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本当の自分

家での自分、学校での自分、職場での自分、友人といる時の自分、趣味に没頭している時の自分など、どれが本当の自分なのか?という問いに対して、小説家の平野啓一郎さんは、そのいずれもが「分人(ぶんじん)」であり、分人の集合体が「自分」であると提唱しています。

以前、「自分探し」という言葉をよく耳にすることがありましたが、人は環境や状況によって常に変化しているのに、一側面だけに限定してしまうことはとても窮屈です。平野氏がおっしゃるように、いろんな側面の自分がいることを受け入れられるようになると、少し生きやすくなるのかもしれません。

現在のように名前が固定されたのは、明治四年に制定された「戸籍法」以降のことで、それ以前は自由でした。親鸞聖人は、幼い頃の名を「松若丸」といい、九才で得度すると「範宴(はんねん)」という名を授かり、二十九才で法然聖人の弟子になった時には「綽空(しゃっくう)」の名をいただき、その後、「善信」、「親鸞」と名のっています。名前ひとつとっても、今は随分不自由になったような気がします。

環境によっても相手によっても様々な自分がいて、年齢を重ねるごとに変化していく自分もいます。阿弥陀さまの救いは、空間的にも時間的にも制限されないと説かれてあるのは、どんな自分にも漏れなく救いが行き届いていることをあらわしているのでしょう。阿弥陀さまの手の中で、自分を限定せずにのびのび生きたいですね。

雪山俊隆(寺報182号より)
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インターネット用語の「シェア」という言葉がよく使われるようになりました。みんなで共有するという意味で使われ、言葉や思想や写真や映像など、ひとりで独占せずに与えたり与えられたりする考え方です。これは今さら英語であらわすまでもなく、みなさんが日常的に行っていることで、生活の中での智恵を教えあったり野菜のお裾分けなどもそれにあたるでしょう。

仏教では「布施(ふせ)」や「喜捨(きしゃ)」という言葉があり、見返りを求めずに相手に与えることです。喜んで捨てるとまではとても言えませんが、人に何かを与えて喜んでくれた時はとてもしあわせな気持ちになります。

最近、外から声をかけてもらう機会が増えました。ありがたいことに、これまでの経験を評価してくださる方がいて、いくつかの企画や運営に関わっています。本願寺富山別院では宗教者の釈徹宗先生と各分野のスペシャリストによる対談企画「ゆるふか対談」のお手伝いをしています。宇奈月温泉の文化施設「セレネ」でも音楽イベントを企画することになりました。ほっこり法座も評価してくれる方がいて、その詳細をインタビューしてもらいました。これまで自分がやってきたことを活かしてそのノウハウをシェアしていくことにとてもやりがいを感じています。

どこまでいっても自尊心の塊ではありますが、与えられた場を大切に過ごしていきたいです。善巧寺にもその循環が生まれるようにつとめます。

雪山俊隆(寺報181号より)
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つながり

昨年は怒涛の一年でした。令和三年豪雪と名付けられるほどの大雪から新しい年が始まったことが遠い昔のように感じます。二年目のコロナ禍、お講の食事当番は休止したままとなりましたが、お参りだけは止めてはならぬと月二回の全回執り行うことができました。永代祠堂会や報恩講の年中行事も縮小しながら行い、花まつりマルシェや民藝の展覧会もなんとか開催することができました。いずれも、一回一回の緊張感がとても高く、慣例で行っていた時の何十倍もの労力を感じています。その分、行事の意義を改めて問い直す機縁になりました。

交流の場が激減したことは、主催側からすると、人との距離感が広がってしまう恐れを感じますが、一方で時間的な余裕が生まれました。コロナ以前は、考えることなく慣例で行っていたことを、「これってホントに必要なのか?」という問いがあらゆる場面で生じたのではないでしょうか。人と人の繋がりというのは不思議なもので、会話の中身とは別に、一緒に時を過ごした時間が少しずつ関係性を深めていく場合があります。言葉によるコミュニケーションはひとつの要素にしか過ぎず、じつはそれ以外の要素が大きなウェイトをしめていることを改めて実感しています。

仏教では、「言葉は月をさす指」と言います。指を見て欲しいわけではなく、指がさす方向を見て欲しいということです。言葉の先には何があるのか。本質が問われています。

雪山俊隆(寺報180号より)
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「私たちのちかい」に寄せて

浄土真宗本願寺派では、2018年11月23日、本願寺の秋の法要でのご門主ご親教において「私たちのちかい」というタイトルの言葉が示され、以来、本願寺関連施設や宗門学校などで唱和されています。全国の各教区や各組、各寺院でも唱和が推奨されました。その言葉や唱和推奨というアクションに関して、一部の若手僧侶の間では疑問の声があがり、私もその想いを2年前にFacebookにて記しました。改めてここに再掲します。

一、 仏の子は、すなおにみ教えをききます。
一、 仏の子は、かならず約束をまもります。
一、 仏の子は、いつも本当のことをいいます。
一、 仏の子は、にこにこ仕事をいたします。
一、 仏の子は、やさしい心を忘れません。

この言葉は、お寺の子供会「日曜学校」で推奨されている「ちかいのことば」で、善巧寺では年に数回の子供会で唱和していた。高学年になるとこれを読むのがとても嫌だった記憶がある。いつからか、「ひとつ、仏の子は、いつも本当のことを言いません!」と言い換えて友だちと顔を合わせて笑っていた。みんなで真面目に唱和することへの反抗心か、そう出来ない自分を突き付けられることへの反発だったのか。

先日、本願寺より新しい言葉「私たちのちかい」が発表された。冒頭に添えられた言葉には、「大智大悲からなる阿弥陀如来のお心をいただいた私たちが…」とあるので、阿弥陀如来のお心をいただいている人限定のお言葉と受け取れるが、文末には、「中学生や高校生、大学生をはじめとして、これまで仏教や浄土真宗のみ教えにあまり親しみのなかった方々にも、さまざまな機会で唱和していただきたい」とあるので、ピンポイントに絞って作成した言葉を、多くの人に触れてもらいたいという願いがあるようだ。これをもって、浄土真宗とはこういう指針を持った教えですよということを伝えたいのかもしれない。ここにその言葉を紹介する。

「私たちのちかい」
一、自分の殻に閉じこもることなく、穏やかな顔と優しい言葉を大切ににます、微笑み語りかける仏さまのように
一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず、しなやかな心と振る舞いを心がけます、心安らかな仏さまのように
一、自分だけを大事にすることなく、人と喜びや悲しみを分かち合います、慈悲に満ち満ちた仏さまのように
一、生かされていることに気づき、日々に精一杯つとめます、人びとの救いに尽くす仏さまのように

中学生から大学生までに触れて欲しいというだけに、子供バージョンよりもかなり難易度があがっている印象だ。冒頭の「自分の殻に閉じこもることなく」という言葉で、自分の殻に閉じこもる私を突き付けられ、続けて、すぐに眉間にしわが入り、人をののしる私の姿があらわになる。一つ目の誓いからかなりハードルが高く、子供バージョンよりも、より具体的にそう出来ない自分を意図的に知らせている印象を受けた。子供の頃を思い出し、さっそく、言い換えの遊びをやってみた。

「本当のわたし」
一、 自分の殻に閉じこもり、眉間にしわを寄せて、人をののしり、そんなどうにもならない私を、仏さまはそのまま受け止めてくれます。
一、 むさぼり、いかり、おろかさに流され、しなやかな心と振る舞いを持てない私を、仏さまはそのまま受け止めてくれます。
一、 自分だけを大事にしてしまい、人と喜びや悲しみを分かち合えない私を、慈悲に満ちた仏さまはそのまま受け止めてくれます。
一、 生かされているとは思えず、日々に苦しむ私を、仏さまはそのまま受け止めてくれます。

不思議なことに、反対に読んでみると阿弥陀如来の大きな慈悲の心が浮き彫りになり、浄土真宗の特長のひとつを端的にあらわしているように感じた。なるほど、これはもしかすると、こう読むべきものとして作成されたのかもしれないと思うほど。ただ、原文は、子供バーションとは比較出来ないほどに自分を突き付けられて「ダメな自分」という見方を与えてしまう可能性がある。元気な人向けの言葉で、苦しむ私を置き去りにされた気分になる。しかも、「大智大悲からなる阿弥陀如来のお心をいただいた私たち」が主語になるので、様々な人が集まる場で唱和するには無理があると言わざる得ない。

奇しくも、本願寺では「若者の生きづらさ」に焦点をあてた研修会を開いたり、「寄り添う」という言葉を多用して、困っている人たちへ手を差し伸べていくことを推奨している。今まさに闇の真っただ中にいて、自分の殻に閉じこもらざる得ない人たちへは、この言葉はとても厳しい。やもすると、上司から部下への強すぎる指導のように受け取ってしまうかもしれない。あるいは、数多くある「ちかいのことば」と同様に、風景が流れていくのように言葉も流れていくのだろうか。

学校にも、会社にも、市町村にも、世の中には形骸化された理想や指針があふれている。おそらく、多数がひとつの方向を向いていた時代には有効なものだったのかもしれないが、声をあげられず置き去りになった人たちへ少しでも目を向けようとしているのが「いま」だと思う。本願寺も同様に、把握出来ないほどの「ちかいのことば」があるが、多様化という言葉が定着して、苦しんでいる人たちへの眼差しが重要視されつつある現代で、これらの言葉は「生きた言葉」になり得るのだろうか。時代に合わせる意図があるのならば、今だからこそ、「道徳」の先にある「どうにもならない私」に向けた救いの言葉を届けてほしいと切に願う。

雪山俊隆

<私たちのちかい関連サイト>
・浄土真宗本願寺派公式サイト
https://www.hongwanji.or.jp/message/m_000322.html
・お西さん(本願寺公式サイト)
https://www.hongwanji.kyoto/know/chikai.html

健康第二

私事ですが、40半ばを過ぎてから体の代謝が非常に悪くなり、気付けばお腹まわりにはたっぷりと脂肪をかかえ、ピーク時には76キロに達しました。靴下を履く時お腹につかえて倒れそうになるほどの状態です。もちろん正座にも影響します。これではいかんと、子供の夏休みに合わせて一念発起しダイエット生活が始まりました。食後のウォーキングで村の人とすれ違うのは今でも少し気恥しいのですが、2ヵ月を経ておよそ12キロ減量しました。今のところ病気ではありませんのでご心配なく。短期の減量はリバウンドの危険性も高く多くの方に忠告を受けましたが、長期計画できるほどの自信がないため、短期決戦に挑んだ次第です。

さて、一応の成果を出せたので、改めて健康は第二であることを申し上げます。というのも、これは闘病中の父がよく言っていたことで、「健康第一」という言葉には気を付けろと。たしかに病院でそれを言ったらどうなるでしょう。また、我々は老病死を避けられない身。健康であることはとてもありがたいことではありますが、不健康な者にも人生はあります。いずれ私も不健康になります。

みなさんは人生において何が第一でしょうか?私は仏法第一です。根源的な私の救いはそこにしかありません。阿弥陀さまは常に我を照らしたもうなり。老いる時も、病を患う時も、死にゆく時も、一時も離れず私を包み込んでくれます。健康の有無を問わず光を当ててくれる阿弥陀さまに帰依します。

雪山俊隆(寺報179号)

真ん中

善巧寺のイメージ図を書いてみました。ご覧のように、中心にはお寺の要になる法要が位置し、それに並んでご門徒方の葬儀や法事、年に1度のほんこさま、そして、月2回のお講・ほっこり法座があります。また、善巧寺の枠をはみ出している活動が多くありますが、地域や有縁の方たちともご縁を結びお寺を支えていく大事な活動です。他に課外活動としては、黒西組や黒部市仏教団など、お寺さん方との繋がりや、住職個人としては、黒部市教育委員会や宇奈月セレネ美術館の運営委員として地域との繋がり、本願寺や真宗教団連合の活動など仏教組織との繋がりがあります。

みなさまはどこにご縁がありますか?葬儀と法事以外に用はないという方もおられるかもしれません。花まつりなどの楽しい行事に興味を持つ方もいれば、仏教講座だけ受けたいという方もおられます。近年は天井画をご縁に参拝者も増えました。それぞれの入口で善巧寺とご縁が生まれていますが、関心の有無にかかわらず、どなたにも忘れてもらいたくないのは中心は仏さまです。真ん中に永代祠堂会や報恩講の法要があります。

「おつとめ」とは「つとめて」行うものなのでラクではありませんが、何よりも大事な行いです。ここが崩れると、お寺全体が不安定になり存在意義を失ってしまいます。みなさまの祖父母、父母、夫や妻、我が子の命日をご縁に「永代祠堂会」がつとまります。ど真ん中の法要へ、どうぞつとめてお参りくださいますよう、お願い申し上げます。

雪山俊隆

ご本願の願い/梯實圓

このテキストは、平成3年9月29日、善巧寺の慶讃法要記念講演の法話を一部抜粋して寺報に掲載したものです。語り口調のまま文字起こしをしています。

今日お話させていただきたいと思いますのは、阿弥陀さまのご本願のお心についてでございます。浄土真宗の教えというものは阿弥陀さまのご本願を離れてはございません。むしろ阿弥陀さまのご本願のことを浄土真宗というんだとご開山(親鸞聖人)はおっしゃっているんですね。本願というのは難しい言葉でございますけれども、お願いということでございます。阿弥陀さまが私たちの1人1人にかけられた願いでございますね。その仏さまの願いを聞かしていただくということが浄土真宗のご法義に逢うということでございます。その仏さまのご本願というものがどういう事柄であるのかということをお話させていただきたいのでございます。

私は今、本願寺で教学研究所におるんでございますけれど、そこで浄土真宗聖典の編纂主幹をしておりまして、今ちょうど「七祖聖教」の原典版を編纂しているわけでございます。「七祖聖教」と申しますのはみなさんはご存じかと思いますけれど、浄土真宗のみ教えをお釈迦さまから親鸞聖人に至るまで二千年にわたってずっと伝えてくださった7人の高僧方がいらっしゃるのでございます。みなさん、お正信偈のなかに7人の高僧方のお名前とその事跡が述べてございますのでご存知と思います。龍樹菩薩、天親菩薩、曇鸞大師、道綽禅師、善導大師、源信和尚、法然聖人、この7人を7高僧と呼ぶのでございます。この7人の高僧方がお書き残しになった聖教のことを「七祖聖教」と申しているのでございます。それの新しい編纂を今やっているのでございます。実は本願寺でも、「七祖聖教」はすでに江戸時代からご蔵版はあるのでございます。しかし、これは本願寺が中心になって編纂したのではなく大阪に長円寺というのがございまして、この長円寺を中心にいたしまして大阪の学者達が集まって、編纂いたしました「七祖聖教」なのです。これは非常によくできております。今私たちが拝読いたしましても、ほとんど文句のないくらい大変よくできておるのでございます。それで本願寺の方も、これは大変よくできている、というので本願寺にお買い上げになりまして、それで本願寺のご蔵版という形で本願寺の名で出版しているのでございます。もともと本願寺のやった仕事ではないのでございます。ちょうどこちらの明教院僧鎔和上、空華学派の派組になられた明教院和上などが編纂をしてくださった真宗の和語のお聖教の全集がありまして、これが「真宗法要」という名前で伝わっておりますのがございます。この明教院僧鎔和上は真宗学ももちろんでございますけれど、その当時では最高の文献学者でもあったわけで、なかなか厳密な文献的研究によって真宗の和語の日本語で書かれたお聖教を編纂して下さった。僧樸和上と、その一の弟子であった明教院僧鎔師、その他が中心になって編纂して下さった。これは本願寺の名で編纂したものであります。だけど「七祖聖教」はもともとは本願寺がやった仕事ではございません。ことに、200年もたちますと、新しい資料もでてきますし、文献的な研究もどんどん進んでおりますので、新しい文献学的な視野に立ったお聖教の編纂というものを本願寺がやっておるわけでございます。これは今年度中にやりあげなければならないので、今一生懸命やっているのです。

これはご門主の名において行うものですから、1つ1つご門主に報告をし、そしてご指示を得るわけでございます。だいぶ前でございますけれど、この「七祖聖教」の底本と対校本がだいたい編纂委員会の方で決まりましたので、ご門主に報告に行きました。その時のことですが、ご門主はこういう学問的な話は非常に好きな方でございまして、こんな話をしかけたら、いつまででも話をしていらっしゃる。予定は1時間だったのに気が付いたら2時間くらい経っておりまして、内事の部長がいらいらしておりまして、「あの、もう時間なんですけど」というとご門主は「まあいいじゃないですか」ということでとうとう2時間あまりになってしまったんです。その時にいろいろお話をお聞かせいただいている時に、「このごろお説教の中で阿弥陀さまのご本願のお言葉をストレートにお話をするということは、ちょっと少なくなったんじゃないですか」と指摘されました。これはえらいことをおっしゃったなと思いまして、そういわれればそういう傾向があると思いまして、「これから気を付けさせてもらいます」と申したことでございます。

浄土真宗のお話なんですからいつどこでどなたがお話されていましても第18願を離れたお話はないはずでございます。また阿弥陀さまのこの本願を離れた話をしてもらったんじゃ真宗のお説教にはならないのでございますから、どんなお方がお話なさっても、それが浄土真宗のお話である限りは阿弥陀さまのご本願のお心をそれぞれにお伝え下さっておるには間違いないのでございますけれど、ただその本願のお言葉、阿弥陀さまの本願のお言葉に即して正確に如来さまの願いをお伝えするということがちょっと少ないのではないか、と大変大切なご指示をいただきました。それからあといろんな住職研修会とか布教師の先生方の講習会であるとかというふうな時には、まずそのことを申して皆さんにご本願のお心をストレートにできるだけお話をしていただくようにということを申しておるんです。今日も与えられた時間わずかでございますけれど、やはり阿弥陀さまのご本願のお心を皆さんにお話させていただきたいと思うのでございます。

さて阿弥陀さまの願い、ご本願は、お釈迦さまのお説きあそばした「仏説無量寿経」のなかに説かれています。先程「仏説無量寿経」作法のお勤めがございまして、その中でこの阿弥陀さまの願いが読経されておりましたから皆さんご縁に逢われたんでございますが、あれが阿弥陀さまの願いでございます。全部で48通りに誓ってありますので、これを48願と申しております。「設我得仏国有地獄餓鬼畜生者不取正覚」という言葉で始まっておりました。先程あげておられたのは聞いていらっしゃったでしょう。
「設我得仏---不取正覚。設我得仏---不取正覚」というふうに何回も同じような定型句がでてくるのを聞いておられたと思います。最も漢文で読まれるんだから、なんのこっちゃさっぱりわからんと思われるか知りませんが、よく聞いてますと「設我得仏(せつがとくぶつ)」という言葉で始まって「不取正覚(ふしゅしょうがく)」という言葉で終わる、一連の言葉が何回も何回も繰り返されております。「設我得仏」というのは「たとえわれ仏を得たらんに」と読み下すのでございますが、「たとえ私が仏になり得たとしても」ということです。「不取正覚」とは「正覚を取らじ」ということで、「こういうことを実現することができないようなら、私は仏になりません、正覚を取りません」こう誓われているわけです。正覚というのは、仏という言葉を中国語に翻訳した言葉です。「仏」というのはインドの言葉ですが、サンスクリットではブッダという言葉です。「ブッダ」は永遠な真実に目覚めた者ということです。そして、人々を目覚めさせるもの、それをインドの言葉ではブッダと呼ぶ。中国語では「覚者」とか「正覚者」といい、それを「正覚を取らじ」と書いてあるのは、私がたとえ目覚めた者となったとしてもこういう願いを実現することができないようならば私は本当に目覚めた者と呼ばれる資格がないんだ、こういうふうにおっしゃっているんです。私が真に目覚めた者となった以上は、ここに述べたような願いごとをきっと実現してみせる。こういうふうに仏さまが自らの願いに誓いをこめて仰せられておるんです。(寺報63号)

その願いが、48通りあるんでございますけれど、しかし、この48通りの願いの中で1番中心になる所がある。要になる所がある。それが第18番目に誓われた願である。これを第18願と呼んでおります。皆さんもお説教を聞かれると第18願ということを何回も聞かれると思います。ちょうど48通りの願いの中の18番目に誓ってあるから、第18願と呼ぶんです。この第18願が阿弥陀さまのご本意、仏さまの本心がここに表れている、この誓いに如来さまは自らの命をかけていらっしゃる、というのでこの第18番目に誓われた願を根本の願というので本願と言われてきたのでございます。そういうふうに48願の中で、第18願が如来のご本意なんだと、しっかりと見抜いて私たちに教えてくださった方が7人いらっしゃったのでございますね。龍樹菩薩、天親菩薩、曇鸞大師、道綽禅師、善導大師、源信和尚、法然聖人、この7人が阿弥陀さまのご本願の中では第18願にその仏さまの本心が表れる、これが阿弥陀さまのご本意だよっていうことを表してくださった方なんです。これを7高僧というんです。もっと言いかえますと、仏教にはたくさんの高僧方が出現されたけれどもこの第18願にこそ阿弥陀さまのご本意があるんだと言うことを見抜いてくださった方々は7人しかいらっしゃらなかった。それで、親鸞聖人はこの7人を浄土真宗伝統の祖師として仰がれたんです。これがお正信偈に「印度西天之論家 中夏日域之高僧 顕大聖興世正意 明如来本誓応機」といわれるのがそのことなんですよ。「印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓 機に応ぜることを明かしたもう」と、こうおっしゃってお釈迦さまは様々な経説をお説きあそばしたけれどもご本意は第18願の救いを説くことにあったということを私どもに知らせ、阿弥陀さまのご本願こそ私ども凡夫にふさわしい救いの法であるということを教えてくださったのがこの7高僧である。私はこの7人の高僧方のみ教えに従って、阿弥陀さまの親心を知らしていただくことができたんだ、こう言って喜ばれているのです。私たちもこのご開山のみ教えに従って、阿弥陀さまのお心を味わわしていただくのでございます。

何でもないことのようですが、実は48願の中で第18願が中心だということを見られた方は今申しましたようにほんのわずかしかいらっしゃらなかったんですね。他の人はそうはご覧にならなかった。例えば、私が自分の力で「大無量寿経」を読ませていただき、48願を読ましていただいても、まず第18願が阿弥陀さまのご本意を表したものだとは、とても読み取れません。あの程度の漢文だったら、ちょっと勉強なさった方なら誰だって読めます。けれども、仏さまのご本意がどこにあるかということを、見定めるっていうことはそう簡単に出来るものじゃないんでございます。読めば分かるというものではないんですね。

ちょっと余談になりますがね。今からちょうど1000年前、比叡山に慈恵大師良源という方がでられました。元三大師とも申しております。比叡山で1番大切な方はいうまでもなくご開山の伝教大師最澄です。その次に大切な方は、と言いますとこの比叡山を中興くださった慈恵大師良源という方なんです。比叡山の横川へおいでになりましたら元三大師堂というのがございます。その元三大師堂の裏をずーっと行きますと御廟と申しまして、この元三大師のお墓がございます。比叡山の聖地と言われるものは伝教大師最澄のお墓のある浄土院と、この元三大師の御廟なんです。元三大師というのは、元日三日に亡くなったというんで、元三大師といいます。この方が、浄土の教えについて書かれた書物があるんです。これは「仏説観無量寿経」の注釈書です。「仏説観無量寿経」に九品段という一段がございまして、そこを注釈されたので「極楽浄土九品往生義」という書物がある。この中に阿弥陀さまの48願を解説していらっしゃるんです。1つ1つの願に名前を付け1番最初の願は無三悪趣の願である。その次は不更悪趣の願である。その次は、というふうに願に名前を付けられまして、そして阿弥陀さまはこういうことを願っていらっしゃるんだ、ということを解説をしていらっしゃる。その中でこの阿弥陀さまの48願の中で1番中心になるのは何か、どの願が仏さまのご本意であるかということを問題にしまして、それは第19願である、とあの方はおっしゃっている。第19願が中心だと。なんでかというとこれは菩提心をおこしてもろもろの行をおさめ、清らかな功徳を積んで、そして浄土へ迎えとってくださいという願いを起こした人は、阿弥陀さまがその人の臨終にたくさんの聖者をひき連れて、お迎えに来てくださると書いてある。これが第19願です。これが阿弥陀さまの本意であるといっている。なんでかといったら阿弥陀さまがわざわざ臨終に迎えに来てやろうとおっしゃっている、これは阿弥陀さまのお心にかなった行者であるからだとこう言うんです。そう言えばそうかいなとも思います。

私は毎日本願寺の教学研究所に行っています。私が行っても別にご門主さまは迎えに出てこられません。あたりまえですよね。ただしかし、ご門主さまが迎えにお出になるということもあります。その人はよほどの大物でしょう。前にイギリスのエリザベス女王がおいでになった。前門さまの時代でございましたけれども、あの時は前門さまがちゃんとお出迎えになった。そしてご自身でずーっとご案内なさった。ご門主がわざわざ門まで迎えに来るというのはよっぽど大事な賓客の場合だけです。そうしますとね、阿弥陀さまがわざわざお迎えになる、これはただ者ではない。如来さまのお心にかなった人だから、阿弥陀さまがお迎えになるんだ。それはまず菩提心を起こしている方です。菩提心というのは自ら仏になろうという願いを起こすと同時にすべての人々を救って仏にならしめようという広大な願いを起こして、清らかな生活を送りながら、世のため人のために自ら命を投げ出して励む。そういうすばらしい行を積んだ人、こういう人だから仏さまのお心にかなう。それで仏さまが臨終に迎えにいってやろうとおっしゃる。これが第19願です。だから第19願が仏さまのご本意であるとおっしゃるんです。すると第18願はどうなるんだろうというと、これはたいしたものじゃないという。わずか10ぺん「南无阿弥陀仏・・・」とお念仏した位の人だからたいしたことではない。だから阿弥陀さまがわざわざ迎えに来てやろうとはいわれてないというのです。なるほどそういわれると18願には臨終に来迎するとは書いてない。しかしせっかく「南无阿弥陀仏」といっているんだから、ほっとくのはかわいそうだからせめて極楽のかたすみにでも連れてってやろうかというぐらいで阿弥陀さまが誓ってあるんだから阿弥陀さまのご本意と違う、こうおっしゃってる。極楽の片隅というとなんですが、程度の低い浄土のことです。仏さまのお救いというのはそれなりの功徳に対してのものだから、功徳のないものにはたいしたご褒美がないのは当たり前というのです。ところが、その慈恵大師良源僧正の一の弟子に、源信僧都という方がおられます。「源信広開一代教 偏帰安養勧一切」とお正信偈にいわれている源信僧都でございます。この源信僧都が「往生要集」という書物をお書きになったのですが、そのお聖教の中で、お師匠さま、慈恵大師良源の説を打ち破ってしまった。その「往生要集」を拝読しますと、48願の中で阿弥陀さまのご本意を表された願は第18願なんだと書いてある。48願の中で「念仏門において別して一願を発して曰く、乃至十念、若不生者不取正覚と誓いたまえり」とおっしゃっているんですね。48願の中で、特別に1つの願をおこして、たとえわずか10ぺんでも私の名をとなえてくれ、そして私の国に生まれることができると思ってくれ、必ずお浄土へつれてくぞ、と特別の慈悲をこめて阿弥陀さまがお誓いくださったのが第18願なんだ、ここに仏さまのご本意が表れているんだ。大悲の親心のすべてはこの第18願に表れているんだ、こうおっしゃった。これが源信僧都という方なんです。(寺報64号)

これが「往生要集」の一番大切なところでして、ご開山は読み込んでいらっしゃる。親鸞聖人は源信僧都があらわそうとされた本願のみ心をお正信偈の源信章の中で「極重の悪人はただ仏を称すべし、我もまたかの摂取の中にあり、煩悩眼をさえてみたてまつらずといえども、大悲ものうきことなくして常に我を照らしたもうと言えり」と源信僧都の「往生要集」のお言葉をあげて讃詠されています。自らの力で自分を救うことも出来ず、自分で自分を整えることのできない私のような、死ぬるまで煩悩にまつわられたおろかな凡夫を見捨てたもうことなく、どうぞ助かってくれよ、どうぞこの親に助けさせてくれよ、と願いをこめて私たちのために立ち上がってくださったのが阿弥陀さまだ。だから阿弥陀さまは、誰でも、いつでも、どこでもいただいてとなえることのできる「南无阿弥陀仏」を選び取って、お願いだから私の名をとなえながら私の国に生まれてきてくれよ、と願ってくださった。「極重の悪人は他の方便なし、ただ阿弥陀を称して極楽に生まる」こう源信僧都は教えてくださったのでございます。私は妄念煩悩に狂わされて仏さまの姿を拝むことのできない愚かな者だけれども、仏さまの御名をとなえ如来さまの親心を仰ぐ私は、仏さまのお慈悲の光の中におさめとられておる。念仏の衆生を摂取して捨てないとお誓いあそばした「仏説観無量寿経」の言葉によれば、私もまた阿弥陀さまの光の中におさめられておる、愚かな私はその仏さまの光を拝むことはできないけれども、「大悲ものうきことなくして常に我を照らしたもうなり」こう源信僧都はおっしゃった。これが、ご開山のお心を打つんですね。

しかしこの源信僧都のお味いはお師匠さんの慈恵大師良源の意見をひっくりかえしています。阿弥陀さまの救いは、功績に対するごほうびとは違うんだ、と言われるんですね。親が子供の面倒を見るのは、子供が功績を上げたから面倒見るのと違う。生まれたての子供を面倒見ずにはおれない、その子供に全身全霊を注いで、その子供を育てずにおれない、見捨てておけないのは親心の必然なんだ。阿弥陀さまの救いというものは、功績に対する褒美じゃなくて、大悲心の必然として如来さまから賜るのがお救いなんだ、功績に対する褒美として阿弥陀さまのお救いを考えているのは間違いだ、そんな考え方で「大無量寿経」を読んでも阿弥陀さまのお心は分かりませんぞ、と言うた。これが源信僧都の「往生要集」なんです。だからご開山は、この源信僧都こそ日本の国では初めて阿弥陀さまの切ない大悲の親心を読み取ってくださった最初の方だといっておられる。それで、源信僧都を7高僧の1人として数えあげていらっしゃるわけです。

話が第18願の本文からはずれたようですがこれから本文を話します。「たとえ仏を得たらんに」たとえ私が仏に成り得たとしても、ということは前に申しました。「十方の衆生」とは十方世界に生きとし生ける全てのものよ、と如来さまは願いをかけよびかけていらっしゃることを示すことばです。この如来さまの願いを宿されていない者は、1人もいないということです。人だけじゃない、犬も猫も馬も牛も1匹の虫に至るまで如来さまの大悲の願いは宿されているんだ、これが十方の衆生よと願いかけられた言葉です。実に広い願いでございますね。そうしますと、あなたにも私にも如来さまの願いが宿されているんだな、ということにまず気付かせていただく。

次に「至心に信楽して我が国に生まれんとおもうて乃至十念せんにもし生まれずは正覚を取らじ」とお誓いになっています。「至心(ししん)」というのは真実ということ、「信楽(しんぎょう)」というのは疑いなくということ、ですから「ほんまに疑いなく」というのが「至心信楽」です。「欲生我国(よくしょうがこく)」我が国に生まれんとおもえ、我が国に生まれるんだと思ってくれよということです。これが仏さまの願いでございます。私にどう思ったらいいのかそれを指示してくださっているんですよ。「乃至十念せよ」すなわち十念に至るまでせよ、というのは、たとえわずか10ぺんでも私の名をとなえながらその人生を生きてくれよ、ということです。これが仏さまのお願いです。そして「もし生まれずは正覚を取らじ」もしお前をお浄土に生まれさせることができないようなら私はまさしく目覚めた者と呼ばれる資格はないんだ、わたしが仏になったら阿弥陀仏としての名にかけて必ずお前を浄土に生まれさせる、こうお誓いになっているんです。これが第18願でございます。このお言葉の中に自分の生きる意味と方向を聞き定めていく、これが浄土真宗を聞くということです。

お前一体誰なんだ、と言われた時に、お前は一体どっちに向かって生きているんだと言われた時に、即座に私は阿弥陀さまの子でございます、そして私は阿弥陀さまの所へ生まれさしていただきます。こうズバッと答える事のできるような、そういう心境を開いてくださるお言葉なんです。7高僧の伝統というものは、そして親鸞聖人が確立された浄土真宗の伝統というものは、この仏さまの願いの言葉の中に、自分の生きていることの意味と方向を聞き定め、思い定めてきた歴史なんですね。そのことをもっと詳しくお話させていただきたいと思うんです。考えてみますと、私の生きている意味と方向といいましたけれど、私は一体何者なのかっていうのは大変なことですよ。「お前は一体何者だ!」といわれた時に皆さんどう答えます?私は先程紹介していただいたように「梯實圓」というんです。私は梯實圓です、というたらこれは名前でございます。私そのものではございません。名前は他の人と区別する時に便利にするために付けただけなんです。私にとってこの名前は別に必然的なものではない。だって、私が生まれた時名前はなかったんだもの。生まれた時、名前がなかったらわたしでないのか?そんなことはない、私は私です。そうすると、お前誰だといわれて、名前を言ったって私の本体を示したことにはならん。名前でなしに本当のお前はなにものだと言われたら、あんた方返事できますか?これは大変難しい問題です、今から1300年程前インドにシャンカラというすごい哲学者、宗教家がでました。これはインドの哲学的宗教であるベーダンタ学派の大成者です。このシャンカラという人は、死んだのは30そこそこだったそうですが、そういう人が千何百年あのインド文化圏の思想信仰をリードしているということになりますとすごいと思うんです。命というのは長い短いはあまり関係ないですね。とにかくこのシャンカラは、弟子がやってきた時に必ず聞いたのが、「お前は誰だ」だったそうです。そしたら弟子が「私は何の某です。父は・・・母は・・・、そして家系は・・・でございます」こういうとシャンカラは「俺は名前を聞いているんでも家系をたずねているんでもない、お前がなにものだって聞いているんだ」と言われたそうです。そう言われると返事が出来なくなってしまう、私はなにものだかわかりませんと言った時に、それを学ぶんだ、それをしっかり学ぶんだ、と言うたそうです。そういえば道元禅師も「仏道を習うというは自己を習うなり」といっています。「お前誰だ」と言われた時に即座に返事ができるように、そういう人間になっておけというんです。そのシャンカラ自身が、10いくつで、ある師匠についたその時に、師匠がシャンカラに「お前は何者だ」と聞いたそうです。その時彼は即座に「私はブラフマンである」と言った。「ブラフマン」というのは、インドでは宇宙の根源的実在です。万物はそれによって在り、その万物をあらしめている根源的な実在である。そのブラフマンである、と言うたそうです。そしたらお師匠様が、インドはえらい人は高い所にいるんですが、その高い所から降りてきまして、そしてシャンカラの手をにぎって、私はあなたのような人が来るのを待っていた、一緒にそのブラフマンの心を学びましょう、といって師匠が手をとってくれたという有名な話があります。(寺報65号)

私はシャンカラと違いまして「大無量寿経」の教えによって、この阿弥陀さまの本願のお心によって、「おまえは何者だ」と言われた時には、「私は阿弥陀さまの子でございます」と即座に答えさしていただくことにしているんです。あなたたちもそうしたらどうですか。如来さまは私たち1人1人を「一子」のように、かけがえのない1人の子として私たちを念じてくださる。その思いがあの本願の言葉となって表れてきている。お経には如来さまは「衆生をみそなわすこと一子のごとし」「まさに知るべし一切の衆生は如来の子なり」とおっしゃっている。ご開山はこの言葉を「教行証文類」の信文類に引用してある。「如来は衆生のために慈父母となりたもう」如来さまは慈しみ深い父母となって私たちの前に立っていてくださる。「まさに知るべし一切の衆生は如来の子なり」皆仏さまの子なんだよ、如来さまから大切な我が子よと呼び掛けられている仏さまの子なんだよ、とご開山はおっしゃってますが、私はこのご開山の指示に従って、「お前は誰だ」と言われたら「私は阿弥陀さまの子だ」と言わしていただくことにしてます。死んでも、阿弥陀さまの子ならどこもよそへは行きません。阿弥陀さまの国に生まれさしていただく、阿弥陀さまの世界を我がふるさとといい切らしていただくことができる。私はお浄土から来たわけではありませんが、親のいますところが、私の帰るべき故郷なのです。それが如来さまの本願の言葉に逢った人の喜びなんでしょうね。私は阿弥陀さまの子として、阿弥陀さまの大悲を宿されて生きさしていただいている、そういうものなんだ、と自分の存在を、生きていることの意味を確認していくことです。阿弥陀さまから大切な我が子よと言われている存在なんです。大事にしましょうよ。年がいってもう私みたいなもんが生きとっても何の役にもたたん、早くお迎え来んかいなという人がいるけど、そんなこと言いなさんな。役に立とうが立つまいが、そんなことは関係ない。なんの役にも立たなくっても、如来さまは私の命に向かってお前はかけがえのない大切な仏の子なんだよ、こう呼んでくださるんだ。私たちは如来さまからやがて仏の徳を実現する大切な仏の子なんだよと言われていることに支えられながら生きさしてもらいましょう。世の中のすべての人からお前みたいな奴は死んでまえといわれたって、大きなお世話だ、私が存在していることは如来さまによって認められているんだ。こう言わしてもらいましょうや。如来さまによって認められている人生を大切に生きさしてもらうんです。その意味で自信を持って生きさせていただきましょう。

「煩悩具足の凡夫」というのは、どうにもならん悪い奴だ、ということと違います。ごみと違う、ただ悪いだけだったら、ただのごみだったら、捨てりゃあいいんだ。しかし、仏さまは私を捨てられんとおっしゃった。如来さまからは如来子といわれているものでありながら、しかし私たちは仏さまの子らしい生き方をしとるか、というたらいっこうにそれらしい生き方が出来ておらん。仏さまに背中向けて悪魔に魂を売ったような浅ましい日暮らししかしていない、そのことの申し訳なさを、「煩悩具足の凡夫」というのです。仏の子が仏の子らしからぬ生き方をしていることを申し訳ございませんと慚愧している。それがこの言葉です。ただつまらんもんだ、というのとは違う。これを間違わないようにしてください。私たちは如来さまから大切なものとして、如来さまにその存在を承認されているものなんだということです。そして、このこの仏さまの子として生きる私は、阿弥陀さまの世界へ、限りない命と光の世界に向かって歩みを運ばしていただいている人生であるといいきらせていただくことができます。こう言わしていただける心の視野を開いてくださるのは、この本願のお言葉ですね。「お願いだからほんまに疑いなく私の国に生まれることができると思ってくれよ」という如来さまの願いを聞き入れさえすればいい。話はそれでけりがつく。「私は何にもわかりませんけれども、あなたのお言葉のままにあなたの世界に生まれていく人生であると思い定めさしてもらいます」とこう仏さまの仰せをスイっと受け入れたらその瞬間に仏さまは、そうかお前私の願いを聞き入れてくれたか、それじゃもうお前も私の仲間やで、とおっしゃってくださる。私たちはこの瞬間から仏さまの仲間として生きさしていただくんですよ。それを親鸞聖人は「正定聚(しょうじょうじゅ)にいる」と言われたんです。仏さまのお言葉を如来さまの願いを聞き入れて、自分の人生を思い定めていくものが仏さまのお弟子でございます。真の仏弟子でございます。仏弟子というのは、どんな生き方をしているかではなく、仏さまの願いを聞き入れたかどうかで決まるんです。もう、ことわりを言わんようにしましょう。仏さまの言葉、願いのままに、あなたの世界に生まれさしていただくとこういただく。その瞬間に私たちの人生の方向が決まる。方向が決まった瞬間に私たちは放浪者じゃない確実な方向に向かう旅人になる。旅人というのは、方向が決まって行き先がわかっているから旅人なんです。行く先が決まっていなかったら放浪者だ。人生を放浪として終わるか、それとも帰るべき命のふるさとを約束していただいて生きるか、これはこの仏さまの仰せを聞き入れるかどうかの問題です。信心というのは、この仏さまの仰せをはからいなく聞き入れることなんです。如来さまの言うことを聞くことなんです。親鸞聖人は、はからいなく仰せを聞けよ、聞き入れよとおっしゃっていますから、仰せのままにお浄土に生まれさしていただく、こう思い定めさしていただく。

考えてみたら私たちはこの世に生まれた時、何にも知らんと来た。何の予備知識も与えられないまま、この世に生まれてきました。どこそこの家に生まれたいと思って生まれてきた訳じゃないでしょ。気が付いたら生まれてた。何しにきたのかもしらん。生まれたことも後になってわかった。そんなもんでしょ。そして、こうしろああしろ、こおでもないああでもない、と言われるうちにここまで育った。そのうちにふと気が付いたらもうお前の持ち時間終わりやで、というようなことになるんです。その時に行く先が決まっていなかったら、これは大変なことです。この命、いずこより来ていずこに去っていくのか何もわからない。実はこれが私たちの本音でございます。何1つ知らされないままこの世に生まれてきた、これは大変なことですよ。ジャンポールサルトルという哲学者がおりましたが、彼は人間ていうのは投げだされたようにこの世へ生まれてくると言っておりますが、まさにそうでしょうね。私だけわからんのか、と思ったらそうでもない。あの有名な弘法大師もわからんと言われている。この方は頭の良い人でね、「行くとして可ならざるなし」何をやらしても超一流、という人物だった。あの方の書物を読んでいると、才気煥発という確実にすごい頭脳の持ち主だったと思うんです。その弘法大師の書物の1つに、「秘蔵宝鑰」というのがある。その序文に「生まれ、生まれ、生まれ、生まれて生の始めに暗く、死に、死に、死に、死んで死の終わりに暗し」こういう言葉があります。この命いずこより来ていずこへ去っていくのか、何もわからない、ただ漠然とした命を今こうして営んでいる。身震いするような思いがしますな。そんな私が、仏さまのお言葉によって仏さまの教えによって、自分の命の生きている意味と方向を聞き定め、見定めたいと思うんだ、というのでこの書物を表されているわけです。しかし、大師は「金剛頂経」や「大日経」といったお経の中に、自分の命の方向を聞き定め見定めようとされていた。私は親鸞聖人のみ教えに従って「大経」に示された阿弥陀さまの願いの言葉の中に私の生きる意味と方向を聞き定めさしていただこうと思う。私の命には、如来の命が宿された命なんだ。そしてこの命は如来さまの世界に向かって歩みを運ばさしていただいている。やがて訪れる死はむなしい滅びじゃなく、永遠の命の中に帰っていく。永遠の生である。と言われるような自分の人生の意味と方向、それを本願のお言葉の中に聞き定めさしていただくのでございます。こうしてご縁に逢わしていただいて、そして阿弥陀さまの本願をずうーっと受け継いで伝えてくだすった多くの方々の御化導の伝統をいただきながら、私もまたあなた方と同じ世界へ生まれさしていただきます。同じ阿弥陀さまの願いを宿され、同じ阿弥陀さまの世界へ生まれさしていただきます。前と後ろとの違いはあっても同じ所で逢わしてもらいます、こういうことがズバッと言えるみ教えを与えていただいたということは、本当にありがたいことですね。ちょうどお時間になりましたのでこれでお話を終わらせていただきます。(寺報66号)

頼る力

小学校の卒業式で祝辞を述べました。これから人間関係を築いていくこどもたちに伝えたいことを考え、小児科医の熊谷晋一郎さんの言葉を紹介しました。一部紹介させてもらいます。

自立して生きるというのは、誰にも頼らず、ただひとりで生きていくことのように思われがちですが、本当はそうではなくて、たくさんの依存先をもつことだと熊谷さんは言います。

私たちは、あまりにもたくさんのものに依存しているから、何にも依存していないと錯覚してしまいますが、じつは、あらゆるものに支えられて生きています。熊谷さんが親なしで生活できるように独り暮らしをはじめたのも、親からの自立ではなくて、親以外にも依存先を増やしていくことだったのです。

みなさんはこれからもいろんな経験をしていきます。まわりが見えなくなるぐらい何かに熱中したり、誰かを大好きになったり、それはとてもステキなことですが、依存先がひとつに偏ると、とても危ない時があるので気を付けて下さい。苦しくなった時は、誰かに助けを求めてください。苦しいということを、誰かに伝えてください。人に頼れるようになってください。ここに仲間がいます。ここにいる大人も、みんなの応援団です。きっとわかってくれる人がいます。そして、自分に少しの余裕がある時は、困っている人に手を差し伸べられる心をもちましょう。そんな人を私は尊敬します。

「自立とは、依存先を増やすこと。希望とは、絶望を分かち合うこと」

雪山俊隆(寺報177号)

居場所

善巧寺の本堂は明治14年に建立されました。当時はコレラが蔓延していて、明治12年には富山県だけで1万人以上の死者が出たという記録があります。その年の過去帖を見ると、8月だけで100人以上のお名前が記されていました。コレラは江戸末期から数10年にわたって続き、明治19年にも再び県内で1万人以上の方が亡くなっています。

そんな過酷な状況の中で、現在の本堂は建立されました。しかも、それまでの本堂では手狭ということで、ひと回り大きなサイズになりました。まわりで人がバタバタと亡くなっていく最中、200~300人の収容が想定されていたことに驚きを隠せません。現在とは社会状況が大きく違うので比較にはなりませんが、今回のコロナウィルス騒動でも、改めてお寺の存在意義が問われ、見つめ直す機会になりました。

7年前の大法要では「みんなのお寺 わたしのお寺」というスローガンを掲げました。ひと昔前の方たちは、嫁いですぐに「お寺へ参りなさい」と有無を言わさず足を運ぶことになり、そこでコミュニティに入り、仏さまの教えに触れ、50年以上通い続けた方たちがおられます。長い年月を経て、いつしか第二の家としてお寺が居場所となりました。昨今、「居場所」という言葉をよく耳にしますが、即席で叶うものではなく、じっくりと腰を据えて苦楽を共にした中で生まれるものでしょう。価値観の変化に適応しつつも、大事なところを踏み外さずに歩んでいきたいです。

雪山俊隆

みんな逆さま 逆転めがね

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京都でお坊さんの研修会がありまして、そのとき心理学の先生が、おもしろいものを持ってこられましてね、「逆転めがね」というんです。これをかけると、とにかく上と下が逆さまに見えるというんです。
「かけてみませんか?」
おもしろそうなので、ハイハイと手をあげて、かけさせてもらったんです。
「わあーッ!」
いやあもうたいへんであります。とにかくなにもかもが逆さまで、床と天井がひっくり返っている。歩こうにも一歩も動けない状態です。
「はい、この鉛筆をどうぞ」
どうぞといわれても、その鉛筆がつかめない。何度か空振りを繰り返して、やっと手にすると、
「さあ、あなたのお名前を・・・」
もうどうにもなりません。一生懸命頭を働かせて、自分の名前を書こうとするんですけど、どうにもならない。しばらくかけていると頭が痛くなって、やっとその逆転めがねをはずさせてもらったんですが、字を見ると、これはもう赤ちゃんよりひどい、裏返しになったり、上下ころんだり、ナンノコッチャさっぱりわからんものでした。

で、先生のお話を聞いてみると、このめがね、一週間もかけていると、ちゃんと慣れてきて、歩いたり、食事をしたり、字を書いたりも出来るようになるとのこと。いや、もうけっこうです、と逃げたんですが、じつは、わたしたち、生まれたときは、どうやら、この逆転めがねでものを見るのと同じように見えていたんだそうです。それを、まわりのものがいろいろ教えて、逆さまが、まともに見えるようになってきたんだというんです。つまり、人は、育てる側によって育つわけで、見ることも、聞くことも、動くこともみなすべて、育てる側によるのだとおっしゃる。

そういえば、あのインドの狼少女、アマラとカマラだって、生まれたときから狼に育てられたので、二本足で歩けないし、昼より夜のほうが目が見えたし、人間の言葉などまるでわからなかったわけです。

いやなにも遠いインドの話だけではないわけで、ほら、あなたがしゃべっているその言葉、富山弁でしょ。「ちゃあ、ちゃあ」っていうでしょ。それだって自分で考えだした方言じゃないでしょ。まわりが「そいがやっちゃ、そうやっちゃあ」といっていたからそうなったわけ。笑い顔だって、くしゃみの仕方だって、ハナのすすり方だって、ちゃんと育てる側に似てくるんですよね。

まあ、そう考えてみると、二本の足で歩けるのも、日本の言葉がしゃべれるのも、なにもかも、お育てあればこそ・・・と喜ばねばならんわけですが、これがなかなか喜べない。そんなこと当たり前としか思っていない。恩知らずの畜生ですなあ。

しかし、まあ、いまいった逆転めがねねえ。私らはもうちゃんと左右上下きちんとまともに見えていると思っているけど、仏さまがごらんになると、これがまた、逆さまだとおっしゃってる。おのれの欲望だけを考えて、他人のことは考えない逆さま。おのれの人生を見つめずして、今日一日のことに明け暮れる逆さま。おかげさまよりおカネさまという逆さま。足ることを知らず、もうちょっともうちょっととむさぼる逆さま・・・。いっぺん仏さまのめがねをかけて自分を見直さんといけませんなあ。


昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。

「お茶の間説法」(37話分)
>> https://www.zengyou.net/?p=5702

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