ありがとう、さようなら

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


つらいことは奥歯をかみしめてガマンすることができますが、うれしいことはガマンできない、と申します。本当にそうですね。うれしいことは、だれかに聞いてもらいたくて仕方がない。そんなわけで、とにかく聞いてもらいたい話があるのです。

一週間前ほど前のことなんですが、近くの魚津市にある小学校へ、講演に出かけたんです。そしたら講演の前に、校長先生のあいさつがありまして、こんなことをおっしゃったんです。
「みなさん、よろこんで下さい。待ちに待った新しい体育館が、あとしばらくで完成いたします。わたし毎日気になって、見に行っているんですけど、きょうはもう館内のお化粧もすっかり仕上がっていました。よかったですね。おかげで、なんとか卒業式は新しい体育館で、できそうです。」

パチパチとPTAのお母さんたちから拍手がわいた。じつは、そのあとなんです。わたしが感動したのは…。
「つきましては、落成式もさることながら、近くとりこわしになります古い体育館のお別れ会をやろうと思うんです。先生方と相談しまして、全児童と一緒に、古い体育館の床や窓をきれいに磨き上げまして、そこで、これまでわたしたちのために力いっぱい働いてくれた体育館に”ありがとう、さようなら”ということにしたんです」
お母さんたちから、ホーッと感嘆のタメ息がもれたことは、いうまでもありません。わたしも、何かこう…ものすごく大事な忘れ物を届けて下さったような気がして、うれしくなりませんでした。

おそらく、今日あたり、あの小学校の児童たちは、キュッキュッと古い体育館の床を磨いているに違いない。そして、感謝の心と、古いものを大事にする心を胸に刻んでいるにちがいない…。そんな光景を思いうかべながら、わたしは、わが身を顧みるのです。古い体育館を、古い家、古いクルマ、古い家具、古い道具に置きかえて、わたしの身の周りから消えていったものたちを思うとき、本当に心から、ありがとうといったかどうか…。いっていないんだなあ。”ご恩知らずはイヌ畜生、ご恩知って、やっと人間”などと、えらそうなことをいいながら、わたし自身、古いものには見向きもせず、感謝の心のかけらもなく、ポイ、とやっている。そんなわたしに、あの校長先生は、感謝の心のあらわし方を教えて下さったんだと思うのです。

そういえば、うちには廃車寸前のクルマがあるけれど、つぎのクルマを考える前に、あの車に”御恩報車”という名前をつけて、廃車になるときには、きれいにワックスかけて、ありがとうと、ひとこといって別れよう。いや、クルマだけではない、クツ下だって、シャツだって、エンピツだって…。いやいや、そればかりじゃないよ。古い人だってそうだ。こんなところに突然、おじいちゃん、おばあちゃんを出してくるのは、失礼なことかもしれないけれど、わたしたちは古いものを大事にしなくなったと同時に、お年寄りに対しても、心の中ではずいぶんひどいことを思っているはずなんです。これでは畜生道に落ち込んだって仕方がないと思うんです。

今日はじつは、お葬式のハウツーのお話をしようと思っていたのですが、うれしい話と、わたし自身の反省が長引いて、もう残り少なくなってしまいました。しかし、さっきの校長先生のお話を覚えておいて下されば、お葬式のハウツーは何もいらないと思う。わたしたちは、あらゆる人たちのおかげによって生かされているんです。もし、その中の一つ、その中の一人が、わたしの手の届かないところへ消え去ってゆくのなら、その時は、古い体育館さん、ありがとう、だ。迷わず成仏して下さいなんていえやしませんよ。救われていないよは、生きているこのわたしであり、あなたのあのだから。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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