法話」カテゴリーアーカイブ

ほっこり法座Q&A

5月16日に行われた「ほっこり法座」のアンケートの中でいくつかご質問をいただきました。日下賢裕先生より丁寧なお返事を送ってもらいましたので、許可をいただき一部ここに共有します。



お寺の行事で朝事(あさじ)とありますが、これも仏教語ですか?

朝のお勤め(お参り)をお朝事と呼びますね。仏教語、というわけではありませんが、私たちもそのように呼ばせていただいております。正式には、晨朝勤行(じんじょう ごんぎょう)といいます。かつては一日を6つに分けて、一日六回のお勤めを行っていました。今で言う朝の時間が晨朝と呼ばれたので、晨朝勤行と呼ばれています。



ナモアミダブツと称える時、なぜ「ツ」はハッキリ言わないんですか?

「ツ」は唾が出やすい言葉で、仏さまの前では失礼にあたるということから、ハッキリ発音しないと聞いたことがあります。古来より、お経の正式な読み方には、口からではなく鼻から息を抜いて発音する「鼻音(びおん)」と呼ばれる唱法があります。



善人と悪人とは同時にあるものでしょうか?

一般論で言いますと、私達には善と悪の両面があるのだと思います。
仏教的に考えますと、善人とは悪を為さない人と言えますから、同時には存在しません。また仏教で言う悪というのも、犯罪を犯すようなことではなく、例えば嘘をついたり、綺語(お世辞を言う)、悪口(汚い言葉を使う)なども悪い行いとなります。行動に移さなくても、人を傷つけようと心に思うことも、悪い行いです。ですから、仏教で言う悪を為さない、ということは実はとてもむずかしいことです。

とは言え、悪を為す人であっても、善い行いもできるはずなのですが、清らかな水に一滴でも毒が混じればそれは毒水となってしまうのと同じように、私たちの行いは、毒が混じった雑毒の善、と呼ばれたりもします。完全なる善を為す、というのは、実はとてもむずかしいことと言えるかもしれません。

また「歎異抄」で言うところの善人・悪人は少し意味合いが異なっておりまして、善人とは、自分の行いを振り返らず自分を善人だと思い、自分の力で仏となれると思っている人、悪人は、自分の行いを振り返って、自分の悪を見つめ、自分では仏となるなど到底できない、阿弥陀仏の力によるしかないとする人、という理解です。ですので、こちらも善人から悪人に、ということはあっても、同時に、ということはないかと思います。



真実に目覚めることができるでしょうか?

真実に目覚める。言葉で言ってしまいますととても簡単なようですが、なかなか難しいことです。知識として知ることはできるかもしれませんが、それを「我が事」として行いにまで反映されるということが、特に私たちには難しいのです。例えば、怒ることは煩悩による誤った行為である、という教えを聞いても、実際に怒らないようにできるわけではありません。目覚めるということは、頭で理解することではなくて、行いにまでしっかりと結び付けて、100%徹底できる、ということです。

その難しさに気づかれたのが、法然聖人であったり親鸞聖人でした。そんな私が、目覚めていけるのか?ということに悩まれて、そう徹底できない自分のために、すでに目覚められた阿弥陀仏という仏さまが、私を目覚めたいのちとして迎えとりますよ、とはたらいてくださっている。その阿弥陀仏という仏さまのはたらきに出会われて、私たちのところに今ありますのが、浄土真宗という教えになります。ですから、自分の力では目覚めることができなくても、目覚めたいのちとならせていただける教えというのが、浄土真宗ということになります。

いのちを考える/梯實圓

このテキストは、昭和62年に行われた「行信教校OB会並びに黒西組内研修会」での梯實圓和上の記念講演を抜粋したもので、善巧寺の寺報46号(昭和63年)に掲載されました。

いのちというものを考えてゆきますときに、まず、私は「生命」と漢字で書く場合と「いのち」とかなで書く場合と、ちょっと区別をしておきたいと思うのです。と申しますのは、この「生命」というものの一番小さな単位として考えられるのは、細胞でございましょう。もちろんさらに小さく分子、原子、素粒子・・・ということになるかもしれませんが、いわゆる生命現象としてみますと細胞ということになるでしょう。単細胞動物から多細胞で組織をつくり、それが機関というものをつくりあげ、それが系を、またそれの統合されたものとして「個体」というものが成立するわけです。ゾウリ虫からイヌ、ネコ、人間にいたるまで、こうした細胞のあつまりが分裂し、そして死骸を残して終わってゆきます。

これもまあ生命現象といえばいえるのですが、どうも私たちが、「いのち」という場合は、もう少し違った感じじゃないかと思うんです。例えばね、私がふと、目の前に、木から落ちて死んでいるセミの死骸を見ても、あまり心が動きません。「あ、セミが死んでいるな」というぐらいです。けれども、それが自分の子供だったらどうか-「あ、子供が死にかかっている・・・」なんて気安いものじゃないでしょう。その時に、いのちが失われるという同じことでも、セミと自分の子供とは全然違うでしょう。まあ、そんなところを私は「生命」と「いのち」と区別しているんです。まあ、このように「いのち」というものは、平常はなんとも意識しませんが、失われかけたときものすごい実在感をもって、私たちにせまってくるんですね。

さて、そこで「いのち」というものを考えますときに、まず、なんといっても「かけがえがない」ということが挙げられるのではないですか。かけがえのなさというのが、いのちを特徴づける一つの性格でございましょう。そして、いのちというものは、常に「具体的」なものである、といえましょう。さらに、いのちというのは、「一回きり」であります。そうでしょう。この私という人間がもう一度、この世の中へ出て来ようと思ったら、宇宙の150億年の歴史をもう一度くり返さないと出て来ない、いや、それでも無理でしょう。そうしますと、私というものの存在は二度と再び出現しないという、一回きりのものだということ、わかるでしょう。だから、その一回きりであるからこそ、失われてゆくことに対する無限の哀惜というものがわいてくるわけなんです。そう、いのちを惜しむということは、一回きりで、かけがえのないということに対する、正確な対応の状況であろうと思うのでございます。

そこでまず、このいのちは「かけがえのないもの」であるということを考えてみたいのですが、むずかしいこと抜きにして、いのちの特徴として、代わりがきかないということなんです。私のいのちは、私以外に生きてくれる人はいません。ちょっと、今日は忙しいので、私の代わりに死んでくれ、なんてことはできないんです。私の死は、私以外に死にようがない、この一つだけでも私たち、はっきりしておいたほうがいいと思うんです。私以外に生きようのない私のいのちならば、私なりに納得のゆく生き方をしなかったら、いのちに対する責任が果たせないと違うか?このいのち私以外に死にようがないならば私の死は私らしく死んでゆこうという・・・そういう覚悟があってしかるべきじゃないかなと思います。かけがけのないいのち・・・言葉で言えばわかるんですが、普段、私たちは、かけがえのあるものばかり見ているのと違いますか?代わりのきくものばかりに目がいってしまっているんじゃないですか?

私、今日は講師としてここへまいりました。で、みなさんは講師の梯、というふうに見て下さる。しかし、この講師という方は、いくらでも代わりがあるんです。私が今ここで倒れても、あとはちゃんと誰かが代わって講義をしてくださるでしょう。けれども、この私、梯實圓には代わりはないんです。えらいややこしいこというようですけどね、これ一ぺん考えてみましょうや。

わかりやすくいいますとね。そうそう、私、前に、中曽根康弘さんにお会いしたことがあるんです。内閣総理大臣だったころ。いや、お会いしたといってもね、べつに訪ねていったわけでもないし、むこうが訪ねてきたわけでもない。駅でばったり出会ったんです。東京駅でした。築地本願寺から帰る時に、新幹線に乗ろうと思って駅へ入って行ったんです。そしたら駅員の方が、「ちょっと待って下さい」というんです。何かなと見たら、7人ほどそこへ止められている乗客がいる。そこへね、一分もたたぬうちに、ザッと一団の人がやって来た。見たら、真ん中に中曽根さん、で、向こうは知らんかも知れんが、こっちはよう知っとる。「ああ、中曽根さんか・・・」というわけで、見てましたら、まわりにボディーガードがついてましてね。背広の前をあけてね、あれピストル持ってるんでしょうな。横向きながら前へ歩いてゆくんです。それがタッタッターと、早いですな歩くのは。総理大臣にはなるもんやないね、ブラブラ歩けません。ゆっくり歩いてたらねらわれてあぶないんでしょうな。

それはさておき、その時、待たされているついでにふと思ったんですが、中曽根さん、内閣総理大臣・・・これはまあ行政府の長官ですからね。日本でも最重要なポストですわな。で、みんな、総理大臣というと、かけがえのないお方だと言っています。けど、よく考えてみると、総理大臣のかけがえなんか、なんぼでもおるのと違いますか。あんなの議事堂へ行ったら代わりたいのがクサるほどいますよ。だけどね、中曽根康弘という方の代わりはないわな。

私たちはね、社会的な地位とかね、そういうものだけで人間を見ているんじゃないですか。それであの人は尊い人やとか、つまらん人だとか、社会的な役割だけで、人を見て、それでなおかつ、人間を見た、いのちを見たと思っているんじゃないだろうか?自分にとって都合がいいかどうかで、かけがえのない人の「いのち」までも見てしまう。おそろしいことだけれど、こういうのが多いんじゃないですか。若い者が年寄を見て「役に立たんものはあっちへ行け」というような利用価値だけでものをいう。そして、お年寄りでもそうですね。

「私のように役に立たん人間になったら、もうどうしようもありません。生きてることがみんなの迷惑。早よう死んだほうがまし」

なんてこと、まあ、富山にはおられないでしょうが、あれ、あんまりいわんようにしましょう。役に立たんといって、自分で自分を見捨ててどうするの。これは、自分の「いのち」に対する、最大の冒とくですよ。これだけはやめましょう。何の役に立たなくても、そこに生きているということで、無限の意味と価値をもっている。それが「いのち」というものなんだと味わえる、そういった「目」をひらいてゆかねばならないと思うんです。そういった目をひらいて下さるのが、仏さまなんですよ。どうかみなさん、仏さまのおっしゃることをよく聞いて、人のいのち、自分のいのを、ただ利用価値で見るのではなく、かけがえのないすばらしいものなんだということに気付いていただきたいと思うのです。

善巧寺寺報46号掲載(昭和63年)
行信教校OB会並びに黒西組内研修会

七五三のススメ

昨年から花まつりの折に子供の成長を祝う「七五三」を始めました。お寺で七五三?と疑問を持たれる方もおられるので、その根拠となる天岸浄圓先生の文章を紹介します。

「七五三」については、昔、公家や武家では、いろいろな儀式が行われていたことが紹介されていますが、子どもの成長を全体的に考えますと、昔は数え年で三歳くらいで「おしめ」がとれたようです。そして数え五歳くらいになると、着物の仕立て方が変わるのです。これは、最近ではご存知ない方も多いでしょうが、着物を仕立てるときには、反物をどのように裁つかによって、三ッ身、四ッ身、本身などとわけるのです。(中略)ではなぜ、このような行事、風習が伝わったのでしょうか。昔は現在と違い、子どもの死亡率が大変高かったことと関わりがあるでしょう。だから、子どもの成長に合わせて、三ッ身の着物、四ッ身の着物というように、着物の仕立ての変わり目に、よくここまで大きく育ったと、内々でお祝いをしていたのです。そのお祝いごとを、明治の中頃くらいから、神社でするようになったようです。たぶん、呉服屋さんも子どもの晴着を売るために、積極的に協力されたのでしょう。それが今日の神社の「七五三」のはじまりです。だから、もともとは神社と深い関係があったわけではありませんし、古い伝統があるわけでもありません。お寺で祝ってはいけない理由はないのです。(中略)お祝いごとでお寺にこられるかたが少ない現状ですから、ぜひお勧めします。
(「浄土真宗の生き方」より抜粋)

どの花が好き?

文化庁と北陸三県が連携した「とやま工芸ツアー」の団体をお迎えした折に、天井画制作者の清河恵美さんへこんな質問がありました。

「どの花が一番好きですか?」

善巧寺の内陣天井画は、二十八種類の花木が描かれています。その中で、描かれたご本人はどの花が特に思い入れがあるのか知りたかったのでしょう。清河さんはこう答えられました。

どれが一番というのはありませんよ。どの花もそれぞれに素晴らしいです。

一枚一枚、精魂込めて描かれている清河さんだからこそ説得力のある言葉として響きます。そして、極楽浄土が説かれる阿弥陀経の有名な一説「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」を思い起こされます。青色の花は青のままに光輝き、黄色の花は黄色のままに光輝き、赤い花は赤いままに光輝き、白い花は白いままに光輝いている。どの花も優劣はなく、それぞれに光輝いているという仏さまの眼差しです。清河さんはさらに続けてこう言われました。

花はそもそも人のために咲いているんじゃないんです。虫のために咲いてるんですよ。

このお答えにさらに唸りました。道理にかなったお答えであると同時に、自分視点ではなく、花の視点で答えられたことにハッとさせられました。仏教でも仏さまの視点を知らされることによって、自分中心の私の姿が浮き彫りになってきますが、まさにそのような言葉として聞かせてもらいました。

雪山俊隆(寺報166号)

明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。

三重県のとある地方では、葬儀の折に「赤飯」と「唐辛子汁」をふるまうそうです。

喜びをあらわす「赤飯」は、悲しみのご縁の中にも、「めでたい」と言っていける世界があることをあらわします。故人はむなしく死んだのではなく、尊い仏さまとなって極楽浄土に生まれたんだと受け取ってきた浄土真宗ならではの風習です。

唐辛子汁は、あまりの辛さに涙が出ることから別名「涙汁」と言います。阿弥陀仏の教えにあって仏さまに生まれると受け取りつつも、別れのご縁はどこまでいっても悲しいものです。それを涙の出るほど辛い唐辛子汁であらわしています。人情味溢れる風習ですね。

生きることも、死ぬことにも意味を見出し、尊いことであると受け取っていく道が仏道です。そういう意味では、浄土真宗の教えに従えば、たとえ身内に葬儀があったとしても新年のご挨拶は差し支えありません。ただ、世の習いなので誤解を生まないように配慮は必要でしょう。

本年もどうぞよろしくお願い致します。

白雪山善巧寺

先祖代々

浦山は江戸時代の頃、加賀のお殿様が江戸へ向かう途中に宿泊した宿場町だったといいます。善巧寺の現在の本堂が建立された明治十四年は、宿場町の名残りはまだあったことでしょう。ご門徒の方々は相当に力を入れて、それまでより一回り大きな本堂に再建されました。

この時の住職は、17代目の順圓(じゅんえん)で、本堂を再建された翌年、僧鎔(そうよう)の百回忌を行っています。後に、その功績を讃え、毎月命日の一日に「お講」が行われるようになりました。通称「ついたちのごげはん」と言われています。順圓にはふたりの息子がいて、長男の僧眼(そうげん)が後を継ぎますが、早くに往生されたので、ドイツ文学者であった次男の俊夫(通称博士のごげはん)が次に後を継ぎました。それから、俊之、隆弘、俊隆と繋がっていきます。

善巧寺の歴代住職について過去帳にはそれほど情報がありませんが、11代僧鎔と17代順圓のふたりだけは、ひとりで1ページ以上の功績が書かれています。僧鎔は水橋の農家出身で、順圓は射水の浄誓寺出身です。善巧寺にとっては、僧鎔を親鸞聖人に例えるなら、順圓は蓮如上人と言えるのかもしれません。

活躍した住職の陰には、必ずそれを支えてきた多くのご門徒がおられます。つまり皆さんのご先祖方です。特に本堂の再建は大偉業で、どれほどの願いが染み込んでいることでしょうか。どうぞ参拝の折にそのことを思い出してみてください。

雪山俊隆(寺報165号)

いのちは大切?

本願寺の青少年育成を担当する部署に関わるようになり数年が経ちました。そこで頂いた学びのひとつを紹介します。

いのちは大切ですか?
精神科医の松本俊彦先生によると、中高生の約一割の子は自傷の経験があり、その中で96%は誰にも告げずにその行為に及ぶそうです。その多くは、家庭環境に問題があったり、学校でいじめを受けている場合があります。そのような子たちに、多数派に属する大人が「いのちの大切さ」を曖昧な表現で語っても、余計に自分自身を否定されたと受け取り、遠ざかっていくのかもしれません。

一割というのは他人事ではなく自分自身にも向けられることだと思います。私の心にも一割、縁に触れれば虚無感を持ったり自暴自棄になる心があります。そう考えると簡単に「いのちは大切」とは言えません。

鳩のいのちを救うために自ら痛みと苦しみを引き受け、自分のいのちを差し出したシビ王の話が思い出されます。他にも身を差し出す仏教説話はいくつもあり、それらは人を救うということがどれほどに重いことなのかということと同時に、いのちの大切さを知らない我が身を知らされます。

松本先生いわく、信頼できる大人になるためには、子どもが誤ちを犯した時にいきなり善悪の価値判断を決めつけないこと。そして、自分の手に負えないと思った時には、仲間や専門家に相談してみんなで支えることが大事だと言います。多数派が少数派を苦しめている現実に、目を反らさないようにしたいです。

雪山俊隆(寺報164号)

大事なこと

お参り先で貴重な写真(上の画像)を見せてもらいました。日中に大きな葬列を伴って行われるようになったのは明治時代のことだそうです。ひと昔前はどの村にも火葬場があり、規模は違えどこのように自宅やお寺から火葬場までを歩いた記憶のある人は多いのではないでしょうか。宇奈月町音沢地区には今も火葬場があって数年前まではよく使われていました。その時にも、火葬場まで行列をなして歩いている姿が見られました。最前列は大きな松をひいています。後列には、白装束の男性と女性が連なっています。昔は喪を表す色は白でしたが、黒色に変化したのは西洋の影響だそうです。

大規模や派手だからいいというわけではありませんが、少なくともこれを体験していた人たちにとっては、ひとつの命が終えていくことの意味が、現代とは比較にならないほど大きくて重いものだったのではないでしょうか。周りで見ている子供たちにも、いろんな影響を与えていたと思います。

この10年ほどの間に葬儀の在り方は大きく変化しました。時代の流れで変化していくのは必然ですが、機械化と効率化が行き過ぎると、人も機械のようになってしまいます。お釈迦さまが仏道を歩むキッカケは、「老・病・死」の問題を真正面から受け止めたことでした。目を背けるということは、大事なことを先延ばしにしているだけかもしれません。先輩たちが大事にしていたことを、今一度考えてみたいと思います。

雪山俊隆(寺報163号)

依存

自立は、依存先を増やしていくこと。希望は、絶望を分かち合うこと。
(小児科医・熊谷晋一郎先生)

私たちは、家族や友人、仕事、趣味、お金など、様々なものを頼りにして生きています。「依存」と言うとあまり良い響きを持ちませんが、人は一人では生きてはいけず、たくさんの支えがあるからこそ安定を保てます。すべてのいのちの繋がり「ご縁」を説く仏教から考えても、目に見える支え、目に見えない支えをひとつでも自覚し、感謝の日々を過ごしたいものです。

ただし、どんなに頼りにしても諸行無常、常なるものは何一つなく、過剰な依存は危険を伴います。依存先がひとつに偏ると、それが崩れた時に自己崩壊しかねませんので、依存先を増やすことを心がけてみるのもよいのではないでしょうか。その上で仏教では、依存をひとつずつ手放していく道(聖道門)と、依存を離れられない我が身を知らされ阿弥陀仏に帰依していく道(浄土門)が用意されています。

専如門主のご親教には「少欲知足」というお言葉が出てきました。「欲を少なくして足ることを知る」とは、とても難しいことですが、ほっておくとどこまでも落ちていく私には忘れてはならない言葉です。仏教は死んだ後の話でもなく、机上の空論でもありません。今まさに私自身が問われる「生き方」が説かれています。正直なところ、即席で響く教えではないと思いますが、心の支えに不安のある方は、それを仏教に問うことをお勧めします。

雪山俊隆(寺報162号)

実のないイチョウの木の話

実のないイチョウの木の話
~うなづき昔話より~
絵本制作:上坂次子

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浦山の善巧寺に明教院僧鎔(みょうきょういん そうよう)という学問に熱心なお坊さまがおられました。自分に厳しい人でしたが、村の者には大そうやさしく、人望もあり、日本国中から明教院さまをしたってさまざまな人がやってくるほどでした。その頃(二百数十年前)の寺はまだ小さく、本堂の屋根は栗板ぶきで石がのっていました。境内のイチョウもまだ若く、生き生きとした枝を空にのばしていました。

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村の子どもたちは、明教院さまとこのイチョウが大好きで、天気のよい日はいつもお寺にやってきました。明教院さまも素直な子どもたちが大好きで、よくいっしょにかくれんぼなどして遊んでおられました。また、子どもの笑い声が快く響いてくると本を閉じて子どもたちの姿を眺めておられることもありました。

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秋も終わりに近づくとイチョウの葉は黄色に色づき、その葉間から晩秋の透明な陽がサラサラと流れ出てきます。そのころになると、子どもたちは一層足速くお寺にやってきて、イチョウをじっと見上げるのでした。
「まだかな?」
「まだみたい・・・」
そうなのです。子どもたちはイチョウの実が落ちてくるのを待っているのです。寺のイチョウは特においしく、パーンとはねて囲炉裏をとび出す緑色の香ばしさはこの上もありません。

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幾日かたって実がパラパラ落ちだすと、子どもらは競って拾いはじめました。ここに、あそこに、目ざとく見つけては、着物の袖やらボロぎれで縫った袋に入れました。ところが強ばった男の子が、ひとつのイチョウでけんかし始めたのです。
「こりゃ、おらのだ!」
「ちがわ、おらが先に見つけたんだい!」
しまいには取っ組み合いを始め他の子どもたちもワイワイはやしたてたので境内は大騒ぎ。

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その様子をご覧になった明教院さまは寂しい気持ちになられました。そしてイチョウに向かってこうおっしゃったのです。
「イチョウよ、頼むからもう実をつけてくれるな」

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それからというもの、そのイチョウには実がつかなくなったのです。

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善巧寺の境内にはそのイチョウが今ではどっしりした大樹となって立っております。

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