたかに力身に充つ。願わくば此の身心を捧げて、己が業にいそしみ、ちかって四恩に報い奉つらん。ごちそうさま」

次は西本願寺のあいさつ。
「み仏とみなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。ふかくご恩をよろこび、ありがたく、いただきます」
「尊いおめぐみにより、おいしくいただきました。おかげで、ごちそうさまでした。」

あらゆるものの命を犠牲にして、あらゆるもののおかげによって、わたしたちは毎日の食事をさせていただいているのですが、どうも近頃、その感覚がうすれてしまって、いただきますや、ごちそうさまという感謝の心がなくなってきています。こんなことでは、こどものしつけもおぼつかない。つつしんで食の由来をたづねて、ありがたくいただく心をとりもどそうではないですか。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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ひとりいきいき

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


夏の朝がゆというのは、なかなかいいものですね。暑さをふっ飛ばす、とまではゆかないけれど、なにか、こう、凛とした気持ちになるものです。先日、寺で早朝法座というのを開いたとき、参拝の方にこれを出したんです。
「久しぶりだなあ、おかゆなんて。昔はよく食べたのんだが…」というお年寄りから、朝はパン食と決めている若い人たちにまで、おかわりが出るほどの好評でした。

香のものは、一夜漬けのナスとウメボシ、それに、春の山で採っておいたウドの塩漬けを少々。キュッと歯ごたえのある色あざやかなナス…。口にふくんだとたんに春の香りがよみがえるウドは、とりわけよろこばれたようでした。で、普通ならよろこばれただけで終わるのですが、坊さんのわたしは、どうも終わらない。ひとことお説教をせずにおれなくなった。

さあ、みなさん、食べる前にちょっと聞いていただきたい。いま、あなた方の目の前にあるウドですがね。これ、漢字で書くとどうなるかご存知ですか。「独活」こう書くんです。”独り活き活き”ということでしょうか。ものの本によりますと、”この草、風吹けども揺れず。風吹かざれども自ら揺れ動いて育つ。よって独揺草とな付く”とある。

ずいぶん生命力の強い草で、風が吹いたって揺れないそうです。そして、風が吹かなくても、ひとり揺れながら、グングン伸びてゆく、そんなところから、独揺草という名がついて、これが、独活という字になったのではないか、というんです。
”ひとりいきいき”—いいですね。すばらしい名だ。わたしはこの春、山でそれをたしかめました。日あたりのよい谷間の急斜面のところに、ググっと頭を出したウドは、まさしく”独活”。わたしも、かくありたいと思った。どんな風が吹いても揺れ動くことのない、そんな人間になりたいなあと思った。

ところが、そのとき、また、フト思ったんです。このウドは、ほんとうに”ひとりいきいき”なのだろうか、と。群生地を少し離れるともう一本も見あたらない。ある場所にしかない。ということは、その場所には、ウドを育てるに充分な土壌と、気象、その他あらゆる条件が重なり合っているんです。つまり、ウドは”ひとりいきいき”ではなくて、大地自然の恵みを一身にうけて、太陽に、土に、水に、その他あらゆるものによって育てられているんです。ということは、ウドのスクスクと育っているそのままが、春の活動している姿であり、大地自然の活動相なんですよね。

いかがでしょう。これはウドだけのことではないですね。わたしたちだって、そうなんだ。自分では”ひとりいきいき”でありたい。また、自分は自分ひとりで生きているんだ、と思いたいのですが、どうでしょう。ほんとうにそうなんでしょうか。

わたしたちは、じつは、ひとりでは生きてゆけないのです。この世に生をうけたのは、父や母のおかげ。今朝の食事が口にできるのも、農家の人や商店の人や、いろんな人のおかげ。そして毎日、息をしていられるのは、大地自然のおかげ。洗たく物が乾くのも、お日さまのおかげじゃないですか。それをわたしたちは、ともすると、自分でかせいだお金で、食べて、住んで、着ているのだから、自分一人で十分に生きてゆけるんだ、と思ってしまう。これは勘ちがいですよ。でなきゃ居直りですよ。

おかげを知らないものは犬畜生―ということばがあります。わたしたちは、生きながら、畜生道に落ち込んでいるのかもしれません。さあ、今朝のごはんは、そまつな朝がゆと、香のものだけだけれど、どうか、みなさん、ひとこといっていただきたい。「おかげさまで、いただきます」と。あららッ、説教が長くておかゆ、さめたかナ?


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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スプーンはおいしさを知らない

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


けは、台所でお料理に使う道具について、すこし考えてみましょう。まずは包丁です。マナ板トントン…朝のお汁の身をきざむのに、いそがしく動いてくれる包丁―長い間使って、もうすっかりあなたの手になじみ、体の一部のようになっていることでしょう。

その包丁のことなんですが、以前、国立国語研究所の所長をなさっていた、岩淵悦太郎さんに、こんな話を聞いたことがあります。
「わかるということばの語源なんですがね。これは、分ける、分かれるということばと同じ意味だったようです。つまり、刃物で切り分けて、はっきりと区別することなんです。何が善か、何が是か、見分けがつけば”わかった”ということになるわけです」

いま、あなたは包丁を持っている。そして、魚を三枚におろしているとします。見事な手さばきで、これは身、これは頭、これは骨、これはワタ、と切り分ける。それがつまり、わかる、ということだというわけです。なるほど、これはよくわかります。

しかし、そのとき、わたしは、また、ハテ?と思った。刃物で切り分けたのは自分であり、それに判定を下したのも自分でしょう。だとすると、わかった、ということは、自分の包丁で、勝手に相手を切り分けただけだということになる。ちょっとおそろしい気がするんですよ。そうじゃないですか。包丁の刃先は常に外に向かっていて、バッタ、バッタと目の前の相手をなぎ倒しているんです。ところが、その包丁を自分に向けて、切り分けてみたことがあるのか、ないのか…。

世の中で、わかったような顔をしている人は、おそらく、自家製の大きな刃物でもって、相手かまわず切りまくっている人に違いない。そんな人は、小さなメスでもいいから、まずは自分のハラを切り開いてみなくてはなりませんね。このわたしは、本当のわたしをかわっているのかどうか…と。

スプーンは、おいしさを知らない―こんなことばが、古いお経にあります。スプーンだけじゃない。おはしも、お茶わんも、お皿も、台所にあるお料理の道具は、みんな、おいしさを知らないわけです。<あたりまえじゃないか>と思われるかも知れないが、これがまた、なかなか味わいの深いことばなんです。たとえば、あなたが、台所に立っていそがしく朝のごはんの用意をしていたとする。そんなとき、こんなことを思うことはありませんか?
<あーあ、くる日もくる日も、おさんどんばかり。わたしって、主人やこどもの世話をする道具でしかないのかしら…>
もし、こんなことを思ったとしたら、あなたは、人生のおいしさを知らない、道具のような人間になってしまっているということになるのです。先の一句の次に、対句として、こんなことばがあります。
「かしこい人は、あたかも、舌が料理の味をいち早く知るごとく、人生のおいしさを、すみやかに知るものである。」
食卓の主役は、料理でもなく、道具でもなく、それを味わう舌であります。スプーンやおはしは、いそがしく働いて、ごちそうを口へ運ぶだけ。かわいそうに彼らは一度だって、おいしさを味わったことはないのです。

あなたは、生活の道具になり下がってはいませんか。ご主人の世話係、そして、こどもの保育係…それだけであってはならない。あなたは、あなた自身であって、あなた以外の何者でもないのですから。いそがしく働くのもいいが、ただ、その時間をムダに過ごすのではなく、人生のおいしさを敏感に味わう舌を持っていただきたい。人生のうま味というものは、日々の暮らしの中に、いくらでもころがっているものなのですから。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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だいどこ説法

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


わすれられない味というものは、だれにだってあるものです。おふくろの味、ふるさとの味、およばれしたときのごちそうの味…。わたしにもありましてね。これはいまから14,15年前のことなんですが…。当時、わたしは学生で、東京に下宿していたんです。あるとき友人が、ひもじそうなわたしをみて「うちへこないか。うまいもの食わせるぞ」といってくれた。聞いたとたんにもうツバが出てきて、イソイソとついていったんです。

食卓に出たのは、トリの照り焼き風のもので、こってりした味がなんともいえなかった。「うまいですねえ。これ、なんて料理ですか。田舎に帰ったら、おふくろにつくらせたいんで、つくり方を教えてください」と、お母さんにいいました。すると、「よかったわ、よろこんでもらって。これはね。サマサマ料理っていうのよ」といって、つくりかたを教えてくださった。

ウロ覚えですが、うまくできるかどうかわからないけど、とにかくここに、サマサマ料理のつくり方をメモしておきましょう。

材料は、トリの手羽一つ(一人前)、ネギ(適当に)、パン粉(食パンの耳を乾かしてきざんだもの)、ニンニク、しょう油、砂糖、ごま油。
つくり方は、まず平たい容器に、しょう油と砂糖とニンニク、それにネギをザクザクっと切って入れ、そこへトリの手羽をひたひたにつける。よく味がしみ込んだところで、フライパンにごま油を入れて熟し、トリの皮の部分にパン粉をぬりつけ、ジューとやる。こげ目のついたところで、容器に残ったものを全部放り込み、こってりと仕上げて皿に盛る。

たしか、こんなものだったと思う。しかし、もし、お試しになるのなら、次を読んでからにしていただきたい。じつは、聞いてほしいのは、この料理のつくり方ではなく、サマサマ料理という名前の由来なんです。

戦後まもなくで、動物性たんぱくなんてまるでなかったころ、この友人のお母さん、やっとの思いでトリの手羽を手に入れたそうです。そして、なんとかして、これをおいしく食べさそうと考えた。台所を見渡せば、ネギと、きのうの残りの食パンの耳と、そして調味料はしょう油と砂糖。そこで、これを全部使って、この照り焼き風のものをこしらえた。一家5人、ほんとうによろこび、骨までしゃぶって、お皿についたソースもネギでふくようにして食べた。
「おいしいね」
「トリなんて久しぶりね」
「ほんと、うまいねえ」
そのときです。お父さんがみんなにむかっておっしゃった。
「ほんとにおいしかったな。こんなおいしい料理をつくってくれるなんて、お母さんサマサマだね」

サマサマ料理――わたしがわすれられないのは、この名前なんです。お母さんもすばらしいが、お父さんのこのひとことがなんとすばらしいことか。わたしたちはいま、どうもこのあたりを忘れかけているようです。家族みんなで食卓につく。
「さあ、早く食べなさい。あとかたずけがタイヘンなんだからあ」
「ほら、たくさん食べなさい。じつはこれとっても安かったんだから。スーパーで30円!」

これでは、おふくろの味も遠くなり、インスタントで十分というこどもばかりになってしまうに違いない。ひとつマネしてみませんか。あなたのサマサマ料理をつくってみましょうよ。そして、わすれかけていた人生の味をとりもどし、こどもたちに、わすれられない味を、舌の根にしみ込ませてやろうじゃないですか。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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決めた!はヤメタのはじまり

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


ホントのお化粧法の第一課は、”女はウソのかたなりだ”ということを知ることではないか――と、先週お話しましたら、若いお嬢さんが、寺へとんできて、「とんでもない!」というのかと思ったら、「わかるわかる。ホントその通り」ときた。以前ラジオで一緒に仕事をしていた女の子で、年はハタチ。それこそ頭のテッペンから足のツマ先まで、あたたかいウソで塗りかためた感じの子だから、こちらもビックリしましてね。ホントにわかったの?と半信半疑。そしたら彼女「まあ 聞いて下さいよ」と、じつに感動的な体験談を、息せき切って話してくれた。まあ、聞いてやって下さい。
 
ワタシね、学生時代からモデルのまねごとやったりしていた関係上、おしゃれとか、お化粧には、かなり自信があったんです。ところがね、ついこの間、ワタシ急に腹部出血とかでバッタリ倒れて、救急車で病院に運ばれたの。もう痛くて痛くて死にそうで、先生にみてもらったら、すぐ入院だ、手術だというのよね。もう目の前まっ暗でフーッとなって、とにかく入院ということになったの。
 
そしたら、看護婦さんがやってきて、スッゴク事務的に「お化粧として、寝間着に着替えて寝てなさい」っていうの。もう、ガーンよ。だってワタシ、いままでオトナになってから、人前で素顔見せたことなかったんだもの。で、そういったら、また看護婦さん「決まりです。おとしなさい。着替えなさい」でしょ。それで仕方なく、顔を洗ってスッペンペンになって、三宅一生の服も脱いで、ペローンとベッドに横になったわけ。もう恥ずかしくて恥ずかしくて、おなかの痛いのはガマンできたのに、このときばかりはオイオイ泣いてしまった。
 
ところが、しばらく病院で生活しているうちに、だんだん落ち着きを取り戻して、まわりをみると、みんなワタシと同じで、スッペンペンのペローンなのよね。で、よくよく考えてみたら、結局、みんな患者なのよね。お化粧なんてことよりも、もっとタイヘンな問題と戦っているわけですよ。そうだ、ワタシもその中の一人なんだ、ということがやっとかわったの。すると、なんだか、スーッとさめてゆく自分を感じて、ナーンダ、人間って、こんなものか。これまでいろいろ飾りたてていたけど、ホントのワタシって、スッゴクちっぽけで、たった一人で、とてもつまらない人間だなあーと、そのとき、やっとわかったの。
 
このお嬢さんは、これからまもなく、おなかを15センチも切る大手術をうけるわけですが、その折には、自分の死というものに直面し、生きたいと思い、命の尊さを知り、そしていままで考えもしなかったという両親や友達への感謝の気持ちも、ふつふつとわいてきたそうです。じつにすばらしい体験をしたものだ、と、わたしも教えられることが多かったんですが、その子が、さいごにこういうんです。
「ところが、ところがですよ。手術が終わって退院したら、もう、その時に思ったこと、心に決めたこと、すっかり忘れてしまって、パァーッとまたハデに、毎日ウソのかたまりで過ごしてしまっているの。ダメねぇ、ワタシって。どうしてこうなのかなあ…」
 
仏法では、心に決めることを“決定心(けつじょうしん)”といいます。これはだれでも持ち合わせているもので、朝目が覚めると「さあ、やるぞ」。注意されたら「よし改めよう」と思うわけです。ところがもう一つの心”相続心”というのがまるでない。朝決めたことを昼まで守りつづけることすらおぼつかない。でも、いいじゃないですか、と、わたしはその子にいったんです。キミには立ちもどれる原点がもう見つかったんだから。それを持たずに、ウソのかたまりがあたりまえ、生きているのがあたりまえ、と思っている人とは、すでにひと味違った人生が送れるに違いないんだから、と。

雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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心のファウンデーション

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


鏡の前で、ちょっとお化粧でも…と思っていらっしゃるあなたに、今日はとっておきの美容法をお教えいたしましょう。たとえそれが、ヤボな坊さんのいったことであろうとも、”より美しく”というのは全女性の願ってやまない大いなる欲望なのだから、知らなきゃソン。聞いておいたがトクというものであります。
 
エレガンスの辞典―というのがありましてその著者、G・Aダリオ―女史は、身だしなみの心得として次のようにおっしゃてる。
1、毛と爪の手入れが申し分ないこと
2、髪の毛が清楚にととのえられていること
3、お化粧が清楚で、化粧しているとは見えないこと
4、靴は清潔で、みがいてあり、状態のよいこと
5、衣装は清潔で、しみがついていないこと
6、におい押えのコロンかオード・トワレットを毎日怠らずにふりかけること
 
女史のチェックリストはまだ続きますが、このへんでやめにして、最後にご婦人方の化粧について、もうひとこと。
「明るい日のさすところで、鏡に顔をうつしてみて、化粧の濃すぎそうに見えるところは容赦なくぬぐいとることです」。
じつは、わたしが気に入ったのは、この「容赦なくぬぐいとること」ということばなのです。
 
さあ、それでは、いよいよ本題にはいりますが、わたしがみなさんにお勧めする美容法には、二つあります。その一つは、まず「女はウソのかたまりだ」ということを知ることであります。だってそうでしょう。頭のテッペンから足のツマ先まで、ありのままのあなたというものはほとんどない。髪は染めたり、曲げたり、顔は塗ったり引いたり、つけたり…あとはあまり申しませんが、事実そうでしょう。それでいて、口をひらけば、「あーら、奥さま、いつまでもお若いこと!」お若いといったって、年は年なりにちゃんととっていますよ。ただ、そう見えないように、ちょっときれなウソで飾っているだけなんだ。
 
「美容の歴史」というジャック・パンセが書いた本のはじめには、こうあります。
<マキャージュ>(化粧)という言葉は、今ではあたりまえになっているが、これは<働く>とか、<カードでインチキする>を意味する隠語からきたものである。
 
インチキなんだな、やっぱり。いやこれは女ばかりじゃない、男だって、坊さんだって、結局はうわべはウソのかたまりで塗りつぶして、ニッコリ笑っているものなんですよね。だから、まず第一の美容法は、ウソのかたまりを、容赦なくぬぐいとること、ありのままのわたしを見つめ直して、ゼロからスタートし直すこと――これではないかと思うんです。
 
さて、次は美容法その二であります。それは、心のファウンデーションです。どんなにおもてをきれいに飾ったところで、裏の心が真っ黒では、どうにもなりません。おしゃれをして、町を歩いている人をごらんなさい。うちでケンカでもしてきたばかりなのか、目の玉三角にして、親のカタキでもとりにいくかのごとき人の多いこと!
 
お経には「忍辱得端正(にんにくとくたんじょう)」とあります。忍辱とは耐え忍ぶということ。平たくいえば、ハラを立てないことであります。で、ハラを立てなかったらどうなるか。端正を得、つまりスマートになるということでしょう。“ハラを立てなかったら、スマートになる”。これこそ、最高の美容法だというわけです。
 
1日に何十回とハラを立てているわたしたちではありますが、せめてまねごとでもいい、ほがらかに、ニッコリ笑ってハラを立てなかったら…それこそ、あなたは、町一番のスマートな女性になること間違いなしだ。

雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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