法話」カテゴリーアーカイブ

光陰矢の如し

ほんこさまの折に「1年はあっという間」という言葉をよく耳にします。40歳を手前にしてその気持ちがいよいよ実感となってきました。歳を取るごとに時間が短く感じるのはなぜでしょうか。

フランスの心理学者ポールジャネーによると、時間の心理的速度は年齢と反比例するとされ、10歳にとっての1年間は50歳の5年間に相当するそうです。2歳の息子の1年が私の20年分。日々新しい情報を新鮮に受け取り、刻一刻変化する我が子を見ていると、あながち言い過ぎではない説に思えてきます。

日々、処理し切れない膨大な量の情報に流されて、気休めや世渡りの情報ばかりを拾って、本当に大事なことを取りこぼしているのかもしれません。

「朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり」
蓮如上人は繰り返し諸行無常を説かれました。平和ボケした時代に警笛を鳴らしているのではなく、天災や飢饉で賀茂川が死体で埋め尽くされていたという時代のことです。親や兄弟、夫や妻、我が子を亡くす人もいたことでしょう。生々しく諸行無常を感じていただろう人たちに向かって、念を押すように繰り返し語られました。無常であることを伝えるだけでは、ただ不安を煽るだけに終わりかねません。無常だからこその救い。南无阿弥陀仏のお救いが今あなたに届いているということを言わずにはおれなかったことを想うと、我が身を恥じずにはおれません。今年は善巧寺の大遠忌法要です。後悔しないよう勤めたいです。

雪山俊隆(寺報146号)

記念事業

4月からスタートした本堂修復工事が予定通りに一段落しました。今回の工事は、親鸞聖人750回大遠忌の記念事業として行われました。50年に1度の節目です。平成20年より計画を進め、実行委員会の方々と業者の選定、視察に行ってからもう5年が経ちました。

酒井匠工務店に決定してからは、本堂全体を細部まで点検してもらい、緊急を要する箇所から優先して工事内容を決定していきました。ご門徒のご負担を最小限に留めつつ、後世に恥じない内容にするためにはどうしたらよいのか、何度も何度も話し合われました。その吟味した計画案を説明会や寺報でお知らせし今回の事業にたどり着いたことです。

募財のお願いは平成21年より始まり、3年でほぼ目処が立ち、今尚ご協力を頂いております。1番の心配とされていた募財も多くのご協力を頂き、予想以上の額となりました。当初、お蔵の修復案は募財の集まり次第では中止するべきという案もありましたが、おかげさまで計画された工事内容は滞りなく行われ、天井画と並びお蔵も見所の1つとなりました。

ご門徒の身を削りながらのご協力は善巧寺の誇りです。このご時世予定額を上回ることは大変なことで、皆様のお寺を護っていくお心はとても尊く声を大にして自慢したい気持ちです。この度の記念事業は、来年の10月12日・13日に行われる大法要が集大成となります。ぜひ修復された本堂で、ご一緒に手を合わせましょう。

雪山俊隆(寺報145号)

天井画完成

本堂内陣の天井画が131年ぶりに新調されました。本堂は参拝者のスペースを外陣(げじん)と言い、仏さまのスペースを内陣(ないじん)と言います。今回の天井画は内陣に設置されています。ご覧いただくとおわかりになりますが、外陣の柱は無垢材のままで、内陣は極楽浄土をあらわし、柱や仏具等、金色や極彩色で表現されています。より特別な場所であるからこそ手を合わせる気持ちが育まれるのでしょう。

今回の天井画を制作されたのは、日本画家の清河恵美さん(宇奈月在住)。繊細な技術と大胆な発想をお持ちの稀有な方で、有難いご縁を頂きました。中央の深いブルーを基調に、馴染み深い立山連峰が360度連なっています。そのまわりには、極楽浄土の共命鳥と鳳凰がたたずみ、富山に咲く花々二十八枚が配置されています。壮大なイメージに、お寺らしさと富山ならではの要素が見事なバランスで融合され、百年後の子や孫たちの心にもきっと響くことでしょう。ひとえに、皆様のご尽力の結晶で、素晴らしいお供えになりました。

総代長有馬文義さんは、「お寺は門徒の共有財産」とおっしゃり、私は「みんなのお寺、わたしのお寺」を念頭に掲げました。これは皆さん天井画です。どうぞ、「わたしの天井画」というお気持ちでご覧ください。10月以降に公開となりますが、修復中の8月頃までは内陣の中からも鑑賞出来ます。心よりお待ちしております。

雪山俊隆(寺報144号)

カタチとココロ

親鸞聖人750回大遠忌の記念事業で本堂の修復ならびにお蔵修復の工事が着工致しました。ご覧のように、阿弥陀さまがご安置される宮殿が解体、補修のため移動されました。工事が終了するまでの期間は、法事やお講は奥座敷の空華殿を仮本堂としておつとめ致します。

善巧寺の本堂が建て替えられたのは明治14年、宮殿は大正10年に新調され、昭和10年に塗箔されたと記されています。昭和57年には金柱、仏具等が新調され、59年には大屋根の大修復。言うまでもなく、ご門徒の皆様の多大なご寄進により行われています。今回の修復にあたり、お軸や仏具を再点検したところ、たくさんの寄進者のお名前を拝見し、改めてその重みと深みを感じます。

今回の記念事業においても、多大なご寄進をいただき、その数は500名を超えました。ほんこさまにお参りさせてもらっているほとんどの方にご参加いただけたことは、善巧寺にとって大きな誇りです。

お堂が整うことによって、法要が実を結びます。浄土真宗では使わない言葉ではありますが、「仏壇にタマシイを入れてくれ」という声をたまに聞きます。あながち間違ったことではないと思います。本堂も法要があって初めて心が通い、そこへお参りしてこそのお寺です。外側だけ立派にしても、それはただのキレイなハコです。工事完成後、ぜひ法要にご参加ください。「みんなのお寺 わたしのお寺」心からお待ちしております。

雪山俊隆(寺報143号)

分岐点

親鸞聖人の750回大遠忌、来たる1月16日が祥月命日にあたり、本願寺では約半年かけて行われてきた法要もいよいよ千秋楽。善巧寺でも例年どおり御正忌として法要が勤まり、本堂修復工事を終えた翌年、平成25年の秋に750回大遠忌法要をお勤め致します。

私が住職を継職して15年が経ちました。その間、もの凄いスピードで時代は流れ、家族や地域の在り方をはじめ、ものの考え方自体が大きく変化し、それは葬儀や法事の在り方にまで影響を及ぼすようになりました。お寺も効率化、簡略化が進行しました。よくよく考えると、それらは、外部からやってきたものではなく、自分自身の都合や怠惰とも合致していたことに原因があったと気付き、言葉を失います。時代によってどんなに価値観が変化しようとも、変わらないこととはなんでしょうか。

今頃言うておるのかとお叱りを受けそうですが、ひとつひとつを丁寧に、心を込めて、大切に勤めていく意外に人と深く繋がっていく道はないのですね。楽をしたいだけの効率化からは何も生まれないと痛感します。違う言い方をすれば、「後悔しない人生」を送りたいです。

そういう意味でも、親鸞聖人の750回大遠忌は、またとないチャンスであり、大きな分岐点と受け取ります。すでに、何度も同じ過ちを繰り返してきているので、スパッと変わる自信もなく、大きなことも言えませんが、「みんなのお寺」である限り、引き続き、皆さまのお育てを頂きたくよろしくお願い致します。

雪山俊隆(寺報142号)

お取り越し

ほんこさまが始まりました。ほんこさまは正確には報恩講といい、親鸞聖人のご法事です。善巧寺では、10月19~20日に報恩講がつとまります。親鸞聖人の祥月命日は1月16日ですから、それより前もって行う法要で「お取り越し」とも言います。祥月命日につとめる法要は「御正忌」です。

さらに、報恩講はお寺だけに留まらず、ご門徒さんのお宅へ一軒一軒お参りする在家報恩講が行われます。お寺で二回、自宅の仏壇で一回の計三回の報恩講。浄土真宗の開祖、親鸞聖人がどれほど大切にされているかがおわかりいただけるでしょう。

以前こんな質問を受けました。
「十月の報恩講と一月の御正忌はどっちが大切なの?」
これに対して、我々の法事の勤め方はどうでしょうか。ご法事は、故人の祥月命日よりも先に行う場合が多いですね。「先に勤めるべき」という考え方は、少し迷信じみた響きを感じてしまうのですが、見方を変えると、法事を大切にする心のあらわれとも受け取れます。(命日後に法事を勤めても全く差し支えはありません)
故人の祥月命日はどのようにされているでしょうか。家族や親しい人たちでお仏壇に手を合わせる方も多いことでしょう。先立って勤まる「報恩講」と、祥月命日に勤まる「御正忌」。どうぞ、ご身内のご法事のごとくに勤めてくださるようお願い申し上げます。10月19日、20日、どうぞどうぞお参りください。心よりお待ちしております。

雪山俊隆(寺報141号)

四住期

38歳になりました。我ながらいい歳になったなぁとしみじみ想います。お寺の世界では、50代60代の人も若手と呼ばれることがあるので、まだまだひよっこ扱いではありますが、主観的には、若さに甘えることは出来ない年齢になってきたと実感します。

古代インドの考え方で、人生を四つの時期に分ける見方があります。

一、学生期
学ぶ期間。生まれてから結婚するまで。

二、家住期
働いて家庭を守る期間。子供達が一人前になるまで。

三、林行期
修行期間。子の独立後

四、遊行期
何ものにも囚われず、ただ遊行すべし。

これらは、階段形式に遊行期へ向けて生きていくというより、どの期間もそれぞれに大きな意味があることを教えてくれていると思います。自分は「家住期」真っ只中。家庭生活を営む中で、たくさんの喜びや苦しみや学びをいただいています。

林行期。近年、定年後の生き方について、いろいろ議論されていますが、この考え方に当てはめるならば、第三の人生。それぞれに模索しながら、自己と向き合う大切な時間と受け取れます。

「学び、育み、自己に向かい合い、自己と離れていく」
なかなか味わい深い人生観ですね。

雪山俊隆(寺報140号)

繋がっている

今回の悲劇で亡くなった多くの方のことを想うと、ある部分、あるかたちで我々自身も亡くなったのだと痛切に感じます。人類の一部の苦しみは、全人類の苦しみです。また、人類と地球はひとつの身体です。そのひとつの身体の一部に何かが起きれば、全身にも起こります。

ダライラマ14世と並んで、平和活動に従事する世界的な仏教者ティク・ナット・ハン師が震災に寄せたメッセージの冒頭のお言葉です。すべてのいのちは繋がり合い、ただひとつで独立したものは何もないという縁起の法則を端的にあらわされています。

あなたの痛みが私の痛みとなり、あなたの喜びが私の喜びとなる。ゆえに救わずにはおれないという阿弥陀如来の願いを想います。親鸞聖人の時代にも大震災が起こり、長く飢饉が続いた後、大きな合戦が起こりました。当時と今とでは環境がまるで違うとはいえ、負の連鎖を危惧せずにはおれません。先の見えない不安がストレスを生み、そのストレスが知らぬ間に人にきつくあたってしまうことがあります。

親鸞聖人は怒りを消すのではなく転じるという生き方を示してくださいました。「教行信証」をあらわした原動力には、少なからず不当な弾圧に対する怒りがあったことでしょう。煩悩を抱えたままに、仏に照らされ生きる道。危機感や焦りや無力感を持った時にこそ、静かに問い直してみたいと思います。

雪山俊隆(寺報139号)

つながり

上の写真は、宇奈月町音沢地区にある手押しの霊柩車です。ひと昔前は、各地区に火葬場があり、このような霊柩車を皆で引き故人を送っていました。大きな火葬場へ高級霊柩車で運ばれることが当たり前の中で育ったぼくにとっては、親戚やご近所が集まって、故人を送る姿は、とても心が温まり、まるで映画のワンシーンのように写ります。葬儀もホールが当たり前となりました。これは時代の移り変わりとしか言いようがなく、ここでその良し悪しを言うつもりはありません。正直なところ、僧侶にとっても夏は涼しく冬は暖かいホールはすこぶる快適です。ただ、利便性や効率を追い求めた結果、何を失ったかということは、ちゃんと胸に留めたいと思っています。

人と人の繋がりが希薄になりました。効率を追い求めた結果、繋がりが薄くなったのか、繋がりが薄くなったから効率のよいものが増えたのか、いずれにしても、これまで以上に拍車をかけて、人に迷惑を掛けるということが良くないこととされるように思います。日本では「人に迷惑かけちゃダメですよ」と教え、インドでは「お前は人に迷惑かけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」と教えるそうです。この違いは何でしょうか。すべてのいのちは繫がり合っているという縁起の法則がヒントになるとは思いますが、結論を急がず、時間をかけて考えていきたいです。本年もどうぞよろしくお願い致します。

雪山俊隆(寺報138号)

仰ぐ対象

年寄りを いたわるばかりが 政治じゃないよ
生かして使えよ 老いの智恵

今年米寿を迎えた漫才師内海桂子さんの都々逸です。ここ20年ほどの間に目に見えていろんなことが変化しました。中でも、こどもやご年配者への接し方も変わってきたような気がします。

家族に財布がひとつだった時代は、一家の主はおじいちゃん。何かひとつ欲しいもの出来れば、家族会議をして、おじいちゃんの了解が必要だったと言います。そのおじいちゃんの決め台詞は「阿弥陀さんに聞いてみぃ」。そんなお宅は、今では日本のどこを探してもないでしょう。いつからか、核家族が当たり前になり、年配者は若い人に気を使い、若夫婦は子どもに振り回されているという、ほんの数十年で、価値観が全く逆さまになりました。これは、改めて考えると凄いことだとしみじみ思います。

昔が良かったというのではなく、何を失ったかという話です。ズバリ「仰ぐ対象」ではないでしょうか。「阿弥陀さんに聞いてみぃ」とスパッと言える人には敬いの対象があります。自分の物差しはじつに頼りなく、時代と共に変化していきます。変化は若い人のほうが柔軟に対応出来るでしょう。でも、そこには智慧がない。仏さまの物差しを改めて考える必要があるのではないでしょうか。

ご多分に漏れず、うちも子育て期間真っ最中。子供を中心に家庭がまわり始めていることを実感しながら、そんなことをふと思いました。

雪山俊隆(寺報137号)