住職コラム」カテゴリーアーカイブ

死はゴール?

「死はゴール地点ではないのか?」
ほっこり法座でこんな問いをいただきました。それに対して、その日の講師であった日下賢裕先生はこんな返答を用意してくださいました。

死は人生のゴール、という受け取り方ですが、そのような受け取りを元に人生を歩むこともできるでしょう。しかし、それでは私達の人生やいのちというものは、一体何だったのか?ということにもなってしまいます。死がゴールならば、今すぐゴールしてもいいわけですし、苦悩の人生をわざわざ生きていく必要がなくなってしまうのではないでしょうか。仏教の目的は「私が仏と成ること」です。ですから、仏教におけるゴールとは、私が仏と成る、というところにあります。そのように私のいのちのゴールを置いてみると、この私の人生は、実は仏と成るためにあった、と意味が変えられていきます。これはどちらが正しい考え方かということではなく、どのような意味をもって、このいのちを歩んでいけるか、という違いがそこに表れてくるのだと思います。

法座では毎回アンケートを配布して、ふとした疑問や意見などを自由に書いてもらっています。無理に書く必要はありませんが、改めて「問いを持つこと」の大切さを教えられました。じつは答えよりも、問いを持つこと、そしてそれを外に出すこと自体に大きな意味を感じています。目を背けるための娯楽は数多くありますが、時には人生の問いに真正面から向かい合ってみませんか?

雪山俊隆

ニグローダ

ニグローダは、金色に輝くシカの王様でした。その頃、都の王様は、シカの肉が食べたいので、国民に仕事を止めさせ、毎日シカ狩りをさせていました。国民は皆困りました。そして仕方なくシカが捕まえやすいように、餌で囲いの中へ誘い入れていました。そのシカを王様は毎日一頭ずつ食べていたのです。

シカたちは、いつ自分の順番がくるかわからないので、恐ろしくて朝から晩まで震えていました。夜も眠れません。ただ金色のシカだけは王様も大切にし、弓矢を向けませんでした。そのうちにシカたちは相談し、順番を決めて、首切り台に上がることにしました。殺される日までは安心だからです。

ある日、お腹に赤ちゃんをもったメスジカの順番になりました。「どうか赤ちゃんを生んでからの順番にしてください」メスジカは仲間たちに頼みましたが、誰も順番を代わってくれません。その時、ニグローダがすすみ出て、首切り台に自分の首をおきました。王様はニグローダの心に大変感心しました。そして、それから後は、すべての動物を殺すことをやめ、人も、動物や鳥たちも、みんな平和に楽しく暮らすようになりました。
(ジャータカのえほん/文:豊原大成)

この物語は、お釈迦さまの前世物語「ジャータカ」にある「シカの王様ニグローダ」のお話です。布施とは、見返りを求めずに分け与えることをいい、その究極が自らを差し出す行為として現してあります。現実離れしたお話に聞こえますが、仏さまの行動をとおして、我が身の在り方が問われます。

(寺報172号)

お講

お講(こう)の始まりは、本願寺第8代蓮如上人の時代と言われますので、500年以上の歴史があります。地域社会や信仰生活に根ざした「寄り合い談合」の場であり、地域社会の人々を結びつける大事な役割を果たしてきました。

善巧寺では毎月1日と16日の月2回を基本として、地区当番の割り当てで営まれています。昨今、核家族化によって家や地域での伝承が難しくなり、加えて過疎化や高齢化の問題から立ちいかなくなる地域が出始めました。ここ数年にわたり、当番の方たちの声を聞いてきたところ、「せっかく作っても参拝の人が少ない」という声も多くあり、それに関しては、「ほっこり法座」のリニューアルによって多少解決しましたが、問題の根本はそこではないようです。

これまで長くお講を支えてきてくれた現在90代前後の方々は、嫁いだ頃からお寺に通う人が多かったので、50年以上のキャリアを持った方がほとんどでした。しかし時代は大きく変化して共働きが当たり前になり核家族化も徐々に進み始めた次の代には、年に1度のご縁といえども重荷にしか感じられない方がおられることを知りました。さらに次の代は存在すら知らない方も多くなるでしょう。

今後は、人数の足りない地域では従来のやり方にとらわれず、出来る範囲のやりやすい方法を検討していただき、条件が揃えば合併も提案させていただきます。お寺としては手を合わす場を絶やさないために、どのような方法があるのか一緒に考えていきたいと思います。

(寺報171号)

あなたのお寺

自分が生まれた年(昭和48年)の報恩講芳名帳を見てみると、382名の名前が記されていました。現在のおよそ4~5倍の人数です。そこに記されている方々は、おそらく子供の頃に親に連れられて来た人や、嫁いでから姑に促されてお寺へ来ていた人たちが多いと思います。昔は村の拘束力が強く、お寺参りもそのひとつだったと思われますが、数10年通い続けるうちに「私のお寺」という気持ちを育んでおられたことでしょう。

参拝者のピークはさらにさかのぼり、本堂がひと回り大きなサイズで再建された明治初期頃と予想されます。本堂を現在の大きさにしたのは、それだけの人数を見込んでいたはずです。そういう意味では、参拝者の減少は今に始まったことではなく、百年単位で言われ続けてきたのかもしれません。

住職を継職して20年ほど経ちますが、その間、参拝者の減少はずっと言われ続けてきました。その言葉は「住職がんばれ!」のエールだと受け取っていますが、ひとりではとても抱えきれる重さではないので、どうぞ手をお貸しください。他人のお寺ではなく、あなたのお寺です。

お講をリニューアルしたのは参拝者が2~3人なったことが一つの要因でした。ほぼゼロからのスタートになったので、人が少なければこちらの誘いと魅力が足りないことに尽きます。おかげさまでとても清々しい気持ちでやりがいを感じています。どうやったら振り向いてもらえるのか。今後も試行錯誤を続けていきます。

雪山俊隆

ほんこさま

10月は報恩講、通称「ほんこさま」の時節です。浄土真宗の開祖、親鸞聖人のご法事をつとめる大切なご縁です。お寺の報恩講ではお仲間の寺院が参り合う風習が残っており、若栗の真照寺、発願寺、荻生の称名寺、生地の順昌寺、そして浦山善巧寺、法輪寺、照行寺の計七ヶ寺でおつとめします。ご門徒一軒一軒でつとまる「ほんこさま」は、9月の音沢地区から始まり、翌年3月の浦山地区まで続きます。多くの寺院では10~12月の間に集中してほんこさまをつとめていますが、善巧寺の場合は、急な葬儀や法事にも午後から対応出来るように、ほんこさまは午前中で終わるようにしています。そのため、日数は長くなっているのです。

年に一度の尊いご縁ですので、赤いろうそくを推奨しています。また、首にかける式章もぜひご着用ください。お仏壇やお寺にお参りするということは、阿弥陀如来が「いつでもどこでも今ここにまします」ということを受け取る時間です。いつでもどこでも働いてくださる仏さまですが、残念ながら日々の生活におわれる私たちはそれを忘れて過ごしています。
「私はしばしば仏を忘れるが、仏は私を忘れない。」
先立たれた人たちが仏さまとなり、合うはずのなかった私の手を合わさせてくれる力となって、今ここに働いていると受け取りましょう。ひとりだけどひとりじゃない世界があります。その心を聞かせていただくのがご法話です。報恩講へぜひお参り下さい。

雪山俊隆(寺報169号)

問いの共有

お寺の中心は、「仏さまの教え」です。その教えを守るために本堂があり、僧侶がいます。もし、教えが途絶える時が来たら、それはお寺の終焉でしょう。最後まであがけるだけあがいて悔いのないように生きたいです。そのあがきのひとつとして、5月から定例行事のお講を「ほっこり法座」という名でリニューアルしました。親交のある30~40代のお坊さんを招いて仏さまのお話を聞きます。参加者には毎回アンケートを配布して、食後にはその日の講師も同席でコーヒータイムを設けています。文字でも言葉でも、思ったことを出してもらう場を大事にしたいと思っています。

お寺に来ると法話やおつとめはもちろん、それ以外にも五感をとおして様々な情報を受け取っています。受け取りっぱなしでは時に消化不良(ストレス)になってしまう場合がありますので、その気持ちを外に出すことは大切です。耳を傾けるといろんな疑問が聞こえてきて、「煩悩はどこまで許されるの?」「人間は死なないと仏になれないの?」「子や孫にどうやったら伝えられる?」など、とても興味深いです。

蓮如上人は、「物をいえいえ、物をいわぬ者は、おそろしき」とおっしゃっていますが、その意味が少しわかってきたような気がします。答え探し以上に、問いを共有することにこそ大きな意味があるのではないでしょうか。
「希望は絶望を分かち合うこと」
小児科医の熊谷晋一郎先生の言葉にも通じます。毎月の定例だからこその距離感を大切にしていきます。

(寺報168号)

七五三のススメ

昨年から花まつりの折に子供の成長を祝う「七五三」を始めました。お寺で七五三?と疑問を持たれる方もおられるので、その根拠となる天岸浄圓先生の文章を紹介します。

「七五三」については、昔、公家や武家では、いろいろな儀式が行われていたことが紹介されていますが、子どもの成長を全体的に考えますと、昔は数え年で三歳くらいで「おしめ」がとれたようです。そして数え五歳くらいになると、着物の仕立て方が変わるのです。これは、最近ではご存知ない方も多いでしょうが、着物を仕立てるときには、反物をどのように裁つかによって、三ッ身、四ッ身、本身などとわけるのです。(中略)ではなぜ、このような行事、風習が伝わったのでしょうか。昔は現在と違い、子どもの死亡率が大変高かったことと関わりがあるでしょう。だから、子どもの成長に合わせて、三ッ身の着物、四ッ身の着物というように、着物の仕立ての変わり目に、よくここまで大きく育ったと、内々でお祝いをしていたのです。そのお祝いごとを、明治の中頃くらいから、神社でするようになったようです。たぶん、呉服屋さんも子どもの晴着を売るために、積極的に協力されたのでしょう。それが今日の神社の「七五三」のはじまりです。だから、もともとは神社と深い関係があったわけではありませんし、古い伝統があるわけでもありません。お寺で祝ってはいけない理由はないのです。(中略)お祝いごとでお寺にこられるかたが少ない現状ですから、ぜひお勧めします。
(「浄土真宗の生き方」より抜粋)

どの花が好き?

文化庁と北陸三県が連携した「とやま工芸ツアー」の団体をお迎えした折に、天井画制作者の清河恵美さんへこんな質問がありました。

「どの花が一番好きですか?」

善巧寺の内陣天井画は、二十八種類の花木が描かれています。その中で、描かれたご本人はどの花が特に思い入れがあるのか知りたかったのでしょう。清河さんはこう答えられました。

どれが一番というのはありませんよ。どの花もそれぞれに素晴らしいです。

一枚一枚、精魂込めて描かれている清河さんだからこそ説得力のある言葉として響きます。そして、極楽浄土が説かれる阿弥陀経の有名な一説「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」を思い起こされます。青色の花は青のままに光輝き、黄色の花は黄色のままに光輝き、赤い花は赤いままに光輝き、白い花は白いままに光輝いている。どの花も優劣はなく、それぞれに光輝いているという仏さまの眼差しです。清河さんはさらに続けてこう言われました。

花はそもそも人のために咲いているんじゃないんです。虫のために咲いてるんですよ。

このお答えにさらに唸りました。道理にかなったお答えであると同時に、自分視点ではなく、花の視点で答えられたことにハッとさせられました。仏教でも仏さまの視点を知らされることによって、自分中心の私の姿が浮き彫りになってきますが、まさにそのような言葉として聞かせてもらいました。

雪山俊隆(寺報166号)

明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。

三重県のとある地方では、葬儀の折に「赤飯」と「唐辛子汁」をふるまうそうです。

喜びをあらわす「赤飯」は、悲しみのご縁の中にも、「めでたい」と言っていける世界があることをあらわします。故人はむなしく死んだのではなく、尊い仏さまとなって極楽浄土に生まれたんだと受け取ってきた浄土真宗ならではの風習です。

唐辛子汁は、あまりの辛さに涙が出ることから別名「涙汁」と言います。阿弥陀仏の教えにあって仏さまに生まれると受け取りつつも、別れのご縁はどこまでいっても悲しいものです。それを涙の出るほど辛い唐辛子汁であらわしています。人情味溢れる風習ですね。

生きることも、死ぬことにも意味を見出し、尊いことであると受け取っていく道が仏道です。そういう意味では、浄土真宗の教えに従えば、たとえ身内に葬儀があったとしても新年のご挨拶は差し支えありません。ただ、世の習いなので誤解を生まないように配慮は必要でしょう。

本年もどうぞよろしくお願い致します。

白雪山善巧寺

先祖代々

浦山は江戸時代の頃、加賀のお殿様が江戸へ向かう途中に宿泊した宿場町だったといいます。善巧寺の現在の本堂が建立された明治十四年は、宿場町の名残りはまだあったことでしょう。ご門徒の方々は相当に力を入れて、それまでより一回り大きな本堂に再建されました。

この時の住職は、17代目の順圓(じゅんえん)で、本堂を再建された翌年、僧鎔(そうよう)の百回忌を行っています。後に、その功績を讃え、毎月命日の一日に「お講」が行われるようになりました。通称「ついたちのごげはん」と言われています。順圓にはふたりの息子がいて、長男の僧眼(そうげん)が後を継ぎますが、早くに往生されたので、ドイツ文学者であった次男の俊夫(通称博士のごげはん)が次に後を継ぎました。それから、俊之、隆弘、俊隆と繋がっていきます。

善巧寺の歴代住職について過去帳にはそれほど情報がありませんが、11代僧鎔と17代順圓のふたりだけは、ひとりで1ページ以上の功績が書かれています。僧鎔は水橋の農家出身で、順圓は射水の浄誓寺出身です。善巧寺にとっては、僧鎔を親鸞聖人に例えるなら、順圓は蓮如上人と言えるのかもしれません。

活躍した住職の陰には、必ずそれを支えてきた多くのご門徒がおられます。つまり皆さんのご先祖方です。特に本堂の再建は大偉業で、どれほどの願いが染み込んでいることでしょうか。どうぞ参拝の折にそのことを思い出してみてください。

雪山俊隆(寺報165号)