住職コラム」カテゴリーアーカイブ

當相敬愛(とうそうきょうあい)

梯實圓和上より結婚式のご法話で「當相敬愛(とうそうきょうあい)」というお言葉をいただきました。

お互いに敬い合い、愛し合う。
愛に敬いが伴わなければ、それは誠の生き方ではない。
それには相当の「覚悟」がいる。

この覚悟という言葉に強く心を打たれました。ただ好きというだけでは、自分の都合次第ですが、相手を敬い続けることの厳しさを感じます。改めて考えてみると、独身時代、ぼくは自分の都合ばかりで生きてきました。人と関わる時には、自分の都合はほとんど通りませんから、それだけに、自分のやり方で、自分のペースで物事をやるというのがとても気楽で、一面には、ひとりほど楽なものはありません。一時、友人の間でも「やっぱりひとりがいいよね~」が皆の口ぐせでした。

でもやはり、人はひとりでは生きてはいけない。この、ひとりでは生きてはいけないということも、現代の若者の間では実感しにくくなっているように思います。ひと昔前ならば、農作業の助け合いなどによって人は支えられていましたが、時代は変わり、仕事も趣味もみんなバラバラ。今は「お金さえあれば」という感覚がふつうです。必然的に、助け合いということも、ただ煩わしさのみに目をやるようになりました。ぼくの世代は、そんな感覚が当たり前の時代に育っています。

一方で、仏道はこの価値観の正反対にありました。苦難は私が引き受けるから、あなたはどうぞ幸せになってくださいと願っていく生き方。生涯をかけて共に耳を傾けていきたいです。理想なき時代に、変わらぬ理想があるという身のしあわせを。

(寺報124号)

親心

姉の子真弘が二歳の頃、「いや!」という否定のことばをよく使う時期がありました。ある日、爪切りを床に投げて、母親の「片付けなさい」という言葉に対して知らん顔をしました。くり返し「自分でやったことは自分で片付けなさい」と母親は言います。それでも「片付けない!」と言い返します。何度か繰り返しているのを見かねて「片付けんかったらお蔵に連れていくぞ」と言ってみました。お蔵は、うちの一番隅にあって、古めかしいたたずまいに重々しい三重の扉がある部屋で、私も子供の頃何度もそこへ入れられた記憶があります。その怖さは真弘も知っていて、一瞬顔がこわばります。それでもいっこうに片付けようとしません。しびれを切らして真弘を抱えお蔵へ連れて行こうとすると、急に泣き出しました。お蔵が近づくにつれて泣き声も大きくなり、いよいよ到着し泣きじゃくる真弘を入れ、素早く扉を閉じました。真っ暗の部屋の中、恐怖が増したのか、泣き声も切り裂くような声になります。少ししてから自力で一枚目の扉をガラガラッと開けました。でもそこにはまだ次の扉があります。泣き声にならないほどの叫び声が聞こえてきます。とても胸が痛くなりました。親はこんなにつらい想いに堪えてまで子を育てようとしていたのかと、親の願いの一端を知らされます。

阿弥陀仏は私のことを一人子のように願われ「お前をお前のままで抱きとって、決して見捨てない」と言いながら、仏さまが泣いている姿が思い浮かんできました。

雪山俊隆(寺報128号)

結婚

6月2日善巧寺本堂にて第22代住職の結婚式を執り行うことになりました。恥ずかしい話ですが、これが5年前の話だとしたら、おそらく式はひっそりと京都あたりで行い、披露宴も勘弁してくださいと断っていたように思います。お寺に帰り着き、ご門徒さんとの繋がりも徐々に感じ始めて、ようやく今「結婚します。一緒に祝ってください」と言えるようになりました。

思い返してみると、住職継職の時は、まさに借りてきた猫の状態で、個人的な想いを全く求められない状況に「ぼくである必要があるのか」と思い悩んでいました。今思えばワガママとしか言いようがありませんが、個性が謳われ、自分という意識を強く感じながら育ったぼくの世代ならではの想いです。

親鸞聖人は、弾圧を覚悟の上で僧侶として初めて公式に結婚された方でした。多くの僧侶から罵られ、お国からの罰を受ける覚悟は想像を絶します。現にお仲間には死刑を受けた方もおられるわけで、ぼくなら黙ってコッソリと伴侶をつくっていたに違いありません。

その覚悟を支えていた力は何だったのか?それはやはり、いつも真ん中に仏さまがおられたのでしょう。仏さまを大切にすることを中心に、それを妨げることはなるべく避け、光りのあることは例えイバラの道であっても進んで行う。考えてみると、これほどスッキリとした生き方はなく、憧れの諸先輩方の共通点はこの芯でした。諸行は無常の世の中で、絶対に変わらない芯。なにが1番大切かということを見失わないように歩みたいものです。

(寺報123号)

何が中心か

住職継職以降、8巡目のほんこさん参り。「1年があっという間やね~」という通例のご挨拶にも実感が伴ってきました。善巧寺のほんさんは、今回からどの地区もなるべく午前中に終わるように日程を調整しています。それは、葬儀等の突発的な仏事が入った時の対応や、一軒一軒を大切に勤めたいという配慮からです。

親鸞聖人のお師匠である法然聖人は、「念仏」を中心としたものの考え方を徹底された方でした。それは例えば、当時タブーとされていた僧侶の結婚に対しても、

聖(妻帯しない僧)では念仏できないというのであれば、妻帯して念仏しなさい。妻帯したために念仏ができないというのであれば、聖になって念仏しなさい。

とおっしゃっています。親鸞聖人はそれに従い、弾圧を覚悟の上、いのちをかけて結婚を決断されたとお聞きします。一方で、私たちは何を中心として物事を判断しているのでしょうか。法然聖人や親鸞聖人のように突き詰めた言葉はなかなか言えるものではありませんが、浄土真宗にご縁のあった者は、はやりそれにならって、「手を合わすご縁」を中心に物事を判断していきたいものです。

年に1回、30分ほどのご縁。それは一生のうちでマバタキほどの時間ではありますが、浄土真宗において1番大切なお勤めです。それをいかにして、大切さを失うことなく努めあげていくかが僧侶の本分でありましょう。とは言っても、なかなか理想どおりにはいかず、時に楽をしたいという心も湧き出てくることがあります。そんな姿を目にした時は、どうぞ叱咤激励お願いいたします。ご一緒に大切な法事を勤めあげていきましょう。

(寺報122号)

変わらない凄さ

今年は祖母の3回忌と父の17回忌でした。父の遺した言葉や写真、映像は今もうちの家宝として残っています。その中で、著作「お茶の間説法」を朗読したテープがあり、これをうちの中だけに留めておくのはもったいないということで、去年からインターネット配信を始めました。すると、予想を超えて聞いてくださる方が多く、多い時では日に2000人以上のアクセスがあります。

戦後、それまでの価値観が崩れ去り、欧米に追いつけ追い越せでがんばってきた時代がありました。戦前の価値観を否定するということは、それまで大切にされてきたお寺や仏教も含められ、伝統や歴史が「古い」という一言でかたづけられました。核家族化もこの頃から始まり、家庭のあり方が大きく変わり、そういう中で育った今の若者は、必然的にお寺や仏教とも縁遠くなります。ただ、あまりにも縁遠くなったせいで、逆にそれが今新鮮なものとして受け取る人たちが出て来ました。

上辺の文化に覆いかぶされた国で、突然個性が謳われても無理難題。欧米への憧れも徐々に薄れつつある今、情報はテレビ・新聞からインターネットへ。私って一体なんだろう?という自分探しが一時流行りましたが、そんな中で、足元にあった仏教に興味を示す人たちが出て来てもなんらおかしな話ではありません。

お寺や仏教が、今の若い人たちにとって抹香臭いものではなく、むしろ新鮮な魅力をもった仏教の伝統として、好意的に受け入れられていると強く感じます。時代に左右されず「変わらない」教えが今目の前にあるということを再確認いたしましょう。

(寺報121号)

感受性

だいぶ過ごしやすくなりまして、雨がこんなに気持ちのいいものだったと改めて思いました。ぼくらはなにげなく、晴れの日をいい日と呼んで、曇りや雨の日を、天気が悪いなんて言いますが、天気にいいも悪いもないと、親によく言われました。確かにその通りで、農家をしている人なら、恵みの雨といって、雨がなければ植物は育ちません。この恵みという受け取り方はステキな感性ですね。自分の力で得たという感覚じゃなくて、いただいたものということでしょう。そこには、感謝の心が育ちます。こういう感覚ってドンドン減退しているんでしょうね。

例えば、こどもをつくる、なんて言いますが、これも昔は、こどもが恵まれた、と言っていたはずです。それを今では、あたかも自分の力ですべてつくりあげたような言い回しを普通に使ってしまいます。そこになにが問題があるかというと、感謝のこころが育たないということでしょうね。感謝のこころがないということは、生きていても、どこにも満足が得られないことになるかもしれません。感謝のこころは、懺悔のこころを生みます。おばあちゃんたちが使っている、申し訳ないとか、もったいない、という言葉がソレですね。

もったいないという言葉も、モノを粗末にしているからという前に、恵まれたモノという感覚があるから生まれた言葉ですね。ただ、モノを大切にするというだけでは、なにかが足りません。なぜモノを大切にしなければならないか。資源には限りがあるから、とか、作った人の苦労を考えなさいというだけでは、その考え方もいつか崩れる時がくるかもしれません。だいたい、売り手のことだけを考えれば、バンバン食べ物を捨てるがごとくに消費したほうが喜びます。儲かりますからね。そうではなくて、自分で得たものではなくて、恵まれたモノだったという受け取り方を出来た時に、はじめて感謝のこころが生まれて、そこに自ずと、モノを大切にする心が生まれるのだと思います。そういう心が生まれた時、そうは出来なかったとしても、今度はそこに、申し訳ない、という懺悔の心が生まれる。感謝と懺悔の繰り返し。そんなステキな感性を持ったおじいちゃん、おばあちゃんが、あなたの近くにもおられますよ。

ラジオ番組「ゆるりな時間」より

坊主

ふだん何気なく使っている言葉の中に、仏教をルーツとした言葉はたくさんあります。たとえば、病院とか看護とかもそうですし、馬鹿とか、どっこいしょ、なんていうのもそうですね。

今回紹介するのは、坊主。
ボウズ頭、三日坊主。「こら、ボウズ」なんてのもありますが、もともと僧侶というのは、集団で修行し、生活していました。その中で、僧侶たちが生活するスペースがあって、それを「房(舎)」と言います。その房の主を、坊主と言ったんですね。

関西のほうでは、大工道具の直角に曲がった定規、曲尺のことを通称ボウズと呼ぶ地方があるそうです。あるとき、大工さんが家を建てている時に、曲尺を忘れたのに気付いて、下にいる大工なまかに「おい!ボウズとってくれ」その時、ちょうど、お坊さんが道を歩いていて、自分のことを呼ばれたのかと思って振り向いたそうです。これがぼくのおじさんに当たる人だったわけですが、これは、うまい表現だと感心していました。ボウズも曲尺のように根性が曲がっていると。そう言われないように、気を付けたいものですね。

ラジオ番組「ゆるりな時間」より

ブッダからのメッセージ

春はお釈迦さまのご誕生をお祝いする花まつりです。
お釈迦さまは2500年以上前にインドにお生まれになったお方で、元の名をゴータマ・シッダルタといい、釈迦族の王子として生を受けました。一国の王子でしたから、財産や地位、名誉にも恵まれ、知能や体力も万能だったと伝えられます。そんな何不自由ない環境の中で、なぜ出家されたのでしょうか。

私たちが1番追い求めているもの、それらすべてをなぜ捨てたのでしょう。それは、老病死を目の当たりにしたことが原因とされます。歳をとりたくないと思っても一瞬たりとも止まることなく歳をとっていき、病気になりたくないと思っても病に冒されていく身が私たちの姿。そして、どんなに死にたくないと思っても、必ず死んでいくいのちを私たちは今生きています。死を前にする時、財産も名誉も地位も何もなりません。

「そんなことはわかっている」と、ふつうはそこで思考ストップ、なるべく考えないようにしますが、お釈迦さまはそこから目を背けず、徹底的に見つめ直し、ついに仏教を説かれたのでした。
「今こそいのちの尊さを伝えなければならない」と言われていますが、私たちは本当にいのちを尊いものとして生きているのでしょうか。人生順調な時は「いのちは尊い」と言っていても、いざ逆境に立たされれば、一転していのちを放り投げてしまうような心を私は持っています。自分の目でいのちを見つめる限り、それは自分の都合しだいでコロコロ変わります。

「いのちが尊い」ということは、仏さまの眼差しにあってはじめて知らされることでした。知らされながらも、変わらぬ私。仏教を聞くとは、感謝と慚愧の心を育て続け、「生涯育ちざかり」の道でした。

(寺報119号)

手を合わす

学校の給食で食前にする合掌が宗教的行為とみなされ、ドラやカネを鳴らしてハイどうぞという話を聞いたのは20年前。「いただきます」は、食べ物に対する感謝をあらわします。いのちを頂きますということでしょう。そういう感謝の気持ちはもういらないのでしょうか。お金さえ払えばすべて我が物でしょうか。

ひと昔前は宗教教育は家庭で育まれたものでしたが、今はその家庭のあり方が大きく変わりました。核家族が当たり前になり、加速するスピードから世代間の価値観もひろがり、すでに上の世代の言うことを聞く耳がなくなりつつあるように感じます。

すべて科学とお金だけの価値観になった時、人すらもお金で換算され、誰もがいつか捨てられていく人生になります。そこにいのちの触れ合いは一切ありません。目の前のことをがむしゃらにやれる時期はそれですむかもしれませんが、自分自身がいつか捨てられていくという想像力が決定的に欠けています。だいたいに、インターネットやテレビでひろえる情報や知識だけならば、早い子では中学生ぐらいで親を越します。

今私たちは、子や孫に何を伝えられるのでしょうか。流れゆく情報やお金よりも大切なことはなんでしょうか。それは、まず自分自身が何を拠り所にして生きるかという問題にもなるでしょう。

お寺の行事にご参加ください。毎月2回のお講、年中行事に是非参加してください。また、はじめての方でも参加しやすいような夜の法座を春からスタートします。来やすい環境づくりに努めます。平成23年の親鸞聖人750回大遠忌をひとつの山場と見据え、止まることなく邁進していく所存です。

(寺報118号)

フリースタイル

お寺座ライブが老若男女とってもフリーな雰囲気になったのがとても気持ちよかった。音楽を楽しんだり、縁側に行ったり、お茶を飲んだり、タバコ吸いに行ったり、トイレに行ったり、雑談したり(人に迷惑かけるのはまずいけど)。なにを説明したわけじゃないのに、みなさんうまい具合にお寺を使ってくださった。今回は3時間。コンサートとしては長いし、夜通し遊ぶフェスやクラブから見ると凄く短い。遊び慣れている人が結構いたということもあるかもしれないが、初回からお寺という空間がこれほど理想的に使われるとは本当に驚いた。

で、ふと思った。
お寺では月に二度の定例行事「お講」というのがあって、そこに来るおばあちゃんたちは、はやい人で1,2時間前からやってくる。それをはじめの頃は「あぁ、家ですることないんやろなぁ」ぐらいにしか思っていなかった。本堂に来たおばあちゃんは、仏さまにごあいさつしたあと、思い思いに時間を過ごす。誰かとおしゃべりしている人。横になって寝ている人。トイレを行ったり来たりしている人。境内でボーっとしている人。お参りがはじまってからも、トイレに行きたくなれば勝手に行ってるし、お話最中でも疲れたら勝手に帰っていく。逆にすべてが終わってからも、これまた1,2時間雑談していたりする。こどもの頃の記憶では、おばあちゃんたちが寺の竹やぶで服をまくりあげておしっこをしていた光景もあった。

そう、めちゃくちゃフリースタイルなのです。時間の感覚がまるで違う。現代人は待つということがとっても苦手でみんなとっても忙しい。というか、忙しくしている。また、無意識に自分の中でガチガチにルールを作ってしまう。もしくはルールを求める。そうしないと動けない。一方、おばあちゃんたちは、待つという感覚すらないのかもしれない。ルールもあってないようなもの。これはすごい。待つというのは今ふつうに考えると無駄な時間とされてしまうが、そんな時間は存在しないわけだ。このフリースタイルこそ、今後お寺で提供していきたいもののひとつだ。時間を埋めるのではなく、時間を感じる。80代の方たちは、とっても遊び上手だということを改めて知る。