住職コラム」カテゴリーアーカイブ

カタチとココロ

親鸞聖人750回大遠忌の記念事業で本堂の修復ならびにお蔵修復の工事が着工致しました。ご覧のように、阿弥陀さまがご安置される宮殿が解体、補修のため移動されました。工事が終了するまでの期間は、法事やお講は奥座敷の空華殿を仮本堂としておつとめ致します。

善巧寺の本堂が建て替えられたのは明治14年、宮殿は大正10年に新調され、昭和10年に塗箔されたと記されています。昭和57年には金柱、仏具等が新調され、59年には大屋根の大修復。言うまでもなく、ご門徒の皆様の多大なご寄進により行われています。今回の修復にあたり、お軸や仏具を再点検したところ、たくさんの寄進者のお名前を拝見し、改めてその重みと深みを感じます。

今回の記念事業においても、多大なご寄進をいただき、その数は500名を超えました。ほんこさまにお参りさせてもらっているほとんどの方にご参加いただけたことは、善巧寺にとって大きな誇りです。

お堂が整うことによって、法要が実を結びます。浄土真宗では使わない言葉ではありますが、「仏壇にタマシイを入れてくれ」という声をたまに聞きます。あながち間違ったことではないと思います。本堂も法要があって初めて心が通い、そこへお参りしてこそのお寺です。外側だけ立派にしても、それはただのキレイなハコです。工事完成後、ぜひ法要にご参加ください。「みんなのお寺 わたしのお寺」心からお待ちしております。

雪山俊隆(寺報143号)

分岐点

親鸞聖人の750回大遠忌、来たる1月16日が祥月命日にあたり、本願寺では約半年かけて行われてきた法要もいよいよ千秋楽。善巧寺でも例年どおり御正忌として法要が勤まり、本堂修復工事を終えた翌年、平成25年の秋に750回大遠忌法要をお勤め致します。

私が住職を継職して15年が経ちました。その間、もの凄いスピードで時代は流れ、家族や地域の在り方をはじめ、ものの考え方自体が大きく変化し、それは葬儀や法事の在り方にまで影響を及ぼすようになりました。お寺も効率化、簡略化が進行しました。よくよく考えると、それらは、外部からやってきたものではなく、自分自身の都合や怠惰とも合致していたことに原因があったと気付き、言葉を失います。時代によってどんなに価値観が変化しようとも、変わらないこととはなんでしょうか。

今頃言うておるのかとお叱りを受けそうですが、ひとつひとつを丁寧に、心を込めて、大切に勤めていく意外に人と深く繋がっていく道はないのですね。楽をしたいだけの効率化からは何も生まれないと痛感します。違う言い方をすれば、「後悔しない人生」を送りたいです。

そういう意味でも、親鸞聖人の750回大遠忌は、またとないチャンスであり、大きな分岐点と受け取ります。すでに、何度も同じ過ちを繰り返してきているので、スパッと変わる自信もなく、大きなことも言えませんが、「みんなのお寺」である限り、引き続き、皆さまのお育てを頂きたくよろしくお願い致します。

雪山俊隆(寺報142号)

お取り越し

ほんこさまが始まりました。ほんこさまは正確には報恩講といい、親鸞聖人のご法事です。善巧寺では、10月19~20日に報恩講がつとまります。親鸞聖人の祥月命日は1月16日ですから、それより前もって行う法要で「お取り越し」とも言います。祥月命日につとめる法要は「御正忌」です。

さらに、報恩講はお寺だけに留まらず、ご門徒さんのお宅へ一軒一軒お参りする在家報恩講が行われます。お寺で二回、自宅の仏壇で一回の計三回の報恩講。浄土真宗の開祖、親鸞聖人がどれほど大切にされているかがおわかりいただけるでしょう。

以前こんな質問を受けました。
「十月の報恩講と一月の御正忌はどっちが大切なの?」
これに対して、我々の法事の勤め方はどうでしょうか。ご法事は、故人の祥月命日よりも先に行う場合が多いですね。「先に勤めるべき」という考え方は、少し迷信じみた響きを感じてしまうのですが、見方を変えると、法事を大切にする心のあらわれとも受け取れます。(命日後に法事を勤めても全く差し支えはありません)
故人の祥月命日はどのようにされているでしょうか。家族や親しい人たちでお仏壇に手を合わせる方も多いことでしょう。先立って勤まる「報恩講」と、祥月命日に勤まる「御正忌」。どうぞ、ご身内のご法事のごとくに勤めてくださるようお願い申し上げます。10月19日、20日、どうぞどうぞお参りください。心よりお待ちしております。

雪山俊隆(寺報141号)

四住期

38歳になりました。我ながらいい歳になったなぁとしみじみ想います。お寺の世界では、50代60代の人も若手と呼ばれることがあるので、まだまだひよっこ扱いではありますが、主観的には、若さに甘えることは出来ない年齢になってきたと実感します。

古代インドの考え方で、人生を四つの時期に分ける見方があります。

一、学生期
学ぶ期間。生まれてから結婚するまで。

二、家住期
働いて家庭を守る期間。子供達が一人前になるまで。

三、林行期
修行期間。子の独立後

四、遊行期
何ものにも囚われず、ただ遊行すべし。

これらは、階段形式に遊行期へ向けて生きていくというより、どの期間もそれぞれに大きな意味があることを教えてくれていると思います。自分は「家住期」真っ只中。家庭生活を営む中で、たくさんの喜びや苦しみや学びをいただいています。

林行期。近年、定年後の生き方について、いろいろ議論されていますが、この考え方に当てはめるならば、第三の人生。それぞれに模索しながら、自己と向き合う大切な時間と受け取れます。

「学び、育み、自己に向かい合い、自己と離れていく」
なかなか味わい深い人生観ですね。

雪山俊隆(寺報140号)

繋がっている

今回の悲劇で亡くなった多くの方のことを想うと、ある部分、あるかたちで我々自身も亡くなったのだと痛切に感じます。人類の一部の苦しみは、全人類の苦しみです。また、人類と地球はひとつの身体です。そのひとつの身体の一部に何かが起きれば、全身にも起こります。

ダライラマ14世と並んで、平和活動に従事する世界的な仏教者ティク・ナット・ハン師が震災に寄せたメッセージの冒頭のお言葉です。すべてのいのちは繋がり合い、ただひとつで独立したものは何もないという縁起の法則を端的にあらわされています。

あなたの痛みが私の痛みとなり、あなたの喜びが私の喜びとなる。ゆえに救わずにはおれないという阿弥陀如来の願いを想います。親鸞聖人の時代にも大震災が起こり、長く飢饉が続いた後、大きな合戦が起こりました。当時と今とでは環境がまるで違うとはいえ、負の連鎖を危惧せずにはおれません。先の見えない不安がストレスを生み、そのストレスが知らぬ間に人にきつくあたってしまうことがあります。

親鸞聖人は怒りを消すのではなく転じるという生き方を示してくださいました。「教行信証」をあらわした原動力には、少なからず不当な弾圧に対する怒りがあったことでしょう。煩悩を抱えたままに、仏に照らされ生きる道。危機感や焦りや無力感を持った時にこそ、静かに問い直してみたいと思います。

雪山俊隆(寺報139号)

つながり

上の写真は、宇奈月町音沢地区にある手押しの霊柩車です。ひと昔前は、各地区に火葬場があり、このような霊柩車を皆で引き故人を送っていました。大きな火葬場へ高級霊柩車で運ばれることが当たり前の中で育ったぼくにとっては、親戚やご近所が集まって、故人を送る姿は、とても心が温まり、まるで映画のワンシーンのように写ります。葬儀もホールが当たり前となりました。これは時代の移り変わりとしか言いようがなく、ここでその良し悪しを言うつもりはありません。正直なところ、僧侶にとっても夏は涼しく冬は暖かいホールはすこぶる快適です。ただ、利便性や効率を追い求めた結果、何を失ったかということは、ちゃんと胸に留めたいと思っています。

人と人の繋がりが希薄になりました。効率を追い求めた結果、繋がりが薄くなったのか、繋がりが薄くなったから効率のよいものが増えたのか、いずれにしても、これまで以上に拍車をかけて、人に迷惑を掛けるということが良くないこととされるように思います。日本では「人に迷惑かけちゃダメですよ」と教え、インドでは「お前は人に迷惑かけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」と教えるそうです。この違いは何でしょうか。すべてのいのちは繫がり合っているという縁起の法則がヒントになるとは思いますが、結論を急がず、時間をかけて考えていきたいです。本年もどうぞよろしくお願い致します。

雪山俊隆(寺報138号)

仰ぐ対象

年寄りを いたわるばかりが 政治じゃないよ
生かして使えよ 老いの智恵

今年米寿を迎えた漫才師内海桂子さんの都々逸です。ここ20年ほどの間に目に見えていろんなことが変化しました。中でも、こどもやご年配者への接し方も変わってきたような気がします。

家族に財布がひとつだった時代は、一家の主はおじいちゃん。何かひとつ欲しいもの出来れば、家族会議をして、おじいちゃんの了解が必要だったと言います。そのおじいちゃんの決め台詞は「阿弥陀さんに聞いてみぃ」。そんなお宅は、今では日本のどこを探してもないでしょう。いつからか、核家族が当たり前になり、年配者は若い人に気を使い、若夫婦は子どもに振り回されているという、ほんの数十年で、価値観が全く逆さまになりました。これは、改めて考えると凄いことだとしみじみ思います。

昔が良かったというのではなく、何を失ったかという話です。ズバリ「仰ぐ対象」ではないでしょうか。「阿弥陀さんに聞いてみぃ」とスパッと言える人には敬いの対象があります。自分の物差しはじつに頼りなく、時代と共に変化していきます。変化は若い人のほうが柔軟に対応出来るでしょう。でも、そこには智慧がない。仏さまの物差しを改めて考える必要があるのではないでしょうか。

ご多分に漏れず、うちも子育て期間真っ最中。子供を中心に家庭がまわり始めていることを実感しながら、そんなことをふと思いました。

雪山俊隆(寺報137号)

またお会いしましょう

照行寺第8世住職、神子勉さんが往生の素懐をとげられました。4月末に検査入院されて病気がわかり、手術も無事にすまされたと聞いていたのですが、予後が思わしくなく6月20日お浄土に還られました。6月22日のお葬儀には沢山のお参りがあり、神子さんのお徳を偲んでお別れをしました。組内ご法中、善巧寺総代、仏婦のご協力のおかげさまで滞りなく葬儀が執り行なわれたことをここに報告申し上げます。

親しい方に先立たれることはとても寂しいです。そんな時に耳にする言葉、「しもうてかれたねぇ」。この方言が好きです。なんとも言えない寂しさと温かさを感じます。ただ寂しいだけではなく、人生を全うされたことへの敬意とお疲れさまの意味が込められていると思います。そして、私たち浄土真宗門徒は、「またお会いしましょう」と言葉を添えます。なんと有り難いことです。人ごとならば、「死んだらしまい」で済ませられるかもしれませんが、身内や親しい友人、自分自身のことを思うと、それでは決して済ませらない問題があります。「また会おう」とは、故人を仏さまと仰ぎ、私自身も仏さまにならせていただくいのちを生きているんだという確認をさせられます。人生はリセット出来ない。だけれども、また会う世界を聞く者にとって、仏の名を称える声に故人を感じます。名残り惜しくもこのいのちを終えていく時に、どんな顔をしてお会いするのか。それは、死後に囚われる話ではなく、今を生きる力として私に響いてきます。

雪山俊隆(寺報136号)

あなたのお寺

「会社は誰のものか?」ということが、数年前に話題になりました。お寺の場合は、「お寺は誰のものか」。仏さまをご安置する大切な場所。それは、特定の誰かのものではなく、あなたのお寺であり、私のお寺。みんなのお寺です。しかし、寺側の働きかけも良くないのか、そういった意識をなかなか持って頂けないのが現状です。そこで、来る親鸞聖人の750回大遠忌法要は、これをひとつのテーマとして働きかけていきたいと思っております。

何もしなくても、おつとめだけはできるでしょう。しかし、それでは参加した意味がない。私たちの寺だという意識もない。私たちの先祖が熱い心で建てたこのお寺を見殺しにするだけであります。やはり、お寺はそれではいけない。門徒もそれではいけない。お寺と積極的に関わって、初めてお寺というものが意識の中に残り念仏の声も心に響くようになるのではないでしょうか。

3代前の総代長鬼原勝次さんのお言葉です。
いかに皆さんに来て頂くかは大きな課題で、交流を目的としたパークゴルフ大会、参拝旅行、法要バスの運行、定例行事「お講」のバージョンアップ、花まつりや盆おどり、お寺座ライブなどの催し等、入り口はそれなりにありますので、いずれかにまずはご参加頂きたいです。そして、ご意見をください。個人的には、お経会と写経会をやりたいです。数人でも集まって頂けるなら、すぐにでも始めたいので、どうぞ一声かけてください。ご一緒にお寺を再興していきましょう。

雪山俊隆(寺報135号)

西岡常一さん

最近、心に残った言葉をいくつか紹介します。
法隆寺、薬師寺の宮大工棟梁であった西岡常一さんの言葉です。西岡さんは、平成7年にお亡くなりになりました。

今の大工は耐用年数のことなんか考えておりませんで。今さえよければいいんや。とにかく検査さえ通れば、あすはコケてもええと思っている。わたしら千年先を考えてます。資本主義というやつが悪いんですな。それと使う側も悪い。目先のことしか考えない。

厳しいお言葉ですが、説得力があります。千年先というのが凄いですね。ひとつの道を極めた人の言葉というのは、どの世界にも通じていくようなことを言われます。今のに関連して、続けてもうひとつ。

科学が発達したゆうけど、わしらの道具らは逆に悪うなってます。質より量という経済優先の考え方がいけませんな。手でものを作りあげていく仕事の者にとっては、量じゃありません。いいもん作らなあ、腕の悪い大工で終わりです。飛鳥の時代から一向に世の中進歩してませんな。

えー、おっしゃるとおりですね。
最後にもうひとつ。

わたしらは堂や塔を建てるのが仕事です。仕事とは「仕える事」と書くんです。塔を建てることに仕えたてまつるいうことです。もうけとは違います。そやから心に欲があってはならんのです。

仕事ってなんだろう?ということを耳にすることがありますが、それは文字通り、仕える事。忘れかけていたことをズバリと言い当てられたように思いました。

ラジオ番組「ゆるりな時間」