住職コラム」カテゴリーアーカイブ

明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。

三重県のとある地方では、葬儀の折に「赤飯」と「唐辛子汁」をふるまうそうです。

喜びをあらわす「赤飯」は、悲しみのご縁の中にも、「めでたい」と言っていける世界があることをあらわします。故人はむなしく死んだのではなく、尊い仏さまとなって極楽浄土に生まれたんだと受け取ってきた浄土真宗ならではの風習です。

唐辛子汁は、あまりの辛さに涙が出ることから別名「涙汁」と言います。阿弥陀仏の教えにあって仏さまに生まれると受け取りつつも、別れのご縁はどこまでいっても悲しいものです。それを涙の出るほど辛い唐辛子汁であらわしています。人情味溢れる風習ですね。

生きることも、死ぬことにも意味を見出し、尊いことであると受け取っていく道が仏道です。そういう意味では、浄土真宗の教えに従えば、たとえ身内に葬儀があったとしても新年のご挨拶は差し支えありません。ただ、世の習いなので誤解を生まないように配慮は必要でしょう。

本年もどうぞよろしくお願い致します。

白雪山善巧寺

先祖代々

浦山は江戸時代の頃、加賀のお殿様が江戸へ向かう途中に宿泊した宿場町だったといいます。善巧寺の現在の本堂が建立された明治十四年は、宿場町の名残りはまだあったことでしょう。ご門徒の方々は相当に力を入れて、それまでより一回り大きな本堂に再建されました。

この時の住職は、17代目の順圓(じゅんえん)で、本堂を再建された翌年、僧鎔(そうよう)の百回忌を行っています。後に、その功績を讃え、毎月命日の一日に「お講」が行われるようになりました。通称「ついたちのごげはん」と言われています。順圓にはふたりの息子がいて、長男の僧眼(そうげん)が後を継ぎますが、早くに往生されたので、ドイツ文学者であった次男の俊夫(通称博士のごげはん)が次に後を継ぎました。それから、俊之、隆弘、俊隆と繋がっていきます。

善巧寺の歴代住職について過去帳にはそれほど情報がありませんが、11代僧鎔と17代順圓のふたりだけは、ひとりで1ページ以上の功績が書かれています。僧鎔は水橋の農家出身で、順圓は射水の浄誓寺出身です。善巧寺にとっては、僧鎔を親鸞聖人に例えるなら、順圓は蓮如上人と言えるのかもしれません。

活躍した住職の陰には、必ずそれを支えてきた多くのご門徒がおられます。つまり皆さんのご先祖方です。特に本堂の再建は大偉業で、どれほどの願いが染み込んでいることでしょうか。どうぞ参拝の折にそのことを思い出してみてください。

雪山俊隆(寺報165号)

いのちは大切?

本願寺の青少年育成を担当する部署に関わるようになり数年が経ちました。そこで頂いた学びのひとつを紹介します。

いのちは大切ですか?
精神科医の松本俊彦先生によると、中高生の約一割の子は自傷の経験があり、その中で96%は誰にも告げずにその行為に及ぶそうです。その多くは、家庭環境に問題があったり、学校でいじめを受けている場合があります。そのような子たちに、多数派に属する大人が「いのちの大切さ」を曖昧な表現で語っても、余計に自分自身を否定されたと受け取り、遠ざかっていくのかもしれません。

一割というのは他人事ではなく自分自身にも向けられることだと思います。私の心にも一割、縁に触れれば虚無感を持ったり自暴自棄になる心があります。そう考えると簡単に「いのちは大切」とは言えません。

鳩のいのちを救うために自ら痛みと苦しみを引き受け、自分のいのちを差し出したシビ王の話が思い出されます。他にも身を差し出す仏教説話はいくつもあり、それらは人を救うということがどれほどに重いことなのかということと同時に、いのちの大切さを知らない我が身を知らされます。

松本先生いわく、信頼できる大人になるためには、子どもが誤ちを犯した時にいきなり善悪の価値判断を決めつけないこと。そして、自分の手に負えないと思った時には、仲間や専門家に相談してみんなで支えることが大事だと言います。多数派が少数派を苦しめている現実に、目を反らさないようにしたいです。

雪山俊隆(寺報164号)

大事なこと

お参り先で貴重な写真(上の画像)を見せてもらいました。日中に大きな葬列を伴って行われるようになったのは明治時代のことだそうです。ひと昔前はどの村にも火葬場があり、規模は違えどこのように自宅やお寺から火葬場までを歩いた記憶のある人は多いのではないでしょうか。宇奈月町音沢地区には今も火葬場があって数年前まではよく使われていました。その時にも、火葬場まで行列をなして歩いている姿が見られました。最前列は大きな松をひいています。後列には、白装束の男性と女性が連なっています。昔は喪を表す色は白でしたが、黒色に変化したのは西洋の影響だそうです。

大規模や派手だからいいというわけではありませんが、少なくともこれを体験していた人たちにとっては、ひとつの命が終えていくことの意味が、現代とは比較にならないほど大きくて重いものだったのではないでしょうか。周りで見ている子供たちにも、いろんな影響を与えていたと思います。

この10年ほどの間に葬儀の在り方は大きく変化しました。時代の流れで変化していくのは必然ですが、機械化と効率化が行き過ぎると、人も機械のようになってしまいます。お釈迦さまが仏道を歩むキッカケは、「老・病・死」の問題を真正面から受け止めたことでした。目を背けるということは、大事なことを先延ばしにしているだけかもしれません。先輩たちが大事にしていたことを、今一度考えてみたいと思います。

雪山俊隆(寺報163号)

依存

自立は、依存先を増やしていくこと。希望は、絶望を分かち合うこと。
(小児科医・熊谷晋一郎先生)

私たちは、家族や友人、仕事、趣味、お金など、様々なものを頼りにして生きています。「依存」と言うとあまり良い響きを持ちませんが、人は一人では生きてはいけず、たくさんの支えがあるからこそ安定を保てます。すべてのいのちの繋がり「ご縁」を説く仏教から考えても、目に見える支え、目に見えない支えをひとつでも自覚し、感謝の日々を過ごしたいものです。

ただし、どんなに頼りにしても諸行無常、常なるものは何一つなく、過剰な依存は危険を伴います。依存先がひとつに偏ると、それが崩れた時に自己崩壊しかねませんので、依存先を増やすことを心がけてみるのもよいのではないでしょうか。その上で仏教では、依存をひとつずつ手放していく道(聖道門)と、依存を離れられない我が身を知らされ阿弥陀仏に帰依していく道(浄土門)が用意されています。

専如門主のご親教には「少欲知足」というお言葉が出てきました。「欲を少なくして足ることを知る」とは、とても難しいことですが、ほっておくとどこまでも落ちていく私には忘れてはならない言葉です。仏教は死んだ後の話でもなく、机上の空論でもありません。今まさに私自身が問われる「生き方」が説かれています。正直なところ、即席で響く教えではないと思いますが、心の支えに不安のある方は、それを仏教に問うことをお勧めします。

雪山俊隆(寺報162号)

伝灯奉告法要

本願寺では大谷光淳新門主の奉告法要「伝灯奉告法要」が10月1日より行われます。善巧寺では黒部市と魚津市の浄土真宗本願寺派寺院と共に来年の春(4月3~4日)団体参拝旅行が予定されています。

9月からスタートしたほんこさまの折に参拝旅行の話をしていると、30年以上前、祖父俊之の時代に旅行へ行った話を聞かせてもらいました。当時30代、流行していたミニスカートをはいて、道中には俊之と肩を組んで写真を撮ったそうです。30代の女性数人との記念写真。祖父俊之がどんな表情で写っているのか気になります。きっと満面の笑みを浮かべていたことでしょう。昔を思い出しながらウキウキ話す姿を見てとても羨ましくなり、「来年の春、一緒に本山へ行きましょうね!ミニスカートで!」と言って家を後にしました。

ひと昔前は、「月に一度は手次ぎのお寺へ、年に一度はご本山へ」と言われ、浄土真宗門徒のたしなみとされていました。残念ながら、その言葉を知る人も少なくなり、ご本山へ行ったことのないご門徒も多くおられることでしょう。ひとえにこちらの力不足ですが、このたびの記念すべき法要の折に、ぜひご一緒にお参りしましょう。

私たちは次の世代に何をバトンタッチ出来るのでしょうか。最新の情報や上辺の知識ならインターネットを駆使する小中学生にも負けてしまいます。伝灯奉告法要をご縁に、本当に語り継ぐべきものは何なのか、今一度、共に考えていきたいです。

雪山俊隆(寺報160号)

サイフ紛失事件

小学生の頃、ピアノを習っていました。三日市の駅を降りてから歩いて5分ほど、桜井高校のすぐそばにある教室でした。教室が終わると桜井高校の校庭に行って野球部の練習を見るのが何より楽しみでした。

ある時、教室を終えて校庭に行き、ふとカバンの中を見ると財布がないという事件が起きました。教室に戻り家へ電話をしました。出たのは父親でした。財布のないことを説明すると、「自分でなくしたのなら、自分の足で帰ってこい」と返事がありました。言われるままに県道を歩いて帰りました。途中、線路と交差になり小高い登り道があります。そこでひと息ついて回りを見渡すと、後ろのほうに黒い車が止まっています。少し気にとめながら、また歩き出しました。しばらくしてまた後ろを振り返ると、さっきの黒い車がとろとろ動いて止まりました。何度か繰り返していると、その車がついてきているのがわかります。よく見るとうちの車でした。なんでいるの?いるのなら乗せてくれればいいのに。子供心にその意味がわからず、結局、そのまま歩いて帰りつきました。その日、家でその話題は一切出てきませんでした。

それから30年以上経ちますが、今でも娘と息子の姿を見ながら、ふとその時のことを思い出します。子の前では強く言いつつ、心配のあまり一目散で息子の元へ行き、帰り着くまでを見届けてくれたんじゃないかと思います。

私が気が付かずとも、阿弥陀さまは私をいつも願っています。その願いを生涯かけて聞いていくのが浄土真宗の教えでしょう。今年父の27回忌を迎えます。

(寺報160号)

ふたつでひとつ

一体で二つの頭をもつ「共命鳥(ぐみょうちょう)」は、一頭をカルダ、もう一頭をウバカルダといいました。ある時、ウバカルダが眠っている時に、カルダは果樹の花を食べました。カルダはウバカルダのことを想い食べたのですが、それを知ったウバカルダは、黙って食べたことに怒りを起こします。その憎悪は消えることなく、後に、毒花を見つけたウバカルダは、これを食べてカルダに恨みを晴らそうとし、共に死んでいくという物語があります。

この物語は、善意を素直に受け取ることが出来ず、悪意を相手にぶつけることによって共に苦しんでいる私の姿をあらわしています。悲しいかな、夫婦と言えど、親子と言えど、友達と言えど、ふたつのいのちがひとつに溶け合っていくことはままなりません。一方で、極楽浄土に説かれる「共命鳥」は、ふたつのいのちがひとつに溶け合っていく仏様の領域をあらわしています。詩人金子みすずさんの「さびしいとき」という詩があります。

私がさびしいときに、よその人は知らないの。
私がさびしいときに、お友だちはわらうの。
私がさびしいときに、お母さんはやさしいの。
私がさびしいときに、仏さまはさびしいの。

いのちといのちの繋がりの究極は、人の痛みが我が痛みとなり人の喜びが我が喜びとなることでしょう。そんな仏様の慈悲の心に触れると、自分の有り様を恥じずにはおれません。ウバカルダは外にいるのではなく、私自身の姿であったことを教えられます。

雪山俊隆(寺報159号)

バラバラで一緒

子育て中のお寺仲間の間では、毎年12月になるとクリスマス話題で盛り上がります。私が子供の頃は「お寺にクリスマスは必要なし」が当たり前でしたが、最近は世の中の盛り上げ方が激化して、保育園でも1ヵ月前からクリスマスソングの練習が始まり、飾付けをみんなでして、盛大にパーティを行います。そんな中でうちの子は必要なしとはさすがに言えませんが、次に子供にとっては「なんでうちではやらないの?」が大きな問題となります。

「うちはアミダさまがいつも見守ってくれているからサンタさんは来ないんだよ」と言っても、すでにクリスマスの物語に没頭しているので、なかなか受け入れられません。ここでお寺の葛藤が始まります。イベントと割り切る人もいますし、無理やり置き換えて「お坊サンタ」に変身する人もいるぐらいです。こちらからすると、イスラム教徒に豚肉を出して、「みんなが食べてるのになんであなたは食べないの?」と聞くようなものなのですが、日本では、どんなに多様化の時代と言われても、「みんな同じ」という感覚が根付いているので、少数派は黙っています。

以前、東本願寺に「バラバラで一緒」というスローガンがありました。「一緒」と思っていた人に「違い」があると、裏切られたような気持ちになりますが、あらかじめ人はそれぞれに違うということが前提にあると、違うことが当たり前で、少しの共通点に喜ぶことが出来ます。世代間のギャップも同じことではないでしょうか。そのことを今一度見つめていきたいです。

(寺報158号)

おはずかしい

10数年前、お寺参りをされていたおばあちゃんたちがよく口にしていた「おはずかしい」「もったいない」という言葉を改めて思い返しています。

「はずかしい」という心は、正しいものに出会った時に起こる心で、自分を信じ自分を正しいと思っていては、その心は起きません。また、ただ「はずかしい」というのではなく、「お」が付いていることが味わい深いです。それは、自分で起こした心ではなく、仏さまの正しい姿に出会ったからこそ起きた心で、丁寧語が付けられています。なにげない言葉として受け取っていましたが、他力的な思想が込められた尊い言葉でした。涅槃経にも「はずかしいという心がない者は人とはいわず、畜生という」とあります。

仏さまに照らされて、我が身を知らされた時、親鸞聖人は「とても地獄は一定すみかぞかし」と、私は地獄の他に行き場がないとおっしゃっています。そのような私こそを救いの目当てとされた阿弥陀如来の光りに出会った時、こぼれ出るように口にされたのが「もったいない」という言葉でしょう。

ただ、この言葉には注意が必要で、自虐的にひたすら自分を卑下していると、身が持たなくなります。「救い」と懺悔」はふたつでひとつです。自分自身で反省を繰り返していると堕ちるばかりで抜け道はありませんが、そんな私こそ、仏さまはいつもおそばにましますと、救いの目当てとされていることを胸に留めて、仏さまの名「南無阿弥陀仏」:を申しましょう。

(寺報157号)