いただきます、してますか?

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


外国人の夫婦が、こども連れで、ホテルのレストランにすわっている。しばらくすると、食事が運ばれてきた。夫婦は、手を合わせて、食前のお祈りをはじめた。ところが、こどもはむずかって、お祈りをしない。こんな場面に出くわした、わたしの友人は、自分の食事も忘れて、成りゆきを見守っていたそうです。
「いやあ、おどろいたよ。その夫婦は、こどもがお祈りをしないとなると、サッと皿をボーイに引かせた。そして、自分たちだけで談笑しながら、うまそうに食事をはじめるんだ。こどもは、泣くさ。でも、平気な顔で”君は食前のお祈りをしないから、食事があたらないんだよ”と、いとも簡単にいってのける。とうとう、夫婦の食事が終わるまで、こどもに食べ物はあたらなかった」

そして、次の朝。また、友人はこの家族とレストランで出くわしました。
「今度もこどもは、お祈りをしないんだ。すると、夫婦はまた、こどもの皿を引き、自分たちはとても楽しそうに食事をはじめた。二度の食事を抜かれたこどもは、とうとうネを上げて、”パパ、お祈りするから食べさせてよ”といっている。すると、夫婦は、ニコーッと笑ってOK!すぐに料理を運ばせて、今度はさっきの三倍ぐらいなごやかに、家族そろって食べだした。感動したね。これがしつけだと思ったね。」

食前の祈り、食前のことば―日本ではいったいどうなっているんでしょう。食堂なんかでみていると、いただきますもいわない連中がほとんど。合掌なんて、とんでもないといった感じです。ちょっと気になって、こどもたちに聞いてみました。小学校三年の娘がいうには、学校では統一されたあいさつはなくて、各学級思い思いにやっているという。「姿勢!礼!」という、まったくなんのことだかわからないのもあれば「キオツケ!合掌!いただきます」というのもある。また、保育所のと同じあいさつで「お父さん、お母さん、お当番さん、ありがとう。先生、いただきます」とやっているクラスもあるという。びっくりしたのは、ごちそうさまの方で、こどもたちが「ごちそうさま」というと、「おそまつさま」とやる先生までいるということでした。

さて、あなたのお宅では、どうでしょう?食事の前後に、どのようなあいさつをなさっているでしょう。「姿勢!礼」ですか。それとも、ただ無言で、ガツガツですか。手を合わせて、「いただきます」ですか。

参考までに、ここに二つの食前食後のことばを紹介しておきましょう。
はじめは、比叡山西塔居士林のあいさつ。
「吾今幸いに仏祖の加護と衆生の恩恵によって、この清き食を受く。つつしんで食の来由をたづねて、味の濃淡を問わず、其の功徳を念じて品の多少をえらばじ。いただきます」
「吾今此の清き食を終わりて、心ゆたかに力身に充つ。願わくば此の身心を捧げて、己が業にいそしみ、ちかって四恩に報い奉つらん。ごちそうさま」

次は西本願寺のあいさつ。
「み仏とみなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。ふかくご恩をよろこび、ありがたく、いただきます」
「尊いおめぐみにより、おいしくいただきました。おかげで、ごちそうさまでした。」

あらゆるものの命を犠牲にして、あらゆるもののおかげによって、わたしたちは毎日の食事をさせていただいているのですが、どうも近頃、その感覚がうすれてしまって、いただきますや、ごちそうさまという感謝の心がなくなってきています。こんなことでは、こどものしつけもおぼつかない。つつしんで食の由来をたづねて、ありがたくいただく心をとりもどそうではないですか。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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