チャンネル説法

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


現代は情報過多の時代である、といういい古されたことばがあります。テレビ、新聞、ラジオ、週刊誌、雑誌…どれをとっても情報満載で、わたしたちが知りたいことや知りたくないことまで、すべてわかる仕組みになっているという。しかし、本当にそうなんでしょうか。ある学者がこんなことをいっています。
「現代は情報不足の時代である。人間がいかに生きるかという情報に欠けている。わたしがどう生きるかという情報を与えてくれる場がない」
と。

なるほど、そういわれればそうですね。テレビのチャンネルを回してみると、地球の裏側の出来ごとまでわかりはするけれど、では、いったい、このわたしはいかに生きるべきなのか、ということはあまり語りかけてくれない。もっとも、テレビとはギリシャ語で「遠く」の意味で、ビジョンは「見る」。つまり遠くのものを近くでみるだけで、テレビの使命はこと足れりなのかもしれませんが…。

でもね、そんなテレビの番組の中にも、ときどき、キラリと光るものはあるものです。最近、わたしが感動したのは「母と子のスキー教室」という番組でした。1メートルも滑れない親子が、先生の指導で日一日と上達してゆく。その姿を見せながら、あなたもどうぞ…とやるのだが、そのとき、岸英三という先生がおっしゃったことばに、わたしは思わずヒザを打ちました。
「あのね、みなさん、スキーというのはね、ちゃんと、まっすぐ滑るものなんですよ。ただ、それを人間が曲げてしまうんだ。板にさからわず、おとなしく乗っていなさい」

いかがですか?たとえスキーがうまくならなくても、このひとことで、わたしはあの番組は大成功だと思う。だって、この先生はスキーのことじゃなく、人間いかに生きるべきかをわたしたちに語りかけてくれたんだもの。「あのね、みなさん、世の中というものはねm、ありのままに動いているものなんですよ。ただ、それを人間が、わがままにしようとしているだけなんだ。自分の人生にさからわず、心を広くもって、それを受けとめてごらんなさい」——お釈迦様の時代なら、このひとことでパッと悟りをひらく人が何人もいたでしょうに…。

こんなテレビを見て、とてもうれしい気分になりながら、雪の中を、門徒の家にお参りに行きますと、その帰りぎわ、そこのおばあちゃんが、表に出てゆくわたしの背中にむかって、
「おしずかに やわやわと…」
といってくれました。「やわやわと…」いいことばですね。雪道というのは、それこそ人間の煩悩と同じで、積もれば積もるほど道がなくなるものなんです。そこで、わたしの住む宇奈月の方では、大通りに出るまでの道を、家の人が踏みかためておくのです。やわやわと…というのは、その雪道を歩くときに力を入れずに、ソッとお歩きなさいませよ、ということばなんです。

雪国でないとこれはわからないでしょうけど、とにかく力を入れてグッと踏むと、ゴボッとヒザまで沈んでしまう。人の踏みかためた道ですらそうですから、右へそれれば腰まで落ち込み、左へ踏み込むと長ぐつから着物の中まで雪でグショグショです。だから、やわやわと…なんです。

わたしたちの人生も、また、この雪道と同じようなものですね。この世に生をうけて、せめて一つぐらいは…と、若いときはとかく力がはいります。これぞ男の生きる道…とか、なんとかいって、グッとふんばると、ゴボッ。右へ寄れば道なくて沈み、左へ傾けばまたしかり。シャクなことかもしれないけれど、まずは長い間かかって先人が踏みかためてくれた道を、静かに、踏みしめ、かみしめ、やわやわと…。表は冷たい雪が積もっていましたが、わたしの心は、またまた、ポカポカと暖かくなりました。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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