ようこそ、ようこそ

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


わたしが新聞社に勤めていたときの上司にとてもコワイのがおりまして、とにかく、毎日カミナリを落とすんです。新聞のゲラ刷りをデスクにバシンとたたきつけて「バカヤロー!」とくる。これがとてもサマになっていて、わたしなどはいつもほれぼれとみとれていたのですが、あるとき医学の本を読むと、ハラを立てると内蔵出血が起こると書いてあった。で、気になって、上にいったんです。例によってゲラ刷りか原稿をたたきつけて怒っている最中に、
「あのォ、あんまりハラを立てると内蔵出血して、体によくないそうですよ」
といったら、またまた
「バカヤロー!好きで怒っているんじゃないんだ!」
ときた。こうなると、ハラを立てるのも仕事のうちということになるわけですが、お互い仕事場でも、家庭でも、ハラを立てるのはあまりよくないと思うんです。なんたって、お経にもあるように「ハラを立てたらスマートにならない」のですからね。

彼岸に至る修行の第三課は「忍辱(にんにく)」つまりハラを立てないことであります。むかし、山陰の鳥取に、源左という男がおりまして、この人はなかなかこの忍辱ということにたけた人でありまして、あるとき母親に「おい源左よ、畑にいってイモを掘ってきておくれ」といわれる。「はいよ」と源左はクワを持ち、自分の畑へ出かけてゆく。そしたらなんと、だれか他の男がいて、イモを掘っている。早くいえばイモ盗人です。ふつうならここで「コラーッ」となるわけですが、この源左さん、そうはいわなかった。くるりと方向転換し「ようこそ、ようこそ」とつぶやきながら家に帰った。
「おや、源左よ、イモはどうした」
と母親に聞かれた源左さん、たったひとこと、「うん、きょうは、おらの番じゃなかった」

落語のような話ですが、本当にあったことなんです。この人のエピソードはたくさん残っていて、本にもなっているのですが―。あるとき、女房がかたい飯をたいた。すると源左は「ようこそ、ようこそ、かたい飯はようかむと味があるでのう」とよろこび、おかゆのような飯をたくと「ようこそ、ようこそ、おらおかゆがええがやあ」風呂の湯加減が熱いときは「ようこそ、ようこそ、しっかりとしてええがのう」ぬるいときは「ぼんやりとしとってええがやあ」とよろこんだといわれます。

満員電車でハラを立て、不景気だとハラを立て、昼食に注文の品が来るのが遅いとハラを立て、物でも盗まれようものなら、それこそカーッと頭に血がのぼるわたしたち、とてもじゃないが、源左さんのようにはゆかないかもしれませんが、せめてそのまねごとぐらい…。そう、とわたしの同年輩の友人は、いま職場で家庭で、その実践をしています。

「部下の無能にハラが立つとき、上司の命令にハラが立つとき、いままでなら、すぐにそれが顔で出、口をついて出たんだが、最近は源左さんを思い出して、まず、ようこそ、ようこそとつぶやいてみることにしてるんだ。それでもハラの立つときは、もう一回、ようこそ、ようこそとやる。2,3回くり返すと、不思議にスーッとさめるんだ」。

この男、近頃、おかげで持病の胃痛も治り、寝つきもよくなったといっています。
「ようこそ、ようこそ」——相手に対する感謝とねぎらいのことばでありますが、立腹の特効薬でもあるようです。ぜひお試しを。そして、どうしてもダメとおっしゃるあなたには源左さんがカンシャク性の男にいった次のひとことを。
「旦那さん、なんとあんたはええもん持っとんなすんなあ。カンシャクはカンシャク玉って、宝ですけなあ。宝はめったに人に見せなはんすなよ」


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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