住職コラム」カテゴリーアーカイブ

思春期・若者を知るための公開シンポジウム

本願寺で開催された「思春期・若者を知るための公開シンポジウム」に参加してきました。この企画は、昨年本願寺に新設された「子ども・若者ご縁づくり推進室」が取り組む活動のひとつです。たまたまのご縁で委員会のメンバーにお誘いを受け、組織の難しさを肌で感じながらも、遠慮なく意見を言わせてもらっています。

「大人は子どもや若者に対して何が出来るのか?」という以前に、ほっておくとすぐに偉くなってしまう自分自身の在り方が問われる内容でした。それを端的にあらわしている文章を紹介させてもらいます。

私たちはそれぞれ周りの人と違った性格や性質を持っています。しかし、知らず知らずのうちに、『大多数』『標準』だと思える方に自分を合わせ、所属させて、自分は『普通なんだ』と自らの居場所を作っているようです。そのようにして、周りと違うこと、周りに無理に合わせることに悩み、痛みを誰にも認められず生きづらさを感じている若者がたくさんいます。思春期の悩み、苦しみの一因が、『普通はこうである』という多数派の決めつけにあるなら、浄土真宗のみ教えに生きる私たちが、全ての人の幸せを願う本来のあり方とは裏腹に、苦しめる側に立っていたのではないかという反省が、この浄土真宗本願寺派としての取り組みの背景のひとつです。

旧体制の組織としてはとても切り込んだ内容になっているので、継続には様々な困難が予想されますが、期待せずにはおれません。善巧寺へ還元出来るように力を尽くします。

雪山俊隆(寺報156号)

「掛け替えのないいのち」とは、代用がきかないということです。社会のあらゆる場面において、ほとんどは代用がきくのかもしれません。総理大臣と言えど、会社の社長と言えど、代わりは次に控えています。もちろん、その人にしか出来ないことはありますが、やはり会社や組織の中では、代わりのきくいのちを生きています。でも、我が子や愛する者のいのちは変わりがききません。阿弥陀さまの眼差しは、私ひとりを代用のきかない「いのち」として見てくださいます。あなたがあなたにしか生きられないように、私は私にしか生きられないいのちを生きています。

35年を節目に幕を閉じた「雪ん子劇団」も代わりがきかない大きな存在でした。残念ながら、同じことをやろうとしても私にはその力がありません。申し訳ないというのも何か違うと思いながら、申し訳ない想いでいっぱいです。今は先代への想い以上に、大活躍する父の陰で淡々とお寺を支え続けた祖父母に感情移入します。私の立場は、祖父に近い位置にいることを今更ながら知りました。でも、同じことは出来なくても、その意志は受け継いでいるので、それが具体的な形に出来るように、粘り強く勤めていきます。

阿弥陀さまは、私のことを「そのままでいい」と言ってくれます。有り難いです。その暖かさを支えに、「このままではいかん」と踏ん張る力を持って、先に進みたいと思います。少し重くなってしまいました。四月はお釈迦さまの誕生を祝いましょう。

雪山俊隆(寺報155号)

慣習

新年明けましておめでとうございます。
仏教では本来「喪中」という考え方はありません。その発端は、江戸幕府の「服忌令(ぶっきりょう)」を元に、明治7年に政府が制定した「喪に服すべき期間」にあります。昭和22年には廃止されていますが、今もその考え方は根強く残っています。近親者が亡くなった時、悲しさからしばらくはお祝い事に参加する気持ちにはなれませんが、それと「喪中」という考え方が融合して今の慣習になっているようです。

日本では古来より死を忌み嫌い、「ケガレ」とする考え方があります。それに対して、仏教は「ケガレ」という考え方を持ちません。特に浄土真宗においては、「南無阿弥陀仏を称え、仏様に生まれると思いなさい」という教えです。悲しみを抱えながらも、有り難いと言っていける世界を知らせてもらうことは、慣習を超えて、とても尊いことです。その尊い教えを元に、素晴らしい慣習もあります。葬儀やお通夜に「赤飯」を炊き、仏様に生まれた喜びを表現します。地域によっては唐辛子汁がセットになり、涙が出るほど辛いということから、別れの悲しみを表現しているそうです。

様々な慣習や習俗があり、お寺もそれらに入り込んでいるので潔癖ではいられませんが、折に触れて、そもそもの意味を知ることは味わい深いものだと思います。新年を迎えるにあたり、どうぞ手を合わすご縁を大切にお過ごし下ささい。お寺では親鸞聖人の祥月命日に勤まる「御正忌報恩講」が1月15日と16日に行われます。

雪山俊隆(寺報154号)

子や孫へ

9月からほんこさまが始まりました。ほんこさまは、正式には「報恩講」と言います。恩に報いる集い(講)ということですから、親鸞聖人のご恩に感謝する日であり、ひろげれば、聖人を大切にされた皆様のご先祖方に感謝する日とも言えるでしょう。ご本山、ならびに善巧寺では、親鸞聖人の祥月命日(1月16日)に「御正忌報恩講」が勤まります。それに先立って行われる報恩講が「お取り越し報恩講」、善巧寺では10月19日と20日です。さらに、ご門徒さんのご自宅でつとめる在家報恩講。先人の方々がいかに親鸞聖人を大事にされていたかということがよくわかります。

「前に生まれる人は後の者を導き、後に生まれる者は前の人をたずねよ」

たびたび法話でも引用される道綽禅師の有名なお言葉です。親鸞聖人はこのお言葉を引用されて、「如来のお慈悲を仰いで信じ敬うべきである」と締められてます。

地方においても核家族が多数になり、「家」の在り方が大きく変化しました。インターネットであらゆる情報が拾える昨今、情報収集能力だけなら、十代で子は親を抜くでしょう。そんな付け焼刃の知識ではなく、生きる知恵を私たちは先人から受け継がれてきました。私たちは、子や孫に何を残せるのでしょうか。二人のこどもに恵まれてから、そのことが頭から離れません。住職になり十五年ほど、振り返れば後悔や恥ずかしいことだらけですが、本当に伝えるべきことを腹に据えて、これからを考えていきたいです。

雪山俊隆(寺報153号)

花まつり

4月はお釈迦さまの誕生日「花まつり」の季節です。全国のお寺では4月から5月にかけて行われており、黒部市の仏教団でも2年に1回地区の持ち回りで開催されています。白い像を引いて、お釈迦さまの誕生像に甘茶をかけるというのをご存知の方は多いと思いますが、若い人の間では全く知らない人もたくさんいます。善巧寺ではチューリップの咲く頃に合わせて今年は4月20日です。

お釈迦さまの母親マーヤ夫人は、お釈迦さまを身ごもり、里へ帰る途中にルンビニの花園でご出産されました。お花はその花園をあらわし、釈迦誕生像に甘茶をかけるのは、お釈迦さまの誕生を祝い天から甘い雨が降り注いだという伝説に由来します。

お釈迦さまは「生」も苦しみ(四苦八苦)のひとつとして説かれました。苦しみとは「思い通りにならない」ことをあらわします。「人生は思い通りにならない」ということを頭では理解しつつ、思い通りにしようと日々あくせくして苦しんでいるのが私の姿でしょう。「生きることも尊いことだが、死もまた尊い意味を持っている」と梯實圓和上のお言葉が胸に響きます。

今年の春は「花まつり」を中心に各種の行事を用意しました。お寺は「みんなのお寺、わたしのお寺」です。参加して初めて我が寺という実感をもてると思いますので、どうぞいずれかにご参加くださるようお願い申し上げます。

(寺報151号)

750回大遠忌法要

お寺はみんなの共有場所で、おひとりおひとりが善巧寺を「わたしのお寺」と受け取って欲しいという願いを込めて、「みんなのお寺、わたしのお寺」をスローガンに立ててはや5年が過ぎました。事業も一通り終えて、その千秋楽となる親鸞聖人750回大遠忌法要を無事終了いたしました。皆様のご尽力によって大きな節目を迎えられましたこと、改めて感謝申し上げます。

初日の帰敬式は、途中から雨が降り参拝者にはご苦労をおかけすることになりましたが、親鸞聖人が薄暗い夕方に得度をしたという逸話から本堂内の照明を落とすため、あいにくの雨がより雰囲気をつくってくれました。

2日前は、天気にも恵まれて庭儀(稚児行列)から大遠忌法要。受付や本堂では裃(かみしも)を着用した総代さんが出迎え、午後1時より雅楽の音色に導かれて、華やかなお稚児さん、僧侶、裃衆の総代や留袖の婦人会など、賑やかな行列となりました。法要では、出内陣を組み参拝者の目の前まで僧侶が並び、大阪・顕証寺様に習い華葩(けは)を大量にまきました。おつとめのラストには、奏楽員8名が出内陣の前列まで登場され、楽曲「千秋楽」で締めてもらいました。法話は、2日間にわたり天岸浄圓師にお話いただき、法要全体に心が通うものとなりました。

たくさんの方が法要を支えてくださり、改めてお寺の底力を感じます。今後に活かせるように、このたびの法要を深く受け止めたいと思っています。

(寺報150号)

法名と内願

仏弟子としての名「法名」は生前に頂くお名前です。浄土真宗では「釈○○」と漢字二文字が入り原則お経の言葉から頂きます。近年、その○○に入る漢字を自ら希望することが認められ、それを内願と言います。本来頂くお名前だけに、自分で付けることには賛否両論あるのですが、内願をご縁に仏教に触れる機会となっている方々がおられます。

役員の方々と集まって談笑していた時のこと。ふとある方がこんなことを言われました。「おらの名前の漢字、正信偈にも阿弥陀経にもないがいちゃ」
この方は内願をご縁に聖典を開いてお経とにらめっこされていました。予想していなかったことだけに内心少し驚きつつ、改めて生前法名の意義を感じました。それならば一緒に探してみましょうと、他のお経からその方の漢字が入った部分をいくつかピックアップ。こんなお手伝いはとても有難いです。また、元薬剤師の方は「薬」という字を入れたいと聞いてこられます。その当人を象徴するような漢字を入れるというのは、なかなか面白いと思いました。私なら何と入れるだろうと人生を振り返る機会にもなりそうです。少々お酒の入った場ということもあって、しまいには酒好きの方が「酒はダメけ?」「いや~、それは…」と、法名の話をご縁に盛り上がったことでした。

秋の大法要では、法名を頂く「帰敬式」が行われます。どうぞお待ちしております。

雪山俊隆(寺報148号)

光陰矢の如し

ほんこさまの折に「1年はあっという間」という言葉をよく耳にします。40歳を手前にしてその気持ちがいよいよ実感となってきました。歳を取るごとに時間が短く感じるのはなぜでしょうか。

フランスの心理学者ポールジャネーによると、時間の心理的速度は年齢と反比例するとされ、10歳にとっての1年間は50歳の5年間に相当するそうです。2歳の息子の1年が私の20年分。日々新しい情報を新鮮に受け取り、刻一刻変化する我が子を見ていると、あながち言い過ぎではない説に思えてきます。

日々、処理し切れない膨大な量の情報に流されて、気休めや世渡りの情報ばかりを拾って、本当に大事なことを取りこぼしているのかもしれません。

「朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり」
蓮如上人は繰り返し諸行無常を説かれました。平和ボケした時代に警笛を鳴らしているのではなく、天災や飢饉で賀茂川が死体で埋め尽くされていたという時代のことです。親や兄弟、夫や妻、我が子を亡くす人もいたことでしょう。生々しく諸行無常を感じていただろう人たちに向かって、念を押すように繰り返し語られました。無常であることを伝えるだけでは、ただ不安を煽るだけに終わりかねません。無常だからこその救い。南无阿弥陀仏のお救いが今あなたに届いているということを言わずにはおれなかったことを想うと、我が身を恥じずにはおれません。今年は善巧寺の大遠忌法要です。後悔しないよう勤めたいです。

雪山俊隆(寺報146号)

記念事業

4月からスタートした本堂修復工事が予定通りに一段落しました。今回の工事は、親鸞聖人750回大遠忌の記念事業として行われました。50年に1度の節目です。平成20年より計画を進め、実行委員会の方々と業者の選定、視察に行ってからもう5年が経ちました。

酒井匠工務店に決定してからは、本堂全体を細部まで点検してもらい、緊急を要する箇所から優先して工事内容を決定していきました。ご門徒のご負担を最小限に留めつつ、後世に恥じない内容にするためにはどうしたらよいのか、何度も何度も話し合われました。その吟味した計画案を説明会や寺報でお知らせし今回の事業にたどり着いたことです。

募財のお願いは平成21年より始まり、3年でほぼ目処が立ち、今尚ご協力を頂いております。1番の心配とされていた募財も多くのご協力を頂き、予想以上の額となりました。当初、お蔵の修復案は募財の集まり次第では中止するべきという案もありましたが、おかげさまで計画された工事内容は滞りなく行われ、天井画と並びお蔵も見所の1つとなりました。

ご門徒の身を削りながらのご協力は善巧寺の誇りです。このご時世予定額を上回ることは大変なことで、皆様のお寺を護っていくお心はとても尊く声を大にして自慢したい気持ちです。この度の記念事業は、来年の10月12日・13日に行われる大法要が集大成となります。ぜひ修復された本堂で、ご一緒に手を合わせましょう。

雪山俊隆(寺報145号)

天井画完成

本堂内陣の天井画が131年ぶりに新調されました。本堂は参拝者のスペースを外陣(げじん)と言い、仏さまのスペースを内陣(ないじん)と言います。今回の天井画は内陣に設置されています。ご覧いただくとおわかりになりますが、外陣の柱は無垢材のままで、内陣は極楽浄土をあらわし、柱や仏具等、金色や極彩色で表現されています。より特別な場所であるからこそ手を合わせる気持ちが育まれるのでしょう。

今回の天井画を制作されたのは、日本画家の清河恵美さん(宇奈月在住)。繊細な技術と大胆な発想をお持ちの稀有な方で、有難いご縁を頂きました。中央の深いブルーを基調に、馴染み深い立山連峰が360度連なっています。そのまわりには、極楽浄土の共命鳥と鳳凰がたたずみ、富山に咲く花々二十八枚が配置されています。壮大なイメージに、お寺らしさと富山ならではの要素が見事なバランスで融合され、百年後の子や孫たちの心にもきっと響くことでしょう。ひとえに、皆様のご尽力の結晶で、素晴らしいお供えになりました。

総代長有馬文義さんは、「お寺は門徒の共有財産」とおっしゃり、私は「みんなのお寺、わたしのお寺」を念頭に掲げました。これは皆さん天井画です。どうぞ、「わたしの天井画」というお気持ちでご覧ください。10月以降に公開となりますが、修復中の8月頃までは内陣の中からも鑑賞出来ます。心よりお待ちしております。

雪山俊隆(寺報144号)