住職コラム」カテゴリーアーカイブ

依存

自立は、依存先を増やしていくこと。希望は、絶望を分かち合うこと。
(小児科医・熊谷晋一郎先生)

私たちは、家族や友人、仕事、趣味、お金など、様々なものを頼りにして生きています。「依存」と言うとあまり良い響きを持ちませんが、人は一人では生きてはいけず、たくさんの支えがあるからこそ安定を保てます。すべてのいのちの繋がり「ご縁」を説く仏教から考えても、目に見える支え、目に見えない支えをひとつでも自覚し、感謝の日々を過ごしたいものです。

ただし、どんなに頼りにしても諸行無常、常なるものは何一つなく、過剰な依存は危険を伴います。依存先がひとつに偏ると、それが崩れた時に自己崩壊しかねませんので、依存先を増やすことを心がけてみるのもよいのではないでしょうか。その上で仏教では、依存をひとつずつ手放していく道(聖道門)と、依存を離れられない我が身を知らされ阿弥陀仏に帰依していく道(浄土門)が用意されています。

専如門主のご親教には「少欲知足」というお言葉が出てきました。「欲を少なくして足ることを知る」とは、とても難しいことですが、ほっておくとどこまでも落ちていく私には忘れてはならない言葉です。仏教は死んだ後の話でもなく、机上の空論でもありません。今まさに私自身が問われる「生き方」が説かれています。正直なところ、即席で響く教えではないと思いますが、心の支えに不安のある方は、それを仏教に問うことをお勧めします。

雪山俊隆(寺報162号)

伝灯奉告法要

本願寺では大谷光淳新門主の奉告法要「伝灯奉告法要」が10月1日より行われます。善巧寺では黒部市と魚津市の浄土真宗本願寺派寺院と共に来年の春(4月3~4日)団体参拝旅行が予定されています。

9月からスタートしたほんこさまの折に参拝旅行の話をしていると、30年以上前、祖父俊之の時代に旅行へ行った話を聞かせてもらいました。当時30代、流行していたミニスカートをはいて、道中には俊之と肩を組んで写真を撮ったそうです。30代の女性数人との記念写真。祖父俊之がどんな表情で写っているのか気になります。きっと満面の笑みを浮かべていたことでしょう。昔を思い出しながらウキウキ話す姿を見てとても羨ましくなり、「来年の春、一緒に本山へ行きましょうね!ミニスカートで!」と言って家を後にしました。

ひと昔前は、「月に一度は手次ぎのお寺へ、年に一度はご本山へ」と言われ、浄土真宗門徒のたしなみとされていました。残念ながら、その言葉を知る人も少なくなり、ご本山へ行ったことのないご門徒も多くおられることでしょう。ひとえにこちらの力不足ですが、このたびの記念すべき法要の折に、ぜひご一緒にお参りしましょう。

私たちは次の世代に何をバトンタッチ出来るのでしょうか。最新の情報や上辺の知識ならインターネットを駆使する小中学生にも負けてしまいます。伝灯奉告法要をご縁に、本当に語り継ぐべきものは何なのか、今一度、共に考えていきたいです。

雪山俊隆(寺報160号)

サイフ紛失事件

小学生の頃、ピアノを習っていました。三日市の駅を降りてから歩いて5分ほど、桜井高校のすぐそばにある教室でした。教室が終わると桜井高校の校庭に行って野球部の練習を見るのが何より楽しみでした。

ある時、教室を終えて校庭に行き、ふとカバンの中を見ると財布がないという事件が起きました。教室に戻り家へ電話をしました。出たのは父親でした。財布のないことを説明すると、「自分でなくしたのなら、自分の足で帰ってこい」と返事がありました。言われるままに県道を歩いて帰りました。途中、線路と交差になり小高い登り道があります。そこでひと息ついて回りを見渡すと、後ろのほうに黒い車が止まっています。少し気にとめながら、また歩き出しました。しばらくしてまた後ろを振り返ると、さっきの黒い車がとろとろ動いて止まりました。何度か繰り返していると、その車がついてきているのがわかります。よく見るとうちの車でした。なんでいるの?いるのなら乗せてくれればいいのに。子供心にその意味がわからず、結局、そのまま歩いて帰りつきました。その日、家でその話題は一切出てきませんでした。

それから30年以上経ちますが、今でも娘と息子の姿を見ながら、ふとその時のことを思い出します。子の前では強く言いつつ、心配のあまり一目散で息子の元へ行き、帰り着くまでを見届けてくれたんじゃないかと思います。

私が気が付かずとも、阿弥陀さまは私をいつも願っています。その願いを生涯かけて聞いていくのが浄土真宗の教えでしょう。今年父の27回忌を迎えます。

(寺報160号)

ふたつでひとつ

一体で二つの頭をもつ「共命鳥(ぐみょうちょう)」は、一頭をカルダ、もう一頭をウバカルダといいました。ある時、ウバカルダが眠っている時に、カルダは果樹の花を食べました。カルダはウバカルダのことを想い食べたのですが、それを知ったウバカルダは、黙って食べたことに怒りを起こします。その憎悪は消えることなく、後に、毒花を見つけたウバカルダは、これを食べてカルダに恨みを晴らそうとし、共に死んでいくという物語があります。

この物語は、善意を素直に受け取ることが出来ず、悪意を相手にぶつけることによって共に苦しんでいる私の姿をあらわしています。悲しいかな、夫婦と言えど、親子と言えど、友達と言えど、ふたつのいのちがひとつに溶け合っていくことはままなりません。一方で、極楽浄土に説かれる「共命鳥」は、ふたつのいのちがひとつに溶け合っていく仏様の領域をあらわしています。詩人金子みすずさんの「さびしいとき」という詩があります。

私がさびしいときに、よその人は知らないの。
私がさびしいときに、お友だちはわらうの。
私がさびしいときに、お母さんはやさしいの。
私がさびしいときに、仏さまはさびしいの。

いのちといのちの繋がりの究極は、人の痛みが我が痛みとなり人の喜びが我が喜びとなることでしょう。そんな仏様の慈悲の心に触れると、自分の有り様を恥じずにはおれません。ウバカルダは外にいるのではなく、私自身の姿であったことを教えられます。

雪山俊隆(寺報159号)

バラバラで一緒

子育て中のお寺仲間の間では、毎年12月になるとクリスマス話題で盛り上がります。私が子供の頃は「お寺にクリスマスは必要なし」が当たり前でしたが、最近は世の中の盛り上げ方が激化して、保育園でも1ヵ月前からクリスマスソングの練習が始まり、飾付けをみんなでして、盛大にパーティを行います。そんな中でうちの子は必要なしとはさすがに言えませんが、次に子供にとっては「なんでうちではやらないの?」が大きな問題となります。

「うちはアミダさまがいつも見守ってくれているからサンタさんは来ないんだよ」と言っても、すでにクリスマスの物語に没頭しているので、なかなか受け入れられません。ここでお寺の葛藤が始まります。イベントと割り切る人もいますし、無理やり置き換えて「お坊サンタ」に変身する人もいるぐらいです。こちらからすると、イスラム教徒に豚肉を出して、「みんなが食べてるのになんであなたは食べないの?」と聞くようなものなのですが、日本では、どんなに多様化の時代と言われても、「みんな同じ」という感覚が根付いているので、少数派は黙っています。

以前、東本願寺に「バラバラで一緒」というスローガンがありました。「一緒」と思っていた人に「違い」があると、裏切られたような気持ちになりますが、あらかじめ人はそれぞれに違うということが前提にあると、違うことが当たり前で、少しの共通点に喜ぶことが出来ます。世代間のギャップも同じことではないでしょうか。そのことを今一度見つめていきたいです。

(寺報158号)

おはずかしい

10数年前、お寺参りをされていたおばあちゃんたちがよく口にしていた「おはずかしい」「もったいない」という言葉を改めて思い返しています。

「はずかしい」という心は、正しいものに出会った時に起こる心で、自分を信じ自分を正しいと思っていては、その心は起きません。また、ただ「はずかしい」というのではなく、「お」が付いていることが味わい深いです。それは、自分で起こした心ではなく、仏さまの正しい姿に出会ったからこそ起きた心で、丁寧語が付けられています。なにげない言葉として受け取っていましたが、他力的な思想が込められた尊い言葉でした。涅槃経にも「はずかしいという心がない者は人とはいわず、畜生という」とあります。

仏さまに照らされて、我が身を知らされた時、親鸞聖人は「とても地獄は一定すみかぞかし」と、私は地獄の他に行き場がないとおっしゃっています。そのような私こそを救いの目当てとされた阿弥陀如来の光りに出会った時、こぼれ出るように口にされたのが「もったいない」という言葉でしょう。

ただ、この言葉には注意が必要で、自虐的にひたすら自分を卑下していると、身が持たなくなります。「救い」と懺悔」はふたつでひとつです。自分自身で反省を繰り返していると堕ちるばかりで抜け道はありませんが、そんな私こそ、仏さまはいつもおそばにましますと、救いの目当てとされていることを胸に留めて、仏さまの名「南無阿弥陀仏」:を申しましょう。

(寺報157号)

思春期・若者を知るための公開シンポジウム

本願寺で開催された「思春期・若者を知るための公開シンポジウム」に参加してきました。この企画は、昨年本願寺に新設された「子ども・若者ご縁づくり推進室」が取り組む活動のひとつです。たまたまのご縁で委員会のメンバーにお誘いを受け、組織の難しさを肌で感じながらも、遠慮なく意見を言わせてもらっています。

「大人は子どもや若者に対して何が出来るのか?」という以前に、ほっておくとすぐに偉くなってしまう自分自身の在り方が問われる内容でした。それを端的にあらわしている文章を紹介させてもらいます。

私たちはそれぞれ周りの人と違った性格や性質を持っています。しかし、知らず知らずのうちに、『大多数』『標準』だと思える方に自分を合わせ、所属させて、自分は『普通なんだ』と自らの居場所を作っているようです。そのようにして、周りと違うこと、周りに無理に合わせることに悩み、痛みを誰にも認められず生きづらさを感じている若者がたくさんいます。思春期の悩み、苦しみの一因が、『普通はこうである』という多数派の決めつけにあるなら、浄土真宗のみ教えに生きる私たちが、全ての人の幸せを願う本来のあり方とは裏腹に、苦しめる側に立っていたのではないかという反省が、この浄土真宗本願寺派としての取り組みの背景のひとつです。

旧体制の組織としてはとても切り込んだ内容になっているので、継続には様々な困難が予想されますが、期待せずにはおれません。善巧寺へ還元出来るように力を尽くします。

雪山俊隆(寺報156号)

「掛け替えのないいのち」とは、代用がきかないということです。社会のあらゆる場面において、ほとんどは代用がきくのかもしれません。総理大臣と言えど、会社の社長と言えど、代わりは次に控えています。もちろん、その人にしか出来ないことはありますが、やはり会社や組織の中では、代わりのきくいのちを生きています。でも、我が子や愛する者のいのちは変わりがききません。阿弥陀さまの眼差しは、私ひとりを代用のきかない「いのち」として見てくださいます。あなたがあなたにしか生きられないように、私は私にしか生きられないいのちを生きています。

35年を節目に幕を閉じた「雪ん子劇団」も代わりがきかない大きな存在でした。残念ながら、同じことをやろうとしても私にはその力がありません。申し訳ないというのも何か違うと思いながら、申し訳ない想いでいっぱいです。今は先代への想い以上に、大活躍する父の陰で淡々とお寺を支え続けた祖父母に感情移入します。私の立場は、祖父に近い位置にいることを今更ながら知りました。でも、同じことは出来なくても、その意志は受け継いでいるので、それが具体的な形に出来るように、粘り強く勤めていきます。

阿弥陀さまは、私のことを「そのままでいい」と言ってくれます。有り難いです。その暖かさを支えに、「このままではいかん」と踏ん張る力を持って、先に進みたいと思います。少し重くなってしまいました。四月はお釈迦さまの誕生を祝いましょう。

雪山俊隆(寺報155号)

慣習

新年明けましておめでとうございます。
仏教では本来「喪中」という考え方はありません。その発端は、江戸幕府の「服忌令(ぶっきりょう)」を元に、明治7年に政府が制定した「喪に服すべき期間」にあります。昭和22年には廃止されていますが、今もその考え方は根強く残っています。近親者が亡くなった時、悲しさからしばらくはお祝い事に参加する気持ちにはなれませんが、それと「喪中」という考え方が融合して今の慣習になっているようです。

日本では古来より死を忌み嫌い、「ケガレ」とする考え方があります。それに対して、仏教は「ケガレ」という考え方を持ちません。特に浄土真宗においては、「南無阿弥陀仏を称え、仏様に生まれると思いなさい」という教えです。悲しみを抱えながらも、有り難いと言っていける世界を知らせてもらうことは、慣習を超えて、とても尊いことです。その尊い教えを元に、素晴らしい慣習もあります。葬儀やお通夜に「赤飯」を炊き、仏様に生まれた喜びを表現します。地域によっては唐辛子汁がセットになり、涙が出るほど辛いということから、別れの悲しみを表現しているそうです。

様々な慣習や習俗があり、お寺もそれらに入り込んでいるので潔癖ではいられませんが、折に触れて、そもそもの意味を知ることは味わい深いものだと思います。新年を迎えるにあたり、どうぞ手を合わすご縁を大切にお過ごし下ささい。お寺では親鸞聖人の祥月命日に勤まる「御正忌報恩講」が1月15日と16日に行われます。

雪山俊隆(寺報154号)

子や孫へ

9月からほんこさまが始まりました。ほんこさまは、正式には「報恩講」と言います。恩に報いる集い(講)ということですから、親鸞聖人のご恩に感謝する日であり、ひろげれば、聖人を大切にされた皆様のご先祖方に感謝する日とも言えるでしょう。ご本山、ならびに善巧寺では、親鸞聖人の祥月命日(1月16日)に「御正忌報恩講」が勤まります。それに先立って行われる報恩講が「お取り越し報恩講」、善巧寺では10月19日と20日です。さらに、ご門徒さんのご自宅でつとめる在家報恩講。先人の方々がいかに親鸞聖人を大事にされていたかということがよくわかります。

「前に生まれる人は後の者を導き、後に生まれる者は前の人をたずねよ」

たびたび法話でも引用される道綽禅師の有名なお言葉です。親鸞聖人はこのお言葉を引用されて、「如来のお慈悲を仰いで信じ敬うべきである」と締められてます。

地方においても核家族が多数になり、「家」の在り方が大きく変化しました。インターネットであらゆる情報が拾える昨今、情報収集能力だけなら、十代で子は親を抜くでしょう。そんな付け焼刃の知識ではなく、生きる知恵を私たちは先人から受け継がれてきました。私たちは、子や孫に何を残せるのでしょうか。二人のこどもに恵まれてから、そのことが頭から離れません。住職になり十五年ほど、振り返れば後悔や恥ずかしいことだらけですが、本当に伝えるべきことを腹に据えて、これからを考えていきたいです。

雪山俊隆(寺報153号)