お茶の間説法」カテゴリーアーカイブ

ハウツー説法

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


わたしの住んでいる富山県宇奈月町では、さいきん、婦人会の方たちが中心になって、生活見なおし運動というのをさかんにやっています。節約時代の折から、なるべくムダなことはやめようではないか、ということで、中元、歳暮、香典返しの廃止とか、結婚式の披露は華美にならないようにとか、いろんな取り決めをしています。主旨は大いにけっこうで、これが実行されたらわたしたちの生活はずいぶんスッキリするんじゃないかとも思うのですが、その中に、仕事柄ちょっと気になることがありました。

この運動を進めるためのいろいろな取り決め事項がありまして、それが印刷されて各戸に配られたんです。で、読んでみますと、その中に「一つ、法事は砂糖一袋ていどとし…」とある。一瞬、わたしは首をかしげた。
(法事は砂糖一袋とは、いったいどういうことなんだろう?)
もちろん、すぐにわかりました。
(ナールホド。これは法事のあとで、みんなに配る引出物のことだな。そういえば、このあたりはずいぶん引出物が多くて、ナベカマからポット、酒器セット、茶器セット、毛布にシーツ…まるで百貨店の大売り出しみたい。それを簡略化して、砂糖一袋ぐらいにすれば、少しはラクになるということか)

ここまでわかったところで、こんどは次の疑問がわいてきました。
(ところで法事は砂糖とスッと結びつけてしまっているけど、いったい法事は何のためにするのかご存じなのだろうか?)

たまたま、その婦人会に呼ばれて、話をしろということになりまして、わたしはまず、このことを聞いてみたんです。
「ねえみなさん、生活見なおし、大いにけっこう。法事の引出物は砂糖一袋ていどというのもけっこう。しかし、どうなんでしょう。若い奥さん方は法事というのをいったい、なぜするのか、ご存じなんでしょうか」
「いや、それは、やぱり昔からしていることだし、先祖供養とかいろいろ意味があると思うんですけど…今日はそんなことじゃなくて、その法事でわたしたちが何をどのようにしたらいいのか、お作法みたいなことをちょっと教えてほしいと思いまして…」

さっきは法事からスッとお砂糖へ飛び、こんどは法事からスッとお作法へ飛ばれた。近頃の奥さん、ずいぶん飛ぶのがお好きなようです。そこで、こちらも負けずに、お砂糖とお作法はポンと飛ばして、いったい法事はなぜするのか、という原点にかえって話をすすめることにいたしました。

結論から申しますと、法事というのは、身近な亡き人―先祖のおかげで、いま、わたしが生かされているという、よろこびと感謝の表現であります。ですから、こういうことをしなくてはならないというしきたりや、きまりに全くこだわる必要はありません。

よくあることですが、法事というのは、亡くなった先祖の成仏を願う儀式であると思い込み、坊さんにお経を読んでもらって、そのお経の功徳によって、六道をさまよっている先祖の方々を、すこしでも良いところへやってもらおうと考える。そして、お経が終わると「亡き父も、本日のありがちお経を聞いて、さぞかし草葉のかげでよろこんでいるでしょう」などとおっしゃる。これは少々おかしいとわたしは思う。先祖は尊ぶべきものという意識を持ちながら、逆にその先祖を草葉のかげに追いやっている。これは先祖に対して失礼じゃないでしょうか。

問題は法事をつとめられる側でなく、つとめる側、このわたしなんですよ。このわたしが、先祖ばかりではない、あらゆる人たちのおかげによって、いま、いきいきと生きている。生かされている。そのよろこびと感謝のありったけが、法事という形で表現されてゆくわけです。しきたりやこだわりにしばられず、もっと自由にそのよろこびをあらわされてはいかがでしょう。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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ストーブで心は暖まらない

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


テレビに出てれば お偉い方で
テレビがいってりゃ 正しいことで
テレビに出なけりゃ 落目ときめて
テレビにだまされてりゃ罪はない
はは のんきだね

という今様のんき節をうたっているのが、あの永六輔さん。ご本人は”落目”じゃないらしく、先日はNHK教育の「文化講演会」に講師としてご出演。これをわたしも拝聴したのですが、じつにおもしろかった。「いささか漫談のようではなりますが…」とことわっておられたが、いささかどころか、大漫談で、30分余りの話だったのに、こちらは話が終わってからも、まだ笑いがとまらず、いまだに思い出し笑いをしているしまつであります。

話の内容は、文化と文明、知識と智恵というテーマで、メートル法は知識、尺貫法は智恵、フォークの背中にごはんをのせてたべるのは誤った知識で、ワリバシをパチンとやって、木の香をも楽しみながらごはんをたべるのが智恵…などなど、身近な生活の中での、知識と智恵のギャップを掘り起こしての話でありました。

その中で永さんは「智恵というものには、何か、こう、あたたかさがありますよね」とおっしゃったのだが、これにはわたしもヒザを打ちましたね。そうなんですよ。智恵にはあたたかさがある。智恵の目というものには知識の目では見えないものが見えるんです。

例えば、母親のなみだです。知識の目で見れば、それはNACL-塩水としか見えない。汗とかわりのない分泌物で、それがたまたま、いま、わたしを産んだ母と呼ばれる女の目から表面張力を越えて、こぼれ落ちたとしか見えないわけです。ところが、これを智恵の目でみると、母親がこのわたしにありったけの愛情を注ぎ、わたしの悲しみを自分の悲しみとして、わたしにかわって泣いてくれているのだということがわかってくるのです。

いま、わたしにはこどもが3人いますが、その中で、4才になる長男が、とても知識欲旺盛で、食事の時にみんあの顔をみて、こんなことをいうんです。
「この中で、だれが1番に生まれたの?」
「そりゃあおじいちゃんだろ」
「そうか、おじいちゃまが1番。そしたら2番はおばあちゃま。3番は…お父ちゃま。4番はお母ちゃま、5番はお姉ちゃま、6番はボク。7番は…(弟の)ノリくん!」
これを何度もくり返し、次に不思議そうな顔をして
「みーんな、生まれたね」というんです。知識の目でなら「当たり前じゃないか」となるのですが、母親はそうはいわなかった。ニッコリ笑って「みんな、あえて、よかったわね」といった。久しぶりに家族中があたたかいものを感じたことであります。

あたたかいといえば、つい先日、こんなこともありました。寺の本堂というものはとても寒い所でありまして、座っていても、歯の根が合わなくなってくる。そこで、お年寄りのために、この冬から、火ばちに加えて、大型ストーブを2台入れてみたんです。みんなとてもよろこんでくれました。ところが、そこへ、さらにこの1月、小さな花もようの座ぶとんが50枚はいりました。
「おばあちゃんたち寒かろう」と、門徒の青年が2人して寄付してくれたのでした。おまいりにきた人たちに、2人の青年のことを話すと、みんなポロポロ泣きだすんです。
「若いのに、なんと、心のやさしい人だろう。ようこそ、ようこそ」

知識の目でみれば、大型ストーブの方があたたかいに決まっている。しかし、ストーブでは、体はあたたまっても、心はあたたまらないのです。知識と智恵—どうやらチャンネルが違うようです。切り替えてみませんか。知識の目から智恵の目へ。おカネさまからおかげさまへ。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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名CMその後

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


テレビのコマーシャルというものは、わたしたちの“もうちょっと、もうちょっと…”という餓鬼道の心を、とても上手にくすぐるもののようであります。“新発売!”とわれると、どうしても、それを買わないと時代遅れになってしまうような気になるし、”読んでから見るか、見てから読むか”といわれると、ヤメトコという気になかなかなれない。おもしろいなあと思う半面、おそろしいものだなあとも思うわけですが、そのおもしろくて、おそろいいコマーシャルをこしらえている人は、いったいどんな人たちなのか、と興味をそそられた時代がありました。そこでハッパフミフミなんてことばを流行させたおじさんに会いにいったり、常に時代の先取りをと考えている大センセイにインタビューしたり、また、ご一緒にそんなコマーシャルを作ったりしていたことがあるんです。

そんな関係で、いまでも広告界で忘れられない人がたくさんいるわけですが、でもこの人のことは、、よく思い出します。藤岡和賀夫さんという、広告会社の方なんですが、名前をいってもおわかりにならないかもしれません。しかし、これならご存知でしょう。あの“モーレツからビューティフルへ”そして”ディスカバー・ジャパン”の名キャッチフレーズをつくった人なんです。

世をあげてモーレツ時代といっていたころ、ふと見かけたビューティフルなコマーシャル。新聞記者をしていたわたしは、これぞ時代の先取りと、このコマーシャルに飛びついた。ガツガツ働くばかりがノウじゃない。世の中、そして人生は、ビューティフルにゆかねばという藤岡さんのことばに、大いに共感したものでした。

そして、その藤岡さんから次に出たのが、ディスカバー・ジャパンだった。カタカナだけではもの足りないと、日本語のひとことがはいった。“美しい日本と私”—名付け親は川端康成さんでした。わたしは、この川端さんのひとこおTにひかれました。“美しい日本”だけならどうってことないのですが、それにもう一つ”私”ということばがはいっている。これにひかれたんです。

で、そのことを藤岡さんに聞いてみた。
「これ、国鉄のコマーシャルでしょ」
「そうですよ」
「なかなかいいですね。ディスカバー・ジャパンはわかる。美しい日本もわかる。どちらも国鉄でめんどう見きれますからね。でもね、そのあとに、”私”ということばがはいっている。これは、どうなんでしょう」
「どうっていうと?」
「いや、美しい日本までは国鉄さんでけっこうだけど、私となると、これはもう国鉄さんではすまくなりませんか」
「そうですね」
「このコマーシャルでよろこんでいるのは国鉄だけじゃなくて、ひょっとしたら、宗教界じゃないかなあ」

そんなことがあってしばらくすると、国鉄の駅にこんなポスターがお目見えしました。

ディスカバー・ジャパン
美しい日本とわたし 目をつむって何をみよう
心のふるさと お寺の宿

民宿から寺泊というわけです。そして、あれからもう何年かたって、ディスカバー・ジャパンは衣替えして、”もう一枚のキップから”となってしまいましたが、どうなんでしょう。美しい日本を見てまわる旅行ブームは過ぎ去ったかもしれないけど、”私”の問題はまだ過ぎ去ってはいないのではないでしょうか。目をつむって、あなたはいったい何を見たか。ほんとうのわたしはいったい何なのか――時代の流れと電波の波に押しまくられて、ついうかうかと、わたしたちは、このわたしの問題を忘れてしまったのではないでしょうか。CMふうにもう一度、

母さん あの時の わたしはどこにいってしまったんでしょうね
ホラ あの ”美しい日本と私”と口ずさんでいたときの あのわたしの問題ですよ


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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生きがいと死にがい

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


歌に想い出がより添う 想い出に歌が語りかける
二つの結び合いをみつめながら、絶え間なく歳月が流れてゆく

これはNHKのきらめくリズムの語り口。二つの結び合いがどうなるかは別として、とにかく絶え間なく時は過ぎ、歳月は流れてゆくもののようであります。とくにこのテレビをにぎわすヒットソングというものは、流行のサイクルが短くて、あっという間に忘れ去られてゆくもので、七年前の歌なんて、まるで覚えていない。そんなわたしたちに、二重の意味で時は過ぎ、歳月は流れてゆくものだということを語りかけてくれるのが、昨年暮れの、ちあきなおみさんでした。

NHKのビッグショーだったかと思うのですが、そこで彼女が歌った歌が「四つのお願い」。あとで調べたら、この歌は七年前のヒットソング。それをホコリをはたいて引っぱり出してきた彼女は、まず一節、

一つ やさしく愛して
二つ わがままいわせて
三つ さみしくさせないで
四つ 誰にも秘密にしてネ

と歌い、つづいてこの二人の結婚後、倦怠期を歌い、最後に2人のたそがれ時の四つのお願いを、身ぶり手ぶりよろしく歌った。

たとえばわたしが先に、先に逝ったら
おじいさんや わたしのお願い聞いてほしいの
一つ お墓に参って
二つ お経を読んで
三つ お花を飾ってね
四つ わたしたちの人生はしあわせだったといってネ

このパロディに、場内は一瞬、シーンと静まりかえり、そして間もなく、拍手のアラシ。そこで彼女は「考えてみますと…」と話そうとした。ところが拍手が鳴りやまない。テレた彼女は「なんだか今夜のなかで一番拍手が多かったみたい」とひとりごと。ここでようやく静かになった。その時、彼女はこういったんです。
「考えてみますと…いえ、考えてみるまでもなく、わたしにも、人生のたそがれ時がやってくるんですね。ですからわたしは、その日がくるまで、今日一日、今日一日を、心豊かにうたいつづけたいと思います」

時は過ぎ去り、人は死ぬ―愛だの恋だのという歌はゴマンとあるけど、冷たいホントをズバリ歌ったのは彼女がはじめてじゃないかと思う。これを聞いてヒヤリとしたり、ギクリとしたり、ゾッとした人がかなりいたんじゃないかと思うんです。

サンケイの1000人調査によれば、老後の生きがいは
①仕事をもって働いていること
②勉強したり若い人に物を教えること
③趣味をたしなむこと
④こどもや孫と一緒に過ごすこと
⑤老人同士語りあえること
⑥好きなものを飲食すること
⑦何もせずにすごせること
という順番になっています。

年をとっても仕事に生きるということはすばらしいことであります。人に物を教えてゆくことも大切なことです。趣味をたしなみ、孫にかこまれ、おいしいものを食べてすごすこともすてきなことであります。しかし、人間、生きがいばかりではなく、死にがいも考えてみなくてはならない。すると、さっきの歌にもどるわけですが、なるほど墓に参ってもらい、花をかざり、お経を読んでいただくのも結構だけど、さいごのお願いの、わたしたちの人生、しあわせだったよといって欲しいという、これに尽きるのではないかと思うんです。

生きがいと死にがい――これを仏教では二つのこととしてではなく、生死(しょうじ)の問題として一つに考えています。生きているということは、死に近づいているということであり、死の問題をかかえているということは、生きているということなのです。ところが、わたしたちは、それを片方だけクローズアップして、ややこしいことは後まわしにしてしまっているみたい。でも、ちあきなおみのパロディ四番目のお願い「しあわせだったといってね」ということは、とりもなおさず、いま、わたしが心豊かに生きているかどうかにかかっていることなのですから、どうかみなさん、今日一日を大切に。そしてそれぞれの持ち歌を、声高らかに歌おうではないですか。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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千々に乱れてグチばかり

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


電車の運転士をしている友人がいうんです。「いいのかなあ、これで…」「何が?」と聞くと、「いやね、オレは毎日、ハンドル握って、レールの上を走っているんだけど、あの運転席というのは孤独な場所でね。いろんなことを考えてしまうんだ」「例えば?」「うん、例えば、信号ヨーシで青を確認したとするだろ。するとその青から青いみかんが浮かんだり、踏み切りを通過するときに見た車の中に家族連れが乗ってたりすると、オヤ、どこへ行くんだろう、あの方向ならデパートへ買物かなとか、そのすぐあとで、ああオレもウチの連中つれてってやらなきゃとか、いや、オレ1人であしたは釣に出かけようとか、こんなに天気がつづくと、庭に水やりしなきゃいかんなとか、そんなこと考えてて、ふと手をみると、ああツメを切らなきゃとか、とにかく気が散るんだよ。もちろん、後には大勢の命をあずかっているんだから、緊張はしているんだけど…。何か気の散らない方法はないものかね」

友人のことばに、わたしは即座に答えました。「あるもんか」。友人はがっかりして「坊さんのお前だから、座禅でもしろといってくれるかと思ったのに」という。もちろん座禅も結構だが、だまって坐ったぐらいで、われわれの本性が変わるわけがない。友人も、わたしも、そしてあなたも、みんな同じようなもので、毎日毎日、心を静めて一つのものに集中するなんてことはまるでなく、朝から晩まで気の散りっぱなし。そばから見ると、一心不乱に仕事をしているように思えても、当人の心の中は千々に乱れているのであります。

で、友人に「彼岸に至る第五の修業は禅定といって、精神集中の修練なのだが、とてもわれわれにはできるもんじゃない。だからといって居直らず、いいのかなあ、いいのかなあ、いいわけないよなあ、と、せめて1日1回ぐらいはオノレを省みる。さっき思ったその心を忘れるな」と、いったものであります。

さて、至彼岸、六パラミツの最後は「智慧」であります。智慧とは、事物の実相を照らし、惑いを絶って、さとりを完成するはたらき。物事を正しくとらえ、真理を見極める認識力、これであります。で、この智慧には四つの分別がありまして、一に生得のチエ。生まれながらに持っているもので、母親の乳を飲むとか、泣き声でもって親をこきつかうとか。二に、聞慧。聞くことによってつくもの。三に思慧。思索から生まれるもの。そして四に修慧。それを実践して体得するものであります。

こう考えてまいりますと、わたしたちはどうやら一の生得、二の聞慧どまり。それも見上げたものじゃなく、聞きっかじりの浅智慧で、せいぜい働くのが悪智慧ぐらい。三、四の思索し、実践するなどは思いもおよばぬことであります。

では、智慧の反対はどうかといいますと、無知でありまして、これならお手のもの。無知の語源はインドのMOHA=愚かなこと。これが中国に渡って音訳され「慕何(ぼか)」あるいは「莫訶(まか)」となり、なぜかこのボカとかマカがなまって、日本語の「ばか」になったといわれます。そしてその、ばか=無知なるものからこぼれ出るもの、それが愚痴というものであります。

「よわったなあ」「まいったなあ」「しまったなあ」「ままならないよなあ」「いやんなっちゃうよなあ」・・・職場で、家庭で、街角でとめどなくあふれ出ているのが、このグチであり、それそのままが、ばか丸出しということになるわけで、じゃあよせばよいのにと思うのですが、なかなかこれがとまらないんですよね。しかし、これまた居直らないで、ポロリとこぼれたグチのなかから、自分の智慧のなさを知る。本当のわたしというものを思い知らされる、という受け取り方も大事なことかと思うのですあ、いかがでしょう。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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居直るか、痛みを感じるか

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


彼の岸―悟りの世界に到達するための修業の4番目は「精進」であります。精進とは精魂こめて、ひたすら進むということで、悪いことはやめて、善いことをするように努力することであります。これさえ心がけていれば、いつも健康で、職場ででも、出世街道をひたすら進むことうけあいなんですが、なかなかうまくゆかない。というのが現状のようです。

悪いことはやめて、善いことをする―たとえば、タバコというのはどうでしょう。”健康のため、吸いすぎに注意しましょう”と書いてある。体に悪いんですよね。だから精進努力して、キッパリとやめればいい。とても簡単なことであります。ところが、これがなかなかやめられない。「やめるべきか、やめざるべきか…ちょっと一服やりながら考えよう」とか、「禁煙なんて簡単なことだ。わたしなんか、もう百回も禁煙した」とかなんとかいいながら吸っている。

健康のために、ナワとびがいいとか、マラソンがいいなどというのもある。「よし!それだ」と一度はやってみる。ところがこれんもつづかない。おやかの出っ張りが気になると「よし!減食だ」と思い立つ。ところがこれも三日坊主。よいことというのは世の中にいっぱいあって、努力すれば自分もよくなることは十分承知しているのだけれども「わかっちゃいるけどやめられない」と、悪い方へ悪い方へとひたすら進んでゆくのがわたしたちなんですね。

新聞のコラムに「わたしの健康法」というのがあって、その原稿の依頼に、永六輔さんのところへうかがったことがあるんですが、彼はそのとき「生きていること自体が不健康なことなので、ボクには健康法なんてものありません」といった。よいことをつづけることが出来ない自分というものをよく知っていらっしゃる、と思ったものであります。

精進といえば、精進料理というのがあります。生ぐさいものを使わない料理のことで、その心は、ものの生命を大切にするというところにあります。わたしたちはあらゆるものの生命を奪って生活しています。ですからせめて、親の命日ぐらいは、なるべく生き物の生命を奪わないようにしようということで、精進日というものを各家庭で決めていたわけです。

先日、門徒のある家庭にうかがいましたら茶の間にこどもが描いた絵がありまして、そこにサカナとトンカツが描いてある。そして、それに赤いクレヨンで×印がうってある。で、その横にこんなことが書いてあるんです。
「こんな日はこんなものを食べないようにしよう」
こんな日とは、おばあちゃんのなくなった日、おじいちゃんのなくなった日、お姉さんのなくなった日…であります。いまや、こういう家庭はまれですね。お葬式の日でも刺し身やカマボコが出てくるのがあたり前のようになっている。

こんな話をしていると、ある青年が、
「いいじゃないですか。生き物といえば何もサカナや牛ばかりじゃない。米だって野菜だって、みんな生き物。結局われわれは殺生しなきゃ生きてゆけないんだから、生ぐさいものとかなんとか区別する必要ないんじゃないですか」
といいました。どうでしょう。わたしには居直りとしか思えない。いってることはたしかに正しいのですが、その受け取りようが違います。あらゆるものの生命を犠牲にして生きているわたしなのだから、せめてそういったものに感謝をする心がなくてはなりません。わかっちゃいるけどやめられない、と居直る前に、心の片すみにほんの少しの痛みも感じることがない自分はじつは何もわかっちゃいないんだ。ということをわかっていただきたいのです。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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ようこそ、ようこそ

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


わたしが新聞社に勤めていたときの上司にとてもコワイのがおりまして、とにかく、毎日カミナリを落とすんです。新聞のゲラ刷りをデスクにバシンとたたきつけて「バカヤロー!」とくる。これがとてもサマになっていて、わたしなどはいつもほれぼれとみとれていたのですが、あるとき医学の本を読むと、ハラを立てると内蔵出血が起こると書いてあった。で、気になって、上にいったんです。例によってゲラ刷りか原稿をたたきつけて怒っている最中に、
「あのォ、あんまりハラを立てると内蔵出血して、体によくないそうですよ」
といったら、またまた
「バカヤロー!好きで怒っているんじゃないんだ!」
ときた。こうなると、ハラを立てるのも仕事のうちということになるわけですが、お互い仕事場でも、家庭でも、ハラを立てるのはあまりよくないと思うんです。なんたって、お経にもあるように「ハラを立てたらスマートにならない」のですからね。

彼岸に至る修行の第三課は「忍辱(にんにく)」つまりハラを立てないことであります。むかし、山陰の鳥取に、源左という男がおりまして、この人はなかなかこの忍辱ということにたけた人でありまして、あるとき母親に「おい源左よ、畑にいってイモを掘ってきておくれ」といわれる。「はいよ」と源左はクワを持ち、自分の畑へ出かけてゆく。そしたらなんと、だれか他の男がいて、イモを掘っている。早くいえばイモ盗人です。ふつうならここで「コラーッ」となるわけですが、この源左さん、そうはいわなかった。くるりと方向転換し「ようこそ、ようこそ」とつぶやきながら家に帰った。
「おや、源左よ、イモはどうした」
と母親に聞かれた源左さん、たったひとこと、「うん、きょうは、おらの番じゃなかった」

落語のような話ですが、本当にあったことなんです。この人のエピソードはたくさん残っていて、本にもなっているのですが―。あるとき、女房がかたい飯をたいた。すると源左は「ようこそ、ようこそ、かたい飯はようかむと味があるでのう」とよろこび、おかゆのような飯をたくと「ようこそ、ようこそ、おらおかゆがええがやあ」風呂の湯加減が熱いときは「ようこそ、ようこそ、しっかりとしてええがのう」ぬるいときは「ぼんやりとしとってええがやあ」とよろこんだといわれます。

満員電車でハラを立て、不景気だとハラを立て、昼食に注文の品が来るのが遅いとハラを立て、物でも盗まれようものなら、それこそカーッと頭に血がのぼるわたしたち、とてもじゃないが、源左さんのようにはゆかないかもしれませんが、せめてそのまねごとぐらい…。そう、とわたしの同年輩の友人は、いま職場で家庭で、その実践をしています。

「部下の無能にハラが立つとき、上司の命令にハラが立つとき、いままでなら、すぐにそれが顔で出、口をついて出たんだが、最近は源左さんを思い出して、まず、ようこそ、ようこそとつぶやいてみることにしてるんだ。それでもハラの立つときは、もう一回、ようこそ、ようこそとやる。2,3回くり返すと、不思議にスーッとさめるんだ」。

この男、近頃、おかげで持病の胃痛も治り、寝つきもよくなったといっています。
「ようこそ、ようこそ」——相手に対する感謝とねぎらいのことばでありますが、立腹の特効薬でもあるようです。ぜひお試しを。そして、どうしてもダメとおっしゃるあなたには源左さんがカンシャク性の男にいった次のひとことを。
「旦那さん、なんとあんたはええもん持っとんなすんなあ。カンシャクはカンシャク玉って、宝ですけなあ。宝はめったに人に見せなはんすなよ」


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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天上界は二分半

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上という六道輪廻の話が長引いてしまいました。でもまあ、いどばた会議というのは話が長引くところによさもあるわけですから、お許しを願うことにして、今日は、六道の一番上の段、天上界についてお話することにいたしましょう。

この天上界というのは、あらゆる存在者にとって最高の境地なのでありまして、存在、つまり”有”の頂点ということで、有頂天ともいうわけです。この有の頂点という世界は、どんなところかと申しますと、まあ、われわれの想像をはるかに越えた、よろこびの世界のことであろうと思うのです。ですから、この世界に住むことができたら、さぞかしすばらしいであろうと思うわけですが、よくよく聞いてみると、あまりよろこんでばかりんもいられない世界のようであります。なぜならば、六道というのは輪廻している。車輪のようにぐるぐる廻っているのですから、天上界に生まれかわったとしても、またドスンと地獄の世界に落ち込んでしまうという危険性をはらんでいる。ずいぶんぶっそうなことろでもあるわけです。

さて”六道の辻はいずれぞ それそこに 明け暮れ胸に起こる煩悩”でありますから、わたしの心の中に、この天上界を見ることにしましょう。例えばあなたが、いま、とっても欲しいハンドバッグがあるとする。イタリア製、それともフランス製?どちらでもよろしい。とにかく欲しい。そこで、ご主人にちょっとねだってみた。
「ねえ、いま持っているハンドバッグがだめになったんで、新しいの一つ、買わなきゃならないんだけど…今度のボーナスで買っていいかしら」
欲しいと直接いわないところが奥ゆかしいわけですが、ご主人はそれをすぐに察知する。たまたま機嫌がよくて「よし、オレが買ってきてやる」となった。奥さんそれこそ有頂天。「うちのパパって、思いやりがあって親切で、頼りになるわあ」とよろこんだ。

買ってもらったハンドバッグ、なかなか上等で、3万5千円もしたそうです。奥さんさっそくこれをさげて、次の日のPTAの会合に出た。ふと隣をみると、これまたステキなハンドバッグ。「まあ奥さん、ステキね」まずは相手をほめてみる。するとお返しに「あら、あなたのもステキ」となる。で、本物のフランス製で時価33万円。エルメスのジョンケリーバッグとかいうあれ。こちらはフランスの会社と提携した日本製。グッと差をつけられた奥さん、これまでの有頂天から、ストンと地獄へ。(うちのパパは海外出張もないし、背のびして買ってくれたのが、せいぜいこれどまりか。たいした男でもないのよねー)

次なるは、わたしの体験。寺で毎月2回、お講というのがあって、門徒の方がたくさん集まって下さる。そこでお説教をするのですが、ちょうどこの六道輪廻の話をし終わって、みんな寺から出ていった。「アラエカッタヤー、若ハン(わたしのこと)にええ説教聞かせてもろうた。こんどもまた参りますゾー」とよろこんで下さった。ところが、このエカッタヤーのよろこびが持続した時間はわずか二分半。寺から出て駅までゆくと、電車が目の前を出ていったあとだった。ローカルだから次の電車まで一時間半待たなくてはならない。エカッタヤーのほれぼれするような顔は一転して、駅に出向いたわたしをにらんで、うらめしそうに「若ハンの説教もう一寸短こうしてくれたらよかったのにィ」となったのです。

かくてわたしたち、毎日毎日の生活の中で六道をぐるぐるぐるぐる回りつづけるわけであります。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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この世はあなたのままになるか

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


六道の辻は いずれぞ そこそこに
明け暮れ 胸におこる煩悩

地獄や餓鬼道や、畜生道というものを、遠くに見るだけではなく、わたしの心の中で、刹那刹那にわき起こる煩悩のそのままが、六道をぐるぐるとめぐっているのだということを、先週からお話しているわけですが、今週は、五番目の、人間世界について考えてみようと思います。

人を裁き、人を責める地獄の世界。もうちょっと、もうちょっと、とむさぼりつづける餓鬼道、人に迷惑をかけてもすまないとも思わないご恩知らずの畜生道、あいつには負けられない、と目をつり上げる修羅道…といずれをとっても、わたしたちの毎日の生活の中に見られるものでありますが、では五番目の人間界というのは、いったいどんなものかー。

覚者仏陀は、ズバリ、人生は苦である、とおっしゃっている。こういうと、あら、そんなこともないわよ、とおっしゃる方もいらっしゃる。だって近頃はずいぶんと恵まれていますから、欲しいものは何でも手に入るし、生活だってけっこう楽になった。人類は楽の追及にあくなき努力をしていますから、まだまだ楽になることは確かでありましょう。

ずいぶん昔のことですが、中国のある識者が「最近、便利な道具が出来て、生活は楽になったが、これは人間の堕落だ」となげいたという。その便利な道具とは、水を汲む”つるべ”だったそうですが、それから考えると、本当に現代は極楽かもしれません。

しかし、いろんなことの手間がはぶけたり、楽しむ材料はいくらでもあるけれど、基本的なところは、ちっとも変っていませんね。人間は生まれて生きて、年とって、病気して死んでゆく。人間の死亡率は100%だとわかっていながら、このパーセントを下げてくれる人はだれもいない。不老長寿の薬といったって、ちょっとおかしい。長寿に効きめはあるかもしれないが、不老なんてことはまず不可能です。人間の生、老、病、死というものは、どうにもならないものなんですよね。さらにいえば、愛しい人とは必ず別れねばならないという事実、いやな人とも会わなきゃならないという現実、欲しいものが手に入らないというつらさ…そう考えると、わたしたちの人生は、そのまま、わたしたちの思いのままにならないということになってくる。

これを仏陀はまとめて四苦八苦、人生は苦であるとおっしゃったわけです。つまり、苦とはままならないこと、人生とはわがままにならないものであるということであります。ですから、悟れる者から見たならば、人間世界はそのままが、悲しみの世界であるということになる。ところが、これがわたしたちにはわからない。少しぐらいは、わがままになると思っている。いや、思いたいんですよ結局は。そこでまあ、いろいろと努力するわけです。いつまでも若くありたいとか、好きな人とは離れたくないとか、いやな人とは会いたくないとか、欲しいものはトコトン求めるとか…で、結果はどうか。ダメなんですよね、これが。千年も万年も生きていたいと思ってもムリな話。あなたとならばあの世まで、と思ってみても別れるときが必ずくる。

で、そのとき、フトもらす。あーあ、世の中ってままならないものなのねー。これがグチというヤツです。グチとは無智のことでありまして、世の中をありのままに見る智恵の目を持っていないものからこぼれでるもの、それがグチなんだそうです。グチは女につきものなんていうけれど、インドではこれをモーハといい、中国でマーカとなり、日本にきてこれがバカとなったという。いどばたで、あまりこぼしちゃみっともないね。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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六道はいずこに

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


仏教の世界観に、六道輪廻(ろくどうりんね)というのがあります。わたしたちは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上という六つの迷いの世界をぐるぐるとまわっているものだという考え方です。こんなことをいうと、最近の若い人たちは「科学的な証明もないのに、そんなものあるなんて信じられない」といいます。なるほど、死んだあとの世界なんて、わたしたちに想像もつかないことでありますし、あっちから帰って来た人の話も聞いたことがないので、わからないのは確かです。しかし、この六道という世界は、遠くの方で回っているのではなくて、じつはいま、このわたしの心の中ででも、ぐるぐると回りつづけているのだとしたらどうでしょう。

六道の辻はいずれぞ それそこに
明け暮れ 胸におこる煩悩

こんなうたがありまして、じつは、六道というのは、あっちの方にコロンとあるのではなくて、わたしたちの現実の心の中にもあるじゃないかというのです。まさかと思われる方は、次を聞いていただきたい。

まず、地獄ですが、よく新聞の見出しに、さながら地獄絵図、などというのが出てくる。大事故の惨状をあらわすときに使うわけですが、あればかりが地獄じゃない。交通地獄、受験地獄などというのもある。しかし、これもなんだか、このわたしというものを抜きにして客観的にながめているような感じです。六道の辻はいずれぞ、それそこに、ですから、わたしの心の中にあるんです。では、どんな心を地獄というのか、といいますと、人を責める、人を裁く心、これが地獄だというんです。

この夏、わたしも37歳にして、自動車の免許をとるために、教習所に通ったんですが、地獄だね、あれは。教習が終わった若い女の子の話を聞いていると、すごいですよ。
「あーあ、また、あの先生にしかれた。ひどいのよ。足で蹴るんだから。もうイヤ、あんな先生、死ねばいい」
責めるだけじゃない。心の中で先生を殺してしまうんですからね。いや、人だけじゃない。コースの中で信号を無視して注意されると「もォ、あんな信号なきゃいいのにィ」とこうですからね。ちょっとはオノレのことも考えろといいたいね。ま、教習所ばかりが地獄じゃない。わたしたちは毎日毎日、目が覚めてから寝るまでに、自分の都合で、何十人という人を責め、裁いているんじゃないでしょうか。

次に、餓鬼道。これはもうよくご存じ。このガキ、なんてよくいいますが、要するに、もうちょっと、もうちょっとという心、あれですよ。人間の欲望はとどまるところを知らず、あれも欲しい。これも欲しい、もうちょっと、もうちょっと、とむさぼりつづける。そのままが餓鬼道だというんです。

三番目の畜生道。コンチクショーとわたしたちは、よく人にいうけれど、じつはそのことばは自分に返ってくる。ご恩知らずは犬畜生です。おかげさまということを知らないものは、人間のかっこうはしているけど、本当の人間じゃないという。考えさせられますね。

そして四番目は修羅道です。修羅場、修羅の巷とかいうように、ケンカの世界でしょう。ここ2,3日をふりかえって、あなたはケンカはしませんでしたか?してません、と答えた方は、修羅道だけは素通り…かと思えばそうじゃない。<あの人には負けられない>という心のままが修羅道に落ち込んでいる姿なんですから。

地獄-餓鬼-畜生-修羅-と、六道の中の四つの世界までを、わたしの心の中でながめてみたわけですが、どうでしょう。わたしたちの毎日の生活というものは、これの連続ではないでしょうか。いどばた会議の話題にしたって、ひょっとしたら、この四つの世界のつつき合いかもしれませんね。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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