男は富貴

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


女人に五力あり。一に色力、二に親族力、三に児力、四に田業力、五に自守力―
お釈迦様は、こうおっしゃった。それをやさしくいえば、一に色香、二に家庭、三に子供、四に生活、五に自らを守る力―ということになるわけです。

なるほどなあと思いながら、その増阿含経を読んでいて、早く次が読みたくなった。というのは、私も男だ。男の力、男のよりどころとしているものはいったいいくつぐらいあるのか、知りたいですよ。そこで、いそいで次を読んで、ガックリ。なんと、男のよりどころは、たった一つなんですよ。

男は「富貴」。お釈迦様、これしかおっしゃってないんです。さっそく辞書を引っぱりました。「富貴=富んで貴いこと。財貨が多く位の高いこと」—ウーム。うなったね。ズバリ。大当り。われわれ男というものは、色気もなく、家庭や子供や生活はすべて女まかせ。そして世に出て、一体になをあくせく…と考えてみたら、結局のところ求めてやまないものは、名誉と利益—これにつきるわけであります。つまり、偉くなりたいの。人の前に立ちたいの。そしてお金もうけて胸を張っていばりたいの。それが男の本性なんですよ。だから、だからですよ、男は選挙に出たがるの。出られない男は出た男のナントカをかりて、大いばりですもうとりたがる。

花柳幻舟さんでしたか、家元廃止運動でがんばってる舞踏家の方。あの方の話を聞いてスゴイと思ったことがあります。前後ははぶきますけど、とにかく、彼女にいろんな男が会いにくるわけですよ。〇〇会社社長とか、〇〇出版社部長とか、〇〇新聞社デスク殿、なんてのが。それで、まず、会うと男は「私はこういうものであります」と名刺を出してあいさつする。社名やら肩書きがズラリとならんだ名刺を受けとった花柳さんはポイ、とその名刺を捨てちゃうんだって、そしてこういうんだって。
「おっちゃん、停年になってからおいでよ。名刺も肩書きもなくなってから男と女として会いましょう」
いいとこ突いてると思うなあ。男の一番弱いとこだよ。だって、男が一生かかって力入れてるとこは、結局その名刺の肩書きと、胸につける大きな花飾りだけなんだよね。

名誉は抜き、金もうけに徹するという人もいますよ。それで大成功した男、日ゼニが何億ところがり込んでくるおじさん、いい年になって、ふと考えたら「富」は十分だが「貴」のほうが足りないことに気がついた。とたんにこの人、ドカッと「富」の方をつぎ込んで、テレビにでては「一日一善!」なんて貴いこといってらっしゃる。いや、あの人が悪いというんじゃないの。男の行きつくところは、あの辺だということをいいたいの。かくいう私も、あなたのご亭主も、スケールは違うけれども、男は「富貴」を求めて生きているんですよ。

こんなところへ、親鸞聖人のことばを出すのはいけないかもしれないけれど、あの親鸞聖人でさえ、このことを認めていらっしゃる。

是非知らず 邪正もわかぬこの身なり
小慈小悲も なき身にて
名利に人師をこのむなり

何が是か非か、何が邪か正かも知らず、さらには母が子にいだく慈悲の心のかけらもないこの私であるにもかかわらず、名誉や利益のために人の前に立ちたがるのは、なんというなげかわしいことであろうか―正直な方だなあと思うんです。、

オヤ、茶飲み話は当たりさわりのないところをよしとするなんていいながら、えらいことになっちゃった。今日はこれでおしまい。ま、奥さん、あなたのご主人、家の中でぐらい、せいぜい威張らせてあげてちょうだいよ。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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