続・お茶の間説法

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善巧寺のYOUTUBEチャンネルで「続・お茶の間説法」をスタートしました!
「お茶の間説法」は、昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された文章です。 いつでもどこでもあなたの心に仏さまの心を。5分ほどの音声法話です。 朝起きた時、クルマの中、夜寝る前などにご利用いただけると幸いです。1冊目は著者本人の音声でお送りしましたが、それ以降の音源はないため、2冊目以降は著者の息子、現住職が朗読を担当します。 このシリーズは当面5/6までは毎朝一話ずつ公開予定です。

「続・お茶の間説法/雪山隆弘」
良い子 悪い子 普通の子
縁によって育つ

「良い子 悪い子 普通の子」見てますか?不思議なのは、良い子でありまして、あの子だけが、まるで存在感がない。良い子ぶりっ子で、本物の良い子じゃない。みんなで笑いものにしている感じであります。もちろん、あの番組はお笑い番組だから、それなりにけっこうなのでありますが…。

さて、それはさておきだ、TVじゃなくて人生本番、子育て本番で、お母さん、あなたは自分の子を、どんな子に育てようと考えていますか。良い子にですか?普通の子でたくさんですか?それとも悪い子にですか。まさか、自分の子を悪い子に育てようなんて思っていませんよね。そりゃあ、わかる。ところが、おそろしいことに、良い子はなかなかいなくって、悪い子が世の中にはとても多い、ということであります。これは一体どういうことなんでしょう?

名古屋の久徳先生、ほら「母源病」などという本を書いている、あの方が、こんなことをおっしゃっています。
「みなさん、あのね。これはいま世界の一つの結論なんですけどね。人間は育てる側によって育つんです。間違いなくそうなんです」
と、あのインドの狼少女の例を引きながらお話なさっていた。人間は育てる側によって育つ―仏法ではこれを「縁によって育つ」といっていますが、とりあえず、学者のいうことの方が信頼性がある世の中ですから、久徳先生のおっしゃったことばを、よくかみしめていただきたい。とってもこわいことだけど、本当なんですね。人間は育てる側によって育つんです。

大阪で生まれ育った人は「なにいうてんねん」だし、わたしのいる富山県なら「なにいうとんがじゃ」だし、東京なら「てやんでェ」ということになっちゃ。これみんな、親やまわりがそのように育てたんでしょ。ことばだけじゃなくて、良い子を育てるのも、悪い子を育てるのも、普通の子を育てるのも、みんな育てる側によるわけです。

で、ここにちょっとしたデータがあるのですが、近頃の子供は、どういう具合に育っているかというと-
まず「約束を守らない」
次に「感謝の心がない」
三つ目は「失敗したら他人のせいにする」
そして最後は「美しいものに気がつかない」ーのだそうであります。いやあ、ひどいもんですな。ウチの子もまったく同じですよ、なーんて笑ってる場合じゃないわけでして、このデータにかぶせて、もう一度久徳先生のことばをくり返してみると…なんだかゾォーッとするんですが、そういうふうに育てているのは、育てる側のこのわたし、ということになってくる。

さあ、そこで考えなくてはならないのは、育てる側だといっているこのわたしは、いったい何によって育てられ、何を仰いで生きているのか、という問題であります。「人間は育てる側によって育つ」という久徳先生のことばを、ただ、育児のハウツーとして聞くのではなく、育てる側だとふんぞりかえっていた自分が、約束を守らず、感謝の心もなく、失敗したら他人のせいにし、美しいものに気がつかなくなってしまっていたのではないかということに気付き、おどろくべきなんじゃないでしょうか。


「お茶の間説法」第一巻はこちらからどうぞ。
>> https://www.zengyou.net/?p=5702

Temple life-お寺の日常-

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善巧寺の日常のひとコマを映像にしました。
音楽は、2014年にお寺座LIVEへ出演してくださった宮内優里さんのユニット「BGM LAB.」の「indoors」という曲です。この曲は、「今、外に出づらいこの非常な日常を、室内で少しでも穏やかに過ごせる道具の一つになってくれたら嬉しいです。」 というご本人のコメントのとおり、フリーダウンロードで公開された楽曲です。この曲がとても素晴らしく、ゆっくりした時間の流れが、お寺の時間と通じるものを感じて映像を重ねてみました。宮内さんにも連絡したところ、快く承諾を頂きましたので、こちらへ公開します。どうぞご覧ください。

原曲はこちらのサイトからダウンロードできますので、気に入った方はぜひどうぞ。
https://bgmlab.bandcamp.com/track/indoors-free-download

ウィルスの次にやってくるもの

善巧寺では、3月16日からほっこり法座(お講)を休止し、花まつりや清掃奉仕も中止の運びとなりました。寺報4月号も先の見通しが立たないため、必要最小限のこのような案内になりました。先が見えない状況に翻弄されていますが、よくよく考えると、経典にあるように、コロナ以前から私たちには明日の保証がありません。それを幻想を描くようにあるものとして生活していたことを実感させられます。

不安や恐怖は、他人への怒りや憎しみに変貌することがあります。他人事ではなく、くれぐれも攻撃的、あるいは自虐的にならぬように気を付けたいものです。静かに手を合わせる生活に立ち返りましょう。 (寺報号外より)

https://youtu.be/rbNuikVDrN4

こちらは日本赤十字社が公開した動画です。とても大事なメッセージなのでどうぞご覧ください。お互いに気を付けましょう。

法事のコロナウィルス対策

コロナウィルスの終息まで、善巧寺では以下の対応をさせていただきます。ご法事を検討されている方はご一読下さい。

1、お寺での法事(あげ法事)推奨
善巧寺の本堂は百畳以上ありますので、充分な間隔を取りながらおつとめできます。ご自宅を選ばれる方は、マスク着用、座席の間隔、換気等のご協力をお願いいたします。

2、お茶接待の取り止め
通常は控室でお茶をお出ししますが、今しばらくは本堂からお入りいただき、各テーブルへペットボトルのお茶と茶菓子を用意させていただきます。

3、遠方の方へはネット中継推奨
遠方からご参加出来ない方のために、インターネット中継を行います。受信側にパソコンかスマートフォンなどの端末が必要です。インターネットからの参加者には参加意識を持っていただくためにも、故人へのメッセージを送っていただき、法事中に読み上げます。離れていても故人を偲ぶ気持ちは同じであることを共有しましょう。詳しくはお寺までご相談下さい。

4、会食不参加
コロナウィルスの終息まで僧侶の参加は失礼させていただきます。

以下の項目にあたる方は参加を控えていただくようお願いします。僧侶も同様に対応いたします。いずれも、感染拡大防止対策としての対応となりますので、ご理解のほどよろしくお願いいたします。
・三十七度以上の発熱と症状(咳、痰、息切れ、倦怠感、嘔吐、下痢)
・味覚、嗅覚異常
・三週間以内の渡航歴

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春の行事中止のお知らせ

花まつりマルシェ
コロナウィルスの影響を受けて、3月中に広報ならびに初参式・七五三の募集が困難となり、4月以降の状況も見通しが立たないため、とても残念ですが今年の開催は断念することになりました。代わりにはなりませんが、8月15日のこども盆踊り、来年の花まつりマルシェをパワーアップしてお送りできるようにがんばりますのでよろしくお願いします。

ほっこり法座
3月16日と4月1日を中止します。4月16日の日帰り寺めぐりは変更して、11:00よりおつとめ(正信偈)と法話を行い11:40頃に短縮して行います。5月以降については流動的になると思いますが、こちらでもお知らせします。

ほっこり法座(2~4月)

仏さまのお話と、お寺のごはんを味わって、ココロとカラダのデトックス。ほっこり法座シーズン6のお知らせです。どなたも心よりお待ちしております。

参加費:1,000円(3/1と4/16は別料金です)
持ちもの:じゅず(貸出しも可能)
服装:自由

<時間割>
10:30 受付
11:00 おつとめ
11:10 法話
12:00 お寺ごはん
12:40 ティータイム(自由参加)

2月1日(土)11:00~12:30
ブッダの生涯
講師:雪山俊隆(善巧寺)
参加費:1,000円
ブッダ=お釈迦さまはどんな人生を歩まれたのか。いちから順にその足跡を辿っていきます。



2月16日(日)11:00~12:30
ゼロから味わう仏教
講師:日下賢裕(石川・恩栄寺)
参加費:1,000円
仏教ってそもそもどんな教え?専門用語を丁寧に解説し仏教を基礎から学ぶ講座です。



3月1日(日)11:00~15:00
マイ経本づくり ~写経と和綴じ~
講師:堀麻由美(富山市・豆本堂)
参加費:2,000円
昨年大好評の写経と和綴じワークショップ。和綴じは表紙に友禅和紙、カラフルな糸でお好きな組合せで作ることができます。

中止 3月16日(月)11:00~12:30
中止 4月1日(水)11:00~14:00
中止 4月16日(木)11:00~15:00

お茶の間説法 -目次-

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」は、昭和54年に書籍として出版。病気で自宅や病院から出られない人のために、本人の音声で朗読している。ニフティ主催のポッドキャスティングアワード2006で審査員特別賞を受賞。

「お茶の間説法」
著者:雪山隆弘/印刷所:百華苑/昭和54年8月15日発行
お目覚め説法
いい天気ってどんな空?
カガミよかがみよ鏡サン
心のファウンデーション
決めた!はヤメタのはじまり
だいどこ説法
スプーンはおいしさを知らない
ひとりいきいき
いただきます、してますか?
おかげさま?おカネさま?
るす番説法
あなたのダンナは本当の旦那か?
ベルの音いろいろ
長屋とマンション
ひとりよりもふたり
いどばた説法
浜美枝さん
六道はいずこに
この世はあなたのままになるか
天上界は二分半
●オフィス説法
ようこそ、ようこそ
居直るか、痛みを感じるか
千々に乱れてグチばかり
煩悩はいくつある
チャンネル説法
生きがいと死にがい
名CMその後
ストーブで心は暖まらない
ハウツー説法
お布施は出演料じゃない
焼香は何のために
仏だんの意義
ありがとう、さようなら
お茶の間説法
焼きイモの味
女のよりどころ
男は富貴

連続再生プレイリスト

雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

チャンネル説法

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昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


現代は情報過多の時代である、といういい古されたことばがあります。テレビ、新聞、ラジオ、週刊誌、雑誌…どれをとっても情報満載で、わたしたちが知りたいことや知りたくないことまで、すべてわかる仕組みになっているという。しかし、本当にそうなんでしょうか。ある学者がこんなことをいっています。
「現代は情報不足の時代である。人間がいかに生きるかという情報に欠けている。わたしがどう生きるかという情報を与えてくれる場がない」
と。

なるほど、そういわれればそうですね。テレビのチャンネルを回してみると、地球の裏側の出来ごとまでわかりはするけれど、では、いったい、このわたしはいかに生きるべきなのか、ということはあまり語りかけてくれない。もっとも、テレビとはギリシャ語で「遠く」の意味で、ビジョンは「見る」。つまり遠くのものを近くでみるだけで、テレビの使命はこと足れりなのかもしれませんが…。

でもね、そんなテレビの番組の中にも、ときどき、キラリと光るものはあるものです。最近、わたしが感動したのは「母と子のスキー教室」という番組でした。1メートルも滑れない親子が、先生の指導で日一日と上達してゆく。その姿を見せながら、あなたもどうぞ…とやるのだが、そのとき、岸英三という先生がおっしゃったことばに、わたしは思わずヒザを打ちました。
「あのね、みなさん、スキーというのはね、ちゃんと、まっすぐ滑るものなんですよ。ただ、それを人間が曲げてしまうんだ。板にさからわず、おとなしく乗っていなさい」

いかがですか?たとえスキーがうまくならなくても、このひとことで、わたしはあの番組は大成功だと思う。だって、この先生はスキーのことじゃなく、人間いかに生きるべきかをわたしたちに語りかけてくれたんだもの。「あのね、みなさん、世の中というものはねm、ありのままに動いているものなんですよ。ただ、それを人間が、わがままにしようとしているだけなんだ。自分の人生にさからわず、心を広くもって、それを受けとめてごらんなさい」——お釈迦様の時代なら、このひとことでパッと悟りをひらく人が何人もいたでしょうに…。

こんなテレビを見て、とてもうれしい気分になりながら、雪の中を、門徒の家にお参りに行きますと、その帰りぎわ、そこのおばあちゃんが、表に出てゆくわたしの背中にむかって、
「おしずかに やわやわと…」
といってくれました。「やわやわと…」いいことばですね。雪道というのは、それこそ人間の煩悩と同じで、積もれば積もるほど道がなくなるものなんです。そこで、わたしの住む宇奈月の方では、大通りに出るまでの道を、家の人が踏みかためておくのです。やわやわと…というのは、その雪道を歩くときに力を入れずに、ソッとお歩きなさいませよ、ということばなんです。

雪国でないとこれはわからないでしょうけど、とにかく力を入れてグッと踏むと、ゴボッとヒザまで沈んでしまう。人の踏みかためた道ですらそうですから、右へそれれば腰まで落ち込み、左へ踏み込むと長ぐつから着物の中まで雪でグショグショです。だから、やわやわと…なんです。

わたしたちの人生も、また、この雪道と同じようなものですね。この世に生をうけて、せめて一つぐらいは…と、若いときはとかく力がはいります。これぞ男の生きる道…とか、なんとかいって、グッとふんばると、ゴボッ。右へ寄れば道なくて沈み、左へ傾けばまたしかり。シャクなことかもしれないけれど、まずは長い間かかって先人が踏みかためてくれた道を、静かに、踏みしめ、かみしめ、やわやわと…。表は冷たい雪が積もっていましたが、わたしの心は、またまた、ポカポカと暖かくなりました。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。


<-目次-「お茶の間説法」>
お目覚め説法
いい天気ってどんな空?
カガミよかがみよ鏡サン
心のファウンデーション
決めた!はヤメタのはじまり
だいどこ説法
スプーンはおいしさを知らない
ひとりいきいき
いただきます、してますか?
おかげさま?おカネさま?
るす番説法
あなたのダンナは本当の旦那か?
ベルの音いろいろ
長屋とマンション
ひとりよりもふたり
いどばた説法
浜美枝さん
六道はいずこに
この世はあなたのままになるか
天上界は二分半
ようこそ、ようこそ
居直るか、痛みを感じるか
千々に乱れてグチばかり
生きがいと死にがい
名CMその後
ストーブで心は暖まらない
ハウツー説法
お布施は出演料じゃない
焼香は何のために
仏だんの意義
ありがとう、さようなら
お茶の間説法
焼きイモの味
女のよりどころ
男は富貴
煩悩はいくつある
チャンネル説法

よろこびの場

ほんこさまのお参り先でお仏壇に気になるものがありました。「初任給」と書かれた封筒。おつとめの後に話を聞いてみると、「じいちゃんの好きに使って」とお孫さんが手渡してくれたそうです。思わず「かたいっさんやね~」と言うと、とても嬉しそうにされていました。この封筒は中身がいくら入っているかは問題ではなく、孫の心がおじいちゃんに届き、おじいちゃんの喜びが感謝となり仏壇に置かれたのです。きっと、これを見るたびに幸せな気持ちになることでしょう。とてもステキな話を聞かせてもらい胸が熱くなりました。

お仏壇は、私たちの欲望や願いを仏さまに聞いてもらう場所ではなく、「あなたを必ず救う」という仏さまの願いに感謝する場所です。喜びの場であり、悲しみに寄り添ってくれる場所です。私の前に仏さまがいるのではなく、仏さまの前に私が座らせてもらう。同じ事柄ですが、受け取り方が百八十度違います。これを「他力」といいます。他力とは、「利他力」の略で、自が他を利する力。「自」は自分ではなく仏さまのこと。「他」は他人ではなく、あなたのことです。つまり、仏さまがあなたを利益する力を他力といいます。

お仏壇を仏さまに感謝する場所と位置付けた時、私たちの日々の生活にある喜びに対しても、感謝していく場所になるでしょう。初任給の封筒はそのひとつのカタチとして、とてもステキな在り方だと思います。自分の欲望ではなく、喜びと感謝の結晶がここにありました。

雪山俊隆(寺報174号)

所信表明 2020

明けましておめでとうございます。
正月の善巧寺は、1日深夜0時の除夜の鐘にはじまり、午前6時から朝のおつとめ(修正会)、午前8時~午後3時頃まで「年頭参り」を行っています。

「年頭参り」とは、名前のとおり新年を迎えるにあたって初めてのお寺参りをすることです。通常の法要と異なり、決まった時間におつとめがあるわけではなく、それぞれの来やすい時間にお寺へ訪れ、本堂で手を合わせてから座敷へ移動してあいさつを交わす伝統的な行事です。各ご家庭や地域で伝承されてきた行事のため、お寺からは特に案内はしていません。その伝承が途切れつつある昨今、年々人の数は減っており現在は平成初期の半数ほどになりました。これは、年中行事の法要も同様で、世代交代がされないまま高齢化と過疎化が進行したため、必然的に減少傾向にあります。

数十年前からお寺の中では「お参りの数が減った」と口ぐせのように言われており、地域行事の中でも同じような状況にあります。人に来てもらうための努力や熱心なお誘いがない行事が衰退していくのは当たり前のことですが、現状維持のままで参加者に恵まれていた時代が長過ぎたゆえの嘆きの声です。一般の企業でも、自社の精魂込めた商品を必死に売るために「営業」や「広報」にかなりのウェイトを割いているように、お寺も同様に一般的な「当たり前」のことをしっかりとやらねばなりません。思えば、新規で起こしてきた行事は、いずれも必死に広報してきました。その際、原動力は内部の熱です。「ひとりでも多くの人に来て欲しい!聞いて欲しい!」という熱が行事を作ります。その視点から見た場合、現在のお寺はその熱が足りないと言わざるえません。義務的に協力してくださる方々は間違いなく善巧寺の支えになっていますが、そこに喜びがなければ広がりは生まれないでしょう。

一昨年から伝統行事の「お講」をリニューアルして再スタートした「ほっこり法座」は、法話を聞くことに重点を置いて、門徒や地域の有無を問わず、出来る限り広くに声を上げるように切り替えました。こちらも長く広報されていなかった定例行事です。まだ軌道に乗ったとは言い切れませんが、一歩手前までは来ていると実感しています。それに対して、年中行事の法要は、これまで門徒さんだけを頼りに踏ん張ってきましたが、今年からその方向性を変えていこうと思っています。

家庭や地域の伝承が途絶えた今、有縁の人びとを対象に、どなたも入りやすい環境を整えて声を上げていきます。その中にはもちろん、門徒さんも地域の方も真ん中にいます。今年は宗祖・親鸞聖人のご法事「報恩講(ほうおんこう)」の改革を目指します。浄土真宗寺院の根幹にあたる行事です。

いろいろと遠回りしましたが、その経験を糧に本丸に入っていきます。つきましては、ご縁のある方々にはぜひ、善巧寺の転換期にご注目いただきたく、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

善巧寺住職 雪山俊隆

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