だいどこ説法

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


わすれられない味というものは、だれにだってあるものです。おふくろの味、ふるさとの味、およばれしたときのごちそうの味…。わたしにもありましてね。これはいまから14,15年前のことなんですが…。当時、わたしは学生で、東京に下宿していたんです。あるとき友人が、ひもじそうなわたしをみて「うちへこないか。うまいもの食わせるぞ」といってくれた。聞いたとたんにもうツバが出てきて、イソイソとついていったんです。

食卓に出たのは、トリの照り焼き風のもので、こってりした味がなんともいえなかった。「うまいですねえ。これ、なんて料理ですか。田舎に帰ったら、おふくろにつくらせたいんで、つくり方を教えてください」と、お母さんにいいました。すると、「よかったわ、よろこんでもらって。これはね。サマサマ料理っていうのよ」といって、つくりかたを教えてくださった。

ウロ覚えですが、うまくできるかどうかわからないけど、とにかくここに、サマサマ料理のつくり方をメモしておきましょう。

材料は、トリの手羽一つ(一人前)、ネギ(適当に)、パン粉(食パンの耳を乾かしてきざんだもの)、ニンニク、しょう油、砂糖、ごま油。
つくり方は、まず平たい容器に、しょう油と砂糖とニンニク、それにネギをザクザクっと切って入れ、そこへトリの手羽をひたひたにつける。よく味がしみ込んだところで、フライパンにごま油を入れて熟し、トリの皮の部分にパン粉をぬりつけ、ジューとやる。こげ目のついたところで、容器に残ったものを全部放り込み、こってりと仕上げて皿に盛る。

たしか、こんなものだったと思う。しかし、もし、お試しになるのなら、次を読んでからにしていただきたい。じつは、聞いてほしいのは、この料理のつくり方ではなく、サマサマ料理という名前の由来なんです。

戦後まもなくで、動物性たんぱくなんてまるでなかったころ、この友人のお母さん、やっとの思いでトリの手羽を手に入れたそうです。そして、なんとかして、これをおいしく食べさそうと考えた。台所を見渡せば、ネギと、きのうの残りの食パンの耳と、そして調味料はしょう油と砂糖。そこで、これを全部使って、この照り焼き風のものをこしらえた。一家5人、ほんとうによろこび、骨までしゃぶって、お皿についたソースもネギでふくようにして食べた。
「おいしいね」
「トリなんて久しぶりね」
「ほんと、うまいねえ」
そのときです。お父さんがみんなにむかっておっしゃった。
「ほんとにおいしかったな。こんなおいしい料理をつくってくれるなんて、お母さんサマサマだね」

サマサマ料理――わたしがわすれられないのは、この名前なんです。お母さんもすばらしいが、お父さんのこのひとことがなんとすばらしいことか。わたしたちはいま、どうもこのあたりを忘れかけているようです。家族みんなで食卓につく。
「さあ、早く食べなさい。あとかたずけがタイヘンなんだからあ」
「ほら、たくさん食べなさい。じつはこれとっても安かったんだから。スーパーで30円!」

これでは、おふくろの味も遠くなり、インスタントで十分というこどもばかりになってしまうに違いない。ひとつマネしてみませんか。あなたのサマサマ料理をつくってみましょうよ。そして、わすれかけていた人生の味をとりもどし、こどもたちに、わすれられない味を、舌の根にしみ込ませてやろうじゃないですか。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

Play