決めた!はヤメタのはじまり

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昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


ホントのお化粧法の第一課は、”女はウソのかたなりだ”ということを知ることではないか――と、先週お話しましたら、若いお嬢さんが、寺へとんできて、「とんでもない!」というのかと思ったら、「わかるわかる。ホントその通り」ときた。以前ラジオで一緒に仕事をしていた女の子で、年はハタチ。それこそ頭のテッペンから足のツマ先まで、あたたかいウソで塗りかためた感じの子だから、こちらもビックリしましてね。ホントにわかったの?と半信半疑。そしたら彼女「まあ 聞いて下さいよ」と、じつに感動的な体験談を、息せき切って話してくれた。まあ、聞いてやって下さい。
 
ワタシね、学生時代からモデルのまねごとやったりしていた関係上、おしゃれとか、お化粧には、かなり自信があったんです。ところがね、ついこの間、ワタシ急に腹部出血とかでバッタリ倒れて、救急車で病院に運ばれたの。もう痛くて痛くて死にそうで、先生にみてもらったら、すぐ入院だ、手術だというのよね。もう目の前まっ暗でフーッとなって、とにかく入院ということになったの。
 
そしたら、看護婦さんがやってきて、スッゴク事務的に「お化粧として、寝間着に着替えて寝てなさい」っていうの。もう、ガーンよ。だってワタシ、いままでオトナになってから、人前で素顔見せたことなかったんだもの。で、そういったら、また看護婦さん「決まりです。おとしなさい。着替えなさい」でしょ。それで仕方なく、顔を洗ってスッペンペンになって、三宅一生の服も脱いで、ペローンとベッドに横になったわけ。もう恥ずかしくて恥ずかしくて、おなかの痛いのはガマンできたのに、このときばかりはオイオイ泣いてしまった。
 
ところが、しばらく病院で生活しているうちに、だんだん落ち着きを取り戻して、まわりをみると、みんなワタシと同じで、スッペンペンのペローンなのよね。で、よくよく考えてみたら、結局、みんな患者なのよね。お化粧なんてことよりも、もっとタイヘンな問題と戦っているわけですよ。そうだ、ワタシもその中の一人なんだ、ということがやっとかわったの。すると、なんだか、スーッとさめてゆく自分を感じて、ナーンダ、人間って、こんなものか。これまでいろいろ飾りたてていたけど、ホントのワタシって、スッゴクちっぽけで、たった一人で、とてもつまらない人間だなあーと、そのとき、やっとわかったの。
 
このお嬢さんは、これからまもなく、おなかを15センチも切る大手術をうけるわけですが、その折には、自分の死というものに直面し、生きたいと思い、命の尊さを知り、そしていままで考えもしなかったという両親や友達への感謝の気持ちも、ふつふつとわいてきたそうです。じつにすばらしい体験をしたものだ、と、わたしも教えられることが多かったんですが、その子が、さいごにこういうんです。
「ところが、ところがですよ。手術が終わって退院したら、もう、その時に思ったこと、心に決めたこと、すっかり忘れてしまって、パァーッとまたハデに、毎日ウソのかたまりで過ごしてしまっているの。ダメねぇ、ワタシって。どうしてこうなのかなあ…」
 
仏法では、心に決めることを“決定心(けつじょうしん)”といいます。これはだれでも持ち合わせているもので、朝目が覚めると「さあ、やるぞ」。注意されたら「よし改めよう」と思うわけです。ところがもう一つの心”相続心”というのがまるでない。朝決めたことを昼まで守りつづけることすらおぼつかない。でも、いいじゃないですか、と、わたしはその子にいったんです。キミには立ちもどれる原点がもう見つかったんだから。それを持たずに、ウソのかたまりがあたりまえ、生きているのがあたりまえ、と思っている人とは、すでにひと味違った人生が送れるに違いないんだから、と。

雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

<-目次-「お茶の間説法」>
お目覚め説法
いい天気ってどんな空?
カガミよかがみよ鏡サン
心のファウンデーション
決めた!はヤメタのはじまり
だいどこ説法
スプーンはおいしさを知らない
ひとりいきいき
いただきます、してますか?
おかげさま?おカネさま?
るす番説法
あなたのダンナは本当の旦那か?
ベルの音いろいろ
長屋とマンション
ひとりよりもふたり
いどばた説法
浜美枝さん
六道はいずこに
この世はあなたのままになるか
天上界は二分半
ようこそ、ようこそ
居直るか、痛みを感じるか
千々に乱れてグチばかり
生きがいと死にがい
名CMその後
ストーブで心は暖まらない
ハウツー説法
お布施は出演料じゃない
焼香は何のために
仏だんの意義
ありがとう、さようなら
お茶の間説法
焼きイモの味
女のよりどころ
男は富貴
煩悩はいくつある
チャンネル説法

心のファウンデーション

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昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


鏡の前で、ちょっとお化粧でも…と思っていらっしゃるあなたに、今日はとっておきの美容法をお教えいたしましょう。たとえそれが、ヤボな坊さんのいったことであろうとも、”より美しく”というのは全女性の願ってやまない大いなる欲望なのだから、知らなきゃソン。聞いておいたがトクというものであります。
 
エレガンスの辞典―というのがありましてその著者、G・Aダリオ―女史は、身だしなみの心得として次のようにおっしゃてる。
1、毛と爪の手入れが申し分ないこと
2、髪の毛が清楚にととのえられていること
3、お化粧が清楚で、化粧しているとは見えないこと
4、靴は清潔で、みがいてあり、状態のよいこと
5、衣装は清潔で、しみがついていないこと
6、におい押えのコロンかオード・トワレットを毎日怠らずにふりかけること
 
女史のチェックリストはまだ続きますが、このへんでやめにして、最後にご婦人方の化粧について、もうひとこと。
「明るい日のさすところで、鏡に顔をうつしてみて、化粧の濃すぎそうに見えるところは容赦なくぬぐいとることです」。
じつは、わたしが気に入ったのは、この「容赦なくぬぐいとること」ということばなのです。
 
さあ、それでは、いよいよ本題にはいりますが、わたしがみなさんにお勧めする美容法には、二つあります。その一つは、まず「女はウソのかたまりだ」ということを知ることであります。だってそうでしょう。頭のテッペンから足のツマ先まで、ありのままのあなたというものはほとんどない。髪は染めたり、曲げたり、顔は塗ったり引いたり、つけたり…あとはあまり申しませんが、事実そうでしょう。それでいて、口をひらけば、「あーら、奥さま、いつまでもお若いこと!」お若いといったって、年は年なりにちゃんととっていますよ。ただ、そう見えないように、ちょっときれなウソで飾っているだけなんだ。
 
「美容の歴史」というジャック・パンセが書いた本のはじめには、こうあります。
<マキャージュ>(化粧)という言葉は、今ではあたりまえになっているが、これは<働く>とか、<カードでインチキする>を意味する隠語からきたものである。
 
インチキなんだな、やっぱり。いやこれは女ばかりじゃない、男だって、坊さんだって、結局はうわべはウソのかたまりで塗りつぶして、ニッコリ笑っているものなんですよね。だから、まず第一の美容法は、ウソのかたまりを、容赦なくぬぐいとること、ありのままのわたしを見つめ直して、ゼロからスタートし直すこと――これではないかと思うんです。
 
さて、次は美容法その二であります。それは、心のファウンデーションです。どんなにおもてをきれいに飾ったところで、裏の心が真っ黒では、どうにもなりません。おしゃれをして、町を歩いている人をごらんなさい。うちでケンカでもしてきたばかりなのか、目の玉三角にして、親のカタキでもとりにいくかのごとき人の多いこと!
 
お経には「忍辱得端正(にんにくとくたんじょう)」とあります。忍辱とは耐え忍ぶということ。平たくいえば、ハラを立てないことであります。で、ハラを立てなかったらどうなるか。端正を得、つまりスマートになるということでしょう。“ハラを立てなかったら、スマートになる”。これこそ、最高の美容法だというわけです。
 
1日に何十回とハラを立てているわたしたちではありますが、せめてまねごとでもいい、ほがらかに、ニッコリ笑ってハラを立てなかったら…それこそ、あなたは、町一番のスマートな女性になること間違いなしだ。

雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

<-目次-「お茶の間説法」>
お目覚め説法
いい天気ってどんな空?
カガミよかがみよ鏡サン
心のファウンデーション
決めた!はヤメタのはじまり
だいどこ説法
スプーンはおいしさを知らない
ひとりいきいき
いただきます、してますか?
おかげさま?おカネさま?
るす番説法
あなたのダンナは本当の旦那か?
ベルの音いろいろ
長屋とマンション
ひとりよりもふたり
いどばた説法
浜美枝さん
六道はいずこに
この世はあなたのままになるか
天上界は二分半
ようこそ、ようこそ
居直るか、痛みを感じるか
千々に乱れてグチばかり
生きがいと死にがい
名CMその後
ストーブで心は暖まらない
ハウツー説法
お布施は出演料じゃない
焼香は何のために
仏だんの意義
ありがとう、さようなら
お茶の間説法
焼きイモの味
女のよりどころ
男は富貴
煩悩はいくつある
チャンネル説法

カガミよかがみよ鏡サン

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昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


三浦朱門さんのお気に入りのテレビのコマーシャルというのが、7月2日付の婦人面に出ていました。亭主がゴロンとしていると、画面の外から女房の声がして、風呂でも掃除してくれという。亭主がさもくやしそうに
「いま、やろうと思ってたのニィ」
と言う。あの亭主の卑小さ、小児性もさることながら、画面の外から夫を追いたてる女房の小にくらしさがよく表現されている――たしか、こういうことだったようであります。テレビのコマーシャルというのは、大のオトナが、とにかく社運をかけて、チエをしぼり合った結晶のようなものですから、ヘタなドラマより迫力があるものが多いわけです。
 
じつは、わたしにも、気に入ったのがありましてね。いまはもうやってないが、2,3年前に何度か見て、いまだに忘れられない。ちょうど、お目覚め説法にはピッタリという感じなんですが…。
 
若い女の子が画面に登場いたしまして、ニッコリ笑って、歯をむき出して
「わたしの歯、真っ白!」
とやる。自慢するわけです。白い歯を指して。ところがそこへもう一人の女の子があらわれて、これがずいぶんいじわるなんですが、手鏡を持っていて
「裏は?」
とやる。自慢の女の子は、手鏡にうつった自分の歯の裏をみせつけられて、「真っ黒…」とガックリ。そこで、歯の裏までよくみがけるちょっと曲がった歯ブラシをどうぞ、ということになるのだが、わたしはこれをみて、もし、わたしがサンケイ広告大賞の審査員なら、間違いなく、これに優勝トロフィーを贈っていただろうと思ったね。
 
その選考理由は次の通りであります。つまり、これは、単に歯ブラシのコマーシャルというだけのことではなくて
「裏は?」
という言葉をこのわたしに対する根源的な問いかけであると受けとったとき、限りなく広がる虚飾の世界を打ち破り、人類に真実なる生き方を問いかける、この上ない契機になるのではないか、とかなんとか…そんな気がしてならないのです。
 
どうですか?あなたはそう思いませんか。このコマーシャルは、歯だけのことをいっているんじゃないんですよ。わたし達は、いつも、ウソで塗り固めた自分を指さして、「わたし、真っ白!」とやっているんです。女の人はとくにそうだ。頭のテッペンから足のツマ先まで、生まれたまんまの本当の自分などというものはまるでない。いや、男だって、坊さんだって、そうですがね。ところが、そのウソをウソとも思わず、ニッコリ笑って、真っ白!とやっている。裏はどうなんでしょう。ハラの底はどうなんでしょう。
 
だれかが、いつか、手鏡を持っていて、
「あなたの裏は?」
といわれたらどうします?ふつうの鏡なら、表しかうつらないからゴマカシが効きますが、その鏡が、真実まことの鏡だったらどうします。コマーシャルの女の子のように、ガックリ、うずくまらざるをえないのではないでしょうか。
 
先日、近くのロータリーグラブのスピーチに呼ばれまして、ひょいと見たら「四つのテスト」というのがあって、その第一に「真実かどうか」とあった。なかなかやるじゃないですか、「もうかるか、どうか」「ソンかトクか」じゃないんですよ。「真実かどうか」――自分にたえず手鏡をあててみて、静かに反省してみようということなんでしょうね。
 
朝目が覚めて、ウソのかたまりのお化粧を念入りになさる前に、ひとつ、鏡に向かってやってみて下さい。
「鏡よ鏡よ鏡さん、どうぞ教えて下さいな。ホントのわたしはだれでしょう。裏は真っ黒じゃないかしら」
鏡は答えてくれるでしょう。
「そうよ。やっとわかったの。あなたの裏は真っ黒よ」

雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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お目覚め説法
いい天気ってどんな空?
カガミよかがみよ鏡サン
心のファウンデーション
決めた!はヤメタのはじまり
だいどこ説法
スプーンはおいしさを知らない
ひとりいきいき
いただきます、してますか?
おかげさま?おカネさま?
るす番説法
あなたのダンナは本当の旦那か?
ベルの音いろいろ
長屋とマンション
ひとりよりもふたり
いどばた説法
浜美枝さん
六道はいずこに
この世はあなたのままになるか
天上界は二分半
ようこそ、ようこそ
居直るか、痛みを感じるか
千々に乱れてグチばかり
生きがいと死にがい
名CMその後
ストーブで心は暖まらない
ハウツー説法
お布施は出演料じゃない
焼香は何のために
仏だんの意義
ありがとう、さようなら
お茶の間説法
焼きイモの味
女のよりどころ
男は富貴
煩悩はいくつある
チャンネル説法

いい天気ってどんな空?

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昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


ちょっとヤボですが、坊さんのわたしが東京や富山でラジオのニュースキャスターというものをやっていたことがあるのです。朝の2,3時間、ぶっ続けにおしゃべりをするわけですが、オープニングというんですか、番組のはじめに名前が雪山だというので晴れがましくも雪山賛歌なんぞを流しまして「お早うございます!7月12日火曜日午後9時、これからしばらくはホットなニュースと話題いっぱいのワイド番組でお楽しみ下さい」とやる。
 
それから型通りにアシスタントのアナウンサーとお天気のやりとりで、晴れていれば「今日もいい天気ですね」「そうですね。奥さま、お洗濯がはかどりますね」とかなんとか。暑い日だと「暑いですね。いやな日が続きますね」「そうですね。ほんとに涼しくならないかしら」とかなんとか。ところがあるとき、ギクリとすることがあった。お天気のあいさつのあと、気象台の方と電話でやりとりするコーナーがあって、そこで、あるお天気おじさんがおっしゃった。
「雪山さん、じつは、お天気には、いいとか、わるいとかはないんですよ。晴れていれば晴れた日、雨なら雨の日というだけで、わたしたちはなるべく、いい天気わるい天気とは使わないようにしているんです。」
まいったね、わたしは。えらそうにお説教などする資格はないと思った。そうなんですよ。わたしたち、朝、目が覚めたら、カーテンをあけて、「わあ、いい天気だ」とか「やだなあ、また雨だ」とか、カンタンにいってしまうけど、考えてみれば、天気にいい、わるいなんてあるわけない。こっちは快晴つづきで「いいなあ」と思ってもあまりつづくとお百姓さんが音をあげる。台風でも、被害は困るけどあれが来なかったら日本の水源が干上がってしまうわけだ。「ありがとう。おかげで坊さんの片目が開けました。天気にいい、わるいはなくて、もしいうなら、その前に、わたしにとっていい天気、わたしにとって都合のわるい天気といわねばならないんですね」と、お天気おじさんにお礼をいった。
 
その時です。ギクリときたのは。(ハテ、これは、お天気だけのことだろうか?)どうでしょう。わたしたちは、お天気だけではない。まわりすべてのことを、いともカンタンに、いい、わるい、と決めつけているけれども、結局それは、わたしのメガネでながめているだけのこと。なのに、口にするときには、いつも、このわたし、ということばを抜いてしまっているんじゃないですか。
 
だれかさんをつかまえて「あの人はいい人」「この人はわるい人」、いっていませんか?ありのままに見れば、世の中に、いい人、わるい人なんていませんよ。「あの人はあの人」であり、「この人はこの人」であって、あの人はあの人なりに一生懸命生きている。この人もこの人なりに一生懸命生きている。それをわたしたちは、自分勝手に、いい人、わるい人と決めつけている。あなたがわるい人と思っている人のことを考えて下さい。ひょっとしたら、その人は、あなたにとって都合の悪い人というだけのことかもしれない。
 
よしあしの文字をもしらぬひとはみな
まことのこころなりけるを
善悪の字しりがほは
おほそらごとのかたちなり
 
こんなうたがある。少し反省してみなくてはなりませんね。(いいのわるいのと、もの知り顔に決めつけていたこのわたしは、いったい、何サマなんだろう。わたしって、ものの善悪を簡単に判断できるほど、上等な生きものだったのかしら…)一度、わたしたち、外ばかり向いていた目の玉をひっくり返して、内なる自分のハラの底をみつめ直してみたらいいのかもしれません。かくいうわたしはどうなのか、いいのか、わるいのか…本当のわたしとは、いった何なのか、と。
「お茶の間説法/雪山隆弘(昭和54年百華苑発行)」より 

雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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お目覚め説法
いい天気ってどんな空?
カガミよかがみよ鏡サン
心のファウンデーション
決めた!はヤメタのはじまり
だいどこ説法
スプーンはおいしさを知らない
ひとりいきいき
いただきます、してますか?
おかげさま?おカネさま?
るす番説法
あなたのダンナは本当の旦那か?
ベルの音いろいろ
長屋とマンション
ひとりよりもふたり
いどばた説法
浜美枝さん
六道はいずこに
この世はあなたのままになるか
天上界は二分半
ようこそ、ようこそ
居直るか、痛みを感じるか
千々に乱れてグチばかり
生きがいと死にがい
名CMその後
ストーブで心は暖まらない
ハウツー説法
お布施は出演料じゃない
焼香は何のために
仏だんの意義
ありがとう、さようなら
お茶の間説法
焼きイモの味
女のよりどころ
男は富貴
煩悩はいくつある
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お目覚め説法

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昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


ちょっとうかがいますが、あなたは今朝、何時にお目覚めでしたか?それからいままでどんなことをさないました?朝起きて、顔を洗って、部屋のそうじをして、ご主人を起こして、朝食をつくって、それでいま、ご主人は出ていってホッとひと息…ですか。
 
では、もう一度うかがいます。そのお目覚めのとき、あなたはどんなことを思いました?オヤ、笑っていらっしゃる。その顔は何も考えたりしなかったのかな。それとも、べつに口に出していうほどのことではないのかな。まあいいでしょう。
 
わたしはね、よく思うんですよ。朝、目が覚めたとき(ああ、今日も生きている)。それでお念仏を称えたりするわけです。いやだなあまた笑ったりして。思わないかなあ、今日も生きているって。(このお坊さん、ちょっとキザですがどころじゃないわね。今日も生きているなんて当たり前のことじゃないの)
 
あなたの目を見ていると、こんな感じだな。いや、わかるんですよ。この前もある婦人会でこういったら、同じようにフフと笑ってそんな目つきをしてたもの。
 
しかし、もう一度聞きますが、今日も生きている ということは、当たり前のことですか?仏法では「老少不定」といい「われや先、人や先、今日とも知らず明日とも知らず」ともいう。お通夜の晩などにこんなことばを聞いたことがあるでしょう。人間は生まれて、年とって、病気して、死んでいく。それも吸う息ははくを待たずして…といいますから、いつのことだかまったくわからない。まさに今日とも知れず、明日とも知れないわけです。
 
世の中をありのままに見れば、人間は生まれたら最後、みな死ぬわけで、いくら千年も万年も、とガンバってみたところで仕方がない。人間の死亡率は何%かご存知でしょう。ガンの死亡率は〇〇%、結核の死亡率は〇〇%といろいろありますが人間の死亡率はと聞かれたら、ゾッとするけど100%としかいいようがない。これこそが当たり前のことであって、今日も生きているということは、それから考えると、めったにない、有り難いことなんですよね。
 
わたしの知り合いの奥さんで、九州に住んでいらしたんだが、こどもが三人、小学校へ上がったばかりのときに、ご主人がガンの宣告を受けられた。もちろん本人は知らない。しかし、奥さんはたいへんです。こどもたちを前に「お父さんは重い病気にかかられた。あなた方、しっかりしてちょうだいね」といって聞かす。そして自分は、毎晩眠れません。そして、フト隣に寝ている主人を見る。静かに寝息をたてている。(ああ よかった。お父さん生きている)。朝起きてもそうです。横をみると主人が大きなあくびをしている。(よかった、今日…)あくび一つでも命の尊さにつながるんです。
 
こうして、この家族は来る日も来る日も、生命の緊迫感につつまれて暮らしました。あるときは入院、そしてまた退院…こんな生活が何年つづいたと思いますか。なんと、十五年間もつづいた。強いお父さんだったのでしょう。そして、なくなられてこどもたちはどうなったか。男の子二人は東大、女の子は奈良女子大にストレートではいった。何も一流大学にはいったから素晴らしいというのではありません。命の尊さを知って、毎日を真剣に生きた結果がそうなったので、大事なのはそこだと思うのです。
 
どうやらわたしたちの多くは、恵まれすぎていたらしい。おやじが生きているのは当たり前。おふくろは毎日生きていることの有難さなんていいもしない。これではこどもも命の尊さなどわかるわけがない。大切なものは何かということも気付かずに、なんとなくモコモコと大きくなってしまった。でももう気が付いた。テレビのドラマに「あしたこそ」というのがあったが、あしたこそではなくて、今日こそのいのちを大切に、ということにです。
 
目が覚める。あたりが見える。庭の緑が美しい。小鳥のさえずりも聞こえてくる。そして手足も動くではないか。こんな有難いことはないですよ。よろこびの原点はここにある。はきすてたくなるような人生だって、このよろこびには勝てはしない。さあ、思い切りノビをして、今日一日を精一杯、いきいきと生き切ってみようじゃないですか。
「お茶の間説法/雪山隆弘(昭和54年百華苑発行)」より 

雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

<-目次-「お茶の間説法」>
お目覚め説法
いい天気ってどんな空?
カガミよかがみよ鏡サン
心のファウンデーション
決めた!はヤメタのはじまり
だいどこ説法
スプーンはおいしさを知らない
ひとりいきいき
いただきます、してますか?
おかげさま?おカネさま?
るす番説法
あなたのダンナは本当の旦那か?
ベルの音いろいろ
長屋とマンション
ひとりよりもふたり
いどばた説法
浜美枝さん
六道はいずこに
この世はあなたのままになるか
天上界は二分半
ようこそ、ようこそ
居直るか、痛みを感じるか
千々に乱れてグチばかり
生きがいと死にがい
名CMその後
ストーブで心は暖まらない
ハウツー説法
お布施は出演料じゃない
焼香は何のために
仏だんの意義
ありがとう、さようなら
お茶の間説法
焼きイモの味
女のよりどころ
男は富貴
煩悩はいくつある
チャンネル説法

ほっこり法座(10~12月)

仏さまのお話と、お寺のごはんを味わって、ココロとカラダのデトックス。ほっこり法座シーズン5のお知らせです。今回も魅力的な先生が揃いました!民藝、消しゴムはんこ、仏教絵本など、様々な切り口から仏教・浄土真宗の教えに触れてください。どなたも心よりお待ちしております。

参加費:1,000円(12/1のみ2,000円)
持ちもの:じゅず(貸出しも可能)
服装:自由

お申し込みはこちらからどうぞ。12/1の消しゴムはんこWSは定員に達し次第締め切ります。参加希望の方はお早めにお申し込み下さい。

10月1日(火)11:00~12:30
通夜って?葬儀って?
講師:雲林重正先生(新潟・淨秀寺)
参加費:1,000円
意外と知らない宗教儀礼の話。自作の儀礼リーフレットに沿って、その意義をお話します。

10月16日(水)11:00~12:30
疑問や悩みの共有
講師:雪山俊隆(善巧寺)
参加費:1,000円
過去のアンケートで様々な疑問や悩みを聞かせてもらいました。それを元にお話します。

11月1日(金)11:00~12:30
願いの中に生きる私
講師:四下順文先生(富山市・妙傳寺)
参加費:1,000円
初めてのほっこり法座のご縁です。皆さまにお会いできる日を楽しみにしております。

11月16日(土)11:00~12:30
民藝と他力思想
講師:太田浩史先生(南砺・大福寺)
参加費:1,000円
日本民藝協会常任理事でもある太田住職より民藝をとおして、他力思想のお話です。

12月1日(日)11:00~14:00
消しゴムはんこで年賀状
講師:麻田弘潤先生(新潟・極楽寺
参加費:2,000円
消しゴムはんこのお坊さんによるワークショップ。時節に合わせて年賀状用のハンコ作りです。

12月16日(月)11:00~12:30
ひかりになった、王子さま
講師:浅野執持先生(愛媛・万福寺
参加費:1,000円
仏教絵本「絵ものがたり正信偈」の著者と一緒に音読をしながら、正信偈の世界に浸る法話です。昼食はお釈迦さまの誕生地ネパール・ルンビニ出身者によるネパール精進カレーと和風カレーの2種です。

<時間割>
10:30 受付
11:00 おつとめ
11:10 法話
12:00 お寺ごはん
12:40 ティータイム(自由参加)
※12/1の消しゴムはんこワークショップのみ午後2時まで行います。

<講師の関連書籍>
消しゴム仏はんこ。でごあいさつ
津久井 智子 麻田 弘潤
誠文堂新光社

空華一泊聞法の旅

4年前からスタートした行信講座「正信偈に学ぶ」が10回目を迎えます。この講座では、宗門校「行信教校(ぎょうしんきょうこう」より天岸浄圓先生をお招きして、浄土真宗の要が記されている「正信偈(しょうしんげ)」をみっちりと3時間の講義を受けています。

今回は10回目を記念して、一泊聞法のコースを用意しました。初日は「正信偈に学ぶ」の講義、2日目は善巧寺11世僧鎔(そうよう)の法要「空華忌(くうげき)」の法話です。仏法三昧の2日間はいかがでしょうか?ご希望の方は下記にしたがってお申込みください。

<日程>
2019年11月11日(月)
13:30 行信講座「正信偈に学ぶ」
16:30 終了予定
17:00 バス移動(宇奈月温泉「喜泉」へ)
17:30 懇親会(天岸先生を囲んで)
※宇奈月温泉「喜泉」宿泊

2019年11月12日(火)
09:30 バス移動(善巧寺へ)
10:00 空華忌(おつとめ、法話)
12:00 昼食
13:00 空華忌(おつとめ、法話)
15:00 終了予定
※両日、ご講師は天岸浄圓先生です。

<コース>
〇11/11 行信講座のみ参加 2,000円(僧侶5,000円)
〇11/11 行信講座+懇親会 10,000円
〇11/11~12 宿泊フルコース 18,000円(講座・法要参加費込み)
〇11/12 空華忌のみ参加 2,000円

主催:専精会富山支部、白雪山善巧寺
※専精会についてはこちらに記しています。

2019夏の総括

7月の「永代祠堂会」にはじまり、8月の「こども盆おどり」と「お盆まいり」、お寺さん仲間とはこども会で「謎解き寺」、富山別院では納涼祭の「縁日」など、夏の行事が一通り終わりました。


永代祠堂会(えいたいしどうえ)
善巧寺の門徒さんの故人をご縁につとまる総法要で、「門徒さんの門徒さんによる門徒さんのための」法要です。総代さんと婦人会の方を中心に清掃奉仕、準備日、当日の対応をしてくださっています。参拝者は毎年の顔ぶれが多く、70~80代の方が中心にお参りくださっています。お参りくださる方は、年に一度の恒例でもありお参りするべき行事になっていますが、残念ながら次の代のお参りが少なく、「あなたのための法要」という趣旨が伝わっておらず悩んでいます。今年は寺報に合わせて案内用紙を送ったのですがあまり効果が見られなかったので、来年は個別の案内として送る予定です。

こども盆おどり
先代の時代から復活した行事で、「こども」に焦点を当てて40年以上続いています。盆踊りのルーツがお寺であることに加えて、子供に楽しんでもらうことを特長にしています。花まつりと同様、運営母体となるグループがないのが悩みですが、これまでのご縁を頼りにギリギリがんばっています。元々は、先代の飲み仲間を中心にした「夢を語る会」が主催をしていました。そこに劇団のOBがスタッフに参加するようになり、いつしか劇団OBが中心になっていきました。それも進学、就職、結婚などの環境によって毎年変化していくので、固定的な母体にはならず、最近では、親子参加者を中心に個々にご縁のある方を頼りにしています。運営グループがないため、準備は一ヵ月ほど前から少しずつ進めていき、数日前のちょうちんつりと、当日のお店の協力、後片付けをお願いしています。いずれにしても、「こどもの笑顔」という目的がハッキリしているので、そのために出来る限りのことをやっていきたいと思っています。

お盆まいり
地域柄もあり善巧寺には元々なかった行事でした。数十年前に総代の方から声があがり毎年16日に行うようになりましたが、当初は総代の方が集まってお盆まいりに引き続き、お寺の営繕関係の話し合いが行われる場となっていました。一般参拝を呼び掛けるものの、なかなか定着には至らず、最近では、1年の間に葬儀のあったご家庭に対して初盆のご案内をするようになりました。対象を絞ったためダイレクトに声が伝わりやすく、またお盆中ということもあってご家族で参拝される方も数組おられるので、小規模な法要のスタイルができつつあります。


ほっこり法座
8/1は大阪より若林唯人先生にお越しいただきました。半月前の永代祠堂会では若林眞人先生というたまたまの親子でご縁をいただきました。今回で23回目となりこれまでの参加者は130名を超えました。今も初参加の方が来られるのはとてもありがたいです。9月はお休みなので次回は10月1日です。


ラジオ体操
昨年から夏休み期間のラジオ体操は善巧寺で行われています。親のプール監視もしかりで、親と参画型の子供行事はゆるやかに縮小化傾向にあります。第一義は「子供のため」のはずですが、それぞれの考え方の上に責任問題やお金の問題など、大人の事情で変化していくのは悩ましいところです。

キッズサンガ
黒部市と魚津市の浄土真宗本願寺派グループ「黒西組(こくせいそ)」では、毎年お寺を順番に回り子供会(キッズサンガ)を開催しています。今年は、善巧寺から車で5分ほどにある若栗「真照寺」で開催されました。今回のメインコンテンツは「謎解き」。真照寺住職の本願寺で働いていた経験が活かされて、スタッフに声をかけさせる仕組みや個々に楽しめるゲーム性など、大盛り上がりの行事でした。

縁日
富山別院で納涼祭的な行事「縁日」が行われました。音響担当で声をかけていただき、岩瀬の慶集寺住職とご一緒に音楽を流してきました。こちらは寺族仏教青年会主催で、県内のお坊さんたちが切り盛りしています。これまであまり関わっていないので恐縮ではありましたが、よいご縁をいただきました。

お盆の行事

善巧寺のお盆行事は、12日「こども盆おどり」、16日「お盆まいり」です。
今回はそれらに合わせて、春の展覧会でお蔵に展示していた「釈迦十大弟子」を本堂の後廊に設置しました。1列にピッタリ10人が収まり、お軸の上部には江戸期に善巧寺で開校していた仏教学校「空華盧(くうげろ)」の学生さんたちの名前が並んでいます。現代作家の玉分昭光さんが制作された2000年以上前の釈迦十大弟子と、200数十年前の学生方のお名前。時を超えて、お釈迦さまのお弟子がズラリと整列しました!

お盆の行事にご参加の方は自由に拝観できます。また、別日にご希望の方がおられましたら、善巧寺までご連絡ください。

こども盆おどり
8月12日(月・祝)18:30~21:00

お盆まいり
8月16日(金)10:30~11:30

小学生対象の子どもイベント(真照寺)

「謎とき寺の8つの試練」
~お坊さんたちからの挑戦状~
日時:2019年7月29日(月)9:00受付
会場:真照寺(若栗小学校の目の前)
対象:小学生(未就学児は保護者同伴)
参加費:無料
主催:浄土真宗本願寺派富山教区黒西組
申込みフォーム:http://urx.red/vBdo
<時間割>
08:30 善巧寺集合、出発
09:00 真照寺受付
09:30 開会、おつとめ
09:40 おはなし
09:50 ゲーム
10:20 なぞときゲーム
11:30 閉会
※善巧寺からは8:30集合で車を出します。真照寺へ直接行く場合もお申込み下さい。