つながり

娘が十ヵ月になりました。赤ちゃんの成長ぶりには日々驚かされる毎日で、最近は笑顔が増え、手を振ることも覚えました。月々のお講では、いろんな方に抱いてもらい、最近はすっかり皆さんに慣れてきたようです。人と人の繋がりにおいて、会う回数というのは、とても大きなものだと改めて思います。

お寺とご門徒さんの関係においても、やはり会う回数は重要で、どうしたらお寺に来てもらえるかということを常日頃から考えています。法座に重点を置くのが本道だと承知していますが、うちでは今のところ、敷居を下げて入口を増やす方針を続行しています。お講の午後に映画上映、門徒親睦パークゴルフ大会もそのひとつです。

お寺に入って間もない頃、「おでかけ住職」と題し、住職がご門徒さんの家へ出張し、法事以外でもおつとめや法話を聴いてみませんかという案内を出したことがあります。数百の方に案内を出せば、せめて数軒、いやもしかしたら十軒ほどあったりして、と甘く考えていましたが、結果はゼロでした。悲しさを通り越し、絶望感と無力感にお寺の引退もよぎりましたが、今考えてみると、人間関係がまだ出来ていない上、誰にも相談せずに行った愚かさを自戒した次第です。

あれから10年ほどが経ちました。今、来年を目標に、各地区でのお経会を考え、幾人かと相談させてもらっています。多く集まることが難しい次代、おひとりでも喜んでいきます。どうぞご縁が結ばれますように。

雪山俊隆(寺報132号)

世の中は狂ってる?

お参りでいろんな方にお会いする中、ここ1年で最もよく聞いた話は「最近の世の中は狂ってる」でした。どれも、異常犯罪の報道を受けての話ですが、本当のところはどうなのでしょうか。

警察庁から発表された犯罪統計では、平成19年の殺人認知件数は戦後最低を記録したそうです。これは昭和中期の半分以下という数字です。この統計は、どのマスコミも取り上げていないようで、これこそが異常なことです。では、なぜマスコミは異常犯罪をくまなく拾い上げるようになったのでしょうか。それは言うまでもなく、視聴率が取れるからでしょう。同時に視聴者である私自身を指していて、人間の1番汚い心をえぐられているようで、情けなくなります。

また、少し前には、ひとつの事件をきっかけに飲酒運転事故のニュースが急増しました。これに関しても、警察庁の統計資料を10年単位で見てみると激減しています。もちろん、正すべきことはたくさんあるとは思いますが、指をさすのは、犯罪者でもなく、マスコミでもなく、まず自分自身に指を向けるという仏教的視点が大切なのではないでしょうか。

産経新聞の社会部記者だった父隆弘の口ぐせは、「マスコミは99.9%ウソ」でした。その父が仏教に出会い、そのまま聞いていい教えがあったことに感動したのです。これは、その他にはそのまま聞くものは何もないと知った人の喜びでしょう。

闇の中でいくらもがいても闇は晴れません。仏の教えに耳を傾けてくださる仲間がひとりでも増えることを切に願っています。

(寺報127号)

課外活動

数年前に地元のコミュニティFMからお話をいただき「ゆるりな時間」というラジオ番組を5年間毎週15分やっています。元々話をすることにコンプレックスがあるので、その勉強にもなると思い始めました。音楽を中心にした番組構成のため、トーク時間は少ないものの、時には「4月8日はお釈迦様の誕生日、花祭りですよ」などと、仏教的な話題にも触れています。世間のニュースでは仏教的な話題がほとんどない状況を考えると、ほんの些細なことでも意味があると思っています。毎週金曜日午後6時15分(再放送は土曜日午前8時)、FM76.1、よろしければ聴いてください。

インターネットでは、3年前から全国の若手僧侶たちと「メリシャカ」という仏教サイトを開設しています。メリシャカとは、その名のとおり、キリスト教がメリークリスマスなら仏教はメリー釈迦。少しおふざけが過ぎるかもしれませんが、やっていることは至極まじめです。同世代の僧侶たちは、自分たちの代でお寺が無くなるかもしれないという危機感を持ち、仏教をいかに発信していくかを試行錯誤しています。

これらは直接ご門徒 さんに関わることではないかもしれませんが、雪ん子劇団や数年前からはじめた「お寺座ライブ」もしかりで、いつかきっと門徒の方々にも還元出来るという信念を持ってやっています。お寺はもちろん、寺報、ラジオ、インターネット、どこからでもいつも交流をお待ちしております。私たちのルーツである仏教、お寺を前向きに再興していきましょう。

雪山俊隆(寺報131号)

みんな繋がっている

仏教には縁起の教えがあります。縁儀とは、「すべてのものは単独で存在しているのではなく、他のものが原因になり条件になって成り立っている」ということです。これを、一言であらわすと「すべては繋がっている」ということでしょう。ただ、実際にはその繋がりがとても見えにくい時代です。

核家族化が進み、「家を守る」という考え方が薄れ、また、物質主義の行き過ぎから、おらゆるものがお金に換算される世の中で、「もったいない」や「おかげさま」という心が育ちにくくなっています。「もったいない」とは、すべてのものは「頂き物」であるという受け取り方から生まれた言葉で、そこに「おかげさま」という感謝の心を育んでこられた先人の方たちがたくさんおられました。今は人も心さえもお金で解決出来るような錯覚に陥り、「おかげさま」より「お金さま」。ないものは渇望か絶望、あるものは貪りと驕り。他でもない自分のことです。お経にはこんな言葉もあります。

人は激しい欲望の中で、
独り生まれ 独り死し
独り去り 独り来る

なんとも寒々しい言葉ですが、これを踏まえた上で、縁起の教えを味わってみると、希望が見えてきます。

人と人の繋がり。いのちといのちの繋がりを教わる時に、人は初めて本当のいのちを見つめることが出来るのかもしれません。まずは、近しいご縁からしっかりと見つめ直していきたいです。

(寺報126号)

みんなのお寺

お寺は誰かの所有物ではなく、みんなのお寺であり、あなたのお寺、私のお寺です。例えば、私が宝くじに当たって、ひとりで七百五十回大遠忌の事業費をまかなうと言ったら、それはお寺にとって大きなマイナスだと思います。みんなが痛みを伴いながらも、御懇志を出し合い、その結晶としてお寺が護られていくことにこそ、意味があるのではないでしょうか。そして、その行いを、どうぞ子や孫にお伝えください。核家族化が当たり前になりつつある世の中で、若い方はお寺との関わり方を全く知らない方が大勢います。年会費(かかり銭)でお寺が支えられていることも聞かなければわかりません。「若いもんに言ってもどうせダメやっちゃ」と諦めないでください。自分の親が身を削って支えている事実を知って、何も感じない子はいません。すぐにはわからなくても、いずれ何かが伝わるはずです。「金がかかるならお寺との縁を切るわ」と短絡的に考える人もいるかもしれませんが、何も知らずに切れていく縁よりはずっとよいと考えます。

本堂の中心は阿弥陀さま。阿弥陀さまのお心がお経。お経の心を噛み砕いて伝えるのが僧侶の使命。自分の役割を全う出来ていない無力さをいつも情けなく感じていますが、これからもお寺へ来ていただきやすい環境作りに努めますので、どうぞ、”あなたのお寺“の法要にご参加ください。

雪山俊隆(寺報130号)

ほっこり

かなり寒くなってまいりました。こんな時はホッコリした音楽が聴きたいですね。前回の放送でも、この、ほっこりという言葉を何気なく使ったんですけど、ほっこりってなにけ?と聞かれまして、ほっこりはほっこりやねか、みたいな感じで、長島しげお風な、受け答えをしたんですけど、改めて辞書を調べてみました。ふだんは、ニュアンスだけで言葉にしていることが多いので、辞書を読むとなるほどって思いますね。

ほっこりとは、
1、ほかほかと暖かいさま。
2,色つやがよく鮮やかなさま。また、ほっとしたさま。
ということだそうです。

イメージしていた意味とほぼ一緒ですが、ホッコリした音楽っていうのは、人それぞれ受け取り方が違いますね。ちなみに、まったりというのは、
「まろやかでこくのある味わいが、口中にゆったりと広がっていくさま。ゆっくりしたさま。のんびりしたさま。くつろいださま。だらだらしたさま」
です。それと、この番組でも使っている、「ゆるり」は、くつろいでいるさま。らくに。いそがず、ゆっくりしたさま。を言います。

ほっこりとか、まったりとか、ゆったりとか、ゆるりとか、こういう言葉は、何年か前に「癒し」という言葉がよく使われましたが、それらとなにか共通するようにも思います。いつからかわかりませんが、なにかしてなきゃ落ち着かない、そんな強迫観念じみた世の中になっているように感じています。これは自分自身のことでもあって、お坊さんをしていますと、心静かに手を合わせて仏さまになんて言っているわけですが、言っている本人が、心静かじゃなかったりするわけです。たいしたことは考えてないんですけどねぇ、グルグル頭を巡らせて、ちっとも落ち着いた時間を持っていない自分がいます。いざ、余裕が出来た時も、せっかくだからと、これしようあれしようと、余計に忙しくしていたりします。

忙しいという字は、りっしんべんに、亡くすという字を書きます。りっしんべんというのは、心のことなので、心を亡くすってことです。まさにそのとおりな日常を繰り返しているように思うので、ほんの少しでも、足を止めて、自分自身に向かい合う時間。大切だなぁと思っています。

ラジオ番組「ゆるりな時間」より

ほんこさま

在家報恩講、通称「ほんこさま」が9月後半からスタートしました。報恩講とは親鸞聖人のご法事です。それを本山やお寺だけではなく、ご門徒一軒一軒の家でも勤めましょうというのが、在家報恩講で、お寺としても、年に一度ほぼすべてのご門徒さんにお会い出来るとても貴重な法事です。

数年前までは、車のない時代に合わせた日程だったため、地区によっては、1日あたり5軒ほどで終わる地区もあれば、20数軒まわる地区もありました。20軒以上になってくると、お茶を出している時間すらもったいないというペースになってきます。それを、どの地区もなるべく均等に時間をつくっていきたいという思いと、葬儀のような突発的な予定が入っても、日をずらさず時間調整のみでまわれるようにしたいという思いから、昨年から大幅に日程を組み直させてもらいました。おかげで、あまり焦ることなく一軒一軒お参りさせてもらえるようになりました。

こちらの不行き届きでまだほんこさまに入られていない方は是非お参りさせてください。特に、別居をされていて、元の家から離れてしまう方々にも、県内でしたら富山市へもまわっておりますので、まわりのご協力も含めてどうぞよろしくお願いいたします。歴史あるものと、新しいことのバランスこそがこれからの命題だと受け取っています。

(寺報125号)

當相敬愛(とうそうきょうあい)

梯實圓和上より結婚式のご法話で「當相敬愛(とうそうきょうあい)」というお言葉をいただきました。

お互いに敬い合い、愛し合う。
愛に敬いが伴わなければ、それは誠の生き方ではない。
それには相当の「覚悟」がいる。

この覚悟という言葉に強く心を打たれました。ただ好きというだけでは、自分の都合次第ですが、相手を敬い続けることの厳しさを感じます。改めて考えてみると、独身時代、ぼくは自分の都合ばかりで生きてきました。人と関わる時には、自分の都合はほとんど通りませんから、それだけに、自分のやり方で、自分のペースで物事をやるというのがとても気楽で、一面には、ひとりほど楽なものはありません。一時、友人の間でも「やっぱりひとりがいいよね~」が皆の口ぐせでした。

でもやはり、人はひとりでは生きてはいけない。この、ひとりでは生きてはいけないということも、現代の若者の間では実感しにくくなっているように思います。ひと昔前ならば、農作業の助け合いなどによって人は支えられていましたが、時代は変わり、仕事も趣味もみんなバラバラ。今は「お金さえあれば」という感覚がふつうです。必然的に、助け合いということも、ただ煩わしさのみに目をやるようになりました。ぼくの世代は、そんな感覚が当たり前の時代に育っています。

一方で、仏道はこの価値観の正反対にありました。苦難は私が引き受けるから、あなたはどうぞ幸せになってくださいと願っていく生き方。生涯をかけて共に耳を傾けていきたいです。理想なき時代に、変わらぬ理想があるという身のしあわせを。

(寺報124号)

親心

姉の子真弘が二歳の頃、「いや!」という否定のことばをよく使う時期がありました。ある日、爪切りを床に投げて、母親の「片付けなさい」という言葉に対して知らん顔をしました。くり返し「自分でやったことは自分で片付けなさい」と母親は言います。それでも「片付けない!」と言い返します。何度か繰り返しているのを見かねて「片付けんかったらお蔵に連れていくぞ」と言ってみました。お蔵は、うちの一番隅にあって、古めかしいたたずまいに重々しい三重の扉がある部屋で、私も子供の頃何度もそこへ入れられた記憶があります。その怖さは真弘も知っていて、一瞬顔がこわばります。それでもいっこうに片付けようとしません。しびれを切らして真弘を抱えお蔵へ連れて行こうとすると、急に泣き出しました。お蔵が近づくにつれて泣き声も大きくなり、いよいよ到着し泣きじゃくる真弘を入れ、素早く扉を閉じました。真っ暗の部屋の中、恐怖が増したのか、泣き声も切り裂くような声になります。少ししてから自力で一枚目の扉をガラガラッと開けました。でもそこにはまだ次の扉があります。泣き声にならないほどの叫び声が聞こえてきます。とても胸が痛くなりました。親はこんなにつらい想いに堪えてまで子を育てようとしていたのかと、親の願いの一端を知らされます。

阿弥陀仏は私のことを一人子のように願われ「お前をお前のままで抱きとって、決して見捨てない」と言いながら、仏さまが泣いている姿が思い浮かんできました。

雪山俊隆(寺報128号)

結婚

6月2日善巧寺本堂にて第22代住職の結婚式を執り行うことになりました。恥ずかしい話ですが、これが5年前の話だとしたら、おそらく式はひっそりと京都あたりで行い、披露宴も勘弁してくださいと断っていたように思います。お寺に帰り着き、ご門徒さんとの繋がりも徐々に感じ始めて、ようやく今「結婚します。一緒に祝ってください」と言えるようになりました。

思い返してみると、住職継職の時は、まさに借りてきた猫の状態で、個人的な想いを全く求められない状況に「ぼくである必要があるのか」と思い悩んでいました。今思えばワガママとしか言いようがありませんが、個性が謳われ、自分という意識を強く感じながら育ったぼくの世代ならではの想いです。

親鸞聖人は、弾圧を覚悟の上で僧侶として初めて公式に結婚された方でした。多くの僧侶から罵られ、お国からの罰を受ける覚悟は想像を絶します。現にお仲間には死刑を受けた方もおられるわけで、ぼくなら黙ってコッソリと伴侶をつくっていたに違いありません。

その覚悟を支えていた力は何だったのか?それはやはり、いつも真ん中に仏さまがおられたのでしょう。仏さまを大切にすることを中心に、それを妨げることはなるべく避け、光りのあることは例えイバラの道であっても進んで行う。考えてみると、これほどスッキリとした生き方はなく、憧れの諸先輩方の共通点はこの芯でした。諸行は無常の世の中で、絶対に変わらない芯。なにが1番大切かということを見失わないように歩みたいものです。

(寺報123号)