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花まつりマルシェ2023アルバム

4月23日(日)、快晴のもと「花まつりマルシェ」を開催しました。
去年と一昨年は当日までどうなるかわからないという状態で踏ん張りながらの開催でしたが、ようやく、心晴れやかに開催することができました。

初参式は10名、七五三は7名の受式者がありました。

マルシェは、9店に自前2店の計11店。午前中に品切れになるお店もあり、多くの人で賑わいました。

今回は、状況劇団パッチさんのライブ&パフォーマンスがありました。安定感のある歌声に、フリースタイルなパフォーマンスが魅力的で、後半には小学生がノリノリで演者側になっていました。

花まつりマルシェ2023
日時:2022年4月23日(日)10:00~15:00
会場:白雪山善巧寺
フリーライブ:状況劇団パッチ
出店:Ume Kitchen、ココマカロン、cafeMOCO、TAKOZAKI、チリングスタイル、ケーキハウス ミユク、源七、chienowa、キッチンカーリーフ
チューリップ協力:山崎修二さん、入善町花卉球根組合
チューリップ飾付け:こどもたち、浦山ご婦人、総代
協力:有馬啓さん、太田さん、沓掛栄一郎さん
本堂荘厳:法輪寺、照行寺
チラシ:ROLE
写真:柳原写真事務所FLAT
駐車協力:うらやま交流センター、中博信さん
主催:白雪山善巧寺

信心がない

浄土真宗の開祖、親鸞聖人は二十九才までひたむきに修行の道を歩み、その後、法然聖人との出会いによって、人生観が大きく変わっていきました。それまでは、さとりの障害となる煩悩をひとつずつ捨てる努力をし、清浄な心を保ち、自己の精進努力によって信心を磨き上げてゆく道を歩んでいました。

しかし、法然聖人は全く違う視点を持っておられました。当時、全国から選りすぐりの秀才たちが集まる比叡山において、「智恵第一の法然房」と呼ばれるほどの秀才ぶりで、いわば日本一頭の良かった人です。その方が、「自分の心には信心がない」と言い切っていかれます。頭脳も生き方もこれ以上ないと称される法然聖人が放つ言葉は計り知れない力があります。「まことの心」は我が胸の内にはなく、阿弥陀如来より賜るものであったと聞かされたのです。それまでひたむきに仏の道を追い求めた親鸞聖人にとっては、どれほど衝撃的な言葉だったのでしょうか。二十九才にして、大きな人生の分岐点でした。

身寄りのない人や貧しい子供たちに生涯を捧げたマザーテレサはこんな言葉を残しています。

私の心には信仰がありません。愛も信頼もありません。あまりにもひどい苦痛があるだけです。私はもうこれ以上、祈ることはできません。あなたと私を結びつける祈りは、もはや存在しません。私はもう祈りません。私の魂はあなたと一つではありません。

懺悔の文より抜粋

親鸞聖人も我が心に厳しい眼差しを持ち続け、それは同時に仏様とお会いしている証しです。

雪山俊隆(寺報185号より)
> 住職コラム
> 寺報PDF

花まつりマルシェ2023

今年の花まつりマルシェは4月23日(日)に開催します!
お釈迦さまの誕生をご縁に、境内いっぱいに飾り付けられたチューリップの中で、魅力的なお店が並びます。本堂では、赤ちゃんの誕生を祝う「初参式(しょさんしき)」と子供の成長を祝う「七五三」が行われます。どなたもご参加心りお待ちしております。

花まつりの流れ

前日22日(土)
9:00~15:00 花つみ&花かざり
当日23日(日)
10:00 初参式、七五三
10:40 マルシェスタート
11:30 ライブ&パフォーマンス
15:00 お花シャワー、終了予定

出店紹介

cafeMOCO(ドリンク)
愛媛出身の店長が提供する愛媛100年伝統みかんジュースと、スペシャルティコーヒー豆を使用したコーヒーを販売します。今年初参加です♪
Ume Kitchen(パン)
今年オープンしたほやほやのドッグパン屋さんがキッチンカーで参加してくれます。ソーセージやベーコン、いちごやあんこまで、いろんなメニューがあります。
ココマカロン(マカロン)
魚津のオーダーメイドのマカロン専門店。今年初参加です♪
TAKOZAKI(たこ焼き)
移動販売車のたこ焼き屋さんです。昨年急きょ参加が決まり子供たちにも大人気♪今年も参加してくれることになりました。
源七(もちもなか)
郷土料理「芋かいもち」を現代の暮らしに合わせて再編集した「もちもなか専門店」。富山市総曲輪BASEにお店があります。愛嬌のいい店長さんが今年も参加してくれます♪
チリングスタイル(雑貨)
「和の生活に北欧のデザイン性をプラスする」富山市民プラザにお店があります。さわやか&ゆるやかな店長が今年も遊びに来てくれます♪
ミユク(菓子類)
名水の里、黒部の地場産フルーツや地粉など使用して作った体に心に優しいケーキやお菓子を販売するお店。花まつりマルシェではもはや定番です!焼き菓子を中心に販売してくれます♪
chienowa(雑貨)
北海道産の天然のどんぐりで作った雑貨を中心に出店します。昨年手をあげてくださって、今年2回目の参加です。
キッチンカーリーフ(フード&ドリンク)
急きょ参加が決定しました。アイスクリーム、クリームソーダ、 コーヒーゼリー、 ポテト&チキンなどを提供してくれます♪

ライブ&パフォーマンス

状況劇団パッチ
歌と美術のお遊戯会”をテーマにしたオトナコドモの世界。パペットやてあそび、大胆な美術と衣装を身に纏い、歌謡曲や唱歌を歌うユニット。

美術・・・みづき
うた・・・さお
鍵盤・・・のっち

初参式(しょさんしき)
~赤ちゃんの誕生を仏前に祝う儀礼~
新たな命の誕生をよろこび、初めて仏さまにごあいさつをさせていただく大切な儀礼です。一生の記念にどうぞご参加ください。
時間:10:00(受付9:30)
対象:生後100日~2才頃まで
参加費:3,000円
申込み締切り:4/16

七五三
~こどもの成長を仏前に祝う儀礼~
新たな命の誕生をよろこび、初めて仏さまにごあいさつをさせていただく大切な儀礼です。一生の記念にどうぞご参加ください。
時間:10:00(受付9:30)
対象:3才、5才、7才
参加費:3,000円
申込み締切り:4/16

【注意事項】
・駐車は「うらやま交流センター」へお停め下さい。

ほっこり法座(4~5月)

ココロとカラダのデトックス。春のほっこり法座の予定です。
初めての方も大歓迎。どなたも心よりお待ちしております。

参加費:1,500円(昼食代込み)
持ちもの:じゅず/服装:自由

写経の日
4月1日(土)11:00~12:00
講師:雪山俊隆(善巧寺)

写経を行います。お手本になぞって、尊い言葉をただひたすら書いてもらいます。冒頭と終わりにお経の概要を解説します。心静かな時間をお過ごしください。

お念仏の生活とは
4月16日(日)11:00~12:00
講師:平野明英(立山町・満法寺)

何を有難い、おかげさまと味わっているだろうか?また、生かされているよろこびとは何か?お念仏の生活を、いま一度問いたいものです。

火宅無常の世界
5月01日(月)11:00~12:00
講師 飛鳥 寛静(高岡市・善興寺)

確かなものと信じていたことが、もろくも崩れる時に不安が現れてきます。不安が蔓延しつつある今、何をたよりに生きていけばよいのでしょうか。

>> 善興寺ホームページ

阿弥陀さまの光りに導かれて
5月16日(火)11:00~12:00
菅原智之(千葉県松戸市・高林寺)

「科学文明さえあれば、宗教など無くても生きて行ける」という風潮の現代社会。本当にそうなのでしょうか?心のよりどころとは何かをご一緒に考えてみましょう。

>> 高林寺ホームページ

新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)制定の経緯

浄土真宗本願寺派では、2023年1月16日に本願寺のご門主(代表者)より、「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」が発表されました。時代に合った言葉で表現したとされる内容で唱和を推奨する新しい言葉です。

これに対して、①この文章が制作された経緯の不透明さ ②ネーミングの問題 ③内容の問題 ④唱和を推奨することについてなど、本願寺派僧侶を中心にさまざま疑問の声があがり議論が交わされています。

不安定な状態で門徒さんやご縁のある方たちに伝えるつもりはなかったのですが、事態が収まらないまま、2023年3月29日からはじまる慶讃法要に際して新しい領解文の拝読、唱和を遂行することになったため、浄土真宗本願寺派にご縁のある方はどなたも無関係ではなくなりましたので、事の経緯に重点を置いて情報共有します。

<語句説明>
領解文(りょうげもん)
浄土真宗の教えの受け取り方(領解)を端的にあらわした文章です。本願寺8代の蓮如上人は事あるごとに、「ものを申せ」と口に出して気持ちをあらわすことを勧められました。教えをどのように受け取っているかを告白し、それに対して蓮如上人がご助言(改悔批判)したことが元になり、現在も本願寺ではその形式が残っています。
> 従来の「領解文」本文
> 新しい「領解文」本文

ご門主(もんしゅ)
本願寺の代表者。ご門主のお言葉として、法話を「ご親教(しんきょう)」といい、教団として重要な意志表明をあらわすお手紙を「ご消息(しょうそく)」といいます。ご消息は重みが増すので、勧学寮の諮問が必要条件です。

勧学寮(かんがくりょう)
ご門主の諮問機関であり教学的問題に対して答える役割を担う。勧学は学階の最高位を持つ人たちで、尊敬の意を込めて「和上(わじょう)」と呼んでいます。

宗会議員
各教区の選挙によって選出された議員。その中で内閣的な役割を果たす「総局(そうきょく)」が設置され、その代表が「総長」。総理大臣のような感じです。この人たちが集まって行われる議会を「宗会」といい、日本の国会より先に始まった議会制度といわれます。今回の一連のことは、この中の「総局」が指揮をとって進めている事業です。

>> 組織相関図の詳細はこちら

制定の経緯
現代版の領解文と御文章の制作は、2005年にはじまりました。その成果として、2009年に発刊された「拝読 浄土真宗のみ教え」に収録された「浄土真宗の救いのよろこび」が領解文の伝統と精神を受け継いだものとされています。ここでいったんこの企画は終了するわけですが、2014年に即如門主から専如門主へ、総長は石上智康氏、勧学寮頭は徳永一徳氏の体制になり、2015年に現代版の領解文制定が再び事業にあがりました。そして、それまでの「浄土真宗の救いのよろこび」は2019年に人知れず削除されました。

2023年2月号「宗報」での新しい領解文制定の経緯説明には、「浄土真宗の救いのよろこび」に関しては一切触れず、当時の現代版領解文の制作は検討中なままとして記されています。また、この経緯説明では、2005年から長く検討を重ねてきたかのように記されていますが、実際は、2009年でいったん打ち切り、2015年に再び事業に入ったものの、現代版の領解文は2022年の段階でも「制作の議論が行き詰まっている」と当時の総合研究所所長が答えています。つまり、検討自体は断続的にされてきましたが、制作に研鑽を重ねているわけではなく、2022年の段階でも何も決まっていないということでした。

「浄土真宗の救いのよろこび」は、普及も反応も理想通りではなかったのかもしれないけど、しらっと消しちゃったのはとても印象が悪いです。それならば、親鸞聖人もひとつの書に生涯をかけて加筆と修正を繰り返したように、納得できるまで徹底的にブラッシュアップして完成に近づけていってほしかったです。

その後、突如2022年4月1日に「現代版領解文制定方法検討委員会設置規程」が施行されます。名前のとおり、現代版領解文を制作するのではなく、制定方法を検討する会なので、すでに制作自体は視野に入っていないことが伺えます。9月から11月にかけて5回の委員会が開催され、「ご門主様にご制定いただくよりほかはない」という結論を出しました。あたかも初めから決められていたような結論です。

この時、制定方法検討委員会からはこのような意見を残しています。

●従来の領解文との混乱を避けるために新たな名称を検討するべき
●従来の領解文の精神を受け継いで簡潔に表すことは非常に困難ではないか

しかし、その意見は反映されることなく進んでいきます。その後、ご門主からの消息原文を勧学寮が確認するわけですが、提出された言葉は、2021年のご親教「浄土真宗のみ教え」に4行付け足したものでした。検討委員会の意見を取り入れる間もなく、返答を急いだ結果、後に解説文を書くことで理解を図るとした上で同意したとされます。

2023年1月16日、新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)が発布されます。
多くの疑問を残したままの発布となりました。段取り的には、制定方法委員会を設置し、委員会の答申を受けてご門主の言葉をいただき、勧学寮が同意をしたとなっていますが、あまりにも短い突貫工事のような進め方で、いずれも納得できるものではありません。

領解文がそのままでは伝わりにくいから、現代の言葉に置き換えて制作するという試みには賛同します。ただ、今回は出来上がった文章も、その背景や経緯も、そして唱和を推奨(強要)するという手法にも賛同できません。残念です。

●3期に別けて記しました。
・2005~2009年、現代版領解文の始まりと制定に至る第1期
・2015~2021年、再始動から準備期間として第2期
・2022~2023年、制定までの怒涛の期間として第3期
●色分けについて
・赤色・・・現代版の領解文として制定された「浄土真宗の救いのよろこび」に関して。
・青色・・・新領解文の中にある「愚身(み)」という言葉について、その特徴的な読み方が新領解文が制定される前に見られる箇所を記しました。石上智康総長の言葉が色濃く反映されていることを示しています。これに関して宗会において総局は「ご門主さまと宗派総長の考えが似通うことは当然」と答弁しています。
●追加情報
2018年に真宗教団連合(当時の理事長は石上氏)が行った実態把握調査に、真宗10派の企画ながらオリジナル設問として「浄土真宗の救いのよろこび」が調査され、7ページにわたって取り上げられています。
>> 実態把握調査(真宗教団連合)
その翌年に「浄土真宗の救いのよろこび」が削除されました。削除の理由のひとつにこの実態把握調査があったと確認していますので追記しました。

新しい領解文に先だって、2018年のご親教「私たちのちかい」でも唱和が推奨されました。本願寺派関連の施設では朝礼などで唱和されるようになり、全国各地にある浄土真宗本願寺派の系列学校(龍谷大学、武蔵野大学、相愛大学など)でも唱和されています。関連施設にとっては推奨といってもほぼ強制です。ご門主の法話の内容をこのように勧めていくこと自体、問題があると思います。

> 私たちのちかいに寄せて

請願書について
2023年2月下旬から3月上旬までに行われた本願寺派の議会「宗会」において、「唱和推進について慎重性を求める」請願書を提出しました。請願書の提出は、とてもハードルが高く、本願寺の施設等で働く宗務員をはじめ、各地域の組長や副組長などにも請願を出す資格がありません。それらに該当しない者が請願書を出す権利があり、その上で、紹介議員10名以上の署名が必要でした。請願書を提出するにあたってはチームで動いていたため、唱和に反対している議員の協力を得られましたが、個人で物申したいと思っていても届かないルールでした。

また、紹介議員を集めるにあたり、初めて会派という存在を知りました。本願寺派の議員は現在4つの会派に別れており、今回賛同してくださった会派は1つだけです。それ以外の会派の方は、個人の想いとしては賛同してくれても、署名の段階になると参加出来ないという人が何人もあらわれました。驚いたのは、ひとりの方は会派を退会して署名してくださったのです。また、採決の場で退席することによって意思を表明する方もおられました。それほどに会派のしばりが強く、総局側にノーを言えない体制になっていることに落胆しました。

そして、最後は宗会議長に請願書を受理されるかどうかという難関です。そもそも、ご門主に批判的な内容は受理されず、それ以外でもいろんな理由をつけて取り下げようとする対応に思えました。今回は、とにかく受理されることを第一にした結果、「唱和推進について慎重性を求める」というマイルドな内容になった次第です。

それだけの関門をくぐり抜けて提出した請願書も、当初チームメンバーに聞かされていた通り、賛同者は20%ほどの惨敗で否決になりました。この結果は、総局に圧倒的な政治力があることや、間近に迫った慶讃法要に向けて事業案はすでに進んでいることなどがあげられますが、特に象徴的だったのは宗会において公文名眞議員の発言(中外日報2023.3.8号掲載)でした。

唱和・普及を懸念する内容の請願書が採択されれば、結果的に宗務の基本方針が否定されることになり混乱を招きかねない。

新しい領解文の問題を議論する以前に、大人の事情が立ちふさがっていました。おそらく請願書に反対した議員の多くは同様の考えなのではないかと思われます。はたして、これで事態はまるく収まるのでしょうか。信仰に関わる問題を置き去りにしたことは、何よりも大きな遺恨を残したと思います。

それ以降、全国各地の僧侶をはじめ、勧学の方からも異議の声が高まっています。Facebookグループ「新しい領解文を考える会」の参加者も、宗会前は300人ほどでしたが、宗会後に急増して現在(2023年3月)800人を超え、不安、批判、落胆の声で溢れています。このような状態のまま、3月29日からはじまる親鸞聖人のご誕生850年、浄土真宗が開かれて800年の慶讃法要が行われることに、とても不安を感じています。

「納得出来ないなら読まきゃいいだけ。静かにしておけばそのうち忘れられる」という意見もあります。しかし、ご覧のように今回の推し進め方はこれまでのものとは違い、「2023年度宗務の基本方針」の支柱に定め、2026年までに全寺院100%唱和を掲げるという驚愕の目標を立てていますので、慶讃法要や関連施設での行事をはじめ、関係者にとっては避けがたい状況です。必然的に門信徒の浄財もすでに流れています。

理解を深めるためのパンフレット

続報

2023年3月26日 浄土真宗本願寺派勧学・司教有志の会(18名)より声明発表
>> 勧学・司教有志の会Facebookページ
※「勧学(かんがく)」とは本願寺派最高位の学者をといい、そのひとつ前の学位を「司教(しきょう)」といいます。いわば本願寺の頭脳であり支柱です。

宗意安心の上で重大な誤解を生ずる危惧を抱かざるをえない
「宗祖親鸞聖人のご法義に照らして、速やかに取り下げるべきである」

京都新聞3/27朝刊

アンケート集計結果

関連動画

深く知る


<関連リンク>

新しい領解文を考えるページ(Facebook)
新しい領解文へのTwitterの反応
私たちのちかいに寄せて(ZengyouNet内)
超訳領解文(ZengyouNet内)

ご冥福

亡くなった方に対する「ご冥福をお祈りします」という慣用句は、浄土真宗においてたびたび問題にしてきました。なにが問題かと言うと、「冥」の字には、暗黒や暗闇というマイナスの意味があるからです。亡くなった方は暗い場所にいるのではないので、死後の幸福を祈る必要はないというのが浄土真宗の立場です。ただし、「冥」の字にはプラスの意味もあります。蓮如上人が「冥加」や「冥慮」という言葉を使う時には、「目に見えぬ大きな働き」をあらわし、諸仏や菩薩、阿弥陀如来の力をさします。

詰まるところ、「冥」の字には使い方によってどちらの意味もあるため、言葉だけを置き換えたとしてもあまり意味がありません。昨年は先代隆弘の三十三回忌でした。改めて三十二年前の葬儀の挨拶を振り返ります。

父は最後に「やりたいことは全てやった。人生五十年思い残すことはない。いい人生だった」と言っていました。くやしいし哀しいけれど、あれだけ満足してお浄土に行き、八月に亡くなられたお父さんとも再会して、最高の笑顔で私達を見守ってくれていると思えば、何も言うことはありません。私達もこういう世界を支えに、短くはかない人生だけれど、精一杯生きて、今度お浄土で父に逢う時には、父の大好きだった言葉で、「逢えてよかったね」と言ってもらえるような素晴らしい人生をつくっていきましょう。

故人に対しては、あまり慣用句に頼らず、自分の言葉で伝えることが何より大切だと思います。

雪山俊隆(寺報184号より)
> 住職コラム
> 寺報PDF

親鸞聖人像マップ

日本一たくさんある銅像はどなたでしょうか?
銅像データベースサイトでは、二宮金次郎、空海上人、日蓮上人の3名が推測1000体以上と記されていますが、おそらく親鸞聖人はそれを上回ると思います。善巧寺の界隈のグループでは12ヶ寺中、3ヶ寺に親鸞聖人像がありました。全国に浄土真宗寺院は2万ヶ寺ほどあるので、その1割だとしたら2000体です。もし2~3割あるとしたら4000~6000体になります。浄土真宗系の学校や保育園にも見られますし、道路沿いや田畑にある場合もあります。

あまりにも当たり前のようにあるため声高に叫ばれることはありませんが、その影響力の一端を伝えるために親鸞聖人像をまとめることにしました。2023年は親鸞聖人の生誕850年になります。

傘をかぶり杖を持った旅姿がスタンダードですが、全国には特徴的な像もいろいろありますので、特に気になる5体をピックアップします。

海を渡った被爆親鸞聖人像
アメリカのニューヨーク仏教会に設置されている親鸞聖人像です。こちらは、広島で被爆した像を移設したものです。

詳しくはこちらをご覧ください。
>> 海を渡った被曝親鸞聖人像(よみタイム)

一木造りの親鸞聖人木像
落雷被害を受けたモミの木を活かしてチェーンソー作家が手掛けた像が岩手県住田町の浄福寺にあります。完成から5年後には劣化を防ぐために液体ガラスのコーティングがされました。

関連サイト
>> 東海新報

40メートルの巨大親鸞聖人像
大きい!ひたすら大きい!新潟県胎内市の海沿いにあります。

住所:新潟県胎内市中村浜2-29

幼少の親鸞聖人像
親鸞聖人が9才で出家得度した京都の青蓮院にある童形像。親鸞聖人の足跡を辿る時には欠かせない場所です。

>> 青蓮院

親鸞聖人ファミリー像
茨城県水戸市・信願寺のファミリー像。親鸞聖人が新潟から関東へ向かった時の様子が伺えます。

住所:茨城県水戸市緑町1-2-1


親鸞聖人像マップでは全国各地にある像を集めています。情報をお持ちの方はマップに掲載されていないかを確認の後、登録フォームよりお送りください。
>> 親鸞聖人像登録フォーム

親鸞聖人像特設サイト

ご冥福をお祈りします

亡くなった方に対する「ご冥福をお祈りします」という慣用句は、浄土真宗においてたびたび問題にしてきました。何が問題なのか、冥福とはなにか、「冥」という字にはどんな意味があるのか。これまではネガティブな意味だけを強調されてきましたが、ポジティブな意味もあります。

まずは文字の意味から。


①死者の面を覆う面衣
②くらい、ふかい、おくぶかい、めにみえぬ
③とおい、はるか、かくれる、しずか、だまる、たちこめる、よる
④おろか、まよう
⑤めがくらむ、めくるめく

字通/白川静

文字の象形からくる意味は「①死者の面を覆う面衣」です。他にポジティブな意味としては「ふかい、おくぶかい」という意味があり、ネガティブな意味では「くらい、おろか、まよう」とありました。使う場面によって両方の意味が見られます。

次に一般的な意味として広辞苑を見てみましょう。


目には見えない神仏の働き

冥福
①死後の幸福
②人の死後の幸福を祈るために仏事を修すること

広辞苑

「目には見えない神仏の働き」というのは、だいぶポジティブな意味合いとして見受けられます。そして「冥福」は、「死後の幸福」ということなので、亡くなった人の幸福を願う言葉となっています。

では、仏教辞典ではどうでしょうか。


①闇黒。くらやみ。無知にたとえることから、無知と同義語として用いられる。仏はこの闇黒なる無知を滅したものとされる。
②冥合。ぴったり合う。一致する。
③冥々のうちにまします神仏。

仏教語大辞典

冥福
冥界(死後の世界)における幸福。また、死者の冥界での幸福を祈って仏事をいとなむこと。「魏書」崔挺伝に「八関斎を起し、冥福を追奉す」と見える。また、冥々のうちに形成される幸福の意で、前世からの因縁による幸福、かくれた善行によって与えられる幸福をいう。「毎(つね)に国家のために、先づ冥福を巡らす)

岩波仏教辞典

「冥界」=「死後の世界」と位置づけられ、その幸福を祈る意味なので、広辞苑とほぼ同じ説明です。続けて、中国の魏書にこの言葉が見られることが紹介されています。一説には冥福という言葉は、仏教から生まれた言葉ではなく、中国から伝わり様々な文化が入り交じっているとも言われます。

では、お経にはどのように使われているのか、浄土真宗の聖典から「冥」の字を含む箇所を抜き出してみました。

ポジティブな表現
・冥に加して、願わくは摂受したまえ(帰三宝偈)
・冥衆護持の益(教行信証 信巻)
・冥衆の照覧をあおぎて(口伝鈔)
・諸天の冥慮をはばからざるにや(口伝鈔)
・冥衆の照覧に違し(改邪鈔)
・祖師の冥慮にあいかなわんや(改邪鈔)
・三世諸仏の冥応にそむき(改邪鈔)
・冥加なきくわだてのこと(改邪鈔)
・冥眦をめぐらし給うべからず(本願寺聖人伝絵)
・聖人の弘通、冥意に叶うが致す所なり(嘆徳文)
・真実に冥慮にもあいかない(御文章)
・冥加の方をふかく存ずべき(蓮如上人御一代記聞書)
・冥慮をおそれず(蓮如上人御一代記聞書)
・冥見をおそろしく存ずべきことなり(蓮如上人御一代記聞書)

ネガティブ表現
・三垢の冥(無量寿経)
・窈窈冥冥(無量寿経)
・矇冥抵突して経法を信ぜず(無量寿経)
・悪気窈冥して(無量寿経)
・幽冥に入りて(無量寿経)
・苦より苦に入り冥より冥に入る(無量寿経)
・世の痴闇冥を除く(無量寿経優婆提舎願生偈)
・除世痴闇冥(無量寿経優婆提舎願生偈)
・無数天下の幽冥の処を炎照するに(教行信証 真仏土巻)
・世の盲冥を照らす(教行信証 真仏土巻)
・このさかい闇冥たり(執持鈔)
・闇冥の悲歎(口伝鈔)
・五道の冥官みなともに(浄土和讃)
・よろずの神祇・冥道をあなずりすてたてまつる(親鸞聖人御消息集広本)
・閻魔王界の神祇冥道の罸(親鸞聖人血脈文集)

ポジティブな表現としては、「冥加」「冥慮」「冥見」などが見られ、特に浄土真宗において絶大な影響力をもつ蓮如上人に多く見られます。ここでは、「冥」を目に見えぬ働きの意味で使われ、諸仏や菩薩、阿弥陀如来の力をあらわす言葉として使用されています。一方で、ネガティブな表現は、「闇冥」「盲冥」など、「くらい」「まよい」の意味を含み、苦しみの世界(地獄、餓鬼、畜生)をあらわす場合があります。

浄土真宗においては、「念仏者はいのち尽きた時に阿弥陀如来の極楽浄土に生まれる」と説かれるため、「死後の幸福」を祈る必要はないと考えられています。だから、「ご冥福をお祈りする」という言葉を使用せずに「哀悼の意を表します」と置き換えることが推奨され、門徒さんたちや葬儀社にもそのように説明してきた歴史があります。結果、現在では、浄土真宗のみこの表現は使わないことを注意書きしている葬儀社が多く見られます。
※「祈る」という言葉にも反応する浄土真宗ですが今回は省きます。

私も知らない間にそれが当たり前だと思っていました。そして、「冥」という字のネガティブな意味を強調して教わってきたため、それを知らない方たちには伝えていく必要があると考えていました。亡くなった人は暗いとこにいってないよ!と正義感にかられて説明してきました。しかし、それは浄土真宗の中だけの話でした。一般的には常識的な言葉として使用され、天皇陛下や総理大臣も「ご冥福をお祈りします」という言葉で弔意をあらわしています。

何よりも、故人を想って弔意をあらわしている方に、表面的な言葉のダメ出しをすることは、それこそ失礼なことでしょう。相談されればこちらの考え方を伝えますが、その場合も、「冥」にはポジティブな意味もネガティブな意味もどちらも含まれた言葉で、仏さまのご加護をあらわす言葉としても受け取れることを踏まえていきたいです。その上で、浄土真宗の信仰を大事にされている方は、言葉を置き換えるだけでなく、故人に対して、心からの想いを自分の言葉で伝えることが何より大切でしょう。

最後に、私個人の受け取り方として、過去の喪主挨拶を掘り起こして添えておきます。今年、父の33回忌、祖父の27回忌、祖母の17回忌をつとめました。

父の葬儀より
父は最後に「やりたいことは全てやった。人生50年思い残すことはない。いい人生だった」と言っていました。くやしいし、哀しいけれど、あれだけ満足してお浄土に行き、8月に亡くなられたお父さんとも再会して、最高の笑顔で私達を見守ってくれていると思えば、何も言うことはありません。私達もこういう世界を支えに、短くはかない人生だけれど、精一杯生きて、今度お浄土で父に逢う時には、父の大好きだった言葉で、「逢えてよかったね」と言ってもらえるような素晴らしい人生をつくっていきましょう。
(平成2年9月21日 喪主挨拶)

祖父の葬儀より
思い返して見ると、入院までの祖父は、僧侶というより文学者としてのイメージがありました。そんな祖父が、入院してからはたびたび口から念仏がこぼれ、ある時は、蓮如上人や親鸞聖人の夢を見たと話してくれました。そういう夢を一度も見たことがない僕は、とてもうらやましく思い、同時にうれしくも思いました。

人間は人が亡くなった時、その人と関係が深ければ深いほど悲しみも深く、浅ければ浅いほど悲しみも少ない。そういう眼しか持ち合わせていない僕が、死ということを、生きるということを考えさせてもらえるのは、やはり、自分と関係の深い人の死に会う時かもしれません。しかし僕は、祖父の死を目の当たりにした時、自分には感情というものがないのか、とさえ思いました。身近なものの死にあいながら、自分も死ぬということを頭ではわかっていても、実感できないでいる。しかも、そういう中での悲しみさえ、時間とともに忘れてゆくのです。そんな僕も、葬儀までの間に、いろいろと考えさせられ、「いのち」を見つめることができました。

利井明弘先生がお通夜の法話の中でこういうことを言われていました。

「今、こうやって私達は本堂に座っておりますが、これを自分の力で座っておると思ったら大間違いや。私達は、目には見えない、言葉では言いあらわすことができない、大きなご恩の中で生かされておる。皆さん、それをよう味わってください」

流されている生活からは決して気付くことが出来ないことを、祖父のおかげで、今気付かせてもらっています。祖父と深く話すことが出来なかったことは悔やまれますが、今、家族と心から話し通じ合えることをうれしく思っています。念仏が口からこぼれながら死んでいった祖父をもてて、僕は幸せものです。
(平成8年寺報81号)

2,600年前のインド(観経の背景)

ブッダ(お釈迦さま)の誕生時のお名前は「ゴータマ・シッダールタ」といいます。

当時のインドは16大国に区分され、「マガダ国」と「コーサラ国」が特に大きな勢力を持っていました。シッダールタの育った「シャーキヤ族」は16大国には含まれず、小国として存在していました。そのため、近くの大国「コーサラ国」と同盟を組んでいました。

①シッダールタの母「マーヤー」はコーサラ国からシャーキヤ族へ嫁ぎ、後にシッダールタの妻となる「ヤショーダラ―」もコーサラ国の出身です。国同士の関係性を深める意図がうかがえます。

②マーヤーはシッダルタの出産後間もなく亡くなったため、妹のマハープラジャパティ―が次の妃となりシッダールタを育てました。

③シッダールタは、父シュッドーダナ王に従いヤショーダラ―と結婚し、息子ラーフラが生まれますが、間もなくして出家しました。最初に向かった地は、インドのあらゆる文化が集まるマガダ国でした。

④シッダールタは後に悟りを得てブッダとなります。その頃、マガダ国のビンビサーラとイダイケは、ブッダの教えに帰依し世界最古のお寺といわれる「竹林精舎」を寄進します。

シッダールタの従兄弟「ダイバダッタ」は出家してブッダの元で修行し、いつしかブッダ亡き後は自分が教団のリーダーとなっていくと自負しますが、それを断れたことを契機に、ブッダを恨むようになります。

⑤ダイバダッタのブッダに対する怨みは深く、2度殺害未遂を起こします。その後もあきらめず、次に、ブッダの絶大な支援者、マガダ国のビンビサーラ王へ怒りの矛先が向きます。王家では息子のアジャセにトラブルが絶えなかったため、そこに目をつけてアジャセに近づいていきました。

【アジャセ出生の秘密】
ビンビサーラとイダイケには子どもが授からず、悩んだイダイケは占い師を呼び相談します。3年後に仙人の生まれ変わりとして子供を授かると聞かされ、ビンビサーラに伝えたところ、3年は待てないと仙人の元へ行きます。仙人には事情を話し国のために自害することを命じますが、断れた結果、仙人を殺害しました。仙人は「生まれ変わってお前たちを怨み、殺す」と言い残しました。

間もなくしてイダイケは子供を授かりました。しかし、人ひとりを殺して宿った子に不安をもち、また占い師に相談します。その子はいつかビンビサーラ王を殺すだろうと聞き、イダイケの不安は膨らんでいきました。相談した結果、子供を高いところから産み落とし死なせることにしました。子供は小指にケガをしただけで命は助かりました。子供の泣き声を聞きイダイケは我に返り育てることにしました。

※この物語には諸説あり、もう一説には、ビンビサーラ王がシカ狩りに行った時、シカが全くいないのはそこにいた仙人のせいだと言いがかりをつけ仙人を殺害。仙人は死に際に「生まれ変わってあなたを怨んで殺す」と言い残したという話も残っています。

⑥アジャセはダイバダッタと親交を深め、ある時、【出生の秘密】を聞かされます。それを聞いて激怒したアジャセは、父のビンビサーラを牢獄に閉じ込め餓死させ、母イダイケも牢獄に幽閉しました。苦しみのどん底にいたイダイケはブッダに教えを請います。そこで説かれた教えが仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)です。悩み、怨み、怒りの中でしか生きられない者の救いが説かれています。

※相関図の中では、アーナンダが多聞第一、息子のラーフラが密行第一と言われ、釈迦10大弟子の中に含まれています。ダイバダッタにとって、弟のアーナンダがブッダの側近としてつねに一緒にいたことは、怨みを膨らませる一因になっていたのかもしれません。

※シッダールタの一族は、そのほとんどが出家しています。ブッダの影響力の大きさを伺えると同時に、シャーキヤ族の存続にも多大な影響があったのではないかと思われます。

※ブッダの晩年、シャーキヤ族はコーサラ国に滅ぼされます。そしてブッダ滅後、そのコーサラ国もマガダ国に併合されました。

※マガダ国のビンビサーラ(頻婆娑羅)、イダイケ(韋提希)、アジャセ(阿闍世)の3名は、この呼び名が普及しているため漢訳で記しています。

雅楽演奏会レポート

10月1日のほっこり法座特別編として「雅楽演奏会」が行われました。演奏者は富山妙響会のみなさんです。メンバーの中にはほっこり法座の講師として法話をしてくださった平野さんや村井さんもおられました。

開演はおつとめからスタートです。雅楽隊のみなさんにもご参加いただき、総勢14名での読経となりました。

演奏は、雅楽の定番「越殿楽(えてんらく)」からはじまり、現代曲の「赤とんぼ」や「遠き山に陽が落ちて」もありました。

曲の合間には、雅楽の概要や楽器の紹介を詳しくお話してくださいました。雅楽との距離が近づいたと思います。

善巧寺のランマに施されている迦陵頻伽(かりょうびんが)も紹介してくださいました。美しい声で鳴くことから雅楽の演奏をしている姿をしています。

最後は文字通りの曲「千秋楽(せんしゅうらく)」です。これで終わると思いきや、演奏後にアンコールの拍手がなり、もう一曲演奏していただきました。

終演後は、テイクアウトのカレー弁当を縁側や本堂で食べていかれる方もありました。妙響会のみなさま、ご参加のみなさま、ありがとうございました。

出演:富山妙響会
法要:善巧寺、照行寺、法輪寺、富山妙響会
協力:有馬啓、太田智紀、ごっちゃん、あやめ、せいわ
撮影:朝倉ゆかり
主催:善巧寺