ベルの音いろいろ

昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。末尾には、著者本人による録音音声があります。


一水四見―—ということばがあります。同じ水でも、魚が見れば住み家だし、餓鬼が見れば膿血に見え、人間なら水、天人なら宝石の池に見える――つまり、同じ対象であっても、見る者の心が異なると、おのおの異なった見解をいだくということであります。

さて、これを身近な問題に置きかえてみましょう。例えば、いま、玄関のチャイムが”ポンピーン”と鳴ったとします。るす番をしていると、一日に二度や三度はだれかがやってくるでしょうから、ポンピーンとくれば、
<あら、だれかしら。この時間だと、クリーニング屋さんかな。それとも、ガスの集金かしら。ひょっとしたら、また例のセールスマンかもしれないわ>
とまあ、そんなことを、応対に出るまでのわずかな間に考えられることでしょう。

ところが、もし、あなたが商店の方ならどうでしょう。ポンピーン――あら、お客様だ――と即、もうけにつなげて考える。また、あなたが、古いお友達と久しぶりに会う約束をしていたとしたら、ベルの音は、一瞬にしてなつかしさと、よろこびにかわることでしょう。同じ一つの玄関のベルでも、その聞こえ方、感じ方は、こちらの心の持ちようでさまざまなわけです。

ところで、そのベルの音一つで、地獄の苦しみを受けている人も、世の中にはある、というお話を――
これを聞いたのは、大阪の郊外のある老サラリーマンの家庭の奥さんからでした。
「いえね、このあたりは土地ブームで、みんなえらい金持ちになられたでしょ。うちのお隣さんも、その隣も、みんな億万長者なんですよ。それにひきかえ、うちは昔ながらのサラリーマンで、土地もなければ蓄えもない。まわりはみんなりっぱな家に建てかえられて、いままでなら、こんにちわといって、すぐに玄関に入れたのに、いまでは全部大きな門をつくって、ベルを押したら、インターホンで”どなた?”といわれます。わたしもあんな生活、いっぺんしてみたいなあと思っていたんです。そしたらねえ。こないだ、お隣の奥さんがこられましてね。”あんたとこはいいわねえ”とおっしゃる。わたしはまた、皮肉かしらと思ったんです。ところが、違うんですよ。お金持ちにはお金持ちの悩みがあるものなんですねえ」

この奥さんの話では、お隣さん、億万長者になったのはよかったが、とたんに、朝から晩まで、ポンピーン、ポンピーンの連続で、なんとか会とかの連中で、お金目当ての勧誘と寄付の話ばかり。とうとう奥さんノイローゼになって、ポンピーンと鳴ったとたんに、ドキリ。ああ、また寄付かと身の細る思いで、夜も眠れない毎日なんだそうです。
「そこへ行くと、奥さん、あなたのところはいいわねえ、とお隣さんにいわれましてね。わたし、よろこんでいいのやら、悲しんでいいのやら、おかしな気分になりました。人間の暮らしって、何がしあわせなのか、わからないものですねえ」

それにしても、ベルの音一つでドキリとする長者の悩み…一度でいいから味わってみたい、なんてあなたも思われたんじゃないですか。お恥ずかしや、わたしもそうなんだが、お経には、こんなことが書いてあるんです。
<田があれば田に悩み、家があれば家に悩み、また、田が無ければ田を欲しいと悩み、家が無ければ家を欲しいと悩む。一つが得られると他の一つが欠け、これがあれば、かれが無いというありさまで、いたずらに思い悩んで、身心ともに疲れはて、立ち居ふるまいは安らかでなく、いつも憂いに沈んでいる>

これが、あさましい人間の姿だというわけですが、こういい当てられると、ホッとため息をつかざるをえませんねえ。


雪山隆弘
昭和15年生まれ。大阪・高槻市の利井常見寺の次男として生まれ、幼い時から演劇に熱中。昭和38年早稲田大学文学部演劇専修を卒業後、転じてサンケイ新聞の記者、夕刊フジの創刊メンバーに加わりジャーナリスト生活10年。されに転じて、昭和48年に僧侶(浄土真宗本願寺派)の資格を取得し翌年行信教校に学び、続いて伝道院。同年より本願寺布教使として教化活動に専念する。善巧寺では、児童劇団「雪ん子劇団」をはじめ永六輔氏を招いての「野休み落語会」など文化活動を積極的に行う。平成2年門徒会館・鐘楼建設、同年往生。

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