法話」カテゴリーアーカイブ

坊主

ふだん何気なく使っている言葉の中に、仏教をルーツとした言葉はたくさんあります。たとえば、病院とか看護とかもそうですし、馬鹿とか、どっこいしょ、なんていうのもそうですね。

今回紹介するのは、坊主。
ボウズ頭、三日坊主。「こら、ボウズ」なんてのもありますが、もともと僧侶というのは、集団で修行し、生活していました。その中で、僧侶たちが生活するスペースがあって、それを「房(舎)」と言います。その房の主を、坊主と言ったんですね。

関西のほうでは、大工道具の直角に曲がった定規、曲尺のことを通称ボウズと呼ぶ地方があるそうです。あるとき、大工さんが家を建てている時に、曲尺を忘れたのに気付いて、下にいる大工なまかに「おい!ボウズとってくれ」その時、ちょうど、お坊さんが道を歩いていて、自分のことを呼ばれたのかと思って振り向いたそうです。これがぼくのおじさんに当たる人だったわけですが、これは、うまい表現だと感心していました。ボウズも曲尺のように根性が曲がっていると。そう言われないように、気を付けたいものですね。

ラジオ番組「ゆるりな時間」より

ブッダからのメッセージ

春はお釈迦さまのご誕生をお祝いする花まつりです。
お釈迦さまは2500年以上前にインドにお生まれになったお方で、元の名をゴータマ・シッダルタといい、釈迦族の王子として生を受けました。一国の王子でしたから、財産や地位、名誉にも恵まれ、知能や体力も万能だったと伝えられます。そんな何不自由ない環境の中で、なぜ出家されたのでしょうか。

私たちが1番追い求めているもの、それらすべてをなぜ捨てたのでしょう。それは、老病死を目の当たりにしたことが原因とされます。歳をとりたくないと思っても一瞬たりとも止まることなく歳をとっていき、病気になりたくないと思っても病に冒されていく身が私たちの姿。そして、どんなに死にたくないと思っても、必ず死んでいくいのちを私たちは今生きています。死を前にする時、財産も名誉も地位も何もなりません。

「そんなことはわかっている」と、ふつうはそこで思考ストップ、なるべく考えないようにしますが、お釈迦さまはそこから目を背けず、徹底的に見つめ直し、ついに仏教を説かれたのでした。
「今こそいのちの尊さを伝えなければならない」と言われていますが、私たちは本当にいのちを尊いものとして生きているのでしょうか。人生順調な時は「いのちは尊い」と言っていても、いざ逆境に立たされれば、一転していのちを放り投げてしまうような心を私は持っています。自分の目でいのちを見つめる限り、それは自分の都合しだいでコロコロ変わります。

「いのちが尊い」ということは、仏さまの眼差しにあってはじめて知らされることでした。知らされながらも、変わらぬ私。仏教を聞くとは、感謝と慚愧の心を育て続け、「生涯育ちざかり」の道でした。

(寺報119号)

手を合わす

学校の給食で食前にする合掌が宗教的行為とみなされ、ドラやカネを鳴らしてハイどうぞという話を聞いたのは20年前。「いただきます」は、食べ物に対する感謝をあらわします。いのちを頂きますということでしょう。そういう感謝の気持ちはもういらないのでしょうか。お金さえ払えばすべて我が物でしょうか。

ひと昔前は宗教教育は家庭で育まれたものでしたが、今はその家庭のあり方が大きく変わりました。核家族が当たり前になり、加速するスピードから世代間の価値観もひろがり、すでに上の世代の言うことを聞く耳がなくなりつつあるように感じます。

すべて科学とお金だけの価値観になった時、人すらもお金で換算され、誰もがいつか捨てられていく人生になります。そこにいのちの触れ合いは一切ありません。目の前のことをがむしゃらにやれる時期はそれですむかもしれませんが、自分自身がいつか捨てられていくという想像力が決定的に欠けています。だいたいに、インターネットやテレビでひろえる情報や知識だけならば、早い子では中学生ぐらいで親を越します。

今私たちは、子や孫に何を伝えられるのでしょうか。流れゆく情報やお金よりも大切なことはなんでしょうか。それは、まず自分自身が何を拠り所にして生きるかという問題にもなるでしょう。

お寺の行事にご参加ください。毎月2回のお講、年中行事に是非参加してください。また、はじめての方でも参加しやすいような夜の法座を春からスタートします。来やすい環境づくりに努めます。平成23年の親鸞聖人750回大遠忌をひとつの山場と見据え、止まることなく邁進していく所存です。

(寺報118号)

フリースタイル

お寺座ライブが老若男女とってもフリーな雰囲気になったのがとても気持ちよかった。音楽を楽しんだり、縁側に行ったり、お茶を飲んだり、タバコ吸いに行ったり、トイレに行ったり、雑談したり(人に迷惑かけるのはまずいけど)。なにを説明したわけじゃないのに、みなさんうまい具合にお寺を使ってくださった。今回は3時間。コンサートとしては長いし、夜通し遊ぶフェスやクラブから見ると凄く短い。遊び慣れている人が結構いたということもあるかもしれないが、初回からお寺という空間がこれほど理想的に使われるとは本当に驚いた。

で、ふと思った。
お寺では月に二度の定例行事「お講」というのがあって、そこに来るおばあちゃんたちは、はやい人で1,2時間前からやってくる。それをはじめの頃は「あぁ、家ですることないんやろなぁ」ぐらいにしか思っていなかった。本堂に来たおばあちゃんは、仏さまにごあいさつしたあと、思い思いに時間を過ごす。誰かとおしゃべりしている人。横になって寝ている人。トイレを行ったり来たりしている人。境内でボーっとしている人。お参りがはじまってからも、トイレに行きたくなれば勝手に行ってるし、お話最中でも疲れたら勝手に帰っていく。逆にすべてが終わってからも、これまた1,2時間雑談していたりする。こどもの頃の記憶では、おばあちゃんたちが寺の竹やぶで服をまくりあげておしっこをしていた光景もあった。

そう、めちゃくちゃフリースタイルなのです。時間の感覚がまるで違う。現代人は待つということがとっても苦手でみんなとっても忙しい。というか、忙しくしている。また、無意識に自分の中でガチガチにルールを作ってしまう。もしくはルールを求める。そうしないと動けない。一方、おばあちゃんたちは、待つという感覚すらないのかもしれない。ルールもあってないようなもの。これはすごい。待つというのは今ふつうに考えると無駄な時間とされてしまうが、そんな時間は存在しないわけだ。このフリースタイルこそ、今後お寺で提供していきたいもののひとつだ。時間を埋めるのではなく、時間を感じる。80代の方たちは、とっても遊び上手だということを改めて知る。

いただきもの

今年は祖母喜子の三回忌と父隆弘の十七回忌の年です。お坊さんをしていると他の方よりも圧倒的に法事経験は多いのですが、やはり身内の法事になると、一味違う心持ちにさせられます。

病中も力強く生き抜き、最後までプライドを護り続けた祖母。病中も楽しくと痛みに苦しみながらも活き活きと生き抜いた父。共にぼくの心に深く刻まれる生き様と死に様でした。
「法事とは、仏前にて阿弥陀如来の教えに触れながら、故人を偲びつつ、感謝のこころをカタチとして表現したものです。」
「ありがとう」のこころをカタチにあらわした姿。今、ぼくは祖母と父になにが出来るのだろうということに想いを馳せます。

何人もの患者の死を看取ってきたある医者がこんなことを言われたそうです。
「今までは他人が死ぬぞと思いしに、俺が死ぬとはこいつはたまらん」
死は必然、生が偶然とは頭で知りながらも、やはり実感はなかなか持てるものではありません。ぼくが祖母と父に出来ること。それは今までもらったものに対しての感謝と懺悔。これからももらい続けるものに対しての感謝と懺悔。そしてその「ありがとう」と「ごめんなさい」の心こそが祖母や父からの頂きものでした。祖母と父を通して、仏さまの光に想いを馳せつつ、悔いのない人生を歩めるよう、心新たにさせてもらいます。

永代経はご門徒みなさまの法事がお寺で勤まる法要です。どうぞどうぞお参りください。

雪山俊隆(寺報120号)

もったいない

去年から「もったいない」という言葉が再評価されているようです。調べてみると、ケニア出身の環境保護活動家ワンガリ・マータイさんという方がキッカケのようです。この方は、去年日本を訪問したときに、「もったいない」という言葉を初めて聞いて、この精神こそ環境問題を考えるのにふさわしいと、痛く感動されたようです。その後、世界へこの言葉を広めるために出版までされました。ここでは、もったいない、という言葉は、そのままの発音で英語表記されています。どうやら、それに当てはまる言葉が外国にはないようですね。その後も、さだまさしさんが「もったいない」という曲を書いたり、今年の冬季オリンピックでは小池環境大臣が「もったいないふろしき」というものをデザインして、代表選手たちに渡したそうです。

この「もったいない」という言葉の意味は、「もったい」という言葉があって、「重々しさ」、「威厳さ」などの価値の高さをあらわす意味で、それが転じて、自分にとって物の方が価値が高い場合に、自分にとってはふさわしくないとか、かたじけないという意味に使われたそうです。では、今はどんな使われ方をしているかというと、ごはんを残したり、資源を無駄にしていることに対して、もったいないと使います。もちろんそれはその通りなんですが、本来の意味からいうと、損とか得という話よりも先に、ごはん一粒一粒にもいのちがあって、それを頂いているということが、ありがたく喜ばしいことで、もったいないことなんだ、ということです。

身近に接しているおばあちゃんたちも「もったいない」とか「ありがたい」という言葉を昔から使っていますが、そこには「申し訳ない」とか「めったにない」という意味があります。「ありがたい」という言葉もあることが難しい「有り得ない」という意味です。有り得ないことが私に与えられていることに対して、感謝と喜びをあらわす言葉でした。そう考えると、ぼくらは、お金を払った時点でなんでも我が物のように受け取ってしまいますが、そういう次元の話ではないんですね。米一粒にもいのちがある。そのいのちにも、いろんな力や働きが加わって、今、たまたま、私たちの目の前にある。そのいのちをもらって、やっと生きていられるのが私たち、ということでしょうか。いただきますは、いのちを頂きますということでした。

なんか道徳のような時間になってしまいましたが、そんことを言いながらも、実際のところは、そんな気持ちはなかなか持てないもんですよね。おなかいっぱいになればご飯を残すことだってあるし、とても、お米一粒にいのちがあるなんて、思えたためしがありません。でも、だからこそ、そういうものだということを知る必要があるのかもしれません。環境問題なんて言うと、とても立派に聞こえますが、まずは、身近にいるおじいちゃんやおばあちゃんに、耳を傾けるところからスタートじゃないかな、と思っています。

ラジオ番組「ゆるりな時間」より

浄土真宗の厳しさ/山本摂叡

このテキストは平成18年、寺報118号、119号に掲載されたものです。

行信教校教授 山本摂叡師

まづ至誠心といふは大師釈しての給はく、「至といふは真也、誠いふは実也」といへり。 ただ真実心を至誠心と善導はおほせられたる也。

 今年は大変暖かい秋でございました。善巧寺様だけにしかない空華忌の御法座でございます。この頃、私が痛感しておりますところを、少しお話させていただこうと思っているわけでございます。

時代の変化

 ちょうど、戦争が終わりまして60年という年月が経ちました。その間に、日本の社会構造の基盤であります家庭というものが根本的に変わってきたように思います。それは、政府としては家督の相続という制度が廃止されました。したがって長男が家督を継ぐということは民法の上でなくなったわけでございます。子供はみんな家を継ぐ権利を平等に持つという制度なわけです。それから戦後まもなく土地の制度というものも大きく変化いたしました。このころ、分家という言葉が半分死語になったようです。子供たちが独立して生活をするのは当たり前の時代です。ことさらに分家をするということを言わなくてもいいような感覚が強くなってまいりました。昔は分家をするということは実は大変大きな問題であったわけです。ある地方では分家の第一代目になることを「先祖になる」といったそうです。つまり新しい家をこうして、その新しい家の第一代になるんでから「先祖になる」わけです。そういう言葉で説明したことがあったそうでございます。なぜこんなことをお話しするかと言いますと、私は、日本の宗教というものは善かれ、悪しかれ、家というものを中心として営まれてきた宗教であったと思うのでございます。家庭にお仏壇というものがあって、そのお仏壇を家庭の中心とし、家庭を相続するものが、そのお仏壇をお守りさせて頂く。そういう制度で持って日本の宗教というものはずっと何百年来、営まれてきたんだと思うんです。ところが、これからの宗教というのは一人ひとりの信仰でなければならないという考え方がずいぶんと盛んになってまいりました。個人の信仰の自由というものが保証されていますから家の単位の宗教よりも、個人単位ということがなければ信仰というものも成り立たないという考え方が大変強調されてまいりました。
 大阪の都心のお寺の方に聞きますと、こちらのほうでは想像できないような大変さがあるようです。戦災にあいまして、大阪の都市部のお寺も含めて、家々が焼け野原になってしまいました。その後、徐々に復興していくんですけれども、お寺があった場所を中心とし、そして、檀家の方がおられたという地域の構造が崩れていってしまうんです。とにかく高度成長期からバブルの頃に向かって土地がどんどん高くなってまいりまして、そこに住まいができなくなってしまい、外交へと出て行かれるわけです。心斎橋という所のお寺のご住職は「うちのお寺まで歩いていくことができる檀家さんは3件しかありません。後は全部、外交の遠いところに転居していかれました。」と言われます。そうするとご命日やご法事のお参りがどんどん大変になってくるんです。1軒お参りに行くのに片道1時間も2時間もかかるのが当たり前になってくるわけです。
 なぜこんなことを申し上げるかといいますと、日本の社会構造の1番基本である家族という問題が本当に変わってしまったということなんです。それが善かれ、悪しかれ、それまでお寺や信仰を伝えてきた1番の基本の家族というものが変わってきたというふうに見ることができると思うんです。
 今回私は端的に申しまして、浄土真宗の信仰というのはどういうふうに味わうべきだろうかということを申し上げたいと思っております。家族というものの姿、そして家族というものを通して信仰というものがどのように伝えられてきたのかということを、少し具体的にお話しさせて頂こうと思っているわけでございます。

法然聖人

 その前に法義としまして、少しお話をしなければならないでしょう。浄土真宗の信心というのは我々は抽象的に考えるのではなく、やはり浄土三部経に書かれた信心というものを基本に考えていかねばなりません。
 私は、こちらにとってもご縁の深い行信教校というところで教壇に立たせて頂いているんですが、親鸞聖人の書かれた和語の御聖教をずっと読ませていただいております。最近は法然聖人の御聖教を読ませていただいているんですが、ここのところ法然聖人のことばが大好きになりまして、いろんなところで法然聖人のお話をさせてもらうんです。
 ところが、専門家であるはずの我々僧侶の上でも少し誤解されてることが多いんです。一昨年、同じ大阪の報恩講に招かれまして、その時読んでいた法然聖人のことばを二日間、お話をさせていただきました。お寺によったら寺族のものは、なかなか本堂に座ってお聴聞できませんので、庫裏の方までスピーカーが届いていることがよくあるんです。そこの寺もちょうどそうでした。2日間の法座が終わりまして、お座敷で座っていましたら、今度は逆に本堂の声は聞こえてくるんです。そうすると、ご住職が最後のご挨拶をなさっている声が聞こえてまいりました。そのご挨拶を聞いて少し苦笑してしまったのですが、ご住職はちょっとご不満だったらしいんです。「今回は2日間とも法然聖人のお話を聞かせていただきました。2日目の最後にやっと親鸞聖人のお話が出てまいりました。うちは浄土真宗のお寺でございます。浄土宗に転派する気はございません。当然、浄土真宗で行きますので誤解をなさらないでください。」とおっしゃるんです。なかなか難しいものだなあと思いました。皆様の上にも、多少あると思うんです。中学生くらいの歴史の教科書で言いますと、浄土宗は法然聖人、浄土真宗は親鸞聖人と書いてあります。そうしますと法然聖人は浄土宗、親鸞聖人は浄土真宗だという通念が知らないうちについてしまうんです。それで法然聖人のお話をすれば、浄土宗のお話になり、親鸞聖人のお話をすれば、初めて浄土真宗になるという先入観が知らず知らずのうちに私どもの上に出来上がってきたんだろうと思います。
 実はそう簡単なことではなくて、親鸞聖人のことを専門に学ぶのにとっても大きな視線が抜けているんじゃないかと思うのでございます。ご承知のように親鸞聖人は最晩年まで法然聖人のことをずっと慕い続けておられます。法然聖人の「義なきを義とす」という言葉も使っておられます。「義なきを義とす」というのは端的に申しましたら、「何もはからわない、あれ、これつけ加えをしないというのが教えであるよ」というほどの意味でしょう。一切、自力の計らいというものを加えたらいけないというのが法然聖人のことばでしたよということを、親鸞聖人は度々おっしゃっています。法然聖人のおことばを私はお聞きして、このおことばによってずっと私は歩んでまいりました。ほかの方のことばは一切私には必要ありませんとまで言い切っていかれるんです。
 そうすると、法然聖人の教えということをいかに自分が味わっているかということが、親鸞聖人のご一生であったはずです。そういうことは浄土真宗を専門に学ぶものもよく言うのですが、いざ教義となれば法然聖人のことばが抜けてしまう。おそらく宗派としての浄土真宗というのが別々に成立し、その違いというところを見ていくことがかりに目が行ってしまって、親鸞聖人が法然聖人のどういう言葉を受けて生涯、味わいを語っていかれたかという視点が欠落してしまったんだろうと思うのでございます。

浄土真宗はなんもしなくてもよいというのは間違い

 法然聖人には大変面白いお言葉が多くございます。そして、一つだけ難しいことを言いますけれども、同じ信心と申しましても、法然聖人の場合は、観無量寿経というお経によって語っていかれます。観無量寿経に説かれた信心というのは何かというと、三心という言葉が出ております。至誠心・深心・廻向発願心、このような言葉を使われておられます。法然聖人のお言葉というのは徹底して、この三心によって教えを説いていかれます。法然聖人ご自身は親鸞聖人が真実の教えといわれた無量寿経の信心ということはほとんど語られないわけです。三心のことで法然聖人は非常に詳しく言われる一面もありますけれども、また、このような言い方もされておられます。「何も言葉も難しい道理も知らないものであっても、仏さまの言葉を聞いてお念仏しておるものには自然と、三心は備わっているんだよ。」とおっしゃるんです。これが有難いことです。三心ということを一切知らないものあっても、素直に本願を喜んでお念仏するところには三心はそなわっているんだよとおっしゃるわけです。もう一面は三心の心を詳しく解説されています。親鸞聖人の場合は信心というものを徹底して本願の上で語っていかれます。
 法然聖人がこの三心という言葉によって示していかれたことは、あくまで信心の行者がどのような生活をすべきかということを主に語っていかれただろうと思うわけです。信心というのは抽象的なものでもなければ心の問題というわけでもないわけです。私たちの日常の生活そのものの上に反映し、生きてくるものでなければ本当に宗教でも、信心でもないはずです。ですからそういったことを語られる面では法然聖人はつねに具体的な心のありようというものに立って語っていかれたんだろうと思うわけです。
 一方、親鸞聖人が本願の上で語られた信心というのは、あくまでも他力の法義、救いの法というもの、成立根拠を究明していかれたのが親鸞聖人でした。だから私は三心という言葉さえも知らなくても、素直にお念仏をする者のところには、自然に三心がそなわっているんだよといわれた、その根拠ということを考えていかれたのが親鸞聖人だったんじゃないかと思うんです。そうしますと法然聖人と親鸞聖人というのは、昔読んだ「出家とその弟子」を書かれた倉田百三という作家が「法然聖人と親鸞聖人は、二人でひとりの人格だ」とおっしゃった言葉は素晴らしい名言だったと思うんです。念仏一行専修という、仏教の上ではとんでもない破天荒な主張をされた法然聖人、そして、その内容を明らかにしていかれた親鸞聖人、そのおふたかたが一緒になって私たちに、今お念仏を進めていてくださる。そのように考えたら有難いわけです。
 今から一つとりあげて、法然聖人のこの至誠心ということについて紹介を申し上げていきたいと思うわけです。法然聖人が具体的な信心を語られるのに1番量的に多いのは至誠心という言葉です。至誠心というのは、端的に言いますと、「至は信なり、誠は実なり」とおっしゃいます。つまり真実心ということです。「しじょうしん」と発音いたします。至誠心というのは要するに真実心ということであるんだよとおっしゃいます。そして真実ということがどういうことかということを、いろんな場面で語られるんですが、今日はこのようなお話を取り上げさせていただきましょう。七箇条起請文という御文です。これはちょうど法然聖人が流罪になられる三年ほど前、法然教団に対して様々なところから非難の声が高まっていたようでございます。それに対し門弟に対して出されたのが七箇制誡といわれます。比叡山に出された浄土真宗の立場の宣言が七箇条起請文という御文です。その中に至誠心のことをおっしゃられるんですが、このようにおっしゃいます。

至といふは真なり、誠といふは実なり。ただ真実心を至誠心と善導はおほせられたるなり。真実といふはもろもろの虚仮のこことのなきをいふなり

真実はひっくり返すと虚仮ですから、虚仮の心がないありようのことです。親鸞聖人も「虚仮を離れて」というように虚仮の反対概念として真実という言葉を使います。虚仮を離れるということは特別な宗教でなくても、私たちは真実心をもって生きたほうがよろしいですね。ただし、どのような心が真実心であるかというと難しい問題です。何か、私の心を真実にしていかなければいけない、私の心を完全に美しいものにしていかなければいけない、そのようにとらえられしまうと問題ですけども、私たちの心は、もともとが凡夫だから、煩悩が起こって「それはどうでもいいんだ」というのは宗教以前じゃないでしょうか。浄土真宗の考え方が少し違ってきたのではないかと思うんです。もともと従来の浄土真宗は、念仏者達はものすごく厳しい、日常生活の姿勢というものを持っていらっしゃったんです。ここからは比較的近い五箇山に赤尾の道宗という蓮如上人時代の妙好人がおられました。今でこそ便利に車で行くことができますが昔は雪が深い所で冬の間は外界の交通が遮断されるような山の中だったわけです。おそらく道宗の住んでおられたところも、近いところがあったと思うんです。そうすると道宗は薪を並べて、その上に寝ておられる姿が今でもあそこにあります。いわゆる臥薪嘗胆です。時折はそれほど厳しくなければ、蓮如さまの恩ということについつい甘えてしまう。蓮如さまのご恩を忘れてしまうような自分だからこのようにしなければならないんだと言って薪の上に寝ていらっしゃったんです。そのような逸話が残されています。それは浄土真宗の念仏者というのは何もしなくてもいいとか、浄土真宗は優しい宗教だと簡単に言う人は、失礼ですけれども、浄土真宗のことが何もわかっていないんです。私は浄土真宗ほど厳しい宗教というのはないと思います。ただし厳しさは堅苦しい厳しさではないです。常に本願に照らされてあった自分が、本願に背くような生き方しかできない。なんと恥ずかしいことだろうかという厳しさです。強制される厳しさじゃないんです。あくまでも本願を聞くことによって自分の内面から出てくる厳しさというのが浄土真宗の門徒の姿だと思うんです。それが浄土真宗の道徳の源泉だと考えます。道徳は世間の教えであって、宗教はもっと違うと私自身も考えていましたけれども、蓮如上人や法然聖人の言葉を読ませていただくと私もその考えを修正しなければいけないと思います。浄土真宗には浄土真宗の信仰、内面から滲み出てくる道徳というものがなければ宗教としての意味がなくなってしまうのではないでしょうか。

 

人間の死亡率

テレビを付けると「人間の死亡率100%」と見出しがあって、誰かが話している。NHKではなく民法で、バラエティ番組のよう。話し手は解剖学者の養老猛さん。氏が言うには、現代は「死」を隠し過ぎたと。もともと生と死は切り離すことは不可能なもの。それが今は、死を遠ざけ、生だけに偏るようになった。その原因の一つとしてここであげられていたのは、土葬から火葬に変わり、その同時期にあるものが全国に普及したと。ひと昔前は、人が死を迎えると土に返す土葬が主流だったが、法律が変わり、火葬が当たり前の時代へとなった。そしてその同時期に、水洗便所が全国に普及した。人間にとってマイナスイメージのもの、「死」や「排泄物」を隠す時代へ。確かにその流れは強くある。お年寄りや障害者は施設へ、病院で死を迎えるのは当たり前、最近では、お墓も外観を乱すとかなんとかで、自分の土地へ勝手に作ることすら許されない。見事に老病死をスミへ追いやった。でももしそれが本当にマイナスなら、すべての人間はマイナス、最悪の方向へ向かっていることになる。養老氏は、今こそ「死」を見直そう云々ということで、そこに出したのが樹脂でミイラ化された人間の標本。タレントさんたちが感嘆の声をあげながら見ていた。所要があったので、ここまでしか見れなかったが、全体の感想としては、民法のしかもバラエティ番組でこんな重いテーマをあげたことは、評価されるものかもしれないけど、いかんせんテレビ。やたら薄っぺらく見えるのはなんでだろう。おそらく、養老氏も他に言いたいことは山ほどあるだろうし、現場ではもっと話しているだろうが、それを超コンパクトにわかりやすくまとめあげるテレビ。そして、さらにわかりやすくするため、テロップでいちいち話していることを強調し、効果音や照明で演出、感嘆の声や笑いなどを足していて、こちらに考える余地を与えず、ここで驚け!ここで笑え!という感情操作。マスコミ出身の父からテレビの言うことは99.9パーセント嘘だと思え、と育てられたぼくだけが感じることではないと思う。

批判出来るほど教養も知識もないし、薄っぺらさでは負けていないので、多くは言えないけど、「死」という大きな問題を取り上げながら、それが随分と軽く写る様子は、なんとも切ない気持ちになった。とは言っても、死をあまり重く考え過ぎると、余計に考えないようになるかもしれないので、こういうのも一つなのかもしれないとも思う。

ガンの死亡率何パーセント、肺炎の死亡率何パーセントといくらいったところで、

「人間の死亡率は100%」

これは父の口ぐせだった。蓮如上人という方も、御文章というお手紙で「後生の一大事」を何度もくり返し言われている。後生とは、いのち終えた後の行き先。帰り処を聞くことこそが人生の最大の一大事だと言われる。帰る家をもつことで、今安心して歩くことが出来る。

だれもが楽しく可笑しく人生を過したいと願うが、絶対に訪れる老病死。お金も名誉も健康もボケ防止も一発で吹っ飛ばす老病死。

仏教を説かれた釈尊は、もと一国の王子だった。体にも頭脳にも恵まれ、欲しいものは何でも与えられ、何不自由なく育った王子も、老病死の隠された世界で育った。そしてある時、老病死をまのあたりにし出家したと伝えられる。釈尊と比較するのはあまりにもおこがましい話だが、ぼくら現代人も状況は似ているのかもしれない。恵まれた状況にありつつも、欲望の無限ループの中、満たされない想い。ここに疑問を持つか持たないかで、大きく人生は変わるのかもしれない。

(2005年のブログより)

宗教について

年末年始は宗教行事が続きます。まずは、クリスマス。それからお寺で除夜の鐘、神社参り。この三つを一週間の間に全部参加するというのは、日本の他にはないと思います。今回は、せっかくなので、信仰ということについて少しお話させてもらいます。

宗教とか、信仰というと、みなさんはどんなイメージを持っているのでしょうか。なんか怪しくて、ダークなイメージですか?身近に感じられない人も多いと思います。でも、じつは身の回りにたくさん溢れているんですね。例えば音楽。海外のミュージシャンの中には信仰を歌った歌が多くあります。もともと、音楽、歌で表現するというのは、宗教からはじまったものがたくさんありました。ゴスペルというのは、キリスト教から生まれたものです。レゲエ、あれはジャマイカのラスタファリズムという信仰から生まれたものでした。テレビを見ていても、いろんなものが見えてきますね。イスラムの方が礼拝している姿。オリンピック選手が大地にひざまずいて十字を切る姿。もっと身近なところでは、家でばあちゃんが仏壇に手を合わす姿。それぞれに対象は違いますが、自分を超えたはたらきへの感謝をあらわします。ありがとう、の想いをカタチにしたものですね。カタチは心を育てます。

今は、科学的なものの見方と、お金で世の中がまわっていますから、「自分を超えた存在」なんていうと、なんじゃそりゃ?と思う人も多いと思いますが、これもちょっと考えてみれば、目には見えないはたらきって無数にありますね。たとえば、空気。空気がなければぼくらは生きていけません。太陽も地球も、水も生き物もそうですね。ぼくらは毎日生き物のいのちをもらいながら生きていて、そのおかげで体の機能も働いています。体の中も自分で動かしているわけじゃないですね。心臓をイチニイチニと動かしている人はいません。最も今はペースメーカーってのがあって、化学技術の力も入っていますが、でも全体からみればほんの一部でしょう。体のひとつひとつの細胞も、生まれては死んで生まれては死んでと繰り返しているそうです。でも、そういうことにぼくらは意識せず毎日を過しています。こういうものへの感謝、必要ないでしょうか。

ラジオ番組「ゆるりな時間」より

アイデンティティ

自分も含め僧侶や寺の年輩常連者が卑屈になっているように思う。
それは具体的には、参拝者数の激減を目の当たりにしてきたこと、イコール世の中から求められていない、と受け取ることが大きな要因だと思う。また、むかしは僧侶が大切に扱かわれていたけど、それもなくなり、むしろ、偽善者扱いされているように受け取っているのではないだろうか。

ぼくは幸いに、仏教に興味を持つ友人たちに出会えた。寺の息子ということでおもしろがられたり、そこからいろいろな人脈も生まれた。ひと昔前なら、仏教に興味を持つ者は「ちょっと変わった人」扱いだったのだろう。それは今で言う個性的というものではなく、白い目で見られるただの変人扱い。その目は今でも確実にあり、信仰者にとって日本はとても不自由な国だといつも感じる。でも、ぼくらの世代あたりから、その「ちょっと変わった人」の数が徐々に増えはじめたように思う。アメリカナイズされ、均一化されていく世の中に嫌気をさして、多くの人が個性やアイデンティティを求めるようになった。また、アイデンティティが限りなく薄くなった国で、それが更に進んでいることにも気付いた。バックパッカー、表現に目覚める者、ニート、自傷、現代にある様々な問題、すべてその影響下にあるように思えてくる。そんな中、自ずと日本人の根底に強く影響する仏教に興味を持つ者も増えてくる。それは少数派かもしれないが、すでに多数派という価値観すら薄れている世の中。

自分に自信がないのは本人の問題だが、仏教への自信は絶対に必要。
自分たちが触れているものがどれほど大きなことかということを、ちゃんと認識さえしていれば、自ずと自分が歩む道にも誇りが生まれるはずだ。それを、うつりゆく世間の物差しで換算するからおかしくなる。

親鸞聖人が言うところの「非僧非俗」(僧でもなく俗人でもない)とは、俗に生きながら俗に染まりきることなく生きる道。聖を聞かず俗に沈みきった時、それは非僧有俗。
念仏者は、修行して悟りを開こうとする「聖」の道は歩んでいない。肉を食らい色にうつつを抜かしながら「俗」の真っ只中に生きている。しかし、そういう俗のままにしか生きられぬ者を救いとろうという「聖」(阿弥陀仏)の言葉を聞きながら生きることに光がある。
「聖」を俗化するのではなく、「俗」を聖化していくのが、浄土真宗の教えだと聞いている。なんともスリリングな道だと思う。そして、それはすべての人が歩める道であった。

(2005年のブログより)